ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ
「非核の火」碑前で復旧へ誓い
「核兵器廃絶を求める原発被災地集会」が福島県楢葉町の宝鏡寺境内でヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶに「非核の火」を灯す会主催で3月11日に行われました。200人を超える参加者でした。
東日本大震災が発生した時刻の午後2時46分に黙とうをしました。
日本宗教者平和協議会から10人が参加しました。
集会では「宗教者の原発廃炉への願い」表白と祈りを岸田正博・多聞寺住職と岡田隆法・泉福寺住職が行いました。早川篤雄・宝鏡寺住職に捧げる「非核の火」を作詞・作曲した鈴木君代・真宗大谷派僧侶・シンガーソングライターが歌いました。
集会は共同代表であり宝鏡寺の早川千枝子さんがあいさつを行いました。
主催した「非核の火」を灯す会共同代表の伊東達也さんは「東電福島第1原発事故から13年の福島の現状と課題」として関連死と自殺者が吐出して多いと報告。「関連死は2343人、自殺者120人」、「事故後も避難者の4割がPTSDの症状で苦しんでいる」「原発事故は13年間多くの人を苦しめて。この人災を乗り越え、必ず福島を復旧させるためありとあらゆる努力することを誓う」と述べました。
伝言館の館長で立命館大学安斎育郎名誉教授は「私たちの運動は微力だけど無力ではない。これまでの20年あまり原発を食い止めてきた。粘り強く取り組んでいきたい」「伝言館に訪れる人が年6000人」と話しました。
変わらない13年
新たな活度模索
早川千枝子さんは、被災後を振り返り新たな活動に踏み出す思いを語りました。避難指示解除後に楢葉町に戻り、障害者グループホームの仮設再建に奔走しました。知的、身体、精神障害のある人を受け入れましたが、近所の店もなくなり多くの入居者は引きこもってしまいました。元気づけるため開いた、料理を作って食べる会に近所の人もやってきましたが、その人たちも「どこにも出かけない」と話し、隣同士の人も被災後そこではじめて出会ったほどでした。
宝鏡寺のある地域はどの家も2・3世代の大所帯でしたが、早川さん夫妻の帰還後に戻ってきた他の世帯は老夫婦や高齢者1人だけというものでした。
生業の農業もやめてしまい、そこに今ソーラパネルがたくさん建っていると言います。
13年たちましたが何も変わっていません。避難させられた被災者としてやってきましたが、これから何か新しく始めないといけないかなと思っている」と語りました。