英霊の受け入れ体制づくりを許さない


 今年1月には、陸上幕僚監部の副長(陸将)らが過去の日本の侵略戦争をアジア解放の正義の戦争として美化、正当化し、国民を戦争に動員する精神的支柱として戦死した軍人を「英霊」として祀り、戦争犯罪者を合祀する靖国神社を集団参拝しました。南西諸島の宮古島駐屯地の隊員が公用車を使って宮古神社に組織的に参拝しました。4月からは、大塚海夫元海上自衛隊海将が宮司に就任し、岸田首相が例大祭に「真榊」を奉納し、閣僚や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーが集団参拝するなど、国家の慰霊追悼施設として靖国神社の「復活」を求めるなど戦争する国づくりの「精神的」総仕上げもすすめられています。
陸自第32普通科連隊がへの投稿で「大東亜戦争」の呼称を使用し、「旭日旗」を軍艦旗として使用しつづける海上自衛隊も「大日本帝国」軍人となんら断絶せず、戦前的なものへの反省がありません。内部規律がどうあれ、自衛隊は政治的にも宗教的にも中立であるべきであり、靖国神社参拝などは歴史に対して無反省すぎるもので、断固抗議するものです。

「自衛隊幹部の靖国神社集団参拝に抗議する」


宗平協代表理事 小野文珖(日蓮宗僧侶)

 5月16日、「平和をつくり出す宗教者ネット」の呼びかけにより、参議院議員会館で、自衛隊の靖国神社参拝に関する防衛省との意見交換会が開かれた。参加者は30人程で少なかったが、社民党党首の福島みずほ氏、共産党衆議院議員の穀田恵二氏も出席した。
 あらかじめ防衛省へは質問事項を提出していた。
 1月9日の靖国神社、1月10日宮古神社への幹部の集団参拝について防衛省の見解。「公務」であったのではないか。自衛隊に対する文民統制が崩れているのではないか。木原防衛大臣は1974年の政教分離の憲法に違反しないようにとの事務次官通達を改訂していくと発言したが、その検討状況は進んでいるのかどうか。また「大東亜共栄圏」という言葉が最近自衛隊の公式文書で使用されているが、その真意は。さらに靖国神社の宮司に元海上幕僚長、神社総代に元陸上幕僚長が就任したが、この事実を防衛省はどのように考えているか。
 防衛省から5人の官僚が出席したが、指摘の参拝はあくまでも私的参拝で公務ではなく、自衛隊法にも憲法にも抵触しないと繰り返し、集団で参拝しているが公式参拝ではないので政教分離の原則を破るものではないと答弁した。
 しかし、公用車を使用しているのではないか、と会場からの質問に渋々認め、責任者を訓戒処分にしたと明かにした。さらに、集団で制服を着て隊列を組んで幹部に引率された参拝を、私的参拝という理由を文書に出してほしいと求められた。また「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」等の用語の使用の見解も文書にして返答してほしいと会場から要請された。まだ十分な理解が得られていないので今後もこのような機会をつくってほしいとの要望をもって会は終了した。
 シビリアン・コントロールが大丈夫か、不安になった一日であった。

群馬の森 朝鮮人追悼碑撤去の現実と課題 


 本年5月11日、戦前・戦中朝鮮半島から強制連行によって、群馬県内で労働に従事させられて亡くなった、多くの犠牲者を追悼する「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」(「守る会」)の第20回の追悼式と総会が群馬県教育会館で開催された。
 石碑そのものは1月29日、群馬県の行政代執行で破却され撤去されてしまっていたが取り外された銘板などプレート3枚を「守る会」が取り戻し、当日の式場に掲げて300名を超える参加者全員で献花し、追悼した。ステージには2月に亡くなった追悼裁判の弁護団長の角田義一先生の遺影も飾られていた。
 その後、総会が開かれ、弁護団の経過報告、事務局長の活動報告と提案がなされ、その中で、「守る会」と「追悼碑裁判を支える会」の解散が決定した。解散の一つの理由に、県が代執行の費用として2062万余円の請求を「守る会」に通告してきた事実が挙げられている。撤去そのものが不当行為であるのに費用まで押しかぶせようとする県の態度に、あちこちから怒りの声が上がったが、その後の質疑応答の中で、これ以上裁判闘争しても、高裁、最高裁の判決を見れば、現在の司法は、政府意向を忖度し、行政の言い分を上書きするだけの、「法の番人」の役割を放棄した状態にあるので、結果に期待できず、それよりも今回この追悼碑撤去の報道に、世界中から関心が寄せられ、各方面・各分野から、この問題を憂慮した人たちによって多くの見解が提起され、かえって事の本質を見極める機会を提供することになった。そこで新しい地平に立って、次の段階の運動を展開する方が世論を喚起し、再建への道が開けるのではないかとの事務局の意向を了承し、解散にふみきり、新しい組織を立ち上げ、新たな「記憶 反省 そして友好』運動をスタートさせることになった。もちろん撤去費用支払いには応じず、新しい組織に引き継がない。引き継ぐの先人のは遺志である。
 当日、群馬の森追悼碑跡地ではビジュアル追悼碑が出現した。前林明次情報科学技術大学院教授らによって仮想空間で碑が再建されたのである。また、総会終了後、有志によって県庁前で撤去抗議の集会が開かれ、山本一太知事の暴挙に糾弾のシュプレヒコールが続けられたのである。再び県・民一致による「記憶 反省 そして友好」の碑が公有地に建立されることを切に願うものである