富山大空襲
犠牲者を悼む、2つのつどい
富山大空襲から78年目を迎えた今年の8月1日、富山市の中心部・富山城址公園内の戦災復興記念像の前において、有志による「平和の祈りと追悼の集い」が行われ、富山宗平協のメンバーも参加しました。
各宗派の追悼
昨年までは富山大空襲犠牲者追悼法要として、仏教者のみで犠牲者の追悼法要を行っていましたが、今年はあらたにキリスト教会にもよびかけを行い、市内三教会から富山二番町教会・勇文人牧師、富山鹿島町教会・小堀康彦牧師、富山聖マリア教会・柳原健之司祭と、それぞれの教会の信徒の方々が参加されました。
式では、まずはじめに参加者全員で黙祷をした後、キリスト教による平和の祈りが行われました。賛美歌、聖書のことば、平和へのことば、として平和への祈りがつとまりました。つづいて仏教者による追悼の法要を行い、犠牲者を悼みました。最後に参加者全員で献花をおこない、仏教・キリスト教の宗教を越えて平和への願いを共にしました。終了後には、来年以降もこの集いを開催していくことが確認されました。
慰霊祭相続に努力
つづいて8月12日には、氷見市島尾で行われた富山大空襲犠牲者の慰霊祭にも、富山宗平協のメンバーが参加しました。氷見市島尾は、富山市中心部からは車で50分ほど離れています。この島尾の海岸は富山湾に面していて、1945年8月末までに12〜3の遺体が漂着、赤児を抱いた母親の姿もありました。その遺体は富山大空襲の火災の熱風の勢いから逃れようと、神通川へ飛び込んで亡くなった方々で、地元の方々が一つ一つ丁重に松の木の根元に埋葬してくださいました。慰霊祭は1952年にはじまり、1975年には地蔵尊像が建立されました。戦後の78年の間には、慰霊祭の継続が危ぶまれるようなこともありましたが、戦争の悲惨さを忘れてはならないと、今も地区の方々によって継続されています。
富山大空襲
富山大空襲は1945年8月2日未明、米軍爆撃機B29・174機の大編隊が0時36分より111分間にわたり、50万発にもおよぶ焼夷弾を投下しました。市街地目標区域99・5%を焼失、2700人以上が亡くなり、8千人以上が重軽傷、地方都市の受けた空襲の中では被害規模は甚大でした。
一般市民の救済は
日本全土が空襲の被害に遭ってから既に78年が経ち、8割以上が戦後生まれとなり、戦争の悲惨さを語り継ぐことも困難になっています。戦後の保障では、軍人・軍属や遺族に対しては総額60兆円を越える給付がなされていますが、民間の空襲被害者に対しては何の救済も行われていないどころか、その悲惨な空襲の事実の継承さえ十分になされず、空襲によって多くの犠牲者が出たことも知らない日本国民が増えてきています。
戦争や武力による
一般市民犠牲の救済は
海外に目を転じれば、ロシアのウクライナ侵攻、東アジアでの中国の強硬な海洋進出、相次ぐ北朝鮮のミサイルでの威嚇、ミャンマーでの軍事弾圧など、戦争や武力によって人々の生活が破壊されています。これからも富山大空襲の犠牲者の追悼を通じて、国内外の平和にも思いを寄せていかなければなりません。
(永崎報告)
アジア仏教徒平和会議日本センター提案へ
ウクライナ・ロシア戦争の無条件即時停戦を求める声明
2022年2月24日、ロシアが「特別軍事作戦」と称し国連憲章および国際法に違反した軍事侵攻を開始してから1年7ヶ月以上が経過した今も、殺戮と破壊が続けられています。犠牲者も数万から数十万と言われ正確な数も明らかにされぬまま、人が人を殺し、人が人に殺されています。
同時に広範囲な食料とインフラ不足を招き、更にはこの戦争は、二国間のみならず核兵器を保有する双方の同盟国・親交国が対立する全世界を巻き込んだ状態を露呈し、各国の兵器が投入され、国際軍需産業を中心とする利権亡者たちが群がり、事態を悪化させています。
一方の指導者からは、戦術核兵器の使用が示唆され、全ての核兵器保有国を巻き込んだ全面核戦争の危惧が高じています。
このような状況の中、自国の安全のみを追求する国家が増え、軍事大国化が進行して国際緊張を悪化させ、周辺国さらには地球世界に対し「先制攻撃」という破壊の概念が拡大されています。この概念による破壊は、物質ばかりでなく、人心そのものを蝕んでいきます。
しかし、人類の叡智は「核兵器禁止条約」を成立させました。不殺生を誓う私たち仏教徒はこの人類の叡智を信頼し、戦争の廃絶を誓願し、ウクライナ・ロシアの全ての戦争行為の無条件即時停戦を強く要請し、人間と人間との対話による相互信頼を築くことを希求します。
2023年10月8日
アジア仏教徒平和会議第14回理事会