原水爆禁止2024年世界大会の成功へ
8月に開催される原水爆禁止2024年世界大会は、世界的な平和に対する逆流と岸田政権の危険な暴走にストップをかけ、「核兵器のない」世界と日本の核兵器禁止条約への参加を実現する重要な大会です。
ロシアによるウクライナへの侵略、イスラエルのガザでの虐殺、そして核兵器による威嚇に対して、世界各地で、無差別殺りくへの抗議と、非核平和、持続可能な世界を求める声と行動が広がっています。核兵器禁止条約は、第3回締約国会議にむけ、国連、条約加盟国政府と市民社会が協力しその流れを促進するとりくみが進められています。
国連安保理でも、グテーレス国連事務総長が核兵器保有国に対して、核軍備撤廃の措置の速やかな履行を促し、非核、保有の多くの理事国が揃って核兵器禁止条約の支持を強く求めました。
世界各地の大学キャンパスや地域で、学生や青年たちがガザやウクライナでの戦争への抗議、ジェンダー平等の実現、気候危機の打破などの行動に立ち上がり、核兵器のない平和な世界の流れを支えています
こうした世界と日本各地のとりくみ、努力を世界大会に持ち寄り、発展させましょう。そして、来年の被爆80年にむけて、被爆者とともに大きなうねりを起こしましょう。
弔 辞
阿部行道師を悼む
藤井 慶輝
ああ、君往けり。涙滂沱としてとまらず。
いくたの苦難の山坂を越えて現在の地位と名声を築きたるも昨年より発病され、日赤にて週3日人工透析を受く。順調、平穏なりしかども突如腎臓、心臓の不調により6月2日未明 急逝せらる。78才。富山県仏教界の快男子の喪失に茫然たるものあり。
君は富山大空襲には因縁深く、母上のお腹にいる時に空襲にあう。身重の体で必死に逃げたという話を何度も母上から聞かされたものだと、述懐していました。富山大空襲は敗戦の日の二週間前、8月2日午前0時36分から111分間にわたりB29、174機が富山市を襲撃。不二越工場や東岩瀬工場地帯破壊が目的でなく、そこに働く工員達の志気阻喪が目的だったといわれています。死者約3、000名、重軽傷者約8、000名、市街地の99・5%が壊滅したという惨禍でした。
空襲前は貧乏暮らし。空襲後は一層の貧乏暮らしでした。現在、能登の被災地へは飲料水、食糧、衣類等を積んだボランティア車両が多数、県内外から押しかけますが、当時は軍需品生産オンリーなので、最低生活を余儀なくされました。疎開生活は、疎開者と居住者の間に対立が生じ、難儀な問題があちこちにありました。
戦後、経済復興が叫ばれる明るい半面、生きるのに難儀な時代にあって、君は小、中、高時代、豪放磊落な性格を発揮し多くの友人を作りましたね。龍谷大学に進学するや、「仏像研究会」を組織し、京都、奈良、滋賀の有名寺院を精力的にまわり、クラブ員を喜ばせるとともに、自己研鑽を怠らぬ人でした。君の年賀状は一枚一枚絵が描いてあり、神経の細かい、ていねいな人だったんだと、なつかしく思い出されます。
大学を卒業してからは、縁あって大沢野町の「セーナ苑」に勤務されました。ここは心身障害者総合支援施設であります。君のモットーはかねてより「弱き者の味方たらん」ですから、ハマり役でした。トコトン皆の世話を焼いたので、「名物先生」でありました。 退職後は自坊の寺務に専念。各種民主団体は待ってましたとばかり世話を依頼。日夜奮闘なさいました。「そんなに体を酷使すると寿命をちぢめるぞ」と私は何度も警告しましたが、「そく言うたとて放っておくわけにはゆかぬから」との返事にハラハラしたものでした。
明治維新のちょっと前、米国大統領リンカーンは演説の中で言いました。「人民の、人民による、人民のための政治」と。これは、けだし古今東西の名言です。国民が主人公の政治を求めていま国内的にアジア的に、世界的に抑圧されていた人々がアタマをもたげています。二十一世紀の転換期です。十四億の人口を抱えている印度では総選挙の結果が出ました。世界で5本の指の中に入る経済発展をとげているとはいえ、「オレ達の所へは富がまわってきてはいない」と国民の一部の人々は不平不満の声を上げています。
われらが祖師親鸞聖人ははるかな鎌倉時代にごく普通の庶民を「御同朋 御同行」とよばれ、あらゆる衆生を救わんとする弥陀の本願をたたえられました。リンカーンの名言と通底する平和、自由、民主主義の気高さと逞しさを感ぜずにおれません。
晩年の君のヒットはやはり空襲関係です。空襲犠牲者の氏名一覧を(故)松原弘欣師と共同で作成し、その前で追悼法要を行いました。さらに、キリスト教牧師達に働きかけて追悼行事を仏基合同にし、今後も合同で追悼行事を継続する約束をとりつけたことです。
君はあとに残してゆく「シャバ」のことが気がかりだったと思いますが、我々一同、祖師の精神に立ち返り、力強く、逞しく、楽天的に「阿部行道師」をモデルとしてがんばってゆくまいか、と決意を固めているところです。どうかお浄土からわれらをお見守りください。将来のお浄土での語らいを楽しみにしております。
長い間のおつきあい、ありがとうございました。深く御礼申し上げます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
2024年6月10日
「浄土真宗を学ぶ会」代表 藤井慶輝(97歳になりました)
北陸新幹線京都延長計画に危惧を持つ
宮城 泰年 京都宗教者平和協議会 理事長
去る3月、北陸新幹線が金沢から敦賀まで延長開業した。そこで改めて敦賀~京都間の延伸計画が表に出てきた。この計画は既に国土交通大臣より指名された「鉄道建設・運輸整備支援機構」が現在も予想ルート上の各地において、推進のためのボーリングや地質調査を進めており、5月には与党を中心とする早期着工の会議が東京で開催されて、小浜、京都駅大深度地下によるルートの着工が現実味を持ってきた。
歴史と文化財の宝庫である京都は幸いにして先の大戦の戦火を免れ、今は多くの観光客が内外から訪れている。その京都が北陸新幹線小浜ルート延長計画という公共事業によって大きな危機にさらされていることが明白になった。
小浜ルートは全線の80%が長大なトンネルで丹波山地を貫き、京都市内では地下40メートルで京都駅に向かう。市内では地盤沈下や地下水位の激しい低下、水脈の途絶が起こる。現にリニア中央新幹線工事によって、瑞浪市の「天皇の水」が枯れ、農耕水源のため池が干上がってしまった。
水は宗教上においても大きな働きをしている。千年以上の歴史を持つ宗教都市・京都の寺社においても、庭園、宗教行事に水は欠くべからざるものである。市民の生活をみれば名水は伏見の酒造りや豆腐、和菓子作りに生かされている。お茶の各家元はすべて、そこに伝わる井戸によって家元の味をみせ、まさに京都の水は「生かされ生きる水」なのだ。
更に健康被害が懸念される。丹波山地の土壌にはヒ素が多く含まれ、莫大な処理土壌や汚染された涌水が地域の河川や井戸に、鴨川や京都の巨大な地下水盆地に流入したなら住民の健康は見えない形で脅かされ、京都の伝統文化とそれを支える人々の命・業が根底から崩れる。目先の利便性と利権が臭う北陸新幹線小浜ルート延長計画は、まさに「京都を京都でなくす」計画である。
私たちは利便性や経済効果を求めるあまり、もっとモットの欲望を持ち、それに付随するマイナスの面を無視しても来た。立ち止まって何が大事か考えてみよう。
「我々の山河は後世の人々から預かっているものであり、先に使わせてもらっているだけであり大切に残し伝えなければならない。」北米ネイティブに伝わるこの伝承、を推進派の人達は吟味すべきである。
「宗教と平和」京都版より