市民連合と立憲野党との政策合意
野党共闘で「命を守るために政治の転換を」
(9月8日、参議院議員会館)
市民連合と野党四党(立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組)は9月8日、参議院議員会館で「衆議院総選挙における野党共通政策の提言ー命を守るために政治の転換をー」を「政策合意」しました。国民民主党は、今日は不参加となりましたが、引き続き政策合意を求めていきます。
「政策合意」には立憲民主党から枝野幸男代表、福山哲郎幹事長、日本共産党から志位和夫委員長、小池晃書記局長、社会民主党から福島瑞穂党首、服部良一幹事長、れいわ新選組から山本太郎代表などが参加しました。市民連合から福山真劫、山口二郎運営委員、川原茂雄運営委員(北海道)、磯貝潤子運営委員(新潟・オンライン)、町田ひろみ運営委員(安保関連法に反対するママの会)、高田健運営委員(総がかり行動実行委員会)、中野晃一運営委員(立憲デモクラシーの会)、広瀬清吾運営委員(安全保障関連法に反対する学者の会・オンライン)などが参加しました。
市民連合「要望主旨」について、運営委員の山口二郎(法政大学教授)は「政策合意について野党四党が受け入れ、本格的な野党協力の態勢を確立することができた。このことは日本の民主主義を回復するための貴重な一歩だ。この政策を旗印に掲げ与党過半数割れを実現し、野党連立政権をめざしていきたい」と提案しました。
立憲民主党・枝野代表は「市民連合の政策事項で、危機的な今日的な状況の中で、根本から立て直していくために重要な政策テーマを各党の皆さんと共有できた」と強調しました。日本共産党・志位委員長は「日本共産党としては提言の内容に全面的に賛同し、その実現のために全力を尽くす」と決意を述べました。社会民主党・福島党首は「市民連合が政治を変えてほしいという多くの市民の皆さんに、野党が力を合わせてどういう政権をつくるのかを提示してくれたことに感謝する」と連帯のあいさつ。れいわ新選組・山本代表は「野党はまとまってくれ、このひどい政治を終わらせてくれという声が届いていた。みんなでまとまっていけるスタートラインをきることができた。市民連合の提言に賛同する。野党が塊になって闘っていきたい」と訴えました。
市民連合が呼びかけたネット署名「立憲野党は新しい政治の『選択肢』を示してください!」には急な取り組みにも関わらず2398筆集約しました。また、市民連合「2021衆議院選挙に向けた声明」には45都道府県・140団体からご賛同(9月7日現在)を頂き、各政党に手交しました。
衆議院総選挙における野党共通政策の提言
命を守るために政治の転換を
私たち市民連合は、本日の政策合意を旗印に全国の市民連合、地域の皆さまと一緒に野党共闘をすすめ、衆議院総選挙に勝利するために全力を尽くします。 新型コロナウイルスの感染の急拡大の中で、自公政権の統治能力の喪失は明らかとなっている。政策の破綻は、安倍、菅政権の9年間で情報を隠蔽し、理性的な対話を拒絶してきたことの帰結である。この秋に行われる衆議院総選挙で野党協力を広げ、自公政権を倒し、新しい政治を実現することは、日本の世の中に道理と正義を回復するとともに、市民の命を守るために不可欠である。
市民連合は、野党各党に次の諸政策を共有して戦い、下記の政策を実行する政権の実現をめざすことを求める。
1 憲法に基づく政治の回復
・安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する。
・平和憲法の精神に基づき、総合的な安全保障の手段を追求し、アジアにおける平和の創出のためにあらゆる外交努力を行う。
・核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する。
・地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する。
2 科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
・従来の医療費削減政策を転換し、医療・公衆衛生の整備を迅速に進める。
・医療従事者をはじめとするエッセンシャルワーカーの待遇改善を急ぐ。
・コロナ禍による倒産、失業などの打撃を受けた人や企業を救うため、万全の財政支援を行う。
3 格差と貧困を是正する
・最低賃金の引き上げや非正規雇用・フリーランスの処遇改善により、ワーキングプアをなくす。
・誰もが人間らしい生活を送れるよう、住宅、教育、医療、保育、介護について公的支援を拡充し、子育て世代や若者への社会的投資の充実を図る。
・所得、法人、資産の税制、および社会保険料負担を見直し、消費税減税を行い、富裕層の負担を強化するなど公平な税制を実現し、また低所得層や中間層への再分配を強化する。
4 地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
・再生可能エネルギーの拡充により、石炭火力から脱却し、原発のない脱炭素社会を追求する。
・エネルギー転換を軸としたイノベーションと地域における新たな産業を育成する。
・自然災害から命とくらしを守る政治の実現。
・農林水産業への支援を強め、食料安全保障を確保する。
5 ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
・ジェンダー、人種、年齢、障がいなどによる差別を許さないために選択的夫婦別姓制度やLGBT平等法などを成立させるとともに、女性に対する性暴力根絶に向けた法整備を進める。
・ジェンダー平等をめざす視点から家族制度、雇用制度などに関する法律を見直すとともに、保育、教育、介護などの対人サービスへの公的支援を拡充する。
・政治をはじめとした意思決定の場における女性の過少代表を解消するため、議員間男女同数化(パリテ)を推進する。
6 権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する
・森友・加計問題、桜を見る会疑惑など、安倍、菅政権の下で起きた権力私物化の疑惑について、真相究明を行う。
・日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する。
・内閣人事局のあり方を見直し、公正な公務員人事を確立する。
2021年9月8日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
市民連合ホームページより
総選挙に向けてのアピール
核兵器廃絶を願う全国の宗教者のみなさん、総選挙が目前に迫りました。
コロナ禍で国民の命と暮らし、平和と日本の未来がかかった歴史的な選挙です。
核兵器禁止条約に背を向けてきた自公政治を転換し、核兵器禁止条約参加をめざす新しい政権を実現しましょう。
ことし1月、被爆者とともに私たちが求めてきた核兵器禁止条約が発効し、史上はじめて核兵器が国際法として禁止されました。「署名も批准もしない」と国民多数の声に背を向け続ける自民党、公明党に、これ以上、被爆国の政権をまかせるわけにはいきません。
私たちは、野党4党(立憲民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組)が9月8日に合意した、総選挙における野党共通政策を心から歓迎します。合意文書は、「憲法に基づく政治の回復」「新型コロナウイルス対策の強化」「格差と貧困の是正」「地球環境を守るエネルギー転換」「ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会」「公平で透明な行政の実現」の6つの柱の政策を「共有して戦い」「実行する政権の実現をめざすこと」を表明しました。
第1の柱では「核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する」ことを明記しました。
野党4党と市民連合の共通政策合意の実現は、憲法改悪と大軍拡阻止、安保法制の廃止、憲法に基づく外交への政治の転換の展望を開き、辺野古新基地建設中止を実現することができます。 被爆国であり、アメリカと軍事同盟を結ぶ日本の政権が、「禁止条約の批准をめざす」ことになるならば、画期的です。核兵器廃絶の世界の流れにも、緊張が高まる北東アジアの平和と安全にも大きな変化をもたらすに違いありません。
みなさん。
いまこそ思想・信条を超えて、一刻も早く核兵器禁止条約への日本の参加を求める国民的な世論を築きましょう。「日本政府に核兵器禁止条約への署名と批准を求める署名」(禁止条約参加署名)を発展させましょう。
市民と野党の共闘を前進させ、被爆国にふさわしい政権を実現しましょう。そのためにも、総選挙では「核抑止力」論から脱却し、禁止条約への署名・批准をかかげた勢力が大きく伸びる必要があります。
「市民と野党の共闘で禁止条約に参加する政府を!」「禁止条約への参加を求める勢力の躍進を!」との訴えを全国にひろげ、歴史的一歩をしるすために全力をつくしましょう。
2021年10月4日 日本宗教者平和協議会
核兵器禁止条約発効後初めて
いのちをえらびとる断食の祈り
京都宗平協理事・天理教平和の会 林 森一
今年も原爆死没者慰霊碑の前に立ちました。京都宗教者平和協議会と天理教平和の会を代表して7回目の祈りに参加するために京都から広島駅に着き、広電で原爆ドーム前駅で下車しました。
ドーム前ではすでに祈りを始めておられる仏教徒の皆さんのウチワ太鼓に一礼してから元安橋を渡り慰霊碑の前に着いたのは10時前でした。明日の記念式典の会場作りはテント内の椅子席は大きく間隔を開けてありました。原爆記念碑には多くの人々が線香やお花を持ってお参り(お祈り)をしていました。公園にはコロナ感染防止のために灯ろう流し中止の看板が立っていました。幼稚園児が揃いの帽子、お揃いの服装で手に手に折り鶴持って歩いて行く姿を見送り1分間の黙とうをして断食の祈りの会場へ急ぎました。
午前10時から 日蓮宗、浄土真宗、キリスト教、天理教 各宗派の参加者が6時間の祈りを捧げました。天理教は私1人になりましたが 教祖中山ミキの教え 世界一列皆兄弟 陽気暮らし、世界平和を祈り 4回のおつとめ行いました。
今年も被爆者のお話を聞く時間があり、京都で学生時代過ごされた広島の法専寺亀井住職のお話しを聞きました。爆心地の復興と支援の体験、平和活動の経験は示唆に富んだ初めて聞くお話でした。
8月6日広島・9日長崎両市の平和式典で2人の市長は核兵器禁止条約の批准を強く求めましたが 菅首相は一言も触れませんでした。
「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の翌日10日の京都新聞は「原爆76年世界へ宣言」の見出しで大きく報道。 首相は広島式典では核兵器に触れたページを読み飛ばし。6日の記者会見で「核兵器禁止条約に署名する考えはない」と明言と記しています。長崎での平和祈念式典遅刻・被爆者健康手帳交付を求めた原告44人の被爆者代表の要求には広島の黒い雨裁判と同じではないと述べたとしています。
今年も6日と9日二つの原爆犠牲者慰霊碑に加えられた原爆死没者は1年間で広島4800人が追加記帳されて死没者総数は32万8929人となりました。長崎では3202人の被爆者の死亡が名簿に追加されて記載された総数は18万9163人となりました。被爆者健康手帳を持つ全世界の生存被爆者は12万7755人。昨年は手帳を持っておられる方々の平均年齢は83・94歳でした。
今年も広島で若者たちとの出会いがありました。8・5ロシマ大行動実行委員会21の被爆3世の青年たち 被爆者で原爆なくせと闘い続けてきた無き祖母の遺志を継ぐ青年と会えました。京都の原水協2世3世の会の著書「語り継ぐ50人の被爆者の記録」を送ります。と約束しました。
8・6アメリカではホワイトハウス前でキリスト教団の呼びかけで開かれた多くの若者たちが参加した集会は核兵器の廃絶求めて非人道的行為としてヒロシマ・ナガサキの原爆投下を謝罪すべきだといいました。
私は昨年の断食の祈りの報告(天理教平和の会)で核兵器禁止条約を日本政府に迫る活動を一層強めていくと述べました。条約批准を菅政権に求める署名活動も行ってきました。今年の広島・長崎・京都の平和の祈りと集いを通して学びと希望の多い1週間でした。三たび惨劇を繰り返さないとの強い意志を表わして核兵器禁止条約の締結と、憲法9条を護る活動の強化に尽くし批准を拒否する政府は退陣してもらい、来年も必ず広島にと決意を新たにしています。
京都宗平協 冨田 成美
キリスト教では、東京から樋口重夫さん(日本基督教団・北千住教会)と京都から冨田成美(日本基督教団・京都丸太町教会)が参加しました。
第1回めの祈りは、樋口さんが担当されました。讃美歌は「世界の長なる」でした。祈りは、原爆で犠牲になった方々を追悼し、今年1月に核兵器禁止条約が発効したことを感謝し、被爆者の方々とともに、日本政府をこの条約に参加させ、核廃絶を進めることを誓う内容でした。
第2回めは、聖書は旧約聖書『アモス書』5章24節(正義を洪水のように/恵みの業を大河のように/尽きることなく流れさせよ)、讃美歌「いつくしみふかき」を歌いました。参加者はどちらも日本キリスト教団所属教会の会員なので、教団の「戦争責任告白」(1967年)を交互に読み上げ、祈りとしました。
第3回めは冨田が担当しました。聖書は新約聖書『エフェソの信徒への手紙』2章14~18節(キリストは十字架によって敵意を滅ぼし、双方を一つとして平和を実現し、神と和解させた)、讃美歌は「イエス、イエス」(『讃美歌21』487番)を歌いました。祈りは、原爆犠牲者の方々への平安と癒し、原爆により殺された側と殺した側との主による和解、日本が犯した戦争の罪の悔い改めが正しく行えることを祈りました。
私たちが祈りを行う供養塔に向き合って、韓国人原爆犠牲者追悼碑があります。毎年私たちの祈りの日と同じ8月5日の午前中に、ここでも追悼式が行われます。私たちはこの声を聞きながら毎年祈りを捧げているわけですが、ここで追悼されている人々は、もし日本が朝鮮半島を植民地とせず、1945年の敗戦までに数々繰り広げた近代戦争を行わなければ、広島で原爆に遭うことはなかったのではないでしょうか。それを考えると、私たち日本人は、原爆の被害者であるとともに、日本の戦争に責任を負わない誰かを被爆させた加害者の一面を持っていることも、忘れてはならないと思います。東南アジア各地から集められた留学生や、何らかの事情で戦争前に帰米できずに広島にいた日系アメリカ人の人々も、ここに含まれると思います。
私が広島を訪れたとき、できる限り足を運ぶことにしている場所が、中国憲兵隊司令部跡(広島県庁南側、宝ビル)です。今年も祈りの後に訪ねました。原爆当時ここと広島城跡にあった広島第11歩兵聯隊に捕らえられていた米軍捕虜の人々も被爆死しました。原爆が「本当に」戦争終結のために必要であったのならば、なぜそれで解放されるべき人々が、自国の爆弾で殺されねばならなかったのか。「痛ましい犠牲」で終わらせてはならない原爆の悪魔性(非人道性)が、大量殺戮の性質とともに、ここにもあるのではないかと考えます。核は人を選べません。核兵器であっても原発であっても、核に「傷つける誰か」を選ばせているのは、どのような理由を付けても、結局は人間の利己性でしょう。私たち個々人の心から、日本と世界の社会構造から、これを一掃し、そして、この世的な「力」に依拠した「平和」ではなく、公正と社会正義に基づいた平和のなかでこそ、私たちは安心して生きられるのではないでしょうか。地球と全生物を滅ぼす力を持つ核(核兵器・原発)の廃絶こそ、その最も確実な道です。それを実効あるものにするために、日本政府の早急な核兵器禁止条約署名・批准、その前段階としての締結国会議へのオブザーバー参加を強く政府に迫る必要があります。そのためには、被爆者の方々の声を大切にし、社会にさらに核の惨禍を訴える必要があります。これらを改めて感じた8月5日でした。
「被爆地の住職として思う=個人史に即して」①
広島市佐伯区 亀石山法専寺住職 亀井 顕雄
はじめに
ご紹介いただきました亀井顕雄と申します。昨年、こちらで少しだけお話をさせていただきましたところ、吉川徹忍師からもう少し広島で住職をしながら体験したり感じたりしたことなどを今日は各宗教、各宗派それぞれの方が、全国各地から明日の8月6日に向けて宗教の立場から平和を願い参加されるので、何か参考になることがあればお話ししてくれと、こういうことで貴重なお時間をいただきました。
何かまとまった充分なお話はできませんが、私の体験に即して感じたままを少しお話させていただきます。詳しい経歴のようなことはお配りさせていただきました3枚目のところにいつ生まれて、学校をいつ出たとかということは書かせていただきました。ご存じの方もいるかも知れませんが、この後少しふれますが仏教関係の出版社に15~16年ほど勤めておりまして、それから広島へ17年前に戻ってまいりました。そういう経歴であります。この自己紹介は広島に戻りましてから、広島大学に仏教青年会という会がございます。こちらにご縁が以前からあったものですから、理事をやってくれということで依頼を受けてその時にプロフィールを書けというので書いたものですから、大学の先生が観るようなあれなんで、そういった学歴みたいなものを中心に書いておりますのでその点ご了解いただけたらと思います。
平和公園の碑について
最初にですね、今日、実はここに座るまでに、ここは広島の平和公園でありますが、そこに原爆ドームが見えますが、原爆ドームの向こう側の方に、本通りとか大通りがあります。そちらに駐車場が幾つもありますものですから、だいたい普段はですね、吉川先生なんかといろんな集会とか集まりを持つときは一番近いので向こう側の駐車場に止めるのです。ところが今日はですね、ここからいうと南側、平和記念資料館がありまして、それの一番西寄りのところに丹下健三さんが造った有名な平和大橋という橋があります。老朽化したので何年か前に修理しましたので綺麗になっておりますが、その橋の向こう側の駐車場に車を停めてきました。
これは何故かというと、向こう側に停めるとちょっと今回は少し歩くので、暑いので歩かなくてすむようにという思いで停めたのです。何故かといいますと、たぶん皆さんあまり知らない方が多いかと思うのですが、この平和公園の中にはたくさんの犠牲者の慰霊碑が建っているはよくご存じですね、メモリーになるものがたくさんあります。慰霊碑もそうですし、供養塔もそうです。原爆の子の像のところもそうです。有名なところがそれぞれあります。吉川先生が関わっておる碑も向こう側にあります。大変すばらしい大きな碑が建っております。
私はですね、毎回来るわけじゃありませんが、明日の8月6日に向けてはある中学生の、旧制中学校の碑をお参りさせていただこうと、ここに座る前にいの一番にと思いまして、この平和公園の西南の角が大橋ですが、そこから北、こちらに向かってくるといくつかの記念碑が並んでいます。先ほど確認したのですが、一番はじめには広島市商という、いまの「広商」とは別なんだと思いますが、その次に広島二中の碑というのが並んでおります。ここを目的としてお参りさせていただきました。
当時の8月6日は
ご存じのように8月6日の時には沢山の中学生が勤労動員で広島市内で今日の日と同じように暑い中を建物疎開のために来ておられまして、8月6日当日も朝から作業がもう始まっておりまして、屋根の上とか建物のまわりで建物を壊すとかの作業を数多くの中学生、特に中学一年生、これが動員されていたそうであります。二年生、三年生は別のところに動員されていました。そうしますと、広島二中だけでなく、女学校も私立の宗門校というと崇徳中学の生徒さんもそうですが、たくさん動員されて、被爆で亡くなられたわけであります。
広島二中の生徒
住田くん
その被爆した二中のなかに、いまも確かめたのですが、レジメでいいますと右側の方のレジメ、右側の「〈4〉広島に住まって骨を埋める(46歳から63歳)」の「③戦争・原爆・近代の広島の歴史に学ぶ」の一番最初に書いた「広島二中の生徒…住田くん、故選(こせん)くん(草津教専寺)→広島二中の碑」というのが書いてあります。先ほども確認しましたが、一年生の今でいうと第二組というのでしょうが、あのころは第二学級という言い方をしたようですが、そこにあいうえお順で名前が並んでいます。全部で二中の生徒・教職員も亡くなっておりますし、352名が亡くなっておられます。数でいうことではありませんが、信じられない思いでありますね。一年生はほとんど全滅ぐらいであったかなと思いますね。その第一学級の次の第二学級の全員の名前が彫られています。そこに住田、名前を省略しちゃったんですが、確認してなかったので、いま確認しました。丈夫さん、大丈夫の丈に夫という字の「丈夫」さんといいます。この広島二中の第二学級の住田丈夫さんが、私が預かっております寺の門徒さんのご子弟でございます。
弟さんにあたる住田さんという方が数年前まで健在だったものですから、毎年、8月6日は「弟の命日じゃけい、家に来てください」といって、住田さんのお家にお参りにいかせていただいておりました。そのお兄さんが4・5年前に、もう三回忌は過ぎたんですが、亡くなりました。それで、私にとっては広島で生まれてないので、亡くなった方はそれまでほとんどまったく知らなかったんですが、うちの門徒さんで二中の生徒さんがいたということで8月5日ないしは6日が来ますと住田くんが慰霊されている碑を拝まさせていただいております。
故選くん
もう一人は、故選くんと書きましたが、広島に来ましてからご縁をいただいたこの広島の市内の西の方の西区、そこに草津という港がございます。かつては魚の市場がありまして、漁港でありましたが、現在は埋め立てられましてそこに立派な魚だけじゃなく、果物とかも含めた市場が綺麗になっておりますが、かつては広島市内で最大の漁港であったのが草津という所です。ここに三カ寺ほど浄土真宗の安芸門徒の本願寺派の寺がかたまって現在もございます。そこの寺の跡取りさんで故選浩之さん、ひろゆきさんは、サンズイに告げる浩、これという字で浩之さん。お寺の長男坊さんであります。この方は三組であります。亡くなりました。この方は長男でしたので、次男である弟の現在は一法さん、故選一法さんという先生がお寺の住職をされて、吉川先生がいらっしゃってくださいましたが、大変ご存じですが、この故選一法先生というのはお兄さんが被爆者で亡くなっているという思いのなかから戦後の広島の本願寺派の安芸教区といいますが、この平和運動の中心として長年さまざまな平和運動に従事された、私が心から尊敬し、敬愛する住職さんです。
352名のなかに、一名ですが私の預かっている寺の門徒さんがいます。そして、広島に来て親しくして平和運動の尊敬する先輩である故選一法さんのお兄さんがそこに慰霊されているということで私は先ほど真っ先に二中の碑のところを拝ませていただきました。今日、明日、お忙しいと思いますが、あまり参ったことがないかもしれませんが、いま言いましたように南の西の方で分かりやすいので最初にご紹介させていただきました。(つづく)