ビキニ被災事件に端を発し全国に広がった「原水爆禁止署名」
3・1ビキニ被災事件70年を迎えました。アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験で第五福竜丸など日本の漁船1000隻前後が被災しました。第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉さんは半年後に亡くなりました。
この事件を契機に燎原の火のように「原水爆禁止署名」が全国に広がりました。日本原水協が保管していたその署名簿の一部を今年の3・1ビキニデー集会で展示しようと梱包を開封し、整理作業を2月14日におこないました。
70年前、広島、長崎につづくビキニ被災に衝撃を受け、全国各地でガリ版刷りなどそれぞれ独自の署名簿をつくり、多彩に取り組まれた署名簿はすっかり変色していましたが、ペンや鉛筆で書かれた一筆一筆に込められた原水爆禁止、平和憲法を守れとの願いが力強くよみがえってきました。この願いが核保有国に核使用・核戦争を思いとどまらせてきた証でもあります。
集計表には、人類愛善会(大本教)、日本YMCA,日本友和会日本支部、キリスト者平和の会、日蓮宗尼僧法團などの名前もありました。
日本の原水爆禁止運動は被爆者とともに一貫して「署名」に取り組むことで核兵器禁止・廃絶の世論と運動を作ってきました。2021年に発効した核兵器禁止条約へ日本政府に署名・批准を求める署名を、これらのビキニ事件当時の署名運動のように取り組もうと呼びかけられています。
これらの署名簿は、「非核日本キャンペーン」のキックオフとして、3・1ビキニデー集会当日、会場である静岡市民文化会館のホワイエ(ロビー)に展示されました。
2024年被災70年3・1ビキニデー
墓参行進・久保山愛吉墓前祭を開催
「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」(久保山愛吉)「地球上から一発残らず核兵器をなくして下さい」(久保山すゞ)…毎年3月1日の墓前祭を継続して61年、ビキニ被災からは70年の歳月が経過する本年、通年規模で『久保山愛吉墓前祭』が焼津弘徳院で行われました。
墓参行進、墓前祭に900人が参加
焼津駅から弘徳院までの「久保山愛吉氏献花墓参行進」が行われました。900人が参加しました。
弘徳院境内にて墓前祭
船水牧夫牧師・日本宗平協代表理事の進行で10時半開式。
第1部追悼法要で岸田正博代表理事が主催者挨拶。
「能登地方の震災の物故者、祖あいてウクライナ・ロシア、パレスチナ・イスラエル、さらには世界各地での戦争・紛争の犠牲者へ哀悼の心を捧げます」「70年目の今日、「原水爆の被害者は、私を最後にしてほしいい」との故久保山愛吉しの悲願を背負い大勢の方々が行進し、悲願の実現を墓前に誓い上げておられます。」「60年にわたる原水爆禁止運動の一つの原点としての墓前祭を支えてくださりましたことに、深く感謝と連帯の意を表します。」と感謝・開催の意義を述べました。
本年も松永芳信弘徳院住職の読経と法話。参加者900名が久保山さんの遺影の前と墓碑前にて合掌・焼香しました。
挨拶は第五福竜丸平和協会・顧問の山本義彦理事が述べました。(山本氏の挨拶文は『宗教と平和』本号にて掲載)
焼津市長・広島市長・長崎市長のメッセージが寄せられました。(本号掲載)
誓いの集い…各団体から
第2部の「誓いの言葉では、日本原水爆被害者団体協議会事務局長・木戸季市様、原水爆禁止世界大会実行委員会共同代表・野口邦和様、全国労働組合総連合副議長・石川敏明様、新日本婦人の会中央本部事務局長・由比ガ浜直子様、日本山妙法寺・武田隆雄様 日本共産党中央委員会・すやま初美様、日本民主青年同盟中央委員会・静岡県委員長橋爪春人様、3・1ビキニデー静岡県実行委員会・静岡大元副学長日本科学者会議静岡支部 ・石井潔様が誓いを述べました。
終わりに、小野和典日本宗平協代表理事が閉会挨拶を述べ墓前祭を終了しました。
墓前祭の様子は、当日の各放送局での報道、翌日の新聞各紙でも紹介されました。核兵器の願いを新たにしました。
3月1日午後から「3・1ビキニデー集会」にバラを持参し参加しました。
宗教者平和運動交流集会アピール
ビキニ被災70年から広島、長崎被爆80年へ
1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行ったアメリカによる水爆実験で、焼津を母港とするマグロ漁船第五福竜丸をはじめ、操業していた多くの日本漁船やマーシャル諸島の島民が「死の灰」を浴びました。
1945年の広島・長崎の原爆投下に続き、三度核兵器の被害を被った私たち。日本宗教者平和協議会は、『人類は核兵器と共存できない』『戦争も核兵器もない社会の実現を』と願い、被爆者の方々と共に1964年以来、久保山愛吉さんの墓前祭を開催し、世界に発信を続けて来ました。木戸季市日本被団協事務局長の「核兵器も戦争もない世界を求めて」の講演を学び「核兵器廃絶」への決意を新たにしました。
2017年に国連で採択され、2021年に発効した核兵器禁止条約は、現在、署名93ヶ国、批准は70ヶ国に達しています。核兵器の開発・実験・製造・備蓄・移譲・使用・威嚇が禁止されたのです。一方で、被爆国日本政府は、「核のない世界」を世界に向けて発信するどころか、アメリカの「核の傘」のもと、核保有維持の「核抑止力」を肯定し、軍備増強予算の投入、「安保関連3文書」による軍拡への道を進めています。
ロシアのウクライナ侵攻は2年を経過、イスラエルによるガザ爆撃の継続は尊いいのちの蹂躙が続いています。私たちの最優先課題は何か。それは、銃の引き金を降ろし、武器を捨て、それらを溶かして平和の鐘に変えることです。『兵戈無用』の具現を図ることです。
国内では、1月の能登半島大地震。犠牲となった方々に心から哀悼の意を表し、未だ避難生活を余儀なくされている人々にお見舞い申し上げます。珠洲に原発を作らせなかったことを大きな教訓とし、全国の原発廃炉への動きを進めましょう。
「私の目の黒い内は、(原発)廃炉は無理。100年を要する。」(故早川篤雄師)、「原水爆の犠牲者は私を最後に」(久保山愛吉さん)、「私たちが生きている間に一発残らず核兵器をなくして」(久保山すゞさん)…そして、声を出す暇もなく倒れ亡くなっていった多くの被災者の願いのバトンは今私たちに渡されています。
愛吉さん、すゞさんが丹精に育てたバラの花が、今各地に株分けされています。焼津から高知へ渡り、静岡へ里帰り、そして第五福竜丸保存の東京から福島宝鏡寺へ…。『戦争も核兵器も原発もない世界へ』の広がりは、3月末の全国高校生平和集会in焼津として若い高校生たちが学びます。
また、本日の報告にあった、第12回ABCP総会・デリー宣言採択に至る経緯の中で、日本センターから修正提言のあった「核兵器禁止・廃絶」の文言の再掲が実現されたことを心から歓迎します。関係各位の尽力に敬意を表します。
被災70年、墓前祭60年の節目を迎え、また、来年2025年の広島・長崎被爆80年に向けて、今を生きる私たちの願いを具体的な行動の波へとつなげていくことを再確認し、本日の宗教者平和運動交流集会、3月1日の墓前祭、ビキニデ―集会、3月11日の福島宝鏡寺「非核の灯」式典、8月の原水爆禁止世界大会成功へと進みましょう。
2024年2月29日
3.1ビキニデ― 日本宗教者平和運動交流集会