「宗教と平和」600号を迎えました
今後ともよろしくお願いします (創刊1962年4月~2019年2月)

「宗教と平和」2月号で通巻600号到達
歩みと役割を学ぶ
■はじめに
 600号を迎えることができたのは、会員、読者をはじめ、講演など講師、宗教時評の柿田睦夫さん、本間勇毅さん山家妄想の水田全一師の連載などのご協力によるものです。心から感謝申し上げます。
「宗教と平和」の歩みと役割についてつづってみました。
■1962年3月25日発行の『日本宗教者平和協議会通信』には、「全日本の宗教者が平和のために団結しよう」のスローガンのもとに、日本宗教者平和会議開催(東京)の呼びかけが記載されています。
■1962年1010日発行の『宗教と平和』(号数の記載なし)ブランケット版8ページ
 ※「宗平協結成後、このタイトルで発行されているので、これを第1号とする」(『宗教と平和総目次2012年発行より』)この創刊号以来、本紙2月号で通巻600号を迎えました。

500号達成記念座談会 
横浜で開催
■今から9年前、2010年1月、『日本宗教者平和協議会結成50周年の歴史を振り返り、平和な世界を作り出すための将来の展望を切り拓く』ことを基調として、機関紙通巻500号記念の座談会が開かれました。(全国から、紙上討論を含む参加者も入れて8名+事務局数名)
■各参加者のテーマ別による討議と今後の展望の記録が、宗平協ブックレット2にまとめられています。

『宗教と平和』総目次編集
■500号までの歩みをまとめた『総目次 編集作業』の取り組みが始まりました。
 「500号を越える機関紙に盛られた記事と写真は、まさに日本現代史を、戦争責任の反省を踏まえて、日本国憲法に則り、宗教者本来の非暴力平和のたたかいを果敢に行った事実の宝庫であります。」「発刊に寄せて」 橋本左内当時理事長当時

『先師を懐う』日隈威徳氏
記念講演開催
■500号達成後、同年5月末、東京築地本願寺で全国理事会を開催し、同時に、500号記念講演会 『先師を懐う』(日隈威徳氏)が開催されました。
■日隈氏はその中で、日本宗平協が果たして来た大きな三つの役割について述べ、その評価として、「宗平協の成し遂げた、宗教者の宗派・信仰の相違を超えた団結と共同は世界史的な意義を持つ」とし、ヨーロッパにはない、日本独自の自主的・民主的・大衆団体としての3団体に4つめの団体として宗平協が加わると述べました。

2012年
日本宗平協結成50
■500号達成の2年後、2012年は、1962年宗平協結成から50年の大きな節目を迎え、いくつかの記念事業が展開されました。
 5月全国理事会を都内で開催し、10月には、結成50周年記念、世界の宗教者を迎えて国際シンポジウムを行いました。記念レセプションには各界から大変多くの参加者が来場。盛況でした。
 鈴木徹衆代表委員(当時)が、50年の活動を振り返り挨拶を述べました。
 ■同年、徹衆師が、『信仰・宗派の違いをこえて』を出版。核兵器廃絶・反戦平和運動に取り組み、国際的な連帯を図って来た経緯が紹介されました。

600号の到達と通過点を確認し、
また新たな一歩を!
■『宗教と平和 総目次』(1962年第1号~2012年第530号まで記載)の続編として、531号以降600号までの目次記載を作成します。
■この間の編集改善状況として、
①彩色(カラー)版の導入(2014年1月号巻頭写真)
②時代の変遷と共にB5判からA4判への変更(2014年1月号)
③原水爆禁止世界大会一連への行事参加(広島・長崎)から、編集期日の都合上、8月号・9月号を増頁で合併号とすること(2014年9月号)
④発送作業時の体制等の努力、、消費税8%増税、発送料、郵便の値上げのなか購読料の据え置きを維持していること等々、経費節減と紙面改善に努力し取り組んで来ました。
■もちろん、現実的な状況においての課題も多く認識しつつ、厳しい財務運営を抱える中での編集体制ですが、会員・読者の皆さんの協力・支援体制の維持継続も期して、今後も『宗教と平和』の充実に取り組んでいきます。
■「宗教と平和」の原版の保存に取り組んでいます。創刊号からの復刻版を作成中です。
(編集部)


寄稿
『宗教と平和』誌通巻600号発刊を祝し、この年月を回顧
   日本宗平協代表委員  大江 真道 
 機関紙『宗教と平和』が600号に達するという知らせを受け感動しております。500号達成の集会が築地本願寺で開催された時出席させていただきましたが、それはついこの間の出来事のように感じます。
 今、その時の日隈威徳先生の講話、『先師を懐うー宗平協と共に歩んで』を再読して感慨を新たにしております。その中に、昨年逝去された鈴木徹衆元理事長が、『前衛』2007年の10月号に、日本宗平協創立45周年に際して、宗平協の三つの役割についての発言が収録されております。
1、戦後の平和・民主運動の発展への貢献
2、原水爆禁止運動・平和擁護運動を通して、宗教者の国際連帯運動、或いはキリスト者の平和連帯運動、日中・日朝などの友好運動を発展させたこと
3、憲法擁護を柱に、政教分離の原則、信教自由の擁護の具体的な活動などです。
 この2月末の焼津における偲ぶ会を前に、故鈴木徹衆師が如何に強靭な平和理論を構築して実践に移されたかを、遺著となった『信仰・宗派の違いをこえて』を再読・再認識したいと思います。
 最後に素晴らしい編集を毎月編集し届けて下さる日本宗平協の事務局スタッフに感謝したいと思っております。

日隈威徳氏ご逝去に
心から哀悼の意を表します

 日隈威徳氏が1月20日ご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
 23日、24日の通夜、葬儀には全国から多数の宗平協のみなさんが参列されました。
 来る2月28日の被災65年3・1ビキニデーの焼津で開く宗教者平和運動交流集会での「故鈴木徹衆師を偲ぶ会」で、鈴木徹衆師を偲び宗平協活動の更なる前進のためにとお話しいただく予定でした。誠に残念です。
 これまで宗平協活動にご理解、ご支援、ご協力に感謝申し上げます。
 葬儀の際に荒川庸生日本宗平協理事長代行が弔辞(別掲)を披露しました。

弔    辞
日隈威徳さん
 昨年亡くなった日本宗平協代表委員の鈴木徹衆師の後を追うように、こんなに早くお別れしなければならないとは、残念でなりません。
 日本宗教者平和協議会は1962年、「私たちは宗教的・精神的態度が、内なる心の平和と外なる世界の平和をむすびつける目的をもっていることを確認しました」という第1回世界宗教者平和会議の「京都宣言」に基づき、侵略戦争への協力加担の懺悔、反省にたち、その「結成宣言」に日米安保条約など軍事同盟破棄と一切の軍事基地の撤去、核兵器廃絶・被爆者援護連帯、平和憲法・信教の自由擁護などを掲げて結成され、「平和の祈りを行動の波へ」と歩みつづけてきました。
日隈さん
 日本宗平協の先師たちは、宗教の生命は正義の主張にあると、戦後の平和・民主運動の発展への貢献、原水爆禁止・平和擁護の運動を通して宗教者の国際連帯・友好運動の発展、憲法擁護を柱に政教分離の原則、信教の自由の具体的な活動に役割を果たしてきました。
日隈さんは、結成時からこの宗平協の伴走者として共に歩んでくださいました。あなたの宗平協の伴走者としての歩みは、「久保山愛吉墓前祭」に、第1回から毎回、年中行事のように参加され、各地からの宗教者、活動家と交流し、激励してこられたことに現れております。改めて感謝申し上げます。今年の墓前祭に御夫妻でおいでいただく予定でした。残念でなりません。
 あなたはまた、宗教委員会責任者として伝道・布教をふくむ信教の自由を無条件で擁護し、政教分離という民主主義的原則の貫徹をはかるという日本共産党の不動、普遍の原則に立ち、現世の問題での相互理解と共同の探究、異なる宗教、文明との対話と共存の重要性など、日本共産党と宗教者との対話と協力・共同の架け橋として、また研究者として重要な役割を果たされました。
日隈さん
 私たちは、それぞれの宗教信仰に軸足を据え、「殺すな、殺させるな、殺すことを許すな」と生命と平和という一点でかたく連帯の輪を保ち、すすみつづけることをお誓いいたします。
2019年1月24日  
 日本宗教者平和協議会 理事長代行 真宗大谷派・長永寺 住職  荒川 庸生

「遺骨奉還宗教者市民連絡会」結成と壱岐への朝鮮人遺骨移管 (下)

吉川 徹
浄土真宗本願寺派僧侶、非核の政府を求める広島の会常任世話人

※前号までのあらすじ
 2018年1月6日、「遺骨奉還宗教者市民連絡会」が結成され、「金乗院の遺骨に関する要求書(①天徳寺(壱岐)への遺骨移管、②祖国への早期返還)」を厚労大臣に提出。3月28日、厚労省から思いがけず「壱岐天徳寺への移送が決まった」と通知が届いた。
 4月18日、金乗院から厚労省へ遺骨を移し安置され、5月30日、遺骨は厚労省からバスで福岡へ。翌31日、福岡からフェリーで壱岐島芦辺港に着いた。
午前、法要に先立ち、「大韓民国人芦辺港遭難慰霊碑」へ参拝。韓国・日本それぞれの宗派による読経後、発掘調査に携わった正木から、深川と遺骨を掘った場所やその時の状況を聞いた。
午後、「大韓民国人芦辺港遭難者御遺骨安座法要式典」が天徳寺で営まれた。遺骨が壱岐島へ戻るのは42年ぶりであり、国境を越えた追悼と祖国への遺骨早期実現を願う式典だった。

3 金乗院から天徳寺(壱岐)へ遺骨の移管実現(1)
―天徳寺での「安座(追悼)法要」
 2018年4月18日、金乗院から厚生労働省へ遺骨を移し安置され、厚労省の担当職員3人が同行した。5月30日、遺骨は厚労省(東京)から福岡へ厚労省手配の大型バスに厚労省担当者が同乗して福岡へ移送された。翌31日遺骨は福岡からフェリーで壱岐島芦辺港に着いた。天徳寺には日韓の僧侶・檀信徒、宗教者市民連絡会会員、厚労省社会援護局事業課担当者含め約70人が参列した。
 5月31日午前法要に先立ち、「大韓民国人芦辺港遭難慰霊碑」へ参拝。韓国・日本それぞれの宗派による読経後、遺骨発掘に携わった正木峯夫氏から、深川氏らと遺骨を掘った場所やその時の状況を聞いた。まだ発掘されていない遺骨が壱岐島の土中に眠っているという。正木氏は「早く祖国に帰してあげたい」と呟いた。西谷住職は「最終的には韓国に遺骨を返すのが目標。それまでは韓国に近い壱岐で預かり、供養を続けたい」と願っている。
午後、「大韓民国人芦辺港遭難者御遺骨安座法要式典」が天徳寺本堂で営まれた。法要を挟んで、厚労省、曹洞宗宗務総長、壱岐市長、仏国寺(韓国慶州市)前住職などの挨拶、天徳寺住職謝辞と続いた。遺骨が壱岐島へ戻るのは42年ぶりであり、参加者共々国境を越えた追悼と祖国への遺骨早期実現を願う式典だった。

1 金乗院から天徳寺(壱岐)へ遺骨の移管実現(2)
―東アジアの和解と平和に向けて
 大韓民国人芦辺港遭難者御遺骨安座法要式典後、遺骨奉還宗教者市民連絡会会議を開いた。天徳寺に遺骨を運んだ厚労省社会 ・援護局事業課の担当者は会議に出席し、壱岐島に遺骨を移せてまずは良かったと述べるとともに、「(遺骨受け入れの 意思を示す韓国 ・慶州市 の曹渓宗)水谷寺の強い気持ちがあれば、韓国に帰る日もそう遠くないのではないか。皆さまの熱意がすべてを動かす元になると思っている。厚労省としても力を尽くしたい」と前向きな姿勢を示している。
 しかし、前述したように現状として政府間の協議は進んでいない。韓国からの参加者の金英丸(キム・ヨンファン)氏は取材を受けて、「日本の人たちの働き掛けもあり、遺骨が壱岐に移された。日本政府は韓国政府の提案を待つだけでなく、韓国に働きかけて返還を実現してほしい。停滞している日韓関係を突破するきっかけになると思う」(西日本新聞、6月1日)と語った。
 連絡会の側からは、殿平氏によって声明文『金乗院のご遺骨が壱岐天徳寺に移管されるにあたって』が読み上げられた。131体の遺骨は、帰郷途中の台風による天災であるとともに、アジアへの侵略戦争を続けた「軍国主義と植民地支配が生んだ悲劇の証であり、せめて遺骨だけでも早期に故郷に届けられるべき」だったと戦争の戦後処理を果たさなかった問題点を指摘。同時に「戦後70年余を過ぎてなお、異国の地に留まっている死者に心から懺悔と追悼の思い」を表した。最後に、「遺骨奉還の実現には、日本と韓国、朝鮮の人々の一層の連携と協力が不可欠」と次の目標となる返還への決意を述べ、「これからも国境を越えた市民と宗教者の協力を構築し、東アジアの和解と平和に努力したい」と訴えた。

おわりに
 私たちが遺骨を壱岐・天徳寺に移管した2018年5月31日は、どんな時期であったのか。約1か月前の4月27日には南北首脳会談が行われ、「板門店宣言」が発表され、朝鮮戦争の終結、朝鮮半島の非核化について語り合われた。また半月後の6月12日には金正恩委員長とトランプ大統領の米朝首脳によるシンガポール会談が持たれた。
 朝鮮半島の非核平和と和解に向けての激動状況のさなかでもあった。この変動は2018年からの民主主義を求める韓国のキャンドル市民運動が背景にあった。100万人を超える市民の意思が高まりその結果、2017年5月文在寅政権を誕生させ、南北会談、米朝対話を実現した。
 このような朝鮮半島情勢を評価しながらも、いかなる政治状況下であれ、国家間の動きに左右されず、私たち日韓双方の宗教者・市民が国家の戦争責任を問い、個人の尊厳を踏まえた連帯の思いを共有していきたい。
 日本での遺骨返還・移管運動に関わり、これまでも触れた韓国での動きを注目したい。金弘傑(キム・ホンゴル)氏(故金大中元大統領3男)が代表の民間団体が訪朝し、記者会見で、朝鮮半島出身労働者の遺骨返還事業を北朝鮮と共同で進めると合意、日本や北朝鮮の団体と共同で進めていくと報道された(「朝日新聞」7月20日、8月7日)。また、8月9日、『強制動員問題の解決をと対日過去清算に向けた共同行動』がソウルで結成集会を開き、「徴用工」問題に北朝鮮の団体と共同で取り組んでいくと発表した(「北海道新聞」8月10日)。中心メンバーには、鄭炳浩(チョン・ビョンホー)漢陽大学教授、金英丸氏等遺骨奉還委員会や宗教者市民連絡会の会員も参加している(新聞記事は殿平氏提供)。
76年、深川氏たちによる市民団体の動きが政府を動かしたように、今回の壱岐島への遺骨移管にも市民団体の働きかけが大きく影響している。なお、壱岐の海岸に未発掘の遺骨が残っている可能性もある。これらの動きや課題を踏まえ、日韓の宗教者市民との連携を強めつつ、いまだ日本国内に取り残されている朝鮮人犠牲者の遺骨奉還に向けて、私たちはこの歩みを止めることなく、東アジアの非核平和と友好の構築を目指していきたい。そのことが深川宗俊氏の願いでもあり、深川氏への追悼にもなるはずだ。

 砂丘(すなおか)に出でしあまたの人骨のひかりまぶしむごとき眼窩は
 1976年夏夜の潮満ちゆくきざし壱岐島の渚に点す流燈いくつ海を渡りオモニの許に還りゆく流燈の炎の汀はなれて
=深川宗俊『連濤』(1990年8月6日発行)より

【参考内容】
週刊「仏教タイムス」板倉純平記者記事 2018年5月10日&6月14
森俊英氏からの聞き取り
深川宗俊著『鎮魂の海峡』(現代史出版会、1974年9月25日発行)
小林知子著「日韓外交交渉にみる『壱岐朝鮮人海難事故』」
(「在日朝鮮人史研究」第38号、2018年1030日発行)

平和を守る遺志を継ごう
天理教平和の会前代表「長谷川俊夫氏を偲ぶつどい」下

11月26日、奈良県天理市三島公会堂で、天理教平和の会前代表「長谷川俊夫氏を偲ぶつどい」が開かれました。この日、憲法9条を守ることを最大のテーマに掲げ14年前に結成された天理教平和の会初代会長として尽力、昨年11月に逝去された長谷川俊夫の生前のご奮闘を讃え、偲びました。(前号からのつづき)

「生かそう憲法 守ろう9条」と訴え続ける長谷川氏が代表を務めた天理教平和の会
 天理教平和の会は、第一次安倍内閣発足と同時に、「任期中に憲法を『改正』する」との急な動きに対処するため、全国的に「憲法9条の会」が発足したことに呼応して、天理教信者と関係者らによって2004年9月26日結成されました。
 以来、14年間、毎月例会を開き、隔月(偶数月)に天理教平和の会のビラを配布してきました。時々の政治状況に合わせて訴えてきました。例会は14年で168回、本部前でのビラ配布は84回になります。これまで、天理教本部前で、配布したビラは17号(種類)、約15万枚に上り、「天理教平和の会」の会員は全国に100名に発展しています。また、天理教団の教学の中心である天理大学おやさと研究所所長・深谷忠一氏の安全保障問題と原発問題では往復書簡を交わしてきました。長谷川俊夫氏は、会の代表としてその先頭に立たれてきました。
 天理教平和の会は、「子や孫の世代に核も原発も戦争もない平和な世界を」「生かそう憲法 守ろう9条」「平和のないところに陽気くらしはありません」と、教祖の教えを今日に生かす立場で教内外に働きかけてきました。天理教と深い関係にある教内外の人々から、こうした天理教平和の会の活動にふれ、〝魂が救われた″とする人々は少なくありません。
 天理教平和の会は、国民が直面している事態に向き合って、今日の情勢に即して教祖の真の教えにもとづいて天教内外に発信し続けてきました。これらの内容は、『天理教平和の会の歩みと今後の展望-天理教平和の会結成5周年記念資料集』(2010年)及び、原発再稼働をストップを主張して、天理大学付属研究所の深谷忠一所長と交わした『おやさと研究所所長との往復書簡集』(その1、その2)に収録されています。

戦争経験に照らして
教祖の教えに確信をもって
天理教平和の会の運動の発展に貢献
天教平和の会発足時は、教内から「異端ではないか」、「本部の了解を得ているのか」などの批判が寄せられましたが、長谷川俊夫氏は、自らの戦争経験に照らして教祖の教えに確信をもって、誤解にもとづく平和の会への批判・論難には毅然と対処されました。この姿勢が、天理教平和の会の一貫した主張・運動を大きく励ましてきました。今日、天理教平和の会が全国に100名を超える会員を擁するにいたった原動力となっています。

山家妄想 「管長の年頭の辞を読む」

〇中外日報1月1日付で臨済宗・黄檗宗の四人の管長のごあいさつを拝見した。
〇黄檗宗管長 近藤博道師は「寺院檀信徒との触れ合いを大切に、巡錫に微力を傾注する」と述べられ、南禅寺派管長 中村文峰師は「衆生済度が宗教者としての本質である。時代は移り、日本人の宗教観も変化してきている。そのような今だからこそ、できることを工夫し、本来の自己を見つめ直し、更なる衆生の済度に邁進していく所存である」と決意を表明されているが、それは私たち僧侶への呼びかけでもあるととらえた。
〇妙心寺派管長 小倉宗俊師は地方の過疎化の進行を指摘され「地域の人口減少は、そのまま寺院の衰退につながることになります。そして、人口の減少、寺院の衰退は、当然、僧侶の数そのものの不足をもたらす」と述べられる。そして、優れた僧侶を育成することが重要な課題であると指摘し、「これらを我が禅門の危機と捉えず、これらの問題を現成公案として、修行によって涵養された道力を発揮する絶好の機会であると考え、禅僧としての本分を尽くしつつ、遺憾なくその実力を発揮されることを念願する」と結ばれている。
〇私が所属する教団の管長のお言葉であるから問題とするのではないのだが、我が国の人口減少は政治や経済の問題の絡んだ社会問題であり、地方寺院の一僧侶が道力を発揮しても立ち向かえる問題ではない。地方寺院の経営困難の対極には人口集中する大都市寺院の巨大・富裕化の問題がある。これらの寺院に法務をこなすに必要な僧侶の不足はあっても後継者不在の問題はない。教団としては、この過疎・過密による寺院の格差にこそ目を向けて、問題解決のカギを見出して教団内の僧侶に問題提起する必要があるのではないかと考えるのである。
 社会的矛盾によって生じる問題を「宗教教団として」どのように解決するかの問題提起が必要である。いたずらに「現成公案」とか「修行によって涵養された道力を発揮する」などというあいまいな表現に甘んじるべきものではないと思うのである。
〇相国寺派 有馬頼底管長のお言葉の見出しは「徒歩で霊通寺参拝を」である。
 霊通寺とは北朝鮮・開城市にある。老師はすでに五回の参拝を果たされているが、「今年は板門店から中国、韓国、日本の団体と徒歩での参拝を実現させたい」といわれる。この言葉には現在の国際情勢をとらえる宗教者としての鋭い見方が含まれ、平和な東アジア 日・韓・朝の関係実現を願う提起が含まれているととらえた。しかもさりげなく「朝鮮半島の南北分断は、植民地にした日本に責任がある」と、正しい歴史認識も示されている。
 最後の文節は「今年は改憲論議が進みそうだが、戦争のできる憲法などあり得ない。憲法9条は日本の宝であり、世界の宝だ。廃仏毀釈に敢然と立ち向かった荻野独園禪師ら、相国寺の先達に倣いたい」である。
 現代の禅者は社会から隔絶した深山幽谷に棲んでわが禪の追及をするものではない。社会の真っただ中にあって、しかも現世の利害得失を超越した、絶対的価値・正義を追求することを目指すべきである。寺の存在やそこに住まいする僧侶の存在価値は、宗教的価値を基盤にして現世の現実を評価して世に示すところにあると思う。
 新年の各山老大師方のご説示を拝読して、我が身の処世と布教の課題の重さを実感した次第である。(2019・1・12
水田全一・妙心寺派の一老僧