カトリック教会の典礼暦は、4月20日(日)2025年度の復活祭を迎えた。
教皇フランシスコの2025年度復活祭メッセージより
神に希望を託す人々は、神の偉大で力強い御手の中に自分のか弱い手を置きます。そして、神に立ち上がらせていただき、再び歩ませていただくのです。復活したイエスと共に、彼らは希望の巡礼者に、愛の勝利といのちの静かな力を証しする人々になります。
キリストは復活されました!この宣言に、死のためでなく、いのちのために創られた、わたしたちの存在のすべての意味が閉じ込められています。復活祭はいのちの祝祭です。神はわたしたちをいのちのために創造され、人類が再び立ち上がることを望んでおられます。神の御目にはすべてのいのちは大切なものです。母親の胎内にいる子のいのちも、高齢者や病者のいのちも、ますます多くの国々で切り捨てられるべき存在と考えられています。
世界各地の様々な紛争の中で、どれほど多くの死が望まれていることでしょうか。どれほどの暴力が、家庭内や女性や子どもに対して、しばしば見られることでしょうか。最も弱い立場の人々や、疎外された人々、移民に対して、どれだけの軽蔑がはびこっていることでしょうか。
今日この日、わたしたちが希望と他者への信頼を取り戻すことを望みます。たとえ親しい人でなくても、遠い国から来た、習慣、生き方、考え方、風習が、自分たちが慣れ親しんだものとは違う人でも、わたしたちは皆、神の子だからです。
平和は可能だという希望に、わたしたちが立ち返ることができますように。今年カトリック教徒と正教徒が同じ日に復活祭を祝った聖墳墓・復活教会から輝き出でる平和の光が、聖地の全土と全世界を照らしますように。パレスチナとイスラエルのキリスト教徒の苦しみに、また同様に、イスラエルとパレスチナのすべての人々に寄り添いたいと思います。世界中に広がりつつある、反ユダヤ主義の風潮の高まりは憂慮すべきことです。同時に、わたしの思いは、恐ろしい紛争が死と破壊をもたらし、悲劇的で恥ずべき人道状況を生んでいるガザ地区の人々へ、中でもキリスト教共同体へと向かいます。紛争当事者に呼びかけます。攻撃を止め、人質を解放し、飢えに苦しみ、平和な未来を切望する人々に手を差し伸べてください!
内閣総理大臣 石破 茂 様
要 請 文
第7次「エネルギー基本計画」の撤廃を求めます
世界の安穏と平和を願う私たち宗教者は、2012年以来「東日本大震災犠牲者追悼・原発廃止廃炉を願う諸宗教者による祈りのつどい」を、福島県浜通りの寺院・教会において勤めてまいりました。本年も楢葉町の宝鏡寺境内の『ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ“非核の火”』前にて祈りを捧げてまいりました。また、今もって98.4%が「帰還困難区域」である浪江町、その中でも第一原発の過酷事故発生により多くの町民が避難した津島地区の現状を調査してきました。津島地区は現在、特定復興再生拠点区域に指定され、年間放射線量20mSvまでという、国際基準の20倍での不条理な生活が強いられています。
途中の国道114号線の走行中、車内の計測器の放射線検知音は、トンネルを出る度に連続音が鳴り響いていました。また、先日の溶解した燃料デブリの回収は0.7gにすぎず、残りの8億8千万グラムの回収の具体的な目処は立っていません。
このような現状の中、去る2月18日に、第7次の「エネルギー基本計画」が閣議決定されました。これまでの「計画」では、原発依存の低減が示されていましたが、第7次では、再生エネルギー・原子力発電が同等に、むしろ新型の増設をはじめ原発の最大限活用が明記されています。実質的に破綻をきたしているプルサーマルの推進や、実現の困難に直面している核融合発電を含めた「フュージョンエネルギー」という新たな「神話」を作り出そうとしているようです。これは原発事故の被災者及び避難を余儀なくされている人々を愚弄し、絶望へ落とし込む「犯罪計画」と言えましょう。「脱炭素」という看板の中身は原発依存になっているのです。原発が「安全性(safety)を大前提に、エネルギー安定供給(Energy Security)を第一として、経済効率性の向上(Economic Efficiency)と環境への適合(Environment)を図る」という「S+3e」が確保されるなら、電力の最大消費地である都市部への原発設置が最適となるのではないですか。いまだに都市部への計画は一基もありません。
今、日本がなすべきは、「原発信仰」の憑依から目覚め、30年度までに原発ゼロを達成することです。生活とエネルギーの在り方の根本を見つめ直すべく、第7次の「エネルギー 基本計画」の撤廃を求めます。
2025年4月10日
日本宗教者平和協議会