早川篤雄氏のご逝去を悼む
安斎育郎(立命館大学名誉教授)
福島県双葉郡楢葉町の浄土宗の古刹・宝鏡寺第30世ご住職だった早川篤雄氏が、2022年12月29日に逝去された。1973年以来、半世紀に渡って日本の原発政策批判に共同してきた同志の死は、唐突で無念なものだった。告別式は2023年1月7日に宝鏡寺で執り行われたが、筆者はご遺族の要請を受けて以下の弔辞を読んだ。
弔 辞
和 尚!
晩年の早川篤雄住職のことを私はいつもそう呼ばせて頂いていました。和尚は、昨年夏以来、月に一、二度会うたびに痩せていき、散り急ぐ花のように逝ってしまわれました。米寿までご一緒にと思っていたのに、残念でなりません。謹んでご冥福を祈ります。
ここ大円山智相院宝鏡寺は、室町時代の1395年、応永年間に創建された浄土宗の古刹と承っています。早川篤雄和尚は、その第30世のご住職でした。
私が和尚と初めてご縁を得たのは1974年(昭和48年)、今からちょうど50年前のことでした。和尚が生まれたのは昭和14年10月16日、私は丁度その半年後の昭和15年4月16日生まれでしたから、2人とも30代前半の若輩者でしたが、和尚は、東京電力福島第2原発1号炉がここ楢葉町大字波倉に設置される計画に直面し、得体のしれぬ原発が「他人事」ではなく「自分事」になった時期でした。
当時私は東京大学医学部文部教官助手でしたが、出身は東京大学工学部の原子力工学科第一期生で、70年代の日本の原発列島化計画を担う高級技術者となることを期待されていながら、学習を重ねるにつれてこの国の原発開発政策に危うさを感じ、原発を批判する側に身を置くようになっていました。私は、得体のしれない原発の素性を知るための当地での学習会に呼ばれたのを機に、早川和尚と約半世紀に渡って原発問題に共同で取り組みました。
国家が企業と手を結んで原発を推進しようとしている社会にあって、それに異を唱えることには、地域社会でも大学でも、さまざまな圧力や批判や誹謗中傷にさらされますが、和尚はこの双葉地域の歴史と文化と人々を心から愛し、釈迦仏教の世界認識である「これに縁りてこれ起こる」「これ無ければこれ無し」という「縁起・縁滅の法則」をしっかりと認識の基礎に置かれ、私たち科学者とも手を携えて、懸命の努力を払いました。その無我・無心のお姿には、誠に心打たれるものがありました。
和尚はいのちに対する限りない愛の一方で、国家権力の横暴や大企業の傲岸な振る舞いに対しては、一歩も引かずに鋭い批判の矛先を向け、懸命に闘いました。時には、いわきの伊東達也さんや法曹関係者とも力を合わせ、事故の何年も前に津波対策について道理に満ちた提言や東京電力に対する申し入れも行いました。しかし、2011年3月11日に襲いかかった東日本大震災によって、ついに原発はその恐ろしい本性を剥き出し、ふるさとの過去・現在・未来を奪う、未曽有の人類史的原子力災害をもたらしました。和尚と私はここ宝鏡寺境内に「原発悔恨・伝言の碑」を建立しました。折からここ宝鏡寺には、広島・長崎原爆の劫火の残り火から採火された「非核の火」も、30年間燃え続けた東京上野の東照宮から移設されましたが、和尚はこれを「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言の灯」と呼び、原発や核兵器の災害を二度と繰り返してはならないという強い思いを込めて、隣接して平和博物館「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設しました。この山寺に早川和尚が開設した伝言館は、平和博物館のネットワークを通じて国内外に広く知られ、コロナ禍にもかかわらず何百人もの人々が全国各地や海外から訪れています。
和尚!
和尚は昨今の体調不良の中でも、見通しの立たない事故原発の廃炉の先行きに心を砕き、双葉の現状と未来に目を向けるとともに、社会的には原発避難者訴訟の原告団長を務めるなど、空前の原子力災害を経験したふるさとの人々とともに生きる道を歩み続けました。今、私たちは、和尚の余りにも急なご逝去で深い悲しみと戸惑いの中にあります。この上は、和尚が半生をかけて訴え続けられた「核兵器も原発もない平和な社会」の実現をめざして、私はその貴いご遺志を受け継いでいく覚悟です。
私の専門である「平和学」の分野には、Think Globally, Act Locally.「地球規模で考え、地域から行動を起こせ」、および、Think Locally, Act Globally.「地域から問題を提起し、地球規模で行動せよ」という言葉があります。和尚の行動は、まさにその実践に外なりません。
私たちは、創建以来628年の時を重ねてきた宝鏡寺がさらにその歴史を積み重ね、核も戦争もない平和な世界の実現を願った早川和尚のご遺志を受け継ぎ、発信できる場として存続することを心から祈念し、私もそのために微力を尽くす所存であることを表明して、弔辞と致します。
2023年1月7日
安斎育郎
この3年間、筆者は故・早川篤雄氏とともに、宝鏡寺境内に木造2階建ての平和博物館「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」を開設し、展示内容を充実させるために多くの時間を共有してきた。幸い、日本原水爆被害者団体協議会、第五福竜丸展示館、立命館大学国際平和ミュージアムの協力が得られ、地下1階にはヒロシマ・ナガサキ・ビキニ関係の展示を、また、地階には福島原発関連の展示を整えられたが、展示が生気を失わないためには、絶えずリニューアルに取り組んでいく必要がある。ともに八十路坂を這い上がりつつ、事故原発の廃炉の実態と見通しを見すえ、双葉地区の未来のありようについて積極的に発信して行くつもりでいたのだが、同志の死はあまりにも足早に訪れた。
伝言館入り口の壁面展示のキーワードの一つは「12月8日」である。
和尚によれば、それは釈迦が修行の果てに縁起・縁滅の法の認識に到達した日であり、1941年の太平洋戦争開戦の日でもあるとともに、今日の原発開発に連なる1953年のドワイト・アイゼンハワー米大統領による国連における「平和のための原子力」(Atoms for Peace)演説の日でもある。
偶然とはいえ、早川和尚と最後にあった2022年12月8日は、伝言館の特別展「宝鏡寺の太平洋戦争」の開幕初日だった。筆者は、8日朝、和尚と茶を喫しながら向き合っていたが、突然和尚は、八坂スミさんが94歳の時に詠んだ短歌「這うことも出来なくなったが手にはまだ平和を守る一票がある」についての感動を語り出し、自ら、宝鏡寺境内にあった金剛菩提樹から切り出した短冊にこれをしたためた。筆者の頭には「気弱になったか」というある種の不安が過ったが、和尚はその日、共同通信社のインタビューに答え、関東学院大学の湯浅陽一教授に率いられた学生の見学者たちに熱のこもった説明をし、午後半ばに庫裏に戻った。それが筆者が見た最後の姿となり、和尚はその3週間後に息を引き取った。
早川氏は、福島の原発反対運動の生き字引とも言うべき人だったが、多筆の人ではなかった。数多くの貴重な資料が未整理のままに伝言館や庫裏に保存されている。関心のある研究者の助けも借りながらこれを整理し、早川和尚が未来の人々に伝えたかったメッセージを炙り出し、しっかり発信して行くことは、筆者を含む後継者たちの役割だろうと感じている。
(声明)
日本社会に重大な被害をもたらす統一協会の解散を
2022年12月26日 天理教平和の会
2022年7月8日、奈良市 近鉄 西大寺 駅前で参議院選挙奈良選挙区の自民党候補者の応援演説中に、元首相安倍晋三氏が、旧統一協会(世界基督教統一神霊協会)、現在の「世界平和統一家庭連合」(以下統一協会)の信者の息子に銃撃され死亡した事件は、統一協会が日本社会に重大な被害と歪みをもたらしてきたことを次々と明るみに出す契機となっています。安倍氏を銃撃した犯人は「母親が家庭連合の信者であったことが原因で家庭がめちゃくちゃになった」と、その理由を述べたと報道されています。しかし、どのような理由があるにせよ、人を銃撃するような犯罪は絶対に許されません。
宗教を隠れ蓑にした
反社会的なカルト団体
統一協会は「国際勝共連合」という政治組織や「世界平和連合」など様々な外郭団体をもち、自民党と深く癒着し1994年に「世界平和統一家庭連合」と名称を変更し、2015年に文化庁の改称の承認を得ています。統一協会は、文鮮明を救世主としキリスト教を名乗っていますが、その特異な“教義”内容から、世界のキリスト教各派から一致して「キリスト教ではない」と指摘されています。霊感商法による高額の“商品”の押し売り、マインドコントロールによる高額の寄付を強要するなど、宗教を隠れ蓑にした反社会的なカルト団体であることが、元信者や“宗教2世”の当事者からも次々と明らかにされています。
統一協会の発足に当たっては、アメリカのCIAや韓国のKCIAの支援があったこと、日本に進出して以降は、岸信介元首相、笹川良一や児玉誉士夫などの右翼の巨頭と結びついたこと、安倍元首相が深い繋がりを持っていたのは、祖父の岸 信介 や父親の安倍 晋 太郎と続く「3代の因縁」があったことが、今日広く知られるところとなっています。
昨年10月の総選挙に際して、韓国に本部を置く統一協会の外郭団体「世界平和連合」と自民党衆議院議員が「憲法を改正し、安全保障体制を強化する」などの主張で合意し、「平和大使協議会及び世界平和議員連合に入会する」ことを約束する「推薦確認書」を交わしていたことも明らかにされています。自民党は、「自衛隊を解釈に委ねるのではなく、憲法に明確に位置付ける」主張し、統一協会は「自衛隊の存在がはっきり明記される必要がある」とするなど、憲法「改正」に関わる主張は文字通りうり二つです。以上見てきたように、統一協会は宗教の仮面をかぶった反社会的な謀略団体です。
天理教も宗教と政治・政党との関係や宗教2世の問題の真剣な検討を
天理教平和の会は、2004年に全国の憲法9条を守る運動に呼応して「教祖の教えにもとづいて、世界平和(陽気ぐらし)と人類の幸せに貢献することを目的」(天理教平和の会申し合わせ)として発足し、核も原発も戦争もない平和な世界を訴え続けてきた天理教平和の会としても、統一協会が 投 げかけている諸問題を検討してきました。私たちは、宗教の名に値しない統一協会を宗教法人法にもとづいて解散させるべきであると主張します。
また、今回の事件で改めて宗教と政治・政党との関係や宗教2世の問題がクローズアップされています。天理教もかつてアジア諸国への侵略戦争に協力したことや、統一協会問題で指摘されている自民党との関係や教団に対する寄付の在り方など 、教団運営全体の在り方は深く検討すべき課題をかかえているのではないかと考えます。
その意味で、 統一協会問題は 決して天理教と関係ない問題ではありません。教祖百四十年祭を迎える三年千日の活動が始まろうとする今この時期、統一協会問題が突如として浮上してきたのはある意味、親神の思召とも受け止めることができるかとも思います。その意味で、天理教は統一協会問題を他山の石とすべきではないでしょうか。
なお、全ての宗教・宗派は、信者の子弟に対して、独立した人格者として尊重し、憲法に保障された思想・信条の自由、信教の自由を保障する立場での教団運営をめざすことをこの機会に強く主張します。
第3回「非核の火」碑前祭の案内
日時:2023年3月11日(土)13:30分開会
場所:福島・楢葉町・宝鏡寺境内
主な内容(いずれも仮題)
*「12年目のフクシマ・早川篤雄さんを悼む」伊東達也氏
*「早川篤雄さんの遺したもの」安斎育郎氏
*鈴木君代さんミニコンサート・「非核の火」披露
14:46分黙とう