震災・原発事故から8年
諸宗教による祈りのつどい

 東日本大震災犠牲者を追悼し、原発廃止・廃炉を願う、諸宗教のつどいが3月11日、福島県楢葉町の宝鏡寺で開かれました。日本宗教者平和協議、日本キリスト者平和の会などで構成する実行委員会が主催し、全国から40人が参加しました。
JRいわき駅前からバスで国道6号線を北上、原発問題住民運動全国連絡センター代表委員の伊東達也さんから被災当時の様子、バスの中から見る被災地の現状などを聞きました。
 つどいでは主催者を代表して日本宗平協代表委員の奥田靖二さん(浅川金刀比羅神社宮司)が「私たちがいま何をできるかを考え、それぞれの地域での運動を進める機会としたいと思います」とあいさつしました。
 宝鏡寺住職の早川篤雄さんは、福島の現状を報告し「いまを『復興』というのは『復興神話』。子どもたちを生み育てる世代が安心できる環境を実現して、復興ははじめて緒についたといえます」と述べました
 祈りでは仏教(浄土宗、真言宗・智山派、豊山派、浄土真宗、曹洞宗のリレー読経)、天理教8人よる手踊り(写真表紙)、神道、キリスト教のそれぞれの祈りを捧げました。大震災が起こった2時46分に全体で黙とうし、犠牲者を追悼しました。
 12日はいわき市内で学習講演会を開催しました。「福島原発から8年目を迎えて」と題して伊東達也さんは県内からの避難者数として政府が発表した4万1954人は過少集計であり、「県の調査をもとにすれば8年たった時点約10万人前後の県民が故郷に戻れずにいる」と強調しました。
 「帰還宣言」が出されても戻る人が少なく地域社会はまともに機能しない状況にあるのに、国と東電の被災者切り捨てが進んでいることをあげて「新たな原発事故被害者・被災地救済の枠組づくりを求める運動が大切です」と述べました。

被災653・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭誓いの言葉


原水爆禁止世界大会実行委員会
運営委員会共同代表  野口 邦和
 久保山愛吉さん、あなたが「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」との遺言を残されてから65年が経とうとしています。私たちは本日、65回目のビキニ被災事件の日を迎えています。第五福竜丸の乗組員全員がビキニ水爆実験により被災し、半年後に無線長のあなたがなくなられたことに、私たちは大きな衝撃を受けました。広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験した私たちは、原水爆の非人道的恐ろしさを身をもって学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうして原水爆禁止を求める人々の声が急速に広がり、1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催され、同年9月に原水爆禁止日本協議会が誕生しました。1956年の第2回原水爆禁止世界大会の中で日本原水爆被害者団体協議会が誕生しました。
 ビキニ被災事件から65年、日本の原水爆禁止運動は世界大会を軸に署名活動、国民平和大行進、原爆展の開催など、草の根の国民の力であらゆる困難とたたかってきました。 日米両政府の妨害を乗り越え、核兵器の使用をくい止め、核兵器廃絶の課題を世界諸国民の運動に広げ、遂に2017年7月に核兵器禁止条約を国連加盟国の3分の2、122か国の賛成により採択させました。現在70か国が調印、22か国が批准しています。
 いまや核兵器廃絶の課題は国際政治の本流となり、一握りの核保有国と核依存国だけが核兵器に固執しているにすぎません。国際政治の焦点は、核兵器禁止条約を可及的速やかに発効させることにあります。言うまでもなく核兵器禁止の国際的潮流を発展させる原動力は市民社会の運動であり、唯一の被爆国日本の原水爆禁止運動への期待は大きく高まり、その責任は重大です。
 ビキニ被災65年、広島、長崎の被爆74年、国民が核兵器の非人道的恐ろしさを体験して立ち上がったビキニ被災事件の教訓に学び、各地で原爆展など展開して被爆の実相を全国民に伝えることが重要です。私たちは、被爆者が呼びかけた「ヒバクシャ国際署名」を旺盛に行い、その成果をNPT再検討会議第3回準備委員会に持ち寄る決意をしています。その力で被爆74年となる原水爆禁止世界大会を大きく成功させ、世界諸国民の先頭に立って核兵器廃絶の扉を開く歴史的な使命を果たすために奮闘することを誓います。

日本原水爆被害者団体協議会 
事務局次長  児玉 三智子
 久保山愛吉さん
 全国の被爆者を代表して「誓いのことば」を述べさせていただきます。
 あなたが第五福竜丸の無線長として船上で被災して65年がたちました。この長い歳月の中、私は2回目の「誓いのことば」です。
 未だに地球上には核兵器が存在しています。また、以前と同じ言葉を繰り返さねばなりません。「生きているうちに核兵器のない世界を」「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「原爆被害に国の償いを」と、この間、私たち被爆者は繰り返し、訴え、原爆被害の実相を語ってきました。それは広島・長崎の地獄を体験し、かろうじて生き残ったものの「悲願」なのです。
 あの日、あの時の地獄を体験した被爆者もだんだん少なくなってきました。しかし「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」というあなたの遺言は心の奥深く刻まれています。今年も若い人々があなたの墓前に花をたむけ、あなたの遺言を確認し、この運動を動かす力となることを誓ったのではないでしょうか。
 久保山さん、世界の多くの人々は「核兵器は地球上に在ってはならない兵器」だと「核兵器禁止条約」を発効させ「核兵器廃絶」を実現するため、巨岩を草の根から揺さぶり核保有国の壁を突き崩そうと、いろいろな運動を積み重ねています。
 被爆者も超高齢となり、急速に減り続けていますが、被爆の体験の語りを広げ、原爆展、署名活動、請願活動などで、今の状況を切り拓いてきた運動に確信を持ち、進めていきます。
 久保山さん、日本被団協は、2020年に国連のロビーで原爆展をする準備をすすめています。世界の人々に見ていただき、「核兵器はいらない兵器」と訴えます。
 久保山さんの遺言を実現させるにはもう少し時間がかかるでしょう。
 最後にもう一度訴えます。「核戦争起こすな、核兵器なくせ!」「ヒロシマ・ナガサキを、ビキニを繰り返させるな!」
 
全国労働組合総連合 
副議長  長尾 ゆり
 久保山愛吉さんの墓前に立ち、あらためて、「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」というお言葉を胸に刻んでいるところです。
 核保有国は、今なお、核兵器を捨てようとせず、この危険な悪魔の兵器にしがみついています。しかし、それは、一握りの国々です。世界は、核兵器のない世界の実現に向かって、大きく動き始めています。国連で核兵器禁止条約が採択されてから1年8か月。圧倒的多数の国は、禁止条約を力に、核兵器のない世界に進もうとしています。そして、朝鮮半島は、対話を力に、非核・平和に向かって大きく動き始めました。
 これらの変化を生み出してきた力は、足元から声を上げ、行動する世界の人々の世論と運動です。 とりわけ、被爆者を先頭にした被爆国日本の平和運動です。
 1954年、ビキニ被災で、三度、核兵器による被害を受けた国民は、「原水爆禁止」を求めて署名運動に立ち上がりました。燎原の火のように広がった署名は、1955年には3000万を超え、政府を動かしました。
 その運動の中で、1955年6月、第1回日本母親大会が開かれました。久保山すずさんは、2000人の母親を前に「子どもたちに父親を返してください。けれどそれはとうていできないことです。一番ほしいのは原水爆をやめてもらうことです。本当の母の愛情は戦争をやめさせることです。」と訴えました。毎年積み重ねられてきた日本母親大会は、今年、ここ静岡で65回大会を開催します。
 いま、あらためて歴史に学び、国民の力、署名の力を確信にして、ヒバクシャ国際署名を大きく広げる決意です。
 また、三〇〇〇万人署名と、市民と野党の共同の力で、「安倍九条改憲」を必ず止める決意です。核兵器禁止条約と憲法9条でこそ、世界と日本の平和と安全を守ることができる、その確信の下、運動を広げてまいります。
 今年は、選挙の年、変革とチャンスの年です。労働者・国民が安心して暮らせる社会をめざし、子どもたちに核兵器も原発もない平和な未来を手渡すため奮闘することをお誓い申し上げ、墓前の言葉といたします。

日本共産党中央委員会・准中央委員
前衆議院議員  島津 幸広
 久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。
 初めに、この墓前祭のために、久保山愛吉さんのお墓のある弘徳院の境内を提供してくださったた弘徳院ご住職様と、読経してくださいました焼津仏教会の皆様に御礼を申し上げます。
 2017年に国連において核兵器禁止条約が採択され今年の1月末の時点で調印国はアジア11か国世界で70か国となり批准国はタイ、ベトナムなど22か国となりました。この久保山愛吉墓前祭は核兵器禁止条約発効をめざすいっそうの努力を誓い合う機会となります。墓前祭を主催する日本宗教者平和協議会のご努力に改めて敬意を表します。
 核兵器禁止条約には、核兵器の使用や実験による被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意することが盛り込まれています。ところが日本政府は核兵器禁止条約に背を向け続けています。ビキニ事件の被害は、粘り強い調査によって日本全国に及ぶことが明らかになり、被害者とその遺族は被ばくの事実を長年隠し、必要な治療など行わなかった日本の政府の連続的不法行為の罪を問うビキニ国家賠償訴訟をたたかっています。
 核兵器禁止の国際世論の高まりの一方アメリカと旧ソ連との間で結んだ中距離核戦力全廃条約をトランプ政権は破棄し、ロシアも同条約停止を表明して新たな核軍拡競争の危機が指摘されています。日本政府はアメリカの条約破棄に理解を表明しています。安倍政権が唯一の戦争被爆国の政府にあるまじき態度をとり続ける以上は、安倍政権を退陣に追い込み、核兵器禁止条約に調印する政府を樹立することが強く求められています。それは、全世界の国民の「平和のうちに生存する権利」をうたった憲法を生かすことになります。
 私は、核兵器禁止条約の調印を掲げる政府の樹立と、浜岡原発の廃炉をはじめ原発ゼロの日本のために、全力をつくことをお誓いいたします。 久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。
 
日本民主青年同盟中央委員会 
静岡県委員会委員長  橋爪 春人
 アメリカによるビキニ水爆被災から65年が経過しました。毎年、この墓前祭の場で「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山さんの言葉を噛みしめてきました。
 歴史をひも解けば、私たち日本の国民は、広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験しました。日本国民は、過去の経験から原水爆の非人道性を学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうしてビキニ事件を契機に原水爆禁止を求める人びとのうねりが、国連で採択された核兵器禁止条約につながっています。
 そして、昨年、朝鮮半島で非核化に向けた対話が始まったことは、青年を大いに励ましています。韓国国民による「キャンドル革命」が文在寅政権を生み出し、国民の平和を願う声が朝鮮半島の情勢を一変させました。「平和な世界は一人ひとりの声と運動でつくれる」ことを、この間の国際情勢は証明しています。
 世界が平和に向けて動く一方で、安倍政権が孤立しています。国民多数が反対している9条改憲に執念を燃やしています。しかし、平和を求める私たち青年・国民の運動が市民と野党の共闘を発展させ、憲法を守り続けています。今年は統一地方選挙と参議院選挙があります。この選挙で自民・公明与党を少数に追いやれば、いよいよ安倍政権を倒し、野党連合政権の実現へ大きな一歩を踏み出せます。私たちの力で、新しい政治を切り開きましょう。ヒバクシャの方々と一緒に、核兵器のない世界を実現するために、まずは日本で核兵器禁止条約に参加する政府を実現しましょう。
 安倍政権が暴走すればするほど、青年の中で新しい社会への模索と変革の願いは強まっています。多くの青年が安倍政権のもとで深刻な実態を抱えながら、変える展望を探しています。青年と手をつなぎ、社会を変える主権者として立ち上がりを広げていく決意です。
 激動の情勢の中、久保山さんお言葉を噛みしめ、世界と日本で始まった新しい政治を生み出す指導を力強く発展させる先頭に立つことを決意し、誓いの言葉とします。

日本科学者会議静岡支部
代表幹事  谷 健二
 最初に被ばく65年の人生を閉じられた見崎進さんのご冥福をお祈りさせていただきます。
 「第五福竜丸」の操舵手であった見崎さんは、近年、地元の学生に被爆体験を語り継ぐ活動に取り組み、水爆の恐ろしさを伝えておりました。どうぞ安らかにお休みください。
 さて、2017年に国連で「核兵器禁止条約」が採択され、「核兵器のない世界」への願いは、核兵器保有国の妨害に負けず確実に前進しています。昨年12月の国連総会では「核兵器禁止条約」への早期の署名と批准を求める決議が賛成多数で可決され、批准も条約発効に必要な50ヵ国に向けて着実に広がっています。
 しかしながら、核兵器禁止を求める国際世論と運動の高まりに逆行する日本政府の姿勢には失望と怒りを禁じえません。国民に背を向け、米国との同盟関係を優先し、米国の核抑止力に「盲従」するあまり、唯一被爆国の政府としての核兵器廃絶という歴史的使命に背を向ける行為は、被爆者への冒涜行為に等しいと考えます。米朝首脳会談による朝鮮半島の非核化の可能性に対しても冷ややかな態度をとり、イージスアショア配備など軍拡で緊張を煽る政策は、国民への平和の願いを踏みにじる行為でしかありません。
 私たち日本科学者会議は、科学研究の平和的発展と核兵器のない世界に向けた科学者の社会的責任を果たす様々な取り組みを創設以来行ってきました。1987年8月に長崎で開催された第1回の原水爆禁止世界大会・誓いの科学者集会のテーマは「核兵器廃絶・被爆者援護と科学者の責任」であり、それ以来、毎年、科学者集会を開催し、様々な研究成果と提言の発信を行ってきました。昨年7月には「アジア非核化構想~アジアの市民連帯を考える~」テーマに32回目の科学者集会を開催しました。今後とも、核兵器廃絶のための研究の成果を生かしていく所存です。
 最後に、本日、あらためまして久保山愛吉さんの墓前に、「核兵器のない世界」の実現のために科学者、としての責務を果たしていく決意を表明し、墓前の誓いの言葉とっさせていただきます。

新日本婦人の会
副会長  米山 淳子
 3・1ビキニデー・墓前祭にあたり、久保山愛吉さんをはじめ犠牲になられた方々を偲び、一日も早く核兵器のない世界の実現へ、そして日本国憲法を守り抜く決意を新たにしております。また、長年にわたって、この墓前祭を執り行なってこられた日本宗教者平和協議会のみなさま方に、感謝を申し上げます。
 65年前、アメリカによる南太平洋ビキニ環礁で起こったビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。なかでもいち早く立ち上がったのが、地元焼津をはじめ各地の女性たちでした。「核実験禁止」「核使用禁止」を求める署名運動は、翌年までに3200万を積み上げるまで高まり、いまに続く原水爆禁止世界大会や日本母親大会の出発点となりました。
この夏には、静岡の地で第65回日本母親大会が開催されます。
 「人間が人間を殺す兵器をゆるしてはおけない。戦争による不幸、原子兵器による不幸を、世界のどこの国よりも早く体験した私たちが、戦争をなくし、平和を守っていきましょう」――第1回日本母親大会での久保山愛吉さんの妻、すずさんの発言です。この訴えは、女性たちを一つに結びました。
 私ども新日本婦人の会は創立いらい58年間、核兵器廃絶、軍国主義復活、憲法改悪反対をかかげて全国で活動を広げきました。いま、安倍9条改憲を許さない「3000万人署名」と「ヒバクシャ国際署名」を平和の2署名と位置づけ、列島中で「戦闘機の爆買いやめて暮らしに!」「戦争はぜったいダメ、核兵器禁止条約に参加を」と宣伝・署名行動を広げ、署名はともに100万を超えています。
 核兵器禁止条約への調印国はすでに70カ国に達し、批准国も22カ国となりました。核保有国の妨害がつよまるなかでも、確実に前進しています。安倍政権の改憲発議を今日まで食い止めてきたのも、こうした署名の力と世論をつくってきたことだと確信します。
 今年の選挙は、安倍政権を退陣に追い込むチャンスです。市民と野党の共同をさらに発展させ、憲法が生かされ、核兵器禁止条約に署名、批准する政府をつくっていくために、私たち女性もいっそう力をつくしたいと思います。その決意を述べまして「誓いのことば」といたします。


天理教 
矢野 太一
 天理教平和の会の矢野でございます。平和の会を代表して久保山愛吉さんの墓前に誓いの言葉を申し上げます。
 天理教平和の会は今から15年前、九条の会の呼びかけに応えて、「平和の願い」を共有する教内の有志により結成されました。
 それから今日まで天理教本部の祭典日である26日に毎月例会を開催し、隔月に本部前で参拝のため帰ってこられた信者さんに対してチラシを配り続けて参りました。
 その内容は主に「核兵器の廃絶」「九条守れ」「原発の再稼働を許さない」「辺野古移設反対」などであります。これまで配ってきた枚数は26万枚を超え、チラシを受け取った人から「私も地域の九条の会で活動しています」「天理教にこんな会ができて本当にうれしい」是非、入会したいという人が相次ぎ、結成当初10人ほどの会員も現在、100名近くにに達しています。
 私たち平和の会の行動原理はあくまでも教祖中山みきの教えであります。教祖は明治政府による圧迫、弾劾、拷問等により90歳で現身を隠されましたが、いかなる弾劾にも屈することなく終始一貫説かれたのは争いもなく平和でみんながが幸せに暮らせる陽気ぐらし世界の建設であります。
教祖中山みきの書き残されたおふでさきに
 せかいぢういちれつわみなきよたいや
 たにんとゆうわさらにないぞや       
 世界73億の人間は、等しく親神の子であり兄弟であります。お互いに憎しみ、傷つけ、殺し合うことなく、互いに立て合い助け合って平和の裡に幸せに暮らすことを望んでおられます。
 これさいかたしかにしよちしたならば
 むほんのねへわきれてしまうに         
 世界中の人間はみな神の子であり兄弟であることをしっかり心に治まれば争いの根は切れます。
 月日よりしんぢつをもう高山の
 たたかいさいかをさめたるなら       
 親神の真実の思いは争いなき平和な世界であります。このことを世界の指導者が心の底から自覚すれば、争いのない平和な世界が訪れます。それこそが親神の切なる願いであります。
 こうした、親神様、教祖の思い、「私を最後にしてほしい」と言って亡くなられた久保山愛吉さんの願いを受け継ぎ、他宗派の人たちや民主団体と共同して「核兵器のない平和な世界」を目指して精進を続けることを決意し、誓いの言葉といたします。

山家妄想 瀬戸内寂聴さんのことば

「本の窓」という小さな雑誌を書店からいただく。折々の話題になる事柄に対しての識者の座談や、鋭く問題を指摘したエッセイなど、なかなかの読み応えである。最新号では故菅原文太さんの後を受けての、妻文子さんの連載エッセイ「朝の紅顔 夕の白骨」が鋭く面白い。
「私たち普通の生活者の社会への向き合い方は、若者が絶望的な暴力で訴えている背後にある何かを受けとめ、包容力のある温かい社会へと、自らと統治の意識、仕組みを作り変えるようとすることではないのか」と指摘しながらも、「社会やメディアの雰囲気を作っているのは利己的で排他的な今の政治の方向にも責任がある」と「自分に近い思想の人たちにだけ巨利を与える政治では、この先も社会を敵視し攻撃する若者のテロ行為は増えこそすれ減ることはない」と手厳しい。
「監視と管理と格差、この3kが締めつける日本で、それら3kから解放され縛られずに別天地で暮らす上位の階層が生まれている」この状態が進むとしたら、「かの日のように日本は世界の信用を失い、孤立をますます進めるだろう」と警鐘を鳴らす。
「日本は謙虚になるべきだ」という文在寅韓国大統領に「同感である」というが、わたしたちもまた同感すべきであろう。
 中島京子さんの連載対談「扉を開けたら」のお相手は金田一秀穂さんである。いうまでもなく京介・春彦に続く言語学者三代目の方である。
 冒頭、話題となるのは「言葉への誠実さ欠く二人のAさん」という秀穂さんの寄稿についてである。二人のAさんとは「言うのはちょっとヤボ」と中島さん。皆さんもお判りでしょう。(残念ながらAbe・Asouさんですね)
秀穂先生は言う「二人のAさんは、恥を知らない。昔の政治家の言葉には、もっと矜持があったと思う」こんな人間になったのは「子供のころから、とりまきが全部ごまかしてくれたのでしょう」と成育歴をおしはかり、いまは「周りにいる人たちはとても賢い人たちだと思うのですが、なぜ彼らをおだてて担いでいるのかわかりません」と語る。まあ「周りにいる人たち」も、いわゆる政治屋たちで似たか、よったかの人ばかりということでしょうが・・・。
しかし「それを取材し報道するジャーナリズムやマスコミにも問題がある」「マスコミの人たちに批判することは怖くないんだよ、って言ってあげたい」と、ジャーナリストの責任を指摘される。
「政治は言葉である。(中略)私は言葉の研究者として、なによりも、言葉の扱いの粗雑さが我慢がならない」との秀穂さんの言葉はわたしたちへの忠告でもあると考える。誠実な言葉使い、日本語の美しさに気付き大事に受け継ぎ育てて、次代へ伝えてゆく使命を改めて考えるのである。
 映画「この道」の公開記念 特別座談会「挫折が人を成長させる」も異色であり貴重である。映画の主役二人の男性と瀬戸内寂聴さんと秘書瀬尾まなほさんの座談である。映画をご覧になる方に影響を与えてもと思い、やり取り一つだけを紹介する。
瀬戸内「私はずうずうしいから、挫折を感じないの。(中略)自分はその時、これっぽっちも大変だなんて思ってないの。だってそういう目にあうだけのことを、自分がしているから。
瀬尾「自覚があるんですね(笑)」
若い女性を立派な秘書に育て、作家にまで成長させようとしている寂聴さんの、おおらかさが見えてくるではないか。しかも、寂聴さんは「今、日本はいつまた戦争になるかわからない状態です。映画でも戦争前夜を描いていますが、それと似た嫌な空気になっている。戦争は絶対あっちゃいけません。(中略)これは反戦の映画でもあるのです。だから、若い人にこそ見てほしい」と締めくくられる。
 わが母校の校歌作詞・作曲家コンビの北原白秋と山田耕筰が、かつての戦争に際して「心ならずも」かどうかは知らないが、果たさなければならなかった役割を知る私にも、また、なさねばならぬことを意識させられる言葉でもある。
 挫折をバネに出家された寂聴さんが、病気を乗り越え老境に入られてなお時代の危機を感取され発言される警世のことばに、あまたの宗教者が続くことを期待したいのである。
(2019・3・20)  水田全一・妙心寺派の一老僧