非核・平和のための日韓国際フォーラム参加して
浄土真宗本願寺派僧侶、広島宗教者平和協議会事務局
吉川 徹忍
1 ソウルでの日韓国際フォーラム開会総会と基調報告
森修覚師(日本宗平協事務局長)に勧められ、ソウルでの表記の行事に日本宗教者平和協議会の一員としてご一緒に参加させていただいた。宗教者(仏教徒)として取り組んできた朝鮮人強制労働犠牲者遺骨の韓国への奉還活動、日本被団協や川崎哲氏と一緒に、「ヒバクシャ国際署名」を仏教徒・団体や本山へ働きかけた取り組みを報告する目的だった。
広島からは、佐久間邦彦氏(広島県被団協理事長)や私を含め6人がソウルに向かった。フォーラムには韓国の被爆者25人を含む約200人の日韓市民が参加した。韓国の労働組合や女性団体、宗教団体(円仏教)など10を超える団体と、日本は日本原水協など5つの団体の共催で開催された。
全体テーマは「非核・平和の北東アジアに向けて、韓国・日本市民の役割」。
会議の目的は
①非核・平和の朝鮮半島・北東アジアの実現に向け、日韓の役割を果たすため、NGO、運動、国民レベルでの交流・連帯・協同を強める。
②被爆者とともに、「核兵器は使用されてはならない」「人類と共存できない」の声を北東アジアで広げ、ヒバクシャ国際署名を推進する。同時に、日本と韓国の被爆者への援護・連帯を強める。
③過去の戦争における加害と被害の関係、歴史認識、戦後処理の問題などを背景に、日韓関係には現在も様々な問題が横たわっている。同時に、日韓の市民の協同は、非核・平和の朝鮮半島・北東アジアを実現するうえで、最も求められている課題である。フォーラムを通じて、これらの問題について相互理解と交流を強める。
5月30日(木)10時から、「国際フォーラム・開会総会」がフランシスコ教育会館(ソウル市中区)で始まった。開始前、私は森師から米国人のジョゼフ・ガーソン氏(平和と軍縮及び共同安保キャンペーン代表)を紹介され、握手を交わし名刺を交換した。全体会では李圭烈(イ・ギョユル)氏(韓国原爆被害者協会会長)と藤森俊希氏(日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)が、それぞれ被爆の実相と被爆者の願いである核兵器のない世界を目指すことの決意を述べられた。
基調報告の中でジョゼフ・ガーソン氏は次のような内容(要約)を述べた。朝鮮半島をめぐるトランプ政権の横暴さはあるが、文在寅大統領によるオリンピック外交によって南北、米朝会談へ歩ませた。外交努力で朝鮮戦争の終結宣言、平和協定をめざし非核化を実現させるための想像力と強い意志が大切。安倍首相は平和憲法の改悪策動をしているが、軍事的ナショナリズムの惨禍を教訓に学んだ日本国民の強い抵抗にあっている。
日韓両国民は平和と安全保障のために活動するよう運命づけられている。 核兵器禁止条約に見られるように、軍国主義と弾圧の勢力に妥協するのでなく、命を肯定する政策を要求していくと大国はそれに対応せざるを得なくなる。今回の平和フォーラムによって戦争を終結させ阻止するため、人と人との交流で、私たちは人間関係を紡ぎ、戦争なんてありえないとの考え方を広げることが出来る。国境を越え平和運動の団結を強め、政府に戦争ではなく外交を構築させることできると。
2 「朝鮮人労働犠牲者遺骨の韓国への奉還活動」報告(第1分科会)
午後2時から、4分科会に分かれて交流を深めた。私は森師と共に、第1分科会「核兵器のない世界へ=日本と朝鮮半島の非核・平和の確立を」に参加した。パネリストとして、ジョセフ・ガーソン氏をはじめ韓国のキム・ゾンテ議員(韓国正義党)、宮本徹議員(日本共産党)、土田弥生氏(日本原水協)、平和と統一を開く人々(SPARK)代表が発言。ジョゼフ・ガーソン氏たちの基調報告を踏まえた内容だった。核兵器禁止条約採択の重要性を受け、核兵器のない世界の実現と日本・朝鮮半島の非核・平和の確立を目指すこと、そのためには日韓市民の役割と運動の大切さが指摘された。限られた時間ではあったが、私は会場から発言を求め、次の内容(かなり縮めて)を述べた。
北海道の僧侶・殿平善彦師たちは1980年から北海道・朱鞠内ダムで朝鮮人強制労働犠牲者遺骨発掘に取り組んできた。97年からの日本人、在日、韓国などの学生・若者たちが参加した日韓(東アジア)共同ワークショップの遺骨発掘事業は、2013年まで道内各地で13次にわたって行われた。若者たちは土中から姿を現した遺骨と出会う中で、闇に埋もれた日本の加害の「真実」に共に立ち会った。学生・若者たちは延べ1500人。私も彼らと共同発掘に取り組んできた。
アジア太平洋戦争終結70年になる2015年9月、日韓共同の市民団体「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」を結成した。9月12日~20日、遺族を含む遺骨奉還団がバスで北海道に発掘・保存されていた115体の遺骨を乗せ韓国に向かった。北海道を出発、札幌・東京・京都西本願寺・大阪・広島(別院)・下関で追悼法要を重ねつつ、関釜連絡船で玄界灘を渡った。19日のソウル市庁舎前での大葬儀には市民ら1000人が参列。ソウルの高校生たちが遺骨を会場に運んだ。日韓諸宗教それぞれによる追悼法要を挙行、ソウル市長は代表団に感謝の思いを込めて挨拶をした。
20日、ジュ市郊外、ソウル市立墓苑に至り、私たち日本人僧侶5人が読経する中納骨された。強制連行の逆コースを辿って3500km、10日間の旅を終えて遺骨は故郷の地に納められた。加害日本と被害韓国両者の宗教者・市民一緒に「奉還委員会」を結成し、取り組めた「和解と平和」の貴重な経験であった。
その後、「遺骨奉還宗教者市民連絡会」を日韓市民と結成。昨年5月31日最初の取り組みとして、1945年朝鮮半島に帰郷しようとした被爆広島三菱徴用工をはじめとした朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨を、厚労省担当者と共に金乗院(埼玉県)から壱岐島天徳寺に移管したことにも触れ、早く韓国にお返ししたい思いを述べた(毎年、天徳寺と慶州市水谷寺で交互に追悼法要が営まれている)。
ジョゼゼフ・ガーソン氏が第1分科会のまとめの中で、特に私の「遺骨奉還」の発言を取り上げ、私の顔をしっかり見つめつつ、過去の日本の侵略と植民地支配による歴史の過ちを踏まえた大切な取り組みだ、と高く評価された。さらにこのような日韓宗教者・市民同士の平和と和解に向けての協同・連携を推し進めることがこれから一層必要だと訴えられた。
また韓国の国会議員キム・ゾンテ議員が私のところに駆け寄り、「Good Speech!」と大声で握手を求めて来られた。一人の韓国の弁護士は、壱岐・天徳寺に納骨された朝鮮人ご遺骨の法要(今年19年10月)の節には参列すると述べ、壱岐で会おうと声を掛けられた。その弁護士は昨年10月慶州の水谷寺で催しされた追悼法要に参加したと言われた。
3 「『ヒバクシャ国際署名』を仏教徒・団体や本山へ働きかけ」報告(閉会総会)
5月31日(金)10時から、「国際フォーラム・閉会総会」がソウル市役所で行われた。分科会報告、共同声明文の討論・採択された。前日、私の発言が時間オーバー(3分と言われたのを1分超えたため)と途中で止められたため、改めて討論の場で次の内容(かなり縮めて)を述べた。
2018年末、森俊英氏(浄土宗僧侶)、川崎哲氏(ICAN国際運営委員)と日本被団協より「ヒバクシャ国際署名」を仏教界に協力依頼をしてほしいとの相談を受けた。広島では、15歳で被爆し最愛の弟を亡くした浄土真宗本願寺派安楽寺前住職の登世岡浩治師と、子どもたちの非核・平和学習に力を注ぎ宗教者平和活動で協力をいただいている立正佼成会広島教会にお連れした。
登世岡師は、別院や安芸教区の行事・イベントで「ヒバクシャ国際署名」だけでなくカンパ要請を訴え働きかけ集約されつつある。自らも3万円を寄付された。
立正佼成会も前向きの対応をいただき平和への熱意を紹介された。2月下旬、立正佼成会本部から国際署名推進連絡会に30万円の寄付金が寄せられた。森俊英氏によれば浄土宗平和協会は全寺院7000か寺に署名用紙を送付したという。
京都・西本願寺への協力要請を受け武田氏昭英師(執行長)にコンタクトを取り、同時に東本願寺も訪問したのは5月17日。川崎哲氏、木戸季市氏(日本被団協事務局長)、森俊英氏(浄土宗住職)と私の4人で伺った。
訪問先では次のような内容を語られた。木戸季市氏は長崎の爆心地から2㎞の地点で被爆した。半月前2019年5月、「ヒバクシャ国際署名」941万人筆超えの目録を国連本部に提出した。亡くなった人びとの思いを受け継ぎ、宗教者共々一緒に歩んでいきたいと述べた。川崎哲氏は2016年から被団協と「ヒバクシャ国際署名」を一緒に始めたことを紹介。核兵器禁止条約は、条件を付けずいかなる場合も禁止という初めての国際法である。人道問題として捉えてほしい。バチカン教皇も熱心で、国際会議にICANを招待される。ヒバクシャ国際署名を広げるには、幅広く宗教界に広げたい。一緒に協力いただきたいと述べた。
西本願寺では石上智康総長、武田昭英執行長が対応。石上総長は「署名」に取り組むICAN、日本被団協に敬意を表した。武田執行長は1歳の時広島で被爆を体験。被爆した母の姉(叔母)は数日後息を引き取ったという。被爆の悲惨さを力説された。武田師は面会後、1991年に宗会が戦争協力を懺悔するとともに、平和を願う決議を採択したことに触れつつ『核兵器は絶対的な悪。人類の課題として取り組むべき問題だ』と話した。
東本願寺は木全和博参務や内局と面談。木全師は教団として、いのちの大切さを訴えるための法要、声明、不戦決議を上げてきた。今春、広島の高校生の『原爆の絵』」のパネル展示を開いた。ICANや被団協の方々と求めているのは同じ方向。今後「ヒバクシャ国際署名」運動にどういう形で参加できるか検討すると語った。寺田正寛氏(解放運動推進本部事務部長)は教団としての戦争加担を重く受け止め自己批判したと述べた。
92歳の老骨の繰り言で
浄土真宗本願寺派 妙福寺住職
藤井 慶輝 三拝
「今さえ、金さえ、
自分さえ、でよいのか」
富山県知事を6期つとめた(故)中沖豊氏は退任後、郷土紙「北日本新聞」に富山大空襲の体験者として戦争は絶対反対と表明し、安倍首相の戦争への傾斜を真正面から批判した。空襲であわやの体験を持つ私は全く同感であり、よくぞ言ってくれた、と称賛している。
明治憲法は、「国家中心主義」の天皇制軍国主義の柱であり「軍人勅諭」「教育勅語」と3点セットとして重くのしかかっていた。現憲法は「国民中心主義」であり、「主権在民、平和、人権」を3本柱として対照的である。今は明るくのびのびできる。
去る5月11日、「維新の会」の丸山穂高議員は北方領土交渉が進展しないので、戦争による奪取はどうかと発言。訪問団の元島民のみならず、国民の反発をうけ「平和の国是」に反する不適切発言者として党から除名された。丸山議員は東大卒、経産省官僚、松下政経塾OB、衆院3期目である。私は驚き、がっくりした。ピカピカの人にしてこの調子であるから、普通の人の時局認識、歴史認識は如何あらん、日本は大丈夫かと深いため息をついた。
現憲法の成立には310万人の日本人、2000万人のアジア人、連合国の兵士たちの犠牲抜きには考えられない。実に膨大な数である。
真剣な国会審議を経て1946(昭和21)年11月3日公布、半年後の1947(昭和22)年5月3日施行された。文部省はパンフ『あたらしい憲法のはなし』を47年から3年間、全国の中学1年生に無料配布し、世界一の憲法と胸をはった。
ところが、新中国の発足、朝鮮戦争を機に米国の対日政策は大転換する。保守勢力は「君子豹変」し、それに便乗する。憲法を軽視し、日米安保条約の下に位置付ける。ゆえに沖縄問題、基地問題はなかなか解決しない。保守勢力は改憲へと誘導作戦を展開する。国民は宣伝に乗せられぬよう警戒し、真実をつかみ反発せねばならない。
例えば、他国では戦後何回も改憲を実施してきたのに、我が国は一度もやっていない。おかしいのでは。(答え)他国は、憲法は細部まで書くので実施に移すと矛盾点、疑問点がいろいろ出てくる。現憲法は根幹のみで付随した法律で処理するから変更の必要はない。
GHQの素人が約10日間で書いた。ホントか。(答え)日数は事実である。しかし、執筆陣約20数名は、素人どころか、軍服を着たハーバードOB,法学博士、弁護士、それに類したそうそうたる秀才たちが項目分担、集中討議で書き上げた。太平洋戦争の「関が原」であるミッドウェー海戦で海軍、ガダルカナル島で陸軍が大敗北して以降、米軍の文官たちは占領政策の研究を約2年半やっている。その重大な事実は完全に隠されている。
占領下で作成された押し付け憲法ではないのか。(答え)上陸直後からGHQは政府に新憲法の作成を命令する。政府は憲法学者に依頼するが、天皇の支配する明治憲法の焼き直し。次の憲法学者も基本線は同じ。ポツダム宣言(天皇制軍国主義を一掃し、自由と民主主義の国家を造るという国際公約)に反しているとして2回とも却下はしたものの、マッカサー元帥も幣原首相も立往生する。1945(昭和20)年12月28日、「憲法研究会」(鈴木安蔵主宰)の案が新聞紙上に発表される。これはよい、とGHQは採用する。この案は、明治、大正、昭和期の自由と民主主義の研究者、実践者たちの業績を調査、研究し、自分たちの意見を加味して発表したものであった。その研究会には後に文部大臣となる森戸辰男やNHK初代会長になる高野岩三郎法博など、そうそうたるインテリが参加していた。が、軍隊、軍備のことは書いていない。討議したがまとまらなかったのかもしれない…。
1946(昭和21)年1月末、幣原首相はマ元帥に持論を述べる。日清戦争以来、外交官として戦争や紛争の後始末に明け暮れ、「どの国も軍隊をもたねば世界平和になるものを…」の持論、「無手勝流」を訴える。興味深い、と元帥は背中を押してくれる。そのことを朝日新聞が報道し、元帥は退役後、上院の公聴会で証言している。幣原と鈴木による大きな2本の柱が揃ったので、元帥は柱を尊重しつつ文章化はGHQが担当しようかと首相にもちかける。おねがい致します、となる。GHQの監督機関「極東委員会」への一日も早い憲法草案の提示の必要性は首相もわかっていたからである。2本の柱は和製だが文章は米国製なのでバタ臭い。(英国からの)独立宣言や南北戦争時のリンカーンの演説に影響を受けた格調高い傑作である。世界の憲法学者の間では内容、文章とも上位にランクされている。
4月、5月は新「元号」と即位のフィーバー報道だった。「国民主権」を忘却したかのようだった。圧力と忖度のなせるわざであろう。ところが面白いことに宗教団体の機関紙は淡々とした報道だった。それは戦時中、天皇制の高揚の中で政府や軍部から教団がいじめ、迫害、強制的協力など、苦しい経験をしているので、慎重を期そうとする施政の表れかもしれない。
参院選を前にして野党勢力としては、野党と市民の団結をはかり、3分の2阻止、改憲の意思断念に追い込むことが目標であろう。国民は野党がやがて政権を奪取した折は温かい目で見守り、忠告し、励ますことである。野党は政権運営に経験不足であるから失敗がありうる。失敗を率直に認め、謝罪する態度が大事で「国民に寄りそう」姿勢を絶対に捨ててはいけない。
新「元号」〝令和〟は「うるわしい平和」を意味しているが、元号が仕事をしてくれるわけではない。国民が何の行動も起さず平和を心の中で祈っているだけ、何とかなるだろう、と楽観しているだけでは平和は来ないし持続しない。一人ひとりが活動せねばならない。少々の勇気を出して点から線、そして面へと一人でも多くの人びとに護憲を訴えてゆかねばならない。「十七条憲法」の聖徳太子は当時の強大国中国に学んだ国家体制を確立した暁に、人口、面積、歴史での比較はどうにもならないが、これで対等平等のつきあいができる、とて「日出る国の天子、日没する国の天子に書をいたす、つつがなきや」との国書を送る。中国の天子は「生意気な」と憤慨したが、あの気概が現在と将来の日本人に必要であろう。
「今さえ、金さえ、自分さえ」の自己中心主義の日本は確実に亡国の道を歩むと老骨は憂える。
アジア仏教徒平和会議(ABCP)
第11回総会モンゴルで開催
真言宗智山派 岸田 正博
6月21日から23日までアジア仏教徒平和会議(ABCP)第11総会が、モンゴルのウランバートルにあるモンゴル仏教会の総本山ガンダン寺で開催されました。ABCPの総会は、2003年にラオスで開催されて以来16年ぶりの開催となりました。一昨年に非公式の役員会がインドのニューデリーで開かれ、総会開催の準備が進められてきたようです。昨年には、バングラデーシュで正式な役員会が開催され、日本にも招待が届きましたが、日本センターとしての活動は休止状態であり、日程の不都合も重なり、日本からは出席できませんでした。日本センターとしての活動体制の整わない状況の中で、今回はオブザーバーの立場としての参加になりました。
「若返りと発展の道」と題された今回の総会の主要議題は、これまでの「規約」を「憲章」として全面改訂することでした。
日本からは、日蓮宗・東西真宗・真言の豊智など9名という代表団になった。 6月19日の深夜にウランバートルに着き、国賓の待遇を受ける。
20日には、敗戦後の抑留日本人殉難者が供養されているモンゴル国内16箇所の日本人墓地の代表的な存在であるダンバダルジャー日本人墓地に参拝、廻向法要を営む。供養塔には「日本国外務大臣河野太郎」と表された6月19日付けの花輪が強風に倒されていたので備え直す。北朝鮮拉致問題の解決に理解を示しているモンゴルへの協力要請の意味もあったようである。このモンゴルと北朝鮮の近さは、ABCPの会議にも影響を与えていたと思われる。
21日の開会式(写真)は、ガンダン寺本堂の南西に新建立されたバッツァガーン大会堂で行われたが、各センターの団長は、本堂前から会堂まで信者の中を行進。カンボディアからテップ・ボーン師が参加されていることに感激。陽光燦々の大会堂前でのモンゴルやラダックの伝統文化諸行事が披露される。
堂内に入り開会式。50名程の少年僧による唱礼。ハンボラマ・チョイジャムツ猊下の挨拶。モンゴルのバトトルガ大統領、ECOSOCキング会長など来賓の挨拶。スリランカ大統領、バングラデシュ首相のメッセージ。ダライ・ラマ猊下のビデオメッセージ。功労者への褒章。記念撮影。と3時間に及ぶセレモニーがなされた。
午後から執行役員会(EC)(岸田・小野)が開かれるが、議題が整っておらず明日以降の議事・議長を確認して散会。岸田と小野師以外のメンバーは博物館見学。午後6時から大統領府エンフボルド長官主催のレセプションに全員出席。
22日。8時よりEC・ 自由討議。バングラデシュ代表が、仏教の影響力を大きくするため自国での総会開催を希望。スリランカ代表、政治には立ち入らないことを強調。ヴェトナムは、新役員体制も整い積極的に活動を広げアジアの中でもABCPは少数派であるので加盟国を増やすことを望む。ネパールは新しいセンターを作りたい。等々。
午後から同会場で総会、同時にセミナーが開催され、役員以外の総会出席者は10名程。各センターの報告から。バングラデシュでは仏教大学の建設が進行中。カンボディアは2004年からインドとの交流が続いている。1970・80年代はABCPが唯一の外部との窓口であった。若い人材が育っている。中央チベット政権(CTA)、ダライ・ラマはヴィザの発給が受けられず欠席。出席者は日本経由で来訪できた。インドは2022年のABCP総会の開催に向け活動を始めている。
日本の報告は、私(岸田正博)が被爆パネルを掲げながら、「核兵器禁止条約」の採択とNPT再検討会議2010・15への日本宗教者代表団の派遣、「祈りの集い」、基本にある平和構築のための信仰の違いを乗り越えた諸宗教の連帯、毎年8月5日の「いのちを選びとる断食の集い」、「3・1墓前祭」、「原発の廃止・廃炉を願う諸宗教の集い」、軍備の不保持・交戦権の否定を表明している日本国憲法の改悪問題、2020年NPT再検討会議への連帯、ヒバクシャ国際署名への協力、原水爆禁止世界大会への連帯をよびかけた。また森修覚事務局長の「被爆75年2020年NPT再検討会議への共同の呼びかけ」文、「2019世界大会呼びかけ文」が配布された。団員は10カ国へパネルを渡し各代表の署名を集めた。
DPRKは南北融和という朝鮮半島情勢の進展とアメリカの冷や水。韓国は1990年頃からモンゴルやロシアとの交流を進めてきた。ラオスでも新しい世代の活躍が始まっている。モンゴルでは政府が多宗教間の対話を進めている。ABCPへの支援の拡大を。本部がfacebookを立ち上げ「abcphq」で検索してほしい。ネパールは因果の教えの重要さの強調。ロシアは、ABCPの活動を多言語に翻訳してほしい。貪欲との闘いの重要性。スリランカのスーマナティッサ派は、テロリズムとムスリムの侵略。ウィプラサーラ派は、「ABCPの日」の設置を提案。ヴェトナムは、新世代の活躍が期待されデジタル機器の導入も進んでいる。
次回総会までの3年計画では、国際連合との連携が提案され、日本からは、来年の2020年NPT再検討会議成功への連帯を訴えた。
そのほか冊子「DHARMADUTA」を「PEACE OF BUDDHISM」 に改称など。
常設委員会は、新たに持続可能な開発目標・人権・ジェンダー・青少年などの委員会が新設された。
続いて財政問題。日本が議長になり本部からの財政報告のまとめの提出を要請。民主的組織としては予算・決算を基にした会費の設定をして相応の活動を進めていくことが求められるとした。
18時30分から、全代表団は、国立劇場で音楽と舞踊のモンゴル文化芸術を鑑賞。
23日。8時より総会再開。新憲章について、ヴェトナムから副会長を9人にと提案されるも否決。一国1センターを2センターまでに変更。現状では、モンゴル・スリランカ・バングラデシュが2センター。日本は、具体的平和活動が一切表されていない原案に対し、「目標」に当初の規約の「侵略的軍事同盟と基地に反対し平和五原則に基づいたアジアの平和と安穏浄土の建設のために精進する」また「核兵器その他の大量破壊兵器の製造・実験・貯蔵・使用の完全禁止に努め、全般的軍備の撤廃のために行動する」という文言の挿入を要求。これに対しABCPチョイジャムツ会長は、「表現がきつい」との指摘。最終的に「ABCPは完全なる軍縮と核兵器廃絶の達成に邁進する」となる。また、2030アジェンダについては「宣言」に入れるべきで、期限の切られた課題を憲章に入れることは相応しくないと主張。「2030」の部分だけが削除された。新憲章採択。
11時より起草委員会。起草委員はモンゴル・ヴェトナム・スリランカ・日本。
14時より総会再開。保安が厳しくなりイヤホンは持ち込めず。事務局体制・役員選出(別掲)。宣言採択。
宣言(次ページ)は6点の主要項目を揚げ、第1. 平和・軍縮・紛争回避に対する仏教徒の応答 1-1全ての核実験の禁止、国連で採択された核兵器禁止条約を含む、核不拡散条約は、批准・履行されなければならない。我々は被爆者のために祈り、2020年NPT再検討会議の成果を祈念する。以下1-7まで。第2・持続可能な開発に対する仏教徒の応答3項目。第3・異宗教間における対話と協力4項目。第4・男女同権における現状認識5項目。第5子どもと青年について5項目。第6仏教の伝統・文化・歴史遺産について4項目で構成されている。
宣言には各センタ代表者の署名が記されたが、所属は「Japan Reigious Persons Conference for Peace」(宗平協)とした。
15時45分より閉会総会。記者会見。
18時よりABCP会長・ガンダン寺僧院長・モンゴル仏教会会長ハンボラマ・チョイジャムツ猊下主催のレセプション。
24日。7時45分離陸。
以上雑駁ながらご報告いたします。
今回は16年ぶりとはいえABCP設立50周年やガンダン寺大会堂お披露目など、記念式典色の強い総会であり、大規模な総会を開けたのはモンゴル政府の援助によるところが大きい。また、今回はECOSOCキング会長が持続可能な開発目標2030アジェンダ推進行脚でモンゴル訪問中で会議の基調ともなった。新憲章にはそのことが大きく反映されている。核兵器廃絶・軍備撤廃については日本以外に提起するセンターはなく「平和・軍縮・紛争回避」の委員会の担当を受けることになった。
役員以外の会議参加は日本以外には少数であり、会議としては拡大役員会の体。日本からの参加者は我々のみ。ヴェトナム・ラオス・カンボディアの代表は若手で現代的な視点を持った僧たちで、本部の体制も一新され今後の進展が期待される。日本の仏教徒は、アジア仏教徒平和会議の「平和」問題を担っていく役割を果たしていくために具体的な関わり方を確立することが求められていると言えよう。