2015年7月号

法衣姿で抗議行動(7月2日国会前)

 浄土真宗本願寺派山崎龍明師や聖護院門跡門主宮城泰年師らの呼びかけによって「もう黙ってはいられない 戦争法案に反対する宗教者の会」が6月28日結成された。
 7月2日国会前で呼びかけ人の山崎龍明師らが法衣姿で抗議行動を行いました。

2015年NPT 日本宗教者代表団に参加して
真言宗智山派 隅田山 多聞寺 住職 岸田 正博

 小生がニューヨークに着いたのは、4月26日の夜でしたので、25日の「国際平和地球会議」、26日の「核兵器のない世界への国際行動」の集会・行進・署名提出には参加できませんでした。しかし、派遣に向けての宗教者代表団団長の聖護院門跡の宮城泰年猊下からの訴えによる、「核兵器全面禁止のアピール」への賛同署名や派遣募金が数多くお寄せ頂けたことは、特筆すべきことです。この署名は、別記報告の通り、宗教者代表団代表・日本原水協代表団共同代表の河崎俊栄上人からアンゲラ・ケイン国連「軍縮」担当上級代表に直接、手渡されました。

署名の意義
 署名の有効性については、4月27日に開かれた国際シンポジウム「ともに核兵器のない世界へ 新たな地平を開こう」の質疑応答の中で、高草木代表が2010年の実話が語られました。 国連は署名の現物受理は行わないことになっています。しかも、一時間半の遅れ、しかし、当時の国連「軍縮」担当上級代表のドゥアルテさんと議長のカバクチュランさんが「今日は世界の市民の声を聞くのが私の仕事」と、受け取り、明くる開会総会で議長は「昨日私は、世界の市民の『核兵器をなくせ』という声を署名にして受け取った。これに応えるのがNPTの代表の任務ではないか」と呼びかけたとのこと。
 そして、今回ケイン代表は、「署名を届けてくれたことに感謝する。とても心強い。反核兵器は正しいこと。可能です」と、フェルーキ議長は、「正しい目的に向っての正しいやり方。反核兵器は政府だけですることだはない。市民一人一人の行動があってこそ実現出来る。署名は自分自身の意志を表明するもの」と評価されました。世論の喚起とカタチとしての署名化の意義を再確認させられました。
 「ピース アンド プラネット 核のない平和で公正で持続可能な世界をめざす国際動員」(www.peaceandplanet)
 これが今回の再検討会議に向けての世界の市民運動によるニューヨーク行動をまとめたテーマと全体の組織です。その構成組織のひとつクリスチャン核兵器撤廃キャンペーン(CCND)の主催による「再検討会議の成功のための多宗教の朝の祈り」が4月27日から5日間午前7時半から「イザヤの壁」前で行われました。初日の朝、森事務局長と共に参集しました。この日のテーマは「ヒロシマへの追悼」。5名ほどの参加者が小さな地球の球を持ち順々に祈りを捧げ、全員の連?がささげられました。

「軍縮」?
 今回の再検討会議は、追いつめられた核兵器保有国の我利我利亡者によって形式的には具体的な成果をあげられませんでした。しかし、世界の願いは「核兵器のない世界」にあることが鮮明にされたことは諸師の報告にあるとおりです。
 とは言え、日本原水協代表団の各国代表部訪問の際、世界唯一の被核攻撃国日本の国連「軍縮」代表部大使の「現実的な一歩一歩の前進が大事」との言葉に、「軍縮」という訳語の本質が表されています。軍備の不保持どころか、核兵器の存在する現実を受け入れ、使用すら現実的とする姿勢そのものです。「軍縮」ということばは、disarmamentからの訳語のようですが、この言葉には国家の政治的エゴが込められているように思えてなりません。「dis」は打消しの意味ですから「縮小」などという意味合いはどこにあるのでしょうか。
 憲法九条の軍備不保持という意思の欠落した輩にとっては「軍縮」なる訳語は好都合なのです。「軍縮」はdisarmament=軍備撤廃という目的の過程に過ぎません。しかもその目的は「究極」ではなく直ちに実現しなくてはならないことです。縮小という過程を目的化することは、本来の目的を無限遠方に追いやる詭弁です。明確に「軍備撤廃」と表したいものです。
 末筆ながら、今回の日本宗教者代表団の活動に際し御協力頂きました諸師に対し、また、諸行動の準備・実行を成し遂げて頂いた方々に深く謝し上げます。

国連に宗教者署名提出とニューヨーク行動参加して
日蓮宗・本延寺 住職 河崎 俊栄

 日本宗教者平和協議会は創立以来、核兵器廃絶・軍備全廃・被爆者援護の運動を続け、1978年5月に第1回国連軍縮特別総会開催に向けて、原水爆実験禁止・核兵器廃絶を要請する日本代表団に加わり、日蓮宗宗務総長の親書と国民署名を国連事務総長に提出。以来第2回・第3回。第7回・第8回・第9回の核不拡散条約(NPT)再検討会議に親書と国際署名を提出しました。
 今回は、京都の聖護院門跡の宮城泰年師の提案により、本山貫首・教師・牧師等の個人署名を1か月と短い期間に、会員一人ひとりが努力して集めた1200名余の署名と国際署名2万名余を提出いたしました。
 宗教代表団団長宮城泰年師が出発間際になって参加できない要件ができて、急きょ団長代理の役を受けることになり、責任の重さに緊張しながら4月26日成田空港を出発しました。
 4月26日(現地時間)午前11時より多宗教合同礼拝が国連チャーチ・センター礼拝堂で開かれ、トップで日本代表団の祈りが仏教儀式による法要の中で宮城泰年団長の書かれた表白文を代読し厳粛に奉行されました。
 午後1時からマンハッタンのユニオン・スクエアで世界中から参加された1万人の人々が集会後パレードに移り、参加者の思い思いのプラカード・のぼり旗・横断幕等を持って国連前のダグ・ハマーショルド広場まで行進、引き続き署名提出のセレモニーが行われた。
 国連を代表してタウス・フエル―キNPT再検討会議議長アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表の二人が出席。日本からの署名は6、336、205人の目録を日本原水協代表理事高草木博氏が手渡した。タウス・フエル―キ議長は「署名運動は核兵器をなくすプロセツの中で、一人ひとりの市民に果たすべき役割を与えるもの。皆さんは正しい大義を掲げ、賢明な方法を選んだ皆さんの努力に感謝します」またアンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表は「市民社会の力は私たちの最大の資産の一つ、署名した一人ひとりに感謝します」と感謝の意を述べました。その後に森事務局長と小野恭敬師の協力を得て、アンゲラ・ケイン代表に宮城泰年団長・日蓮宗宗務総長等の親書並びに宗教者教師署名を潘基文国連事務総長に手渡して頂くよう託しました。
 親書と署名を手渡す重大な使命を果たすと共に、ホットする間も無く、宗務総長の親書に述べられている「いかなる戦争行為にも反対する意思を示し、国際協定による速やかなる核兵器の廃絶、平和的手段によるあらゆる紛争の即時終結を強く要請すると共に、国家・民族・宗教の枠を超えた世界の恒久的平和を祈る」との実践行動の使命と責任を感じた。
 最後にこの大役を果たせたのは団員の協力の賜物と感謝しています。

核兵器禁止・廃絶か軍事同盟か
真宗大谷派僧侶 荒川 徹真

 前回2010年に続き、被爆70年の今年、NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議に訴えるニューヨーク行動に参加させて頂きました。
 4月26日、多宗教合同礼拝での日本宗教者代表団の祈りでは初めて、代表団の仏教徒全員でパーリ語の三帰依文を唱えました。仏教各派でも別々の祈りをすることが多い中で、全員で一緒に唱えることができたのはよかったと思います。礼拝全体での祈りや唄も英語なのですべて一緒にはできませんが、前回より一体感があった様に思いました。
 その後は宮城泰年師の書かれた「殺すな 殺されるな」の横断幕を掲げてニューヨークの街を行進しました。
 今回は宗教者代表団の一員として、準備の段階から関わりました。各行事が多くの人々の協力、尽力そしてカンパ署名によって、成り立っていると実感して、署名の重みをより感じました。中でも個人的には、ニューヨーク出発の直前、ベトナムから152万の署名が届けられたとの知らせを聞いて、ベトナムとの縁を少し頂いている者として感動しました。それも含めての633万です。
 それだけに、会議の結果にはより悔しさを感じました。
 今回の会議は核保有国、とりわけアメリカの、核兵器禁止条約と言う文言への抵抗が大きかった様です。私たちがニューヨークに滞在している間にも日本の総理大臣がワシントンに赴き、アメリカの大統領と軍事同盟の強化を確認し合っていました。NPT会議には目もくれずに。アメリカと日本の首脳が軍事同盟の強化を確認したことが、軍縮会議及びそれに対する市民行動と対比的に感じました。
 しかし軍事同盟とは、戦争を起こす為のものであるのは明らかであり、第二次世界大戦以前の遺物のはずです。これを乗り越えていかなければ平和な世界はありえません。
 世界では核兵器の非人道性をあらためて確認し、核兵器禁止につなげようとする動きが強まっており、対する保有国や日本政府の抵抗も激しくなっている現状があります。この非人道性、核兵器禁止の世論の世界的な強まりは、長年の被爆者の方々の訴えの結果であると思います。
 3・1ビキニデーでお話しを頂いた被団協の田中煕巳さんは、今回のNPTが被爆者の大きな行動としては、最後になるのではないかと語っていました。またニューヨークでの国際平和地球会議では、谷口稜曄さんが命をかけた様な訴えをされました。
 今回の会議が決裂したからといって、また次の会議まで5年間をまっている訳にはいきません。今回の会議で、核兵器の非人道性、核兵器禁止の世論が核保有国を追いつめていることが明らかになった以上、それを高めていくことが大切です。核保有国と非同盟諸国などとの溝を埋める為に、保有国の国民にも訴えていくことが大切である。その時に、信仰の違いを超えていく、宗教者の役割の重要性をあらためて感じました。

2015年NPT再検討会議日本宗教者代表団に参加して
立正平和の会 日蓮宗教師 小野 恭敬

 【日本、成田国際空港】
 平成27年4月25日、筆者は「南無妙法蓮華経」と書かれた団扇太鼓を携え、成田国際空港にいた。日蓮宗教師の一員として、僧侶の父・弟に代わり「立正平和の会」が企画したニューヨークでの核廃絶を願う平和行進に参加するためだ。
 5年に一度、ニューヨークの国連本部で開かれるNPT(核不拡散条約)再検討会議に合わせ、核兵器廃絶の祈りと願いを届けようと「日本宗教者代表団」が結成され、5年ごとに全国から署名を集め、議長への署名提出と共に平和行進に参列しているのだった。
 渡航前には、真宗大谷派の荒川様、プロテスタントの冨田様とメールでやり取りし、当日の合同礼拝等の進行や翻訳の打ち合せを行っていた。現地ニューヨークのホテルで合流することになっている。
 今年は被ばく70年の節目であるものの、国際情勢は穏やかではない。中東のパワーバランス、ウクライナ内戦、過激派組織イスラミックステートの台頭、中国の海洋進出。挙げ出したらキリがない。前回の2010年5月のNPT再検討会議の時より、世界の安全保障状況は悪化していると言えるだろう。
「アメリカは本当に核兵器を手放すことができるのだろうか・・・」そんな疑念を抱きながら、筆者は人生で2回目のニューヨークに飛び立った。
 最初のニューヨーク行きは2011年7月。筆者は仏教者として東日本大震災の被災地ボランティアを行い、その活動を世界中から集まった青年活動家たちに英語で講演した。原子力発電の段階的廃止も主張した。今回の旅は原子爆弾の禁止の訴えだ。「ニュークリア・プラント(原発)」に「ニュークリア・ウェポン(原爆)」。筆者にとって、ニューヨークの街は、良かれ悪しかれ「ニュークリア」と強い結びつきがあるようだ。

【日本、埼玉県新座市】
 読者の皆様は、埼玉県の新座市が「鉄腕アトム」の住民票が置かれている日本唯一の市であることをご存じだろうか。筆者も過去3年間暮らしていた街で、今でも毎週末、住まいの隣町から子供たちと新座市へ散策に出かける。道路のいたるところに鉄腕アトムのステッカーが貼られており、雑木林のウォーキングコースを誘導してくれる。鉄腕アトムの生みの親である手塚治虫が当市の武蔵野の自然を気に入り手塚プロダクションのスタジオを建てたことに由来するのだ。
 「鉄腕アトムのアトムというのは、原子もしくは原子エネルギーという意味で、当時では夢の科学技術だったんだよ。小型の原子力モーターのおかげで、こんな小さな体でもアトムは空も飛べるし大変な力持ちなんだよ」・・・新座市の畑道を歩きながら、そんな会話を同市幼稚園に通う長女にしていた。
「心やさしい ラララ 科学の子~♪」 そう、アトムは科学の英知が結集した未来のロボットである。

【アメリカ、ニューヨーク】
 4月26日、主に核兵器廃絶を訴える世界中からの団体がニューヨークに集結し、平和的デモ・パレードが日曜の午後にスタートした。関係者の発表によると、集った人数は現地アメリカ人も含め1万人近くという。マンハッタンの中心部から国連本部近くまで約3㎞の公道を行進した。パレード当日のニューヨークは快晴に恵まれた。
 筆者は、立正平和の会・河﨑俊栄理事長から、日蓮宗宗務総長の親書と日本からの国際署名をNPT再検討会議議長に届けるべく、理事長と共にパレードの先を歩いていた。日本宗教者代表団が集めた署名は、2551筆。広島・長崎の被爆者の団体はじめ、日本からの全団体が集めた署名を合計すると、630万筆を超えていた。
 「核兵器廃絶と世界平和を願う人々の声を届ける…」 一方で、50億の人口の繁栄と地球の自然と文明の発展を考える国際政治の場では、600万の声もちっぽけなものである。ましてや、核保有国と非保有国が対立するNPT再検討会議では自国の利益と安全の優位性を主張し合う場となり、当初から難航が想定されていた。核保有国は、核を持つことの抑止力を前再検討会議では、自国の利益と安全保面に押し出し、平和維持のために核武装が必要不可欠という認識でいる。
「核兵器の使用は、地球の滅亡をももたらす惨禍あるのみ。核に抑止の力を求むるはその国もまた同罪なり」。国連本部前の教会で同日午前に開催された多宗教合同礼拝にて、河﨑理事長は上記のように断言した。世界の宗教者の代表も首肯していた。
 ニューヨーク・マンハッタンの石畳を唱題行脚しながら、筆者は「鉄腕アトムの道しるべステッカー」を探していたのかもしれない。「この道順通りに歩んでいけば、世界中から核兵器を失くすことができるよ」と、アトムが誘導してくれる。核兵器がこの世界からなくなり、「心優しい科学」技術でもって、原子力の安全かつ平和利用を実現している世界…。しかし、それは未来の夢物語ではなく、我々若い世代が掴み取るべき、構築していくべき世界であると思う。
 パレードの終着点である国連本部近くのダグ・ハマーショルド広場では、ステージが開設され署名提出集会が開かれた。集会には、再検討会議議長のタウス・フェルーキ氏、国連のアンゲラ・ケイン軍縮担当上級代表も臨席された。集会後、河﨑理事長とフェルーキ氏は握手を取り交わし、「日本宗教者代表団として、再検討会議において核兵器禁止へのさらなる進捗を願っており、会議の成功を祈念します」と伝えた。さらにはアンゲラ・ケイン上級代表にはその場で日本宗教者代表団の2,551筆の国際署名と、代表団団長であり聖護院門跡 宮城泰年師の親書を手渡すことができ、加えて日蓮宗宗務総長親書も添え全て提出することができた。ケイン上級代表からは、「被爆者団体のみではなく、日本の宗教者の方々もこの件につき強い関心を持ち、行動されていることを理解しています。私たちは最善を尽くします」と語ってくれた。
 ふと振り返れば、集会のステージ脇、630万の署名を積み上げた段ボールの上に、「殺すな 殺されるな」という力強い毛筆の横断幕がマンハッタンの風にひるがえり掲げられていた。この8文字のメッセージが国連本部ビルの大会議場ならびに全世界に運ばれていくような、そんな錯覚を覚えた。こちらも宮城泰年師の筆なる、世界に向けた願いである。

【地球、日本そして世界へ】
 5月22日、「NPT再検討会議、合意のないまま閉幕へ」というニュースが一斉に報道された。成果なく会議は決裂したと、疲れ切ったフェルーキ議長の横顔と共に、国連本部の映像が流れていた。筆者もこのニュースに触れた時、徒労感に襲われた。パレードに参加していた何万人もの人々、そして署名に応じてくれた630万人もの人々のことを思いやった。「私たちの活動は無駄なことなのか?」、「そもそも、全くの別の力学が働く国際政治に対立することは無謀なのことなのか?」そんな自問自答の念が差し込んで来る。我々市民の声は届かないのだろうか???

 今回、平和行進に参加し思い至ったことがある。それは上記の問いに答えることには意味がないということだ。全ては行動し、参加し、連携し、先人達の想いと活動を引き継ぎ、そして自分も自らの体験を世代を超えて伝えていくことが最も大切なことだと分かった。広島・長崎の被爆者の方々は、車イスを自ら操作しながら、今回のパレードに参加されていた。被爆時には小学生、現在は80歳を超えている方々だ。日本からはるばるニューヨークまで渡航し、それを四半世紀も続けているのである。核兵器廃絶に関しては、世界中が日本に理解を示し、共に歩んでくれている。唯一の被爆国の日本人として、この行動を引き継いでいくことにこそ意義があると思う。
 筆者は今回ご縁があり、父と弟から引き継いだ。核兵器廃絶の運動には、こちら側も核分裂のような連鎖反応で行動の輪を広げ、親から子へ、日本から世界へと、時空を超えて繋がっていく活動を今後も進めていきたい。

辺野古に基地は作らせない沖縄の人々のたたかい①
日本基督教団佐敷教会牧師 金井 創

5月25日 全国理事会(大阪)にて、沖縄辺野古のたたかいの報告をした金井創牧師の講演内容(要旨)を紹介します

はじめに
 沖縄に住んでいると、辺野古のことが県外でどの位、どの様に報道されているかわからない。2007年からこの船(不屈)で使用しているレインボーフラッグ…各国の言葉で「平和」と記されている。(アラビア語ではサラーム)辺野古で今起きていることは、辺野古だけの問題ではない。世界各処で、大きな権力に抑圧されている人たち、権利を奪われている人たち、平和を脅かされている人たちに連帯して進んでいきたいという想いをこの旗に込めている。

沖縄における米軍基地の割合
 沖縄の面積は日本の0・6%、その0・6%の沖縄の地に日本全体の74%の米軍基地が集中している。陸海空の占有。この仕組み自体が構造的差別。「陸」…沖縄来訪者は、まず延々と続く基地のフェンスに驚く。「海」…「提供水域」と呼ぶ。私たちの海ではない。米軍使用時には一般者は立入禁止。「空」…米軍専用の訓練空域、民間機は航行不可。沖縄の空はアメリカの空。陸地以外の見えにくい部分は海も空もアメリカのもの。

沖縄での米軍機・ヘリ墜落事故
 沖縄復帰43年で45件の墜落事故。一年に一機以上が墜落している。いつ墜落してくるかもわからない現実。私たちの不安は決して大げさでも杞憂でもない。いつでもかかえている思いである。こういう中で暮らしている。

悲惨を極めた沖縄の戦争の実態
 沖縄は本土決戦のための時間かせぎの「捨て石」であった。米軍は当初2週間で沖縄全土を占領完了の予定であった。日本軍の大本営では、一日でも長く米軍を沖縄に釘付けにする意図があった。戦いが延びることにより、住民が暮らしている地域が戦場になった。空爆も悲惨だが、陸上戦では実際に目の前に軍隊がいる。そして恐るべきは、友軍であるはずの日本軍が住民を虐殺したり、避難壕から追い出したりした経験談も語られる。

「捨石」(戦中)から「要石」(戦後)の沖縄へ
 沖縄の米軍車両ナンバープレートは、「沖縄」と記されている上に、「KEY STONE OF THE PACIFIC」」とある。つまり、アメリカにとり沖縄は太平洋のキーストーンであるということ。「要石」と訳される。正確には、「楔(くさび)石」の意。大きな石のアーチに打ち込んで全体を支える小さな石のこと。「要」とは、沖縄そのものの価値をいうのではなく、あくまでも米軍の戦略にとっての価値をいう。沖縄は、戦時中は日本軍の捨石にされ、戦後はアメリカにとっての要石にされた。どちらにとっても沖縄の「価値」、沖縄の人たちの「価値」は含まれていない。

沖縄の『平和の礎(いしじ)』
 「神は一つの石を据えた。それは試みを得た石。固く据えられた礎の尊い隅の石」(聖書)
 これが沖縄である。『平和の礎』…沖縄戦で亡くなった全ての人を平等に、その名を刻んだ碑。沖縄住民だけでなく、日本軍兵士、更には、アメリカ・連合軍兵士名も。また、韓国・朝鮮の併合され犠牲になった人々も。現在24万名超。戦争には勝者も敗者もいない。これだけ多くの命が奪われたという事実、二度と起こしてはならない、戦争につながることは認めないと願い作られた『平和の礎』。沖縄は、平和という礎の上に置かれた尊い石。

辺野古の海は宝の海
 辺野古の海、大浦湾は世界でも有数の生物多様性の宝庫である。貴重な生物がいっぱい生きている。沖縄・日本の宝だけでなく世界の宝である。沖縄北部の海、辺野古の海は内地の海の60倍の多様性を持っている。ここを埋め立てて基地を作ろうとしている。

沖縄は加害者の側に立たされてしまう
 私たちはなぜ反対するのか。ここを埋め立てて作られるのは新たな強大な軍事基地。商業施設やレジャー施設ではない。実際に米軍が、キャンプシュワブからイラクへ、アフガニスタンへと出撃し、罪のない人たちが殺害された。ベトナム戦争ではB52が沖縄から飛び立った。新しい基地ができれば同様のことが起きる。宗教者として黙ってこれを見過ごすわけにはいかない。沖縄が加害者の側に立たされてしまう。何としてでもくい止めたい。

すべての命を生き埋めにしてはならない
 何もなければ白い珊瑚礁が広がる美しい辺野古の海。沖縄で一番大きな珊瑚礁が広がる海がこの辺野古。海面から10メートルにまで立ち上がる滑走路の建設予定。潜ってみれば、大変多くの魚が泳いでいる。人間だけではない。海の生物の命も奪っていく。命を生き埋めにしてしまう埋め立てを許してはならない。

山家妄想
■言霊への畏れを

★安倍総理は、アメリカ上下両院議員総会で、「歴史に残る」演説をしたと胸を張る。軍事アナリスト小川和久氏は、「スピーチライターは日経BP社『日経ビジネス』記者出身の内閣官房参与・谷口智彦さんで、彼は東大出のキャリア官僚なんかに負けるものか、という意識が強い。2013年2月の国際戦略研究所での演説、同年9月の国際オリンピック委員会総会での東京オリンピック招致のプレゼンテーション演説も手掛けた。アメリカ人とぴったりと波長のあった演説、彼らがどんな話に好意的に反応するかを知り尽くした人物が、ユーモアやジョークをちりばめ『Japan is back』(日本は戻ってきた)といった決め台詞のポイントもおさえて原稿を書いた。『殊勲甲』である。」と絶賛している。
★ところが、日刊ゲンダイ5月1日付には、つぎのような指摘がされている。日本メディアは「10回以上のスタンディングオベーションが起きた」と持ち上げているが、米メディアは、ほとんど関心を示していない。米メディアが笑いものにしているのは安倍首相が英語で書かれた原稿をひたすら棒読みしただけでなく、原稿に日本語で「顔を上げ、拍手促す」「次を強く」などとあんちょこが書かれていたからだ。「ウォールストリート・ジャーナル」などが、あんちょこペーパーを大きく報じている。アメリカ人記者たちは「まるで中学生の英語スピーチ大会」だと笑い合っているそうだ。素直に日本語でやればよかったのだ。
★国際ジャーナリストの堀田佳男氏は言う。「リズムが悪すぎて意味が分からなかった。米議員の半数以上がスピーチを聞かずに、紙を見ていた。文節の切り方がおかしいし、リズムもない。単語ひとつひとつを明確にしようということなんでしょうが、8割の議員が分からなかったでしょう。」と語る。議員の中には途中退席する者もいたという。米議会では、スタンディングオベーションは習慣で、タイミングもあらかじめ決まっている。ありがたがっているのは、何も知らない日本のメディアと、おめでたい安倍首相だけだ、というのである。
★国際オリンピック委員会総会での東京オリンピック招致のプレゼンテーション演説は、「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証を致します。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません」という、厚顔ともいえる「英語」の言葉から始まる。そして、ミユンヘンオリンピックの翌年に「大学に入学して始めたのが、アーチェリーでした」と私事を紹介して、「私のオリンピックへの愛たるや、その時、すでに確固たるものだった」と胸を張るのであるが、このときすでに米議会演説の伏線、同工異曲の技法が垣間見えるのである。
★1951年9月7日、サンフランシスコに於いて吉田茂総理大臣(当時)が演説をした。サンフランシスコ平和会議における受諾演説である。演説は日本語で行われ、巻紙に書かれた草稿を広げながら読まれたので、「トイレットペーパー」を開きながらと揶揄されていたのを記憶している。もちろん日本語であった。
★この演説に於いて、「平和条約は、復讐の条約ではなく、『和解』と『信頼』の文書である。日本全権はこの公平寛大なる平和条約を欣然受諾する」と表明するが、「共産主義の圧迫と専制を伴う陰険な勢力が極東に於いて不安と混乱をひろめ、且つ各所に於いて公然たる侵略に打って出つつあります」と、反共的「自由主義」陣営の一員となることを公言している。翌日、アメリカ軍士官集会所の一室に於いて、日本全権のうちただ一人出席し調印した日米安全保障条約によって、この道は確定し対米従属が続いているのである。
★1072年、田中角栄総理が訪中晩餐会で「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどって参りました。この間わが国が中国国民に多大な『ご迷惑』をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と挨拶した。この『ご迷惑』について、激しいやり取りがあったが、田中は「万感の思いを込めて詫びる言葉だ」と繰り返し訴え、ついに毛沢東との会談によって中国に受け入れられた。
★各国の首脳会談をみると、きまって自国語での発言を通訳することがみられる。正確に意思の疎通を図るためと教えられた。安倍総理はアメリカに留学し、一年間英語学校に通ったというが、国の運命を左右する公式発言に、あえて「未熟な」ことばを用いる姿に危惧を感じる。国会の答弁に示される冗長な、はぐらかしの駄弁に共通する「言霊」に対する畏れの欠如を見るのである。

(2015・6・20 水田全一)