被爆地広島と長崎のカトリック司教による共同声明

核兵器禁止条約の発効にあたって

 
2017年7月7日に国連本部で開かれた交渉会議において採択された「核兵器禁止条約」は、2020年1024日、その批准国・地域が50に達し、規定により90日後の2021年1月22日に発効することになりました。
 本日がその発効の日です。被爆者はもちろん、核兵器のない平和な世界を切望する数知れない多くの人が待ちに待った日、最終段階が始まる日、大変意義深い日であり、この喜びをともにしたいと思います。
 本条約は核兵器廃絶のためにこれ以上ない有効なものでありますが、条約が述べるように、核兵器廃絶のためには核兵器の開発・実験・生産・取得・貯蔵・配置・移譲・使用あるいは使用するとの威嚇などの禁止のみならず、被害者への援助や環境の修復、国際的な協力が必要です。そのためにすべての国の参加が求められます。なお、発効後1年以内に、締約国が核兵器廃棄の期限や検証方法などを決めることになっています。
 しかしすべての国の条約参加を実現するためには乗り越えなければならない最後の大きな壁があります。それは、核保有国と、日本を含む、いわゆる核の傘の下にある国々の根強い抑止論です。これらの国は、核兵器禁止条約の有効性を認めず、署名も批准もしていません。日本政府は、「日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要」であると主張していますが、唯一の戦争被爆国として、この条約の発効が実質的な結果をもたらすよう、日本が率先して署名・批准し、核兵器保有国と非保有国の対話と核軍縮とを推進する役割を担うべきです。
 わたしたちは、被爆地のカトリック司教および日本国民として、教皇フランシスコとともに、「すべてのいのちを守るため」、核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、核兵器保有国も非保有国も含めてすべての人が一致して核兵器のない世界の実現のために参加する必要がある、と訴えます。そして、核兵器禁止条約の批准国が世界の大勢を占め、核保有国も批准をし、同条約が完全に実施されるよう神に祈り、そのために働きかける決意を新たにします。
2021年1月22
カトリック広島司教区  司教  白浜 満 
カトリック長崎大司教区 大司教 髙見 三明 
提供 吉川 徹忍(広島宗平協)

2021年被災67年3・1ビキニデー

コロナ禍中、感染対策を講じ墓前祭を開催


 被災67年3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭を挙行、困難な状況下での開催
 「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」(久保山愛吉)「地球上から一発残らず核兵器をなくして下さい」(久保山すゞ)…毎年3月1日の墓前祭を継続して57年、ビキニ被災からは67年の歳月が経過する本年2021年、世界的なコロナ感染症拡大の中での困難な状況下、『久保山愛吉墓前祭』が焼津弘徳院で行われました。
核兵器禁止条約発効の報告
 核兵器の開発研究・実験・製造・貯蔵・移譲・威嚇・威嚇目的の使用等々核兵器の廃絶をめざす核兵器禁止条約が1月22日についに国際条約として発効したのです。このことをまず、愛吉さん・すゞさんの墓前に報告をとの願いで墓前祭の準備が行われて来ました。
規模縮小の中での墓前祭
 森修覚事務局長の進行で10時半開式。第部追悼法要で荒川庸生代表理事が挨拶。本年開催の意義を述べました。例年は焼津市仏教会で法要勤修のところ、本年は松永芳信弘徳院住職の読経と法話。参加者50名が久保山さんの遺影の前と墓碑前にて合掌・焼香しました。
 挨拶は山本義彦第五福竜丸平和協会代表理事が述べました。(山本氏の挨拶文は『宗教と平和』3月号にて掲載)焼津市長・広島市長・長崎市長のメッセージも同3月号にて掲載させて頂きます。
誓いの集い…各団体から
 本年は参加者が限られる中で、まず、高草木博原水爆禁止世界大会実行委員会代表委員から誓いの言葉が述べられました。高草木氏は、久保山さんの言葉が世界の人々を動かし、今年一月の核兵器禁止条約の発効に至り、核兵器廃絶への道筋が示されたことを紹介し今後の展望を語りました。 次に、三・一ビキニデー静岡県実行委員会の谷健二静岡大学名誉教授は、日本政府に条約署名・批准を要請する運動への展開の決意を語り、具体的な活動への取り組みを明示されました。
 最後に、木戸季市日本被爆者団体連絡協議会事務局長が、今、国民の七割が核兵器禁止条約に参加すべきと考えている中で、憲法を守り核兵器も戦争もない世界の実現へ向けて進む決意を表明しました。
 当日参加発言を遠慮申し上げた諸団体、全国労働組合総連合・新日本婦人の会中央本部・日本共産党中央委員会・日本民主青年同盟中央委員会からも誓いの言葉が寄せられました。(機関紙『宗教と平和』4月号以降にて紹介)
 終わりに、小野和典日本宗平協代表理事が閉会挨拶を述べ墓前祭を終了しました。
 この墓前祭の様子は、午後の3・1ビキニデー オンライン集会にても映像が報告され、また、当日の各放送局での報道、翌日の新聞各紙でも紹介されました。願いを新たにしました。
 また、本年作成した久保山愛吉さんの言葉を記したバンダナ(聖護院門跡宮城泰年 宗平協代表委員揮毫)が久保山さんの祭壇・碑前にも掲示されました。

被災67年3・1ビキニデー

久保山愛吉墓前祭へ挨拶・メッセージ

 挨 拶 


公益財団法人 第五福竜丸平和協会 代表理事 山本 義彦(静岡大学名誉教授)

  私は東京都立第五福竜丸展示館を運営する平和協会を代表して、まためぐりきたったビキニ被災久保山愛吉氏の追悼墓前集会ご参加の皆様とともに、ここに哀悼の誠をささげるとともに、一言、ご挨拶を申し述べます。
 「原水爆の被害者はわたしを最後に・・・」という思いで逝去された第五福竜丸久保山愛吉さんが残された原水爆禁止への強い思いは、その後絶やすことなく、今日にまで67年を数えました。またヒロシマ、ナガサキからすでに76年目でもあります。昨年のこの日はまだ気まぐれ的なアメリカ大統領トランプ氏であったために、北朝鮮金正恩氏との対話の窓が開かれ、あたかも東アジアの核の脅威が克服されるかと思いきや、まさに気まぐれのゆえに双方の和解を実現するに至らないままであったことを思い出します。それに追従する腐敗と公文書偽造、立憲主義破壊に手を染めた安倍政権もまた北朝鮮との深刻な「一丁目一番地」と豪語した課題である拉致問題すら何らの筋道を付けられず、辞職に至りました。アメリカはその後、さまざまの流れを経て、民主党バイデン大統領を選出し、この1月から、国際協調の道に舞い戻り始めました。むろんこの道は平たんなものでもありません。実際、2月26日にはシリアへの空爆を始めた状況です。日本国憲法も強調するように、紛争を武力では解決できないことは何度の証明済みの歴史の事実です。核問題での北朝鮮、イランとの対処もなお明確ではありません。さらに中国との対応も定かではないからです。
 日米関係の今後にとっても、東アジアの平和的関係の再構築にとってもいばらの道であることは明らかですが、それでも長期的に見れば、国際的な協調的対話を可能にするという点では、安堵の胸をなでおろしたい思いがします。
 またそれを前に、2017年国連における核兵器禁止条約の方向が決まり、うれしいことにこの1月、51か国の締約国を受けて条約が発効しました。さらにその後、2月23日現在で、実に核兵器禁止条約が発効してから1か月となった22日、国連は新たに2か国が条約を批准したと発表し、これで批准した国と地域は54になりました。国際NGOは、さらに20以上の国が批准の意思を公式に表明しているとしていて、条約への支持がどこまで広がるかが焦点です。これはまさに2018年10月にロシア、イギリス、中国、アメリカ、フランスの5カ国が核兵器禁止条約に反対し,署名しないという卑劣な共同声明によって圧力をかけたにもかかわらず、それをはねのけての快挙が進んでいると言うことです。ともに喜び合いたいと思います。そして久保山さんの思いを受け継いだと思われるヒバクシャ、被害者の支援を含め、核兵器開発、利用、貯蔵、核兵器の他国への運搬、利用等々の一切が、もはやこの締約国間では国際犯罪とされたことは巨大な一歩だと確信しています。現に、遂にアメリカの保険会社では核兵器開発産業への契約を停止することを打ち出しましたし、今後は世界で現実的に核兵器の開発等々の取り組みが無意味になる日が近いと思います。むろん核の傘に依存することの愚もまた鮮明になってきました。その上この条約締約国は今後とも拡大することが展望される状況に至っています。
 このような国際環境の変化の中で、核の傘によりかかった安倍内閣の「核保有国と非核国との橋渡し役を務める」とした方針が全くの表面的で中身のない許しがたい放言と言わざるを得ないことは明らかでしたが、名実ともにこれを引き継いだ菅首相も、「唯一の被爆国」と臆面もなく言いつつ、何ら国際的核禁止のウェーブに乗ることができないばかりか、孤立さえ深めているのが事実ではないでしょうか?
 日本政府の提案した核兵器禁止決議なるものには一切の核兵器禁止条約の表現さえも見られず共同提案国も昨年12月、前年よりも56か国から26か国へと半減し、賛同国も150か国で10か国減少しました。それにはこの核禁止条約の言葉さえ含まれていないからです。禁止条約が決められた2017年の前年では109か国だったのですから、「唯一の被爆国」が提唱すべき内容こそが核禁止条約であるべきだということになるはずです。こうして日本は、国際反核平和陣営からの脱落を示してきたと言わざるを得ません。このような時期につい先日、国会予算委員会で公明党の質疑で、あの核禁止条約の内容が優れていて、日本も加わるべきではないかという発言が登場したことは大いに歓迎したいと思います。支持母体の創価学会の方々の平和への取り組みに敬意を払いたいと思います。静岡でも、この方たちとの協力が行われています。たしかにアメリカとの同盟関係を有するニュージーランドでも禁止条約の精神に同調することは何ら問題がないという認識が生まれ、NATO加盟国でスペインでも、さらにNATO本拠のベルギーでも参加への道が探られています。とすればまさに「唯一の被爆国」日本の燦然たる国際平和への希求をうたう日本国憲法の精神をも踏まえて一刻も早い条約締約国に参加すべきですし、せめて今年には予定される締約国会議に最低でもオブザーバー参加に努めるべきです。
 第五福竜丸平和協会は、昨年秋に展示館の第五福竜丸が戦後建造され、現存する唯一の木造漁船として、日本船舶海洋工学会から「ふね遺産」として認定された輝かしい船の公開を今後ともつづけ、国の内外の人々に広く知っていただく施設として一層頑張りたいと思いますし、それを通じて第五福竜丸をはじめ多くの漁船の被爆者の思いを伝え、ヒロシマ、ナガサキとともに、「核なき世界」の実現と核被害者の根絶を目指して皆様方とともに奮闘することをこの久保山さんの墓前でお誓いしたいと思います。
2021年3月1日

 メッセージ

焼津市長 中野 弘道


 本日、「被災六十七年三・一 ビキニデー久保山愛吉墓前祭」の開催にあたり、謹んで哀悼の意を表します。
 太平洋マーシャル諸島ビキニ 環礁における米国の水爆実験により、マーシャル島民や近海で操業していた多くの船や船員が被災してから、本年で六十七年が経過しました。
 この間、本日お集まりの 皆様をはじめとする、世界各国の 多くの人たちによる熱心な核兵器廃絶運動が行われています。
 「核兵器のない世界」の実現は、私たちの共通の願いでありますが、世界には依然として多くの核兵器が存在しており、私たちの願いは、未だ遠い彼方にあると感じております。
 焼津市では、毎年六月三十日に核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える市民集会をはじめとした平和推進事業を通じて、市民が平和を愛する心を持ち続けるよう、時代を超えて後世に語り継ぎ、「核兵器のない世界」を希求するため、引き続き取り組んでまい ります。
 結びに、新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るう、様々な制約がある中ではありますが、皆様方の運動が大きな力となり、「核兵器のない世界の実現」につながりますことを念願いたしますとともに、御参列の皆様の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。
令和三年三月一 日

 広島市長  松 井 一實


「被災67年 3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭」が開催されるに当たり、メッセージをお送りいたします。
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により数多くの尊い命が奪われ、街は破壊し尽くされました。原爆の惨禍を経験した広島は、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という被爆者の切なる願いをもとに、核兵器のない世界恒久平和の実現を訴え続けています。
しかし、世界では、為政者、特に核大国の為政者による自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高めるなど、私たちの訴えを翻弄するかのごとき動きが強まっています。このことを象徴するかのように、新型コロナウイルス感染症という新たな脅威に人類が直面している中、自国第一主義がますます高まりをみせています。
そうした中、世界は今、新型コロナウイルスに対して、「連帯」し協働することで、その脅威に対応できることを実体験しています。このことを踏まえると、人類共通の脅威である核兵器に対しても、世界中の人々が共通の理念の下で「連帯」し「継続」して立ち向かうことで、乗り越えられるのではないでしょうか。核兵器の悲惨さを自らの体験として語ることができる人々が少なくなる中、若い世代に平和を希求する心を確実に引き継ぎ、戦争や核兵器のない状態こそがあるべき姿だということを市民社会の共通の価値観とし、世界恒久平和の実現に向けて取組を進めていくことが重要となっています。
また、1970年に発効したNPT(核兵器不拡散条約)と、2021年1月に発効した核兵器禁止条約は、共に核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、それらの動向が不透明となっています。世界の為政者が、これらの枠組みを有効に機能させるための決意を固めるためにも、市民社会の平和意識を醸成することにより、平和への大きな潮流をつくり、核兵器廃絶の国際世論を醸成し、各国の為政者の政策転換を後押しする環境づくりを進めていく必要があります。そうした意味から、今年も皆様が久保山愛吉氏の「原水爆の犠牲者はわたしを最後にしてほしい」という御意志を引き継ぎ、今日まで長きにわたり墓前祭を開催され、核兵器のない平和な世界の実現を訴え続けておられることは誠に意義深く、その取組に対し深く敬意を表します。
本市も、世界の165か国・地域の8,000を超える都市で構成する平和首長会議の加盟都市とともに、核兵器廃絶に向けた為政者の行動を後押しする環境づくりに全力で取り組んでいく所存です。皆様には、今後とも「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、共に力を尽くし行動してくださることを心から期待しています。
終わりに、御参会の皆様の今後ますますの御健勝と御多幸を心よりお祈りいたします。
令和3年(2021年)3月1日

長崎市長   田上 富久


「被災67年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」が執り行われるにあたり、長崎市民を代表して謹んで哀悼の意を表します。
 日本宗教者平和協議会の皆様におかれましては、故久保山愛吉無線長の「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」という言葉を心に刻み、宗教の垣根を超えて世界恒久平和に向けた様々な活動に取り組まれていることに対し心より敬意を表します。
 長崎市は、「長崎を最後の被爆地に」という切実な思いから、「核兵器のない世界」の実現を訴え続けてきました。
被爆者や被爆地、そして平和を希求する全ての人々のこうした訴えが実り、2017年に国連で採択された「核兵器禁止条約」の批准国が、先日50か国・地域に達し、1月22日に発効しました。
 しかし、条約の発効がゴールではありません。発効が決まったばかりのこの条約を育て、実効性を高めていくために、今こそ私達一人ひとりが力を合わせて、核兵器廃絶への世論を醸成することが重要です。
 一つひとつの行動の積み重ねが、大きな潮流を作り出し、やがて世界を動かす力になると確信しています。
 長崎市は、核兵器のない世界の実現に向けて、引き続き力を尽くしてまいりますので平和への思いを共有し、共に手を携えて、核兵器廃絶の声を大きく発信していただくことを期待いたします。
最後に、皆様の今後ますますのご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
令和3年3月1日

投稿

戦争責任を問う②

三浦真智(岐阜県宗教者平和の会)

 はじめに
 「宗教と平和」2021年1月号に掲載された「戦争責任を問う②」については、多くの問題があるので、三つの項目について、指摘します。
 実は12月号の①についても問題を感じるのですが、それは「戦争責任を問う」という見出しにもかかわらず、全く戦争責任を問う内容にはなっておらず、②についても全く戦争責任を問う内容になっていないことです。この見出しは編集の方でつけられたのかもしれませんが、羊頭狗肉と言わざるをえません。
 浄土真宗本願寺派の戦争調査
 浄土真宗本願寺派の戦争調査を紹介する文章は朝日新聞名古屋本社版(その後、各本社版と朝日新聞デジタルにも)6月10日付社会面の記事の引用と思われますが、引用文であることが明示されずに、「編集委員・伊藤智章」とはあるのですが、出典も明示されていません。しかも続きの文章である「の金庫にあった門徒の戦没者名簿と三浦真智さん=岐阜県北方町の西順寺、伊藤智章撮影」とあるのは私の写真の説明文の引用ですが、この引用には写真も無くて名簿についての文章も全てカットされているので意味不明です。
行をあけて続く文書の出典は明示してありますが、2、集計結果の例示としての資料1「質問項目別、回答寺院」の図示そのものはないので意味不明です。
 いずれにせよこの2つの文書は部分的に切り貼りしただけで、著作権侵害になっています。もしも編集上の都合でこのようになったとしたら、編集者がやっつけ仕事をしたと言わざるをえません。
 西本願寺と戦争責任
 冒頭に1118日「朝日新聞」夕刊(大阪)とあるのですが、何年の記事かが不明です。「宗制」を改正したのは2007年ですが、前門主の戦争協力の消息を公式に(法規上)無効にしたのは2004年の宗令、宗告です。「宗制」改正の目的は宗派と本願寺との組織的分離(宗本分離)です。記事をそのまま引用したとすると記事が間違っていることになります。さらに改正によって「3人を除く門主の消息は失効する」というのは事実に反しています。失効したのは戦争協力の内容である消息だけですから、他の歴代の消息が失効したのではないのです。これも記事のまま引用したとすると記事が間違っていることになります。たとえ記事が間違っていたとしてもそのまま検証することなく引用するのは問題があります。記事には「強い決意がある、と宗門内ではみられている」とのことですが、これは門主の決意というより、宗門の戦後問題検討委員会をふまえた基幹運動の成果であることを無視しています。記事そのままの引用であるとするとこれまた検証が全く行われておらず、宗門内の戦争責任検証の動きを無視しています。
 続きの「同じような意思を感じるある『息子』と、全く逆の意思を感じさせるある『孫』とをそれぞれ連想した」という文章は意味不明です。門主=教団ではないにもかかわらず、「教団自らの発意による改革」というのは不正確な評価であるし(消息を無効にしたからといって教団改革とは全くいえない)、「教団にはぜひ門信徒にも呼びかけていただきたい」と他宗派僧侶が言うのであれば、自身の教団について働きかけていただきたいです。
 真宗教団と戦争
 この見出し以下は史実をふまえない極めて不正確な文章です。本願寺は江戸時代ではなく戦国時代に戦国大名に等しい勢力を持っていました。浄土真宗の他の宗派は石山本願寺とは関係がありません。本願寺は取り潰しを免れたというより、秀吉の寄進により京都に移り(移築ではない)、顕如西帰後にいったんは長男教如が継いだものの三男准如が継ぐことになりました。家康の寄進によりすでに支持勢力を持っていた教如が本願寺を別立して東西本願寺が分立することになります。「このような事件が、一種のトラウマ、となったのでしょう」ではなくて徳川幕府はことごとく東西本願寺が異なることなることを強制しました。戊辰戦争において西本願寺が新政府軍に肩入れしたのは、東本願寺が徳川幕府と密接な関係をもっていたからです。東本願寺は「必死になって旧幕府との関係を断ち切り、新政府軍に協力することで、その『生存』を勝ち取ろうとします」というよりは、その後に明治政府が進めた北海道開拓、台湾植民地化、朝鮮植民地化、満州開拓に積極的に協力して先導したのが真宗大谷派でした。もちろん浄土真宗本願寺派もその後を追います。
 戦争責任を問うというのであれば、明治から昭和までの対外侵出・侵略戦争への協力・加担にとどまらず先導・扇動したという史実をこそ問題にすべきです。さらに「つづく」とありますので、これらの点の追究を望みます。