被爆75年「平和の波」行動についてのお願い
2020年6月17日
原水爆禁止世界大会実行委員会 全国および海外の友人のみなさん、
原水爆禁止世界大会実行委員会は5月8日総会を開き、被爆75年のことし8月6日から9日までの4日間、核兵器廃絶を共通の課題とし、「ヒバクシャ国際署名」を共通の行動とする草の根の国際共同行動「平和の波」を行うことをよびかけました。
広島への原爆投下時間6日の8時15分を起点に、長崎の原爆投下時間9日の午前11時2分までの4日間、創意に満ちた多彩な行動で世界を覆います。
「平和の波」運動とは
「平和の波」の運動は、原水爆禁止1987年世界大会でソ連とアメリカの平和運動の代表 により、当時核兵器全面禁止を求める署名として取り組まれていた「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」を共通の行動とし、核兵器廃絶を共通の目標とする国際共同行動として提案されました。それは、10月24日、第10回国連軍縮週間の初日、地球の自転に合わせて世界をまわる草の根行動の連鎖とするという形態のユニークさと相まって世界から支持され、当日は、日付変更線の西側から世界50カ国と太平洋諸島の人々が参加する壮大な行動となりました。その後、1991年まで合計5回にわたって行われ、この運動は、核兵器の廃絶を世界の反核平和運動の統一要求とし、国際政治のアジェンダとする上で比類ない役割を果たしました。
いま、私たちが提起する「平和の波」は、この流れをさらに新たな段階へと推し進めるものです。人類が対立と紛争、コロナ、気候変動、格差と貧困など危機に直面しているいま、「自国優先主義」による対立や分断、紛争を止め、核兵器をなくし、共同と連帯へと向かうことが強く求められています。「平和の波」は、核兵器廃絶を求める世界の運動が、軍事費削減、人々の命と暮らしと雇用、ジェンダー平等、平和で公正で持続可能な世界など、さまざま課題の運動と共同、連帯して世界を変える壮大な取り組みです。
ひとりの行動から
この行動は、たった一人の行動から何万、何十万の人々の行動まで、また、コロナ禍の中でソーシャルネットワークを生かした行動から、条件に応じたミーティングや行進など、どのような国、どのような状況の中でも創意を生かして準備し、連帯して取り組める行動です。成功のカギはあなた自身の知恵と行動です。みなさんの計画を、私たち「平和の波」推進委員会まで知らせてください。私たちは、世界のすべての行動を一つに集め、発信し、グローバルな連帯のプラットフォームを提供します。
返送先:「平和の波」推進委員会 原水爆禁止世界大会実行委員会内 (事務局:日本原水協)
東京都文京区湯島2ー4ー4 平和と労働会館6F
antiatom55@hotmail.com
TEL 03-5842-6035/Fax03-5842-6033
宗教者に「平和の波」行動に呼応する
“祈り„と“打鍾„を呼びかけます
日本宗教者平和協議会
原水爆禁止世界大会実行委員会がよびかけた「平和の波」行動に日本宗教者平和協議会は宗教者らしい祈りと打鍾「平和の波」行動を提案します。
まず、8月5日正午の「いのちをえらびとる断食のいのり」に呼応する平和の鐘、8月6日広島原爆投下の8時15分、9日の長崎原爆投下の11時2分に鳴らしましょう。
各地寺院・教会での梵鐘を鳴らす行動などを予定しましょう。
6日夕方、広島の原爆犠牲者への追悼の祈りのみを太田川河川敷で、9日長崎爆心地で執り行います
原水爆禁止2020年世界大会成功と夏季募金のお願い
会員・読者の皆様、日頃の日本宗教者平和協議会の諸活動に物心両面からの支えに心から厚く御礼申し上げます。
「核兵器のない世界、非核平和の日本へ」のスローガンのもと、原水爆禁止2020年世界大会が8月2日から9日まで国際会議、広島大会、長崎大会と開催されます。今年は新型コロナウイルスの影響で、通年の大会は開けません。オンラインでの世界大会となります
日本宗教者平和協議会は、原水爆禁止世界大会実行委員会の一員として参加しています。大会成功に責任を持つ団体として、大会成功のための募金をお願いするものです。また、今年で36回を迎える8月5日「いのちえらびとる断食のいのり」を規模縮小して開催します。各宗各派の平和の祈り、原爆犠牲者追悼の祈り、その成功と同時に、新「原爆と人間」展など、これらの成功のために「8・5募金」のご協力をお願い申し上げます。
これまで、世界大会、国民平和大行進の分担金(6万円)や諸準備に費用を支出しております。今年は広島・長崎へ「平和の祈り行脚」を実施します。参加者の支援のご協力を重ねてお願い申し上げます。
日本宗教者平和協議会は、2020年の運動方針を採択し、決意新たに宗教者の平和運動の全国センターの役割を果たすべき組織と運動を展開していくことを確認しました。昨年の消費税10%、新型コロナウイルスの影響で活動も自粛するなど財政的にも困難な状況です。これまで運営には、会費、機関紙代を柱にしながら、貴重な募金によって支えられてきました。支出も経費の節約に努めてきております。しかしながら、諸活動の運動の発展や情勢の展開に対応しての行動も求められています。事務所の運営にも人的配置や機関紙の作成、無償ボランテアで努力していくことを進めております。しかし、全体としての組織運営の費用が足りないのが実情です。依拠するところは、会員、読者の皆様のご協力しかありません。
つきましては、「夏季募金」をお願いせざるを得えません。出費多端の厳しいところではございますが、どうか「8・5募金」と「夏季募金」をあわせてよろしくお願い申し上げます。
同封の郵便振込用紙をご利用ください。
2020年7月
日本宗教者平和協議会
《代表委員》
榎本栄次 奥田靖二 工藤良任 桑山源龍
高木孝裕 殿平善彦 宮城泰年 山﨑龍明
《代表理事》
荒川庸生 遠藤教温 大原光夫 長田 譲
小野和典 岸田正博 平沢 功 山本光一
《事務局長》 森 修覚
日キ平が声明
米ミネソタ州でのアフリカ系住民の殺害に抗議します
―人の命は全世界より重い、人は神の前で皆平等です
5月25日、米ミネソタ州ミネアポリスでアフリカ系住民が白人警察官によって後ろ手に手錠をかけられ地面に押し倒され、「息ができない」と訴えたにもかかわらず、約9分にわたって膝で首を圧迫されて虐殺されました。怒りの声が全米140都市以上に広がり、首都ワシントン、ホワイトハウス前広場でも抗議デモが行われました。しかし警察官が閃光弾や催涙ガスを用いて強制排除しました。トランプ大統領はその中を歩いて隣接する教会に赴き聖書をかかげましたが、祈りもなく、犠牲になった住民の死に対する悼みの言葉もなかったと報道されています。反対に「平和的な抗議ではなくテロだ」「住民の命や財産を守るために米軍を投入する」などと発言し、分断と憎悪を煽る言動を繰り返しています。
聖書の言葉です。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」(ルカ9:25)。人の命は全世界より重いということです。また「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)。神の前ではすべての人は平等であるということを教えるものです。
全米ばかりでなく世界に抗議の声と行動が広がり、黒人の差別撤廃に尽力したキング牧師が1968年に暗殺されて以来の規模となっています。1963年の8月、ワシントン大行進でのキング牧師の演説です。「私には夢がある。・・・いつの日か、・・・かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、同じテーブルに腰をおろすことだ」と。また教会はかつて黒人差別を聖書的だと説教壇から述べていた歴史があったことを述べた上で「働く愛」と題した説教の中でこう訴えます。「教会は、・・・人々に対し、知性と善と良心を欠いていれば、野蛮な暴力が恥ずべき十字架刑をもやってのけるようになることを警告しなければならない。教会は、人々に対し、聡明になるという道徳的責任があることを、想起させるのに倦み疲れてはならない」と(1965年「汝の敵を愛せよ」新教出社)。
黒人差別は終わっていません。私たちの国も様々な差別があります。今回の事件はそのような社会的意識の中で起きたものです。世界とその中に生きる人間はこの差別意識を変えて行くことに責任をもつことを想起しなければなりません。私たちは黒人差別はじめあらゆる差別に反対します。差別撤廃の取り組みを心から支持します。「正義なくして平和なし」との声が人種を越えた運動となり抗議デモを守る白人警察官も現れていることに希望を持ちます。勝利を目指してキング牧師の提唱した非暴力抵抗が犠牲者の身内らから訴えられていることに希望を持ちます。私たちは、キリストの教えに従い、人の命の大切さを、すべての人が神の前で平等であることを、倦まずたゆまず、市民と共に、教会内外に訴え、人種差別のない、互いに愛し合い、助け合い、共に平和に生きる社会が実現することを心から願うものであります。
2020年6月8日 日本キリスト者平和の会
代表委員 板谷良彦 榎本栄次 宇佐美節子 神崎典子 小西文江 佐々木淳二 橋本左内 吉田吉夫
事務局長 平沢 功
2020年 日本宗教者平和会議in旭川・北海道
新型コロナウイルスの感染拡大の心配があり残念ながら来年に延期します。
ご了承お願いいたします。
日本宗教者平和協議会代表委員・日本聖公会司祭
大江真道氏を偲ぶ
京都宗平協 出口 玲子
5月31日(日)、(その日キリスト教では、くしくも「聖霊降臨日」で、キリストの弟子たちに聖霊が下った記念日でした。)夕方のこと、大江先生の息子さんから電話がありました。私はきっとパソコンの件(後述)のご連絡だと思ったところ、「父が今日の午後3時45分に亡くなりました。」と仰ったのです。私は耳を疑いました。そして、すぐには信じられない思いで、田邊事務局長に電話をかけ、ともかく二人でご自宅に行くことにしました。 息子さんの話によると、「先日から父の体調がすぐれなくて、26日から帰っていたところ、今朝は立ち上がるのも大変で、抱えてトイレに連れて行ったが、様子がおかしいので救急車で運んだが、『不整脈』で亡くなった。」とのことです。先生は、まるで眠っていらっしゃるようで、とても安らかなお顔でした。 私は悲しみで一杯でしたが、先生がお1人暮らしのところ、息子さんがそばにいて、最後まで看取って下さったことが一つの慰めだと思いました。
先生はいつも1人息子さんが帰って来られるのが楽しみで、先生のマンションの裏に住み、糸電話でも通じる距離にあると言うHさんが、「『息子が帰って来るんで』と、嬉しそうにあの坂道を降りて買い物に行かれる先生を見かけたのが最後だった」と、仰っていました。
大江先生と初めてお会いしたのは、今から20数年前になるでしょうか。先生が未だ現役で、日本聖公会聖ヨハネ教会の牧師をされている時でした。どういう用件でお訪ねしたかは、よく覚えていないのですが、当時、先生はKCC(京都キリスト教協議会)の会長だったので、きっと何か平和の取組みのお願いで、宮城泰年理事長や石田良正師、大原光夫さんと何度かお訪ねしたのでしょう。その時に残っている印象は、通された書斎にキリスト教関係は勿論、仏教関係の本が沢山並んでいたことです。何回か足を運ぶうちに、先生は京都宗平協の会員になって下さいました。当時キリスト教関係は信徒のみだったので、「片肺飛行が垂直飛行になった」と、当時の大原事務局長がとても喜んで下さったのが記憶に残っています。それ以来、先生は副理事長として、今日まで京都宗平協を支え、導き、共に活動して下さいました。
先生は、京都における憲法集会や沖縄集会、核廃絶国民平和行進、8・6平和集会、京滋キリスト者平和の会の「平和の夕」など、具体的な集会に足を運ばれ、各種選挙での応援演説など、世界の平和と社会の変革を願っておられました。そのお姿に、私たちはいつも教えられ、励まされてきました。文字通り「平和の祈りを行動の波へ!」を実践されてきたのです。 日本宗平協との関わりでも、全国理事会、3・1墓前祭、日本宗教者平和会議など、全国各地での開催を楽しみにされ、私たちと一緒に車で参加して下さいました。先生は日本酒が大好きで、飲むと喋り出され、とても陽気で楽しそうでした。息子さんともご一緒に飲んで、いろいろ報告をされていたそうです。
昨年、沖縄での「平和会議」では、足取りの弱さを感じましたが、先生は、故河崎俊栄代表委員と共に、宮古島の自衛隊基地建設現場で平和の祈りを捧げ、今年の3・1墓前祭では、平和の誓いの言葉を読んで、私たちと一緒に讃美歌を歌って下さいました。(写真参照)
京都宗平協では、6月14日に聖護院でスカイプ会議のやり方の講習と縮小会議を予定していたところ、先生は亡くなる日の早朝、冨田成美さんに以下のようなメールを送られていました。
「大江です。ご指導を感謝いたします。実は昨夕、2月16日にひきおこした「急性胃炎」が再発しましたので、息子が帰ってきていて、一皮捲れば年寄りはこんなものなので、能力のないもの雄が太刀打ちできる筈がないと忠告してくれましたのでご指導を仰ぐことを遠慮致します。それに病気の再発もあり、療養に専念させて下さい。よろしくお願いいたします」
告別式の挨拶で、息子さんが「私は、今迄一度も父に怒られたことがない。」と、仰っていましたように、先生は本当に心優しい方でした。今年の年賀状に、「参加した集会は、年齢に応じまして、教会の礼拝と日本宗平協(年3回)、京都宗平協(毎月)に絞り・・」とあります。先生は、本当に宗教者平和運動を愛し、宗教の違いを超えて認めあって、活動を共にして下さいました。息子さんが編集された『ふりさけみれば』の本を見れば、先生が幼少時代から苦労をされ、小僧さんとして修行されたお寺から出て、キリスト教に入信し、神学校に行かれたことなど、先生の89年の人生の歩みを見ることが出来ます。
今迄、私たちを愛し、対等に付き合い、お導き下さって、本当に有難うございました。
今は、15年前に逝かれたお連れ合いに、天国で報告なさっていることでしょう。私たちも先生のご遺志を引き継いで行く決意です。どうぞ、これからも見守り、お導き下さい。