戦争の準備でなく平和の準備を
『新たな戦前』にさせない



憲法施行から76年を迎えた5月3日、憲法を守り生かそうと全国で集会やパレードが行われました。
 東京・有明防災公園で開かれた集会には新型コロナ流行以降最大規模の2万5000人が参加しました。
 集会は、実行委員会の髙田健さんがあいさつし、岸田政権は敵基地攻撃能力の保有を明記した安保3文書を閣議決定するなど戦争の準備をしているが、「やるべきは平和の準備です」と強調。岸田首相が来年9月までの任期中に改憲を目指すと公言したことにふれ「全国でたたかい、阻止しよう」呼びかけました。
 3人のスピーチがありました。
 清末愛砂さん(室蘭工業大学教授・憲法学)は「あらたな戦前」は、人々のつながりを広げ、思いをともにした互いに携えた手を決して離さないことですと訴えました。
 泉川友樹さん(沖縄大学地域研究所・特別研究員)は、冷戦終結を宣言した地中海のマルタ島のように、沖縄をあらたな冷戦を集結する島にしたいと訴えました。
 ビデオメッセージで参加の東村アキコさん(漫画家)は、漫画家だから政治的発言はあまりしないようにしていたんですけれども、さすがに今はあまりにもおかしいし、ターニングポイントだなって感じているので声をあげましたと述べ、皆さん、声をあげていきましょう。私も軍拡反対を言っていきたい、と決意表明しました。
 国会議員あいさつでは、共産党の志位和夫委員長・衆議院議員、立憲民主党の西村智奈美代表代行、れいわ新選組の櫛渕万理共同代表、社民党の福島瑞穂党首があいさつしました。
 市民連合@新潟共同代表の佐々木寛さんが連帯あいさつしました。
 リレートークで3人が発言しました。
 移住者と連帯する全国ネットワークの山岸素子さんは、衆院法務委員会で採決が強行された入管法改悪について「日本で暮らす外国人の命をさらに危うくするものです。廃案を求めて、みんなで声をあげ続けたい」と訴えました。
 岸田政権が工事を強行した馬毛島の米空母艦載機訓練基地・自衛隊基地化について「馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会」の前園美子副会長が馬毛島にも日本のどこにも基地はいりません。軍事基地反対のうねりをつくりましょう」と訴えました。
 女性差別について看護師・ライターの宮子あずささんは「社会的弱者に対して手を差し伸べようとする取り組みに対してさえ攻撃が起こる状況に危機感を覚える」と訴えました。
 行動提起を総がかり実行委員会の小田川義和さんが「戦争か平和の岐路に立たされています。私たちは「新たな戦前」にさせない力を持っています。政府のウソを見破り、知らせていくための学習会、講演会に取り組みましょう」と呼びかけました。集会終了後パレードに出発しました。

平和教育教材からの『はだしのゲン』削除について① 

吉川徹忍(僧侶、元私立広島城北中学校教師)

はじめに
広島市教育委員会が2023年度、市立小中高校での「平和教育プログラム」を見直すという記事(「中国新聞」23年2月16日)が出た。市教委は有識者による19年からの「検証会議」と「改訂会議」を経て2月8日付で、「ひろしま平和ノート」(小・中・高校各学年)小3の教材に掲載していた中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を、削除し差し替えた。削除撤回の抗議・運動が広島県はもとより全国に広がったが、市教委は正式に改訂した(「中国新聞」4月5日)。
「被爆の実態に迫りにくい」のか?
漫画は中沢さんが実際に体験したこと、見たことを分身の「ゲン」の目を通して描かれている。戦時下、天皇制国家は思想・信条を奪い、言論統制などで民衆を侵略戦争に動員した。植民地支配による朝鮮人への差別や、なぜ米国が残酷・非道な原爆投下をしたのかというアジアの歴史的社会的背景まで読み取れる。
 市教委は削除の理由として、検証会議の委員の意見を紹介。ゲンが家計を助けようと浪曲を歌って小銭を稼ぐのは「児童の生活実態に合わない」、身重の母親を助けようと池の鯉を盗む場面を「誤解を与える恐れがある」との指摘があったという。戦時下の暮らしと現在の生活とは異なっているのは当然である。追い込まれた当時の苦しい家庭の困窮実態に思いを馳せたい。
市教委は、漫画は「被爆の実態に迫りにくい」と判断したという。しかし、原爆の火の手が迫る中、家の下敷きになった父親が、ゲンに逃げるよう叫ぶ場面まで削除した。他の場面に、原爆の爆風や熱線・放射能の酷さと怖さも描かれているにも関わらず。
論議のないまま削除・差し替え教材
 検証会議では「ゲン」の是非を含め削除を決めた様子はなく、「ゲン」の別の場面ではという委員の提案についても論議されていない。他学年への掲載変更もされなかった。改訂会議で「ゲン」を外す合意のないままに、差し替えが市教委事務局から提案された。「『はだしのゲン』の意義を否定するものではない」と述べながら、「市教委が最終的に判断した」(「中国新聞」2月22日)。
 差し替え教材は「ちづ子さんのお話」(原作『いわたくんちのおばあちゃん』主婦の友社)。原爆投下の数日前に、家族写真を撮った、当時女学生で被爆した綿岡智津子さん(おばあちゃん)が両親と妹3人を亡くした体験。聞いた娘(岩田美穂さん)が語り伝える親子三代の物語。家族と写真に写りたがらないおばあちゃんの胸に抱く理由が明かされる。家族の絆の深さとともに、命の重さと平和を願う子どもたちの感性を揺さぶる。
 2つの教材の良し悪しではない。市教委の削除・差し替えをした過程、理由や課題が十分に明らかでないことだ。
(つづく)

追悼 平沢功牧師を偲んで


樋口 重夫

 4月28日、福島県いわき市の平バプテスト教会で執り行われた、同教会牧師の平澤功さんの告別式に参列しました。平澤さんはさる4月22日、中皮腫のため逝去されました。75歳でした。
 平澤功さんは1948年、福島県平市(現・いわき市)生まれ。東京の自治体職員として働くかたわら、68年北千住教会で受洗され、退職後に日本聖書神学校を卒業。日本基督教団修善寺教会牧師、同埼大通り教会牧師、同北千住教会牧師を経て、2021年から郷里にある日本バプテスト同盟平バプテスト教会の牧師を務めていました。
 告別式の司式は、神学校で同期だった日本基督教団沖縄教区の宇佐美節子牧師。宗教者平和運動に一緒に取り組んできた樋口重夫さんと、平澤さんが園長だった「認定こども園平幼稚園」副園長の高萩恵美さんが「送る言葉」を述べました。



平沢 功 牧師へ
神さま、身許に召された敬愛する平沢功牧師との出会いと交わりをお与え下さった御恵みを涙をぬぐいつつ、感謝いたします。
 亡くなる前夜、芳子さんから電話を頂き、深い悲しみに襲われました。寝苦しい夜が明けて22日朝、「明日の説教を準備して亡くなった」との連絡を頂きました。翌23日、平沢さん、あなたの最後の説教「復活の主を知らせる」を芳子さんが代読されるのをここで教会員の皆さんと悲しみのなかで耳を傾けました。
 芳子さんをはじめご家族や教会員の皆さんの愛がどれだけ深くとも、愛する者の肉体を病から、死から守り切ることはできませんでしたが、変わることなく守り導き通され給うた主イエス・キリストに依り頼み、ご家族や教会員らの涙と感謝を浴びつつ75年の生涯を終え、身許へと凱旋されました。
 約1年半におよぶ闘病の末、いま肉体の衣を脱ぎ、信仰により、恩恵によって「神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休み」(へブル書4・10)のいこいに入られました。
 私は、伝道と平和のために捧げられた平沢牧師の神を愛し、人を愛した生涯を想い、高木幹太牧師のことを思い出しながら「明日の説教を準備して主のみもとへの凱旋、万歳」とつぶやいていました。
 入院生活や手術など「病歴」では私の方が「先輩」でしたのに。ご次男・義也さんの誕生日の今日、告別式とはなんという巡りあわせでしょう。
 死んだ者も生きている者も、神様、あなたの愛の外へは出られないということは何と喜ばしいことでしょう。
 主イエスの愛に心を揺り動かされ、平和の福音を伝えようと公務員を辞め、労働組合運動から伝道者としての道を歩まれた平沢牧師のその気迫にみちた気概にふれ続けてこれたことを切に感謝いたします。
 平沢牧師は、心と体とをもって聖書を読み、教会に集う一人ひとりを心にかけ、その悩み、苦しみに寄り添われてこられました。
 また、社会の現実を直視し、反復して聖書を読み、聖書をとおして諸課題を弁証法的にとらえ、日本キリスト者平和の会事務局長、日本宗教者平和協議会代表理事として「内なる心の平和と、外なる世界の平和」を統一的に捉え、「平和の祈りを行動の波へ」と忍耐強く取り組まれました。
第2次世界大戦下における日本のキリスト教界・キリスト者の戦争責任をふまえ、広島・長崎の被爆の原点にたって悔い改め、社会の現実に無関心な教会・キリスト者が、この世にある限り現実的には一定の政治的役割を果たしていることを自覚し、歴史的な現実に対して鋭く対決する預言者的役割を持続し、徹底して果たしてこられました。
 平沢さん、第2回国連軍縮特別総会のニューヨーク行動、チェコ・プラハでの全キリスト者平和大会やインド・ムンバイでのアジアキリスト者平和会議など各地にご一緒しましたね。
 セントラルパークでのジョギング、プラハ旧市街地を散策しモルダウ川遊覧、インド帰国後の「保健所騒ぎ」など様々な懐かしい思い出が山ほどあります。
 国内では北海道の「恵庭・長沼事件」から沖縄の返還と基地問題、安保破棄の取り組み、靖国神社「国営化」・公式参拝など信教の自由、「政教分離」の課題、被爆者連帯と核兵器廃絶、原発ゼロ、いのちと暮らしをまもり、憲法第9条を守る取り組みなど社会進歩のために共に学び、行動してきました。その合間に、数限りなく盃を交わし、議論したことは楽しく懐かしい思い出です。
 平沢さん、出会いと50余年にわたるご交誼、感謝し尽くせません。  御国におもいを馳せつつ、「弱り果てて意気そそうしない」(口語訳へブル12・3)ように地上の生活、残りの歩みをつづけます。
 平沢さん、芳子さんやご家族、そして私たちのための天よりの熱き祈りを切にお願いします。
 後を追う日もそう遠くはないでしょう。長い交わり、重ねて感謝し、しばしのお別れの言葉と致します。ありがとうございます。本当にお疲れさまでした。
2023年4月28
北千住教会が平沢牧師に贈ったストールを宇佐美節子牧師に贈られた