「ヒバクシャ国際署名」宗教界への働きかけ
<途中経過報告> 広島宗平協 吉川 徹忍
2018年末、川崎哲氏(ICAN国際運営委員)のブレーンである森俊英氏 (堺市浄土宗住職、遺骨奉還宗教者市民連絡会事務局長)より「ヒバクシャ国際署名」を宗教界に協力依頼をしてほしいとの相談を受ける。広島の宗教者・団体として立正佼成会広島教会と登世岡浩治氏へのコンタクトを取り了解を得る。
川崎哲氏&日本被団協代表による宗教者・団体訪問は、2月1日からスタート。1日は先ず東京から始まり、全日仏、立正佼成会本部、浄土宗本山などでとても好意的な反応だったとの報告。
2番目訪問が2月6日の広島。川崎哲氏、森俊英氏、箕牧智之氏(広島県被団協)と共に訪問し面談。訪問した3か所の教会・寺院で、川崎さんはとても謙虚で温かみのこもったお話をされた。受け手側も心のこもった対応をいただき、積極的な協力・支援を申し出られた。
《訪問先に選んだ理由》
【立正佼成会広島教会(特にお世話になっているのが髙山渉外部長)】
4年前の2014年12月、かき船署名でお願いしたところ、教会をあげて広島県内全域の信者に呼びかけをして頂き、数千人もの署名を集約(紹介は私の教え子の自民党市議)。毎年全国から800名もの子どもたちを広島に集め、積極的な反核ヒロシマ平和学習活動に取り組んでいる。
【被爆者・登世岡浩治師(安楽寺前住職)88歳】
「かき船問題を考える会」共同代表として署名でも仏教婦人会、檀家全体に呼びかけられこれまた数百人の署名を集約。私も登世岡氏に連れられ他宗の寺院やライオンズクラブのイベントなどへ署名要請。
師の友人の広島市議会議員も自ら経営の学園や親族の寺院を通して数百人の署名集め。
【浄土宗妙慶院】
前住職・現住職、坊守さんを含めたご家族全体で川崎さんをお迎えいただく。この寺は森俊英氏の知人で、常日頃より平和・反核への関心が高く、前住職は宗会議員、坊守さんは浄土宗全体の婦人会長。
《その後の反応と予定》
①石橋純誓氏は6月8・9日、本願寺広島別院で開催される「非戦平和を願う真宗門徒の会」(代表:石橋氏、呉市在住)全国集会案内に「ヒバクシャ国際署名用紙」(全国1000人の会員等)を送られた。署名の一部は、朝の児童登校指導で保護者・市民にチラシを配布・署名要請された。
②登世岡浩治氏は、別院や安芸教区の行事・イベントで「ヒバクシャ国際署名」だけでなくカンパ要請を訴え、全力で働きかける。自ら3万円を寄付(3・18中国新聞「平和」欄に金崎由美さんの記事でも紹介)。
③立正佼成会広島教会も温かい対応をいただく(もちろん本部・東京も)。2月下旬、立正佼成会本部から30万円の寄付金が寄せられた。
④3月上旬、西本願寺本山との橋渡しを依頼され、浄土真宗本願寺派執行長の武田昭英氏に電話をして了解を得る。5月17日10時、川崎氏・木戸季市氏(被団協事務局長)、森俊英氏と私の4人が本山で面談予定。午後は総本山・知恩院を訪問し、代表と面談予定。
⑤本願寺広島別院の斎藤副輪番から、広島と長崎の両宗教連盟も署名活動に協力するとの連絡があったとの報告。登世岡さんの活動の副産物かと思われる。
【諏訪了我師、登世岡浩治師の非核・平和への願い】
先日3月11日、私たち宗教者の平和活動を支え励ましてくださった諏訪了我師(浄宝寺前住職)がご逝去、85歳(詳細は3・18中国新聞「洗心」欄)。レストハウスの保存運動(原爆遺跡保存懇副座長)はもとより、「ヒロシマの碑」、かき船問題、広島宗平協でも陰ながら支え続けてこられた。心よりお悔やみ申し上げます。
*「2017年4月23日付の『かき船署名』呼びかけ文」
諏訪師から最後に聞き取りしてまとめた文章(登世岡師の文章も)を、追悼の思いを込めて次号に掲載します(安芸教区の全寺院約500カ寺宛)。 (次号に続く)
■「宗教と平和」600号達成に寄せて
ノモンハン慰霊法要を通して
宮城 泰年
私は昨年モンゴル側からノモンハン事件の戦場跡に行き、日本・モンゴル・ソ連三国の兵士たちの慰霊法要をしました。
今年はその事件から80年に当たります。1936年関東軍司令官は、満蒙国境を越えて攻撃してもよいという見解を部隊に通達。しかも、東京の決済を経ずして「紛争の起きやすいところでは、(関東軍が)自主的に国境線を認定したほうがよろしい」とまで言い切っているのです。
結果は、4か月の短い間に日本軍19、768名、ソ連・モンゴル軍は24、492名の死者を出し停戦となりました。関東軍最右翼と言われる辻政信は、「鶏(ソ連軍)を割くに牛刀(日本軍)をもってせん」と蔑視の言葉で若い命を戦場に送り込んだその責任も取らず、太平洋戦争ではガダルカナルの参謀でまたもや精神力という武器で多くの命を失わしています。
彼が責任回避した戦後の行動は皆が知るところです。また当時の参謀たちが宣戦布告なしの越境攻撃や、多くの部下に責任をかぶせて自決に追い込みながら、何れも戦後「知らない、関知しない、言えない、わからない」と逃げ回ったことも衆知です。
安倍政権は、敵基地への先制攻撃は自衛の範囲といい、森・加計問題や厚生労働省の統計問題、沢山の欺瞞と尻尾切り。沖縄問題、原発問題のウソ等々数え上げれば際限ありませんが、これら皆当時と共通した政権者の無責任な逃げ回る構図、ちっとも変わっていません。
小学生の頃、士気鼓舞の軍歌、今でも記憶にあるほど沢山歌い、日の丸の旗を振って兄さん方を戦争に送り出しました。戦死するのが名誉だと考えていたのです。日本中ほとんどがそうであったのです。その時々の国家中枢機構は国民大衆が作り上げていったのであって、今平和を叫んでいる私、そして同年代にも責任の一端はあるのです。
そして今、広くは安倍政権を生み出した大衆一人ひとり責任なしとは言えない。反省の中からの「やめろ!」であるべきでしょう。
よりにもよってトランプさんをノーベル平和賞候補に推薦した。「日本を代表し、敬意をこめて推薦した」と言うから、このような宰相を日本政府の代表として私は哀しい極みであり、悪夢の再来を感ずるのです。
安倍首相がやめたとしても、次の宰相を生み出すのは日本人大衆です。心して大衆教化の言動が俟たれます。
私の叔父はノモンハンの通信隊からその後、南方ロンボク島に配属され帰国、戦争の事には触れませんでしたが、平成になっての葬儀で日本共産党に入っていたことを知りました。
神道と平和活動
浅川金刀比羅神社宮司 奥田靖二
神主・神職という立場にある人たちが現代の政治や平和・原発などの問題への発言や行動は、仏教・キリスト教などの宗教者に比べてほとんどというほどに少ないのはなぜでしょうか?私が国会前などで神職の装束をして集会に参加すると、「神主さんですか??」「コスプレ?」「本物の神主さん?」と言われたこともあります。
多くの人たちが推測するのは、「神主でこういう活動をするのにどこからかクレームはつきませんか?」の「どこからか」は神社本庁を指しているのでしょう。この神社本庁という名称そのものが何か公的な官庁のような印象を与えているのもその原因かもしれません。一般の宗教法人の一つに過ぎないのに何か特別な権力を背後に持っているように感じさせるのでしょうか。これは、終戦後、政教分離がなされたのに、戦前の「神社庁」の看板を利用して命名し、今も地方では「〇〇県神社庁」を名乗っています。
確かに神社本庁の主張は現代の政治に関して保守本流的です。また、全国の本庁傘下の神社に「自主憲法を」の署名活動を日本会議などと軌を一にして取り組むなど、その政治的意向を隠していません。そののぼり旗まで各神社に掲げさせての取り組みです。また、神道政治連盟などで神道が現代政治に多くの関わりを持っていることも多く知られています。
神道には宗教の「教義」「経典」にあたるものはありませんが、日本の伝統的宗教として、今も多くの人々が全国の神社に参拝している現実は、「毎日平穏な暮らしを」「幸せな人生が歩めますように」「願いが叶いますように」と祈っています。誰一人その願いとは正反対の戦争を望む人はいないでしょう。
また、1947年5月5日、日本の仏教・キリスト教・神道・新興宗教の指導者が「全日本宗教会議」を開き、アジア・太平洋戦争に関して「われわれは、かかる凄惨なる戦争の勃発する以前に、身命を賭しても平和護持の運動を起こし、宗教の本領発揮に努めるべきであった」とする「懺悔の表明」を思い出すべきでしょう。この声明こそ現代の宗教者の原点として心に銘じておかねばならないと思います。
人々の幸せを願い、命を何よりも大切にして、わが国と世界の平和を望むあらゆる宗教者は、宗教者としての存在をかけても文字通り命を賭して貢献するのが宗教本来の道でしょう。私にとって神主であることと平和活動は別に存在するものではありません。むしろ宗教者として当然のものだと考えています。
92歳の老骨の繰り言で
藤井 慶輝 三拝
時下、ますますご健勝のことと拝察しております。
今年は選挙の年です。我々の代表である議員さんが我々の利益によりそう活動をしているかどうかの判定と選択の好期です。憲法破壊の自公政治をまだ続けるのか、野党の力を強化するのか、国民、県民の判断が問われています。
アベノミクスは成功であると首相は自画自賛しますが、好況の実感はありません。国際的調査による幸福度も下降しています。求人倍率の高さ、倒産件数の減少を首相は指摘しますが、少子高齢化に無策だったせいであり、統計からは休業、廃業は除外されています。休・廃業の増加は利益が出ない、将来が暗い、が主因でしょう。消費税が10%に上がると事態は一段と深刻になります。
一方で高価な米国製兵器は爆買いです。兵器開発は日進月歩ですから、数年ごとに劣化兵器の更新に迫られます。福祉、教育、医療費の削減は厳しくなり国民負担は増大します。
大局的に冷静に考えると大型の地震、津波、台風、洪水被害が頻繁にあり、資源も無く、数十の原発がそれぞれに不安な問題をかかえ、住民の抗議にさらされている。こんな島国へ「大義名分」も無いのに侵攻してくる国があるでしょうか。侵攻に伴う軍事費、医療費、遺族年金等コストが膨大です。万一、乱暴な国が侵略してくれば全世界に訴え騒ぎたてます。非暴力抵抗主義で沖縄県民のように戦います。根気強さが決め手です。我が国の技術、資金、商品が魅力ならば貿易や外交交渉で入手できますから、戦争無用です。
自衛隊を憲法にちょっと書き込むだけ、と首相は言いますが例のダマシの術です。「後法は前法よりまさる」という法律界のルールにより九条の1項、2項がかすみます。果ては自治体から入手したリストを基に自衛隊員が適齢期の青年を家庭訪問します。米国では下士官が堂々と高校へ乗り込んできて隊員募集しています。家庭訪問もします。法律でそれが保障されています。米国べったり政治ですから、あり得ることです。すでに布石が打たれています。強行採決された特定秘密保護法、戦争法、共謀罪法が成立しているのですから、それらが一体となって動き出す危険性は否定できません。怖いです。用心せねば。
「今さえ、自分さえ、金さえ」が現代日本人の意識の底にあります。先祖方の奮闘努力を高く評価し、深謝し子孫が感謝するような業績を残さねば、の義務観念を持たないと日本民族は亡国の道をたどります。個人には移動の自由がありますが、国家にはありません。憎み合っている国同士が「お前の国なぞ地球のどこかに行ってしまえ」と怒鳴りあっても国家は動けません。侵略と暴政に対し、被害国にも根性と理屈がありますから、いつか逆侵略、暴政に見舞われ復讐と復讐の悪循環の中で百年、千年を過ごすのか、性格、思想の違いを認め尊重し、仲良く付き合う平和共存の道を歩むのか、二者択一です。聖徳太子の「和を以って貴しとなす」の仏教精神、親鸞聖人の「御同朋、御同行(オンドウボウ、オンドウギョウ)」の慈悲の精神が肝要と私は考えます。
国家中心主義の明治憲法下では「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」でしたから、臣民・家来は重大な方針には批判の自由はありませんでした。国民中心主義の現憲法は平和、人権、主権在民が三本柱ですから、我々も政権選択の自由があるので、しみじみありがたい。夢、希望、理想を抱くことができます。元気になれます。
県議選、参院選にあたり、同封(全国革新懇ニュース、平和新聞)の印刷物がご家族やご友人方との話し合いの資料として役立つなら幸甚でございます。
以上、弱脚、曲腰、約92歳の老骨の繰り言です。妄言多謝。 称名合掌
東京関東キリスト者平和の会
天皇「代替わり」儀式に関する声明
安倍自公政権の改憲戦略と絡まりながら、天皇「代替わり」に伴う一連の儀式・行事が天皇神格化と国家神道を徹底する立場から明治憲法下の絶対主義的天皇制のもとで公布された旧皇室典範と登極令を踏襲して始まっています。4月1日には憲法の国民主権の原則にまったくなじまない天皇が国家的領域と時間を支配するという新「元号」の発表がありました。
今年は、私たちの信仰が問われる年であります。聖書で教えられている「十戒」の第一の戒め「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」。これが私たちの信仰です。これは様々な宗教が存在するなかで、あなたはどの神を礼拝するのか迫ったものです。従って、他の宗教を否定したり、撲滅を勧めたりしたものではないというのが私たちの理解です。
憲法19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、20条は「信仰の自由は、何人に対しても、保障する」と規定しています。思想・信仰の自由は長年にわたって厳しい弾圧に抗してたたかい、勝ち取ってきたものです。
天皇「代替わり」に関わる諸儀式・行事は、天皇が「神となる」儀式です。秋の大嘗祭がその総仕上げとなりますが、国民主権や政教分離の原則に照らしても、また、宗教の平等性の観点からも大問題であり、容認することはできません。
憲法前文では「主権が国民に存する」ことを宣言し、第1条は「(天皇の)この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。今後の天皇制を決めるのは主権者国民です。
政府は4月30日、天皇の「退位の礼」として「退位礼正殿の儀」を、また、5月1日には皇太子の即位に伴う「即位の礼」として「剣爾等承継の儀」「即位後朝見の儀」を国事行為として行おうとしています。
政府は、「代替わり」儀式は皇室の伝統を尊重したものと言い、古代から連綿と続いてきた「伝統行事」であるかのように装っていますが、いま政府が行っている「代替わり」儀式は今から150年ほど前の明治維新以後に創出もしくは拡充されたものであり、近代に新しく創られた伝統にすぎません。
戦時中、日本のキリスト教は「聖書の神を愛する、神の子となる」、同時に「天皇を愛する、天皇の臣民(赤子)となる」という二重基準を設け、「十戒」の第一戒を放棄してしまいました。その結果、「見えざる神」より「見える神(現人神)」に比重が移り、自らの信仰を見失い、侵略戦争に協力加担するという過ち、罪を犯しました。私たちは、戦後、戦争責任を反省し、再び過ちをくり返すことなく、しっかりと自らの信仰に立って、神と人に喜ばれる働きをすることを宣言しました。
安倍政権は、戦後の「平和な日本」を屈辱的な「戦後レジーム」と否定し、戦前のような「強い日本を取り戻す」ためにと9条改憲に執念をもやし、天皇「代替わり」を利用しつつ、今年を改憲に向けて自民党運動方針に「道筋をつける覚悟」を明記し、「決戦の年」と位置づけるなど、「新元号の年に憲法改正の流れを」と改憲案の国会提示を企てようとしています。
キリスト教の神を信仰する私たちは、天皇の神格化によって信仰の自由を否定し、国民統合を図ろうとする企てに強く反対することを表明します。
2019年4月15日
第10回東京関東キリスト者平和の会総会
投稿
若い世代に見てほしい
知恵と力を寄せなければ!
映画「明日へ~戦争は罪悪である」
「三〇〇〇万署名をまだまだつづけ集めましょう」(天理市 Oさん 女性))、「ずっと上映し続けて欲しいです」(奈良市 Kさん 女性)、「製作協力者として参加したものとして誇りに思います」(平群町 Kさん 男性)、「若い世代に見てほしい。どうやって見てもらうか、もっと知恵と力を寄せなければと思います」(生駒市 Sさん 女性)、「憲法改悪のNO!の運動を大きく広げていきたいです」(生駒市 Nさん)、「もっともっと勧めたい映画でした。なんどでも鑑賞したい映画です」(奈良市 Kさん 男性)。これらは、鑑賞者三六四名の内4割のかたから寄せられた感想の一部です。
宗教界、特に仏教に関心のある人々からも
宗教界や宗教に関心のある人々からも感想が寄せられました。
「僧侶ではありませんでしたが、祖父の姿が重なりました。亡くなって、残された戦中・戦後の詩や手記を読んで、また今回この映画を観て、そう思いました」(奈良市 Nさん 女性)、「宗教教団の戦争責任というブックレットを読んで戦前、浄土真宗の大谷派の中でただ一人侵略戦争に異を唱えた岐阜の竹中彰元師のことを知って興味がありました。あのものも言えない時代に『殺すなかれ、殺させるなかれ』という教えの原点に立ち返れと死ぬまで異を唱えた僧侶に頭がさがります」(生駒市・Sさん 女性)、「仏教の慈悲の実践こそが平和をつくると思う(住所・氏名無記入)、「宗教界に話しかけて欲しい」(住所・氏名無記入)、「涙がでました。強い和尚さんです」(住所・氏名無記入)、「仏教の評価が低くなっているなかで、仏教の真の値打ちが明らかになった」(奈良市 Fさん)。
以上が、僧侶が信徒を戦場に送り、悲惨な結果を招くことを知り、反省し仏陀の教えの本来を思い起こし「戦争は罪悪である」と確信をもって訴えた姿が感動を呼んだと思われます。
寄せられたアンケートでは、「普通」と評価している人は若干名いますが、圧倒的多数が「非常に良かった」と答えています。
そして、作品の評価にとどまらず、謙虚に能動的に平和を守る運動を進める決意を表明されていることが重要な特徴です。
奈良宗平協、国賠同盟奈良県本部、演劇鑑賞会など中心に実行委員会で推進
奈良県における上映運動は、昨年8月21日に上映実行委員長に般若寺住職・工藤良任師が就任し、奈良演劇鑑賞会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部、奈良県革新懇、奈良母親大会連絡会、奈良宗教者平和協議会などの諸団体が中心になって実行委員会を立ち上げ、準備をすすめてきました。
これらの団体に加えて、新日本婦人の会、民医連、平和委員会、国民救援会、奈労連などさまざまな団体の協力のもとに運動が広がり上映が実現しました。
上映会場となった奈良まちセンター周辺の商店街では、「『今日は奈良まちセンターでなにがあったのか。お客さんはみんな映画の話をしている』と、奈良まちセンターに訪ねてきた人がいる。普通映画会といってもこんなに沢山の人は集まらない」とセンターの事務職員が話をしていたと伝えられており、地域にも反響が広がっています。
県内各地での上映運動の推進を
1月26日に行われた奈良宗教者平和協議会理事会では、映画「明日へ」の鑑賞者から、「多くの人々に観て欲しい」と感想を寄せており、県下各地での上映は当面する憲法改悪反対運動を大きく励ますことを確認しました。 奈良宗教者平和協議会は、奈良市での上映運動で広がった映画への評価をよりどころに、引き続き諸団体と連携して奈良県各地での上映運動をすすめることを確認しました。
奈良宗平協事務局長 吉川 清明
エッセイ
二宮金次郎の願以此功徳について
橋本早苗(幼名・左内)
1 宗教に対する公正な立場
文政11年(1828年)に金次郎は任地の小田原藩・桜町領のお寺に対して、「儒教・仏教・神道の三道を尊重するとき村は栄え、尊崇が衰えたとき村も衰えることを考え、将来、御修復の折には、その一端にもなればと考えまして、ここに杉苗三万五千本を寄付申し上げるものです。」と荘厳寺の住職に「進献の目録」を提出しています。
2 金次郎の洞察力
金次郎が村人から宗教について質問されたとき、「神道は開国の道、儒学は治国の道、仏教は治心の道である。」〝私はこの三道の正味ばかりを取った。正味とは、人間社会に切要なものをいう。切要なものを取って、切要でないものを捨て、人間社会に無上の教えを立てた。戯れに名付けて「正味一粒丸」という″と答えました。しかし彼は、宗教の開祖にはならないで、「尊徳仕法」の実践家になったのでした。 ※太字は筆者
3 「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」
これは「帰三宝偈」として、浄土教の大切な文言です。しかし、金次郎にはこの「安楽国」も観念の世界のものであって、階級社会が出現して以来、「天下泰平」の徳川幕府でも実現されない宿題でありました。
願以此功徳 家内養一同…願わくはこの作徳をもって 家内一同を養い
猶又勧農業 子孫安楽国…また農業を勧めて 子孫が安楽の国を築くように
願以此報徳金 村中貸与一同…この報徳金を活用して 村中の皆に貸し与え
同令発報徳心 子孫永々安楽…富と共に報徳心を起こし 子孫が永久に安楽であるように
4 「実事求是(事実によって真理を求める)」
「能登の赤毛布(げっと)」という地に生まれ育った私は、親鸞(蓮如)さまの風土でした。高校二年の時、父の破産で苦しみ悩む中で新約聖書を読み、イエスに希望を見出して神学校へ行きましたが、ここも観念の救済に、終わっていました。そうしたところへマルクスの思想がもたらされ、イエス、マルクス、親鸞という三つの星に希望を置いて「平和運動をする教会」を求めてきたことは皆様ご存知のところです。そして、さらに出会いがあって『二宮尊徳の仕法』を知り、この道に観念実際とを分けないで救済する道を示されました。「天保の改革」に血道を上げる水野忠邦が金次郎・尊徳を紹介され、幕臣に登用しながらも理解できないで、「利根川分水路堀割御普請見込の趣き申上候書付」を不採用にしたために壮大な計画が失敗に終わり、幕府の寿命を縮めたのでした。目下、この幕末の巨星を対比して歴史小説「落日の光芒」を構想しているところです。ご承知のことは何でも御教示頂ければ幸甚です。(2019年1月)
山家妄想
実は150年の伝統
〇天皇の退位と新天皇の即位とあって奉祝の意を表すために異例の一〇連休となった。国民の祝賀ムードが一気に高まり、あわせて内閣支持率もアップすることを期待しているのだろうが、うまくいくだろうか。
〇国内の高速道路渋滞の予想や各空港の混雑予想などが出されて、経済への好影響も取りざたされているが、その一方で非正規労働者や低賃金にあえぐ人々は一か月の3分の1の手取りがなくなると深刻な面持ちである。休業できない業種に努めている人々は、幼いこどもを預ける施設の確保に困っている。
〇医療機関は期間の中間での開業は不可欠だし、救急医療の体制をどのように確保するか困難な問題に当面している。学校も新学期が始まってようやく子供たちが落ち着いてきたときの休業、そして休業明けには中間考査となる。大体、振替休日などといって普段から月曜日ばかり授業が抜ける。月曜に組まれている授業の時間確保が学校で大問題になっていることなど、政治家やお役人は意識さえしていないのだろう。
このように大騒ぎをして「日本の伝統」である天皇制の即位行事を行い、これもまた「伝統」の改元を行うというのであるが、果たして一世一元なる制度は日本古来の伝統なのか。
〇元号は中国でこの世界を支配する絶対者「天」が下界のある人物に「命」を下して天子とし、その天子が時間をも我がものとして支配することを込めて時間に名をつけたものが「元号」である。天子は吉祥があれば記念して改元し、災いがあればわが不徳を恥じて改元したのであり、一世一元なる制度は本来なかった(明代を除く)。
〇この中国の制度を受け入れたのがわが国や中国周辺の諸国であった。しかし今や本家中国をはじめ元号を採用している国は、わが国以外存在しない。わが国でも、天皇一代に一元号と制度化したのは、明治以降である。したがって一世一元は一五〇年の「伝統」に過ぎないのである。
同様なことは随所にみられる。
〇ニュースは天皇が皇室の祖先と考えられている伊勢神宮天照大神へ退位の報告をなされたと伝えた。天皇家の信仰が「神道」であるのもまた、日本古来の伝統と思われているが、京都に歴代天皇の位牌を祭る菩提寺があるのをご存じだろうか。
〇「皇室ゆかりの寺の最たる存在が、東山に位置する真言宗泉涌寺派総本山の泉涌寺だ。泉涌寺では、多くの天皇の墓や位牌が祀られており、天皇家の菩提寺と位置づけられる」と記す「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」(鵜飼秀徳 文春新書)は「天皇家自体が非常に熱心な仏教徒で」一二四二年以来泉涌寺は「皇室の御寺」と呼ばれ、「一三七四年後光厳天皇が同寺で火葬されたのを皮切りに以降、九代続けて天皇の火葬所となった。江戸時代の歴代天皇、皇后はすべて泉涌寺に埋葬されている」と続け、「各天皇の祥月命日には皇室の代理として、宮内庁京都事務所からの参拝がおこなわれる」と記している。
〇中国から朝鮮を通じて伝わった仏教が、聖徳太子以来、奈良・平安と新しい統治の思想として用いられたことは周知の事実である。それが日本古来の八百万の神々と習合して、おおらかな日本独自の信仰形態を作り上げてきた。時の政治権力と癒着し民衆支配の道具と化した負の側面も知られている。その負の側面並びにそれに付随して激しくなった一部僧侶たちの腐敗堕落の結果をつかれることによって神仏分離・廃仏毀釈は起こったのである。明治維新政府の発令によって。(この事実を詳しく報じているのが前記鵜飼秀徳の著書である)
〇「明治維新一五〇年」は「廃仏毀釈一五〇年」でもある。それは文化財と歴史の破壊でもあった。廃仏毀釈によって日本の寺院は少なくとも半減し、多くの仏像が消えた。哲学者の梅原猛氏は、廃仏毀釈がなければ国宝の数はゆうに三倍はあっただろうと指摘していると言う。
〇それは世界中の人々がなんという畏れ知らずの野蛮な行為なのかと憤慨したタリバンのバーミヤン摩崖仏爆破にも匹敵する「日本人の心を壊した」所業なのであったと鵜飼秀徳は語るが、わたしたちは「明治維新一五〇年」が、日本の近代化を進めた陰においてアジア侵略に邁進した負の側面を記憶するとともに、その歴史がわたしたちの心をも壊したおぞましい歴史であったということを、しっかりと記憶するべきであろう。(2019・4・22)
〇ながらく貴重な紙面を汚させていただきありがとうございました。合掌
水田全一・妙心寺派の一老僧
※水田全一師の「山家妄想」今回で終了します。これまでの執筆に感謝申し上げます。編集部