年頭所感
「三悪趣」の日本・世界を許さない
理事長代行 荒川庸生
安倍自・公と補完勢力の、民意と乖離した暴走はとどまらない。しかし、沖縄の知事選、那覇市長選に示された沖縄の怒りは南風となって本土にも届き、日本国民を励まし、とりあえずは先の国会における憲法改悪の発議は断念させることが出来た。しかしながら、安倍晋三と彼を取り巻く勢力は天皇代替わり、オリンピック開催のドサクサに乗じて、今年を最後のチャンスとして憲法改悪に執念を燃やしてくることになりそうである。
私たち宗教者は、「無三悪趣(道)」の誓願を改めて心に刻み、この年の行動の指針として進んでいかなければなるまい。「たとい我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あれば正覚を取らじ」は浄土教の基本経典「仏説無量寿経」に著された阿弥陀仏の四十八願の第一番目の誓いと願いである。
恥を恥とも思わない心・自立せずに様々な権力に隷属させられる畜生道、貧困の蔓延とそれをもたらす「今だけ金だけ自分だけ」の貪りと富の独占の餓鬼道、その畜生、餓鬼の精神がいずれ戦争という地獄道へと道を開くことになりかねない。
沖縄の民意を一顧だにしない巨大新基地の押しつけ、人を人とも思わない働かせ方と困窮、あらゆる生き物と共存出来ない核兵器と核発電への肯定と依存、消費税増税による庶民いじめ等々、この国と一部世界の悪行は「三悪道」をさらに深めようとしている。
統一地方選挙・参議院選挙のこの年は、未来を展望する試金石の一年でもあると思う。 日本宗教者平和協議会はこの課題に全力で立ち向かってまいりましょう。 合掌
2018年日本宗教者平和会議in山形・鶴岡 講演
「平和への権利」国連宣言と地域協同組合運動
=揺りかごから墓場までの協同実践と「平和ピラミッド」構想=
大高 全洋
三.生活協同組合共立社の地域協同実践に学ぶ
1.生協共立社の地域協同実践のあゆみ
1955 鶴岡生協 創立
1958 山形県生協連 創立
1968 余目農協との異種協同組合間提携(産直など)
1965 庄内医療生協 設立(2017 医療生協やまがたと改称)
1980 生活協同組合共立社 発足(地域分権・連邦制による全県単一生協づくり)
1980 (株)コープ開発センター 発足(生協、医療生協、健友会の共同出資)
1988 鶴岡市農民組合産直部会 発足(1996 農事組合法人庄内産直センター)
1989 「21世紀を展望する共立社の90年代構想」(以下、「90年代構想」と略称)
1992 コープ東北サンネット 結成(県域を越えた事業連合)
1992 くらしのたすけあいの会 発足
1996 老人保健施設「かけはし」開設(社会福祉法人「山形虹の会」)
1998 ひまわり薬局(2018 ファルマネット山形)
1999 山形県高齢者福祉生協 設立(2017 やまがた福祉生協と改称)
2004 庄内まちづくり協同組合「虹」発足(中小企業等協同組合法による法人)
構成団体:生協共立社、医療生協やまがた、やまがた福祉生協、山形虹の会、コープ開発センター、ファルマネット山形、庄内産直センター
2016 協同墓地「こ~ぷ協同の苑」開設(三川町横山地区)
2017 生協共立社と医療生協やまがた「地域に総合生活保障体制の確立をめざす生協運動の推進のための協定書」締結
2.「90年代構想」:「地域に総合生活保障体制をめざす生協運動」の追求
3.レイドロー報告「2000年の協同組合」(1992、ICAモスクワ大会)
4つの重点分野:①食料問題への取り組み、②人間的で有意義な仕事の場づくり、③脱浪費社会に向けた協同の再構築、④協同組合地域社会の建設
4.「いつまでも住み続けられるまちづくり~平和で人間らしい豊かなくらしの創造をめざし、県内すべての地域で『協同のあるまちづくり』をすすめよう~」(第49回山形県生協大会)
四.地域協同社会づくり
実践の課題と展望
1.地元・地域における7つの協同(領域)―揺りかごから墓場まで
(1)生産、流通・加工、消費~生協、農協、漁協、森林組合、中小企業等協同組合、信用組合、労働金庫、民商、農民連・産直センター、等
(2)健康・医療・福祉・介護~生協、医療生協、かけはし、高齢協、ひまわり、産直センター、コープ開発センター、まちづくり協同組合、等
(3)子育て・教育・文化・芸術~生協教育活動センター、庄内地域づくりと子育て文化協同の会、親子劇場、市民劇場、サークル、等
(4)反核・平和・人権~平和センター、原水禁、原水協、平和委員会、国民救援会、国賠同盟、宗平協、九条の会、フクシマの子どもの未来を守る家、等
(5)資源・環境~出羽三山の自然を守る会、やまがた自然エネルギーネットワーク、等
(6)住民が主人公の自治体づくり~政党および各種住民・市民組織等
(7)国際交流:アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)連帯委員会、日本友和会
日中友好協会、ユーラシア協会、出羽庄内国際村、等
2.非営利・協同セクターとパートナーシップ
第1セクター:民間企業(私益)
第2セクター:自治体(公益)
第3セクター:協同組合、NPO(協益)
3.課題
(1)三つのゆとりと心豊かな食生活(ユネスコ「食文化創造都市」指定2016)
(2)日本の異常な低食糧自給率からの転換
1967年 73%↓2017年度 38%(カロリー):米96%、小麦14%、大豆28%、果実34%、飼料26%(府県別:北海道185%、大阪・東京1%)
アメリカ 130%,フランス 127%、ドイツ 95%、イギリス 63%(2013年度)
(3)国際家族農業年(2014)↓
国際家族農業10年(2019ー2028)International Year of Family Farming → the Decade of Family Farming Family Farming(小規模・家族農業)の定義:農業労働力の過半数を家族労働が占めている農林漁業
(4)衣食住と新「医職充」論
(5)FECの(流域)地域内自給圏づくり (終)
(文責編集部)
「遺骨奉還宗教者市民連絡会」結成と壱岐への朝鮮人遺骨移管 (中)
広島県宗教者平和協議会事務局長 吉川 徹忍
(浄土真宗本願寺派僧侶、非核の政府を求める広島の会常任世話人)
前回のあらすじ
2018年10月30日、韓国大法院は新日鉄住金に対して、元徴用工4人への損害賠償の支払いを命ずる判決を確定した。日本は過去、朝鮮半島に不法な植民地支配と侵略戦争を行い、日本に強制動員を行い、炭鉱・ダム・工場で悲惨な不法行為がなされ、多くの人権・命が奪われた。ところが、日本政府は反省も謝罪もしていない。
敗戦直後の枕崎台風、阿久根台風が西日本を襲い、阿久根台風では壱岐で朝鮮への引き上げ船が転覆大破。1998年以降、壱岐での朝鮮人犠牲者追悼を行っている。
壱岐島に放置されていた朝鮮人の遺体に心を痛めた、広島の歌人・深川宗俊は見送ったはずの徴用工全員が帰国していない事実が判明し、遺骨調査を始めるが、日本政府・企業は何ら責任をとろうとしていなかった。ただ、彼たちのとりくみがきっかけとなり、1983・84年政府による対馬での発掘で被爆三菱徴用工とみられる遺骨45体が収集された。「日本政府自身がとりくんだ非常に珍しい事態」(ハンギョレ新聞、18年)と言われる。
3 本願寺広島別院から
遺骨を金乗院へ
1986年12月、浄土真宗本願寺派安芸教区青年僧侶春秋会主催による「平和と人権」講演会が本願寺広島別院本堂で開催された。私は講師として殿平善彦氏(浄土真宗本願寺派一乗寺住職、深川市)を推挙し、「北海道・朱鞠内での朝鮮人強制労働犠牲者遺骨発掘の取り組み」の報告がなされた。 共通の「朝鮮人遺骨問題」でもあるところから、深川氏へ案内し参加してもらった。講演会終了後、本願寺安芸教区平和推進委員会委員長(登世岡浩治・安楽寺住職)と深川氏が話し合いを持った。12月25日、壱岐島で収集した86体の遺骨が広島別院に仮安置された。
1992年には、厚生省管理下の83・84年対馬で収集した45体の遺骨が、埼玉県所沢市の金乗院(真言宗)に預けられた。「『東京に近く、韓国に返還する際すぐ対応できる』(厚労省)との理由」(「長崎新聞」2017年8月7日)による。2003年深川氏らが76年壱岐島で収集した86体の遺骨は、本願寺広島別院から金乗院に預けられた。厚生省へは金子哲夫国会議員が仲介した。
2004年、日韓首脳会談が行われた。ノ・ムヒョン大統領と小泉純一郎総理の話し合いで、朝鮮半島出身者の遺骨調査・返還の約束がなされた。
以後、軍人・軍属の遺骨のみは返還が実現したものの、日韓関係の悪化により協議は進まず、民間徴用者は一体も返還されていない。
4 北海道から
韓国への遺骨奉還
殿平善彦氏たちは北海道・朱鞠内ダムで朝鮮人・たこ部屋強制労働犠牲者遺骨発掘に取り組んできた。
1976年から調査が始まり、80年5月に朱鞠内で遺骨発掘が始まった。 97年からの東アジア共同ワークショップの学生・若者たちが参加した遺骨発掘事業は、2013年まで道内各地(朱鞠内、浅茅野、美唄等)で13次にわたって行われてきた。発掘に参加した日本人、アイヌ、在日、韓国、ドイツ、ポーランド、アメリカ、オーストラリアの学生・若者たちは延べ1500人。私も北海道に通い共同発掘に取り組んできた。
アジア太平洋戦争終結70年になる2015年9月、日韓共同の市民団体「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」を結成した。共同代表は殿平善彦氏と鄭炳浩(チョン・ビョンホー)漢陽大学教授。9月12日~20日、遺族を含む遺骨奉還団がバスに北海道で発掘・保存されていた115体の遺骨を乗せ韓国に向かった。広島でも遺骨奉還委員会を結成していた。
16日、本願寺広島別院では到着したご遺骨を迎い入れ、約100名の参列の中、追悼法要が輪番を導師に開催された。遺骨奉還団は庄原市の高暮ダムでの朝鮮人強制労働問題と向き合った。李実根氏(広島県朝鮮人被爆者協議会会長)の提唱による追悼碑建立(1995年7月)に協力し、毎年の碑前祭に取り組んできた地元住民、広島高校生平和ゼミナールや教え子の大学生、広島朝鮮中高級学校生、宗教者・市民と交流した。北海道で親戚を亡くした金ギョンスさん(64)は「遺骨奉還を機に日韓が手を取り合い、21世紀の平和のために一緒に努力しましょう」と語った。
こうしてバスは北海道を出発、札幌(別院)・東京(築地本願寺)・京都(西本願寺)・大阪(津村別院)・広島(別院)・下関で追悼法要を重ねつつ、関釜連絡船で玄界灘を渡った。その後、釜山・ソウルを経て20日パジュ市郊外、ソウル市立墓苑に至り私たち日本人僧侶5人が読経する中納骨された。前日の19日のソウル市庁舎前での葬儀には市民ら1000人が参列。ソウルの高校生たちが遺骨を会場に運んだ。日韓諸宗教それぞれによる追悼法要を挙行、ソウル市長は代表団に感謝の思いを込めて挨拶をした。強制連行の逆コースを辿って3500km、10日間の旅を終えて遺骨は故郷の地に納められ、ご遺骨はやっと安らいだ。
5 未解決の遺骨問題(金乗院)浮上
=全国遺骨問題情報・意見交換会 17年6月9日=
2015年9月に実現した韓国への遺骨奉還から1年9か月後の2017年6月9日。殿平善彦氏(浄土真宗本願寺派一乗寺住職、深川市)と森俊英氏(浄土宗正明寺住職、大阪)の呼びかけで、全国遺骨問題情報・意見交換会が福岡市で開かれ各地から17名が集った。広島からは76年に今は亡き深川宗俊氏と共に壱岐島で遺骨発掘に取り組んだ正木峯夫氏と、私を含めた3人の浄土真宗本願寺派僧侶が参加した。埼玉県所沢市の田中正樹氏(真言宗金乗院住職)、長崎県壱岐市の西谷徳道氏(曹洞宗天徳寺住職)や、遺骨問題に関わっている全国各地のメンバーが、「アジア太平洋戦争下朝鮮半島出身者の遺骨をめぐる諸問題」について話し合った。
「対馬・壱岐島の遭難事故で亡くなった朝鮮人遺骨」の報告もされた。厚労省の管理下にある金乗院に預けられている遺骨は、政府が対馬で発掘した45柱と、深川氏たちが壱岐島で発掘した86柱の計131柱。会議の中で、この遺骨問題を最初に提起した森氏と、直接関わりのある田中住職と西谷住職から、金乗院の遺骨を天徳寺へ移管するのが望ましいとの意向が示された。正木氏からは、深川氏と共に不本意にも故国を目前に亡くなった朝鮮人遺骨を掘り起こし、早く朝鮮半島に奉還したいという思いと、それ以後の本願寺広島別院から金乗院に遺骨を納めた経過が報告された。折しも日韓両国の遺骨問題に関する動きが硬直状態の中でもあった。
6 遺骨問題浮上の背景
=金乗院・天徳寺の意向と森俊英氏の取り持ち 17年1月31日=
福岡市での意見交換会が行われるに至ったのは次のような経緯に起因する。
その半年前(17年1月31日の午後)、森氏は金乗院を訪ねていた。そこで、田中住職から「納骨堂は古く、修理の必要がある。また、お参りの方が少ない当地で、このご遺骨を預かり続けておくことが望ましいとは思えない」との意向を聞く。さらに田中住職から「壱岐の天徳寺住職が、同寺院の納骨堂で安置・供養をする意向を厚生労働省に陳情されている」と、西日本新聞の記事などで説明を受けた。人道的に考えれば、金乗院から天徳寺へ、131柱の遺骨が遷座されることが望ましいわけだが、それが実行されていないことに森氏は疑問を抱いた。そこで、同日の夕方に厚生労働省にも足を運んだ。同省の担当者は丁寧に対応し、上述のことが実行されていない理由の説明を受けた。「遺骨を東京(厚生労働省)から遠くへ移すと、返還の意志がないと、韓国側に判断される懸念がある」と。そのとき森氏は、その理由が妥当とは感じ取れなかったと言う。
その後、森氏は殿平氏にその疑念を伝えたところ、一度、関係者が集まる必要があるとの考えで一致し、それが上述の福岡市での意見交換会(6月9日)となったわけである。福岡市で開催した理由は、壱岐の天徳寺住職に出席してもらう必要性を重視したからに他ならない(壱岐から福岡市へは高速フェリーで約60分)。ところで、その席に、遠路にも関わらず、埼玉県から金乗院の田中住職が出席してくれたことが、今、振り返ると、とても貴重なことであった。その席で、金乗院の意向と天徳寺の意向が、十分に確認されることとなった。
7 金乗院での会合と
厚労省との意見交換会
17年12月
2017年7月30日、西谷天徳寺住職は外務省・厚労省へ赴き、「壱岐で収集した遺骨を、韓国か壱岐に移管」という再度の要望をした。「手厚く供養される場所が一番。131柱すべてが祖国に近いところへ」との要求に、外務省は「努力しているが歴史問題に関する日韓交渉はこじれている」と述べるだけだった。
10月11日、水谷寺(韓国慶州市)と隔年で相互に営まれている「大韓民国芦辺港遭難者の日韓合同慰霊祭」が壱岐島で執り行われた。私たちも参列し、壱岐島の「清石濱慰霊碑」前で日韓それぞれの宗派による読経、追悼式典は天徳寺本堂で催した。
6月に福岡市で集まった関係者たちは同年12月、今度は金乗院に集まることとなる。集まりの目的は、131柱の遺骨への供養と、今後について意見交換をするものであった。天徳寺住職は都合により出席は叶わなかったが、金乗院住職が厚生労働省の担当者に臨席を願い、2名が同席してくれることとなった。
納骨堂での読経・供養のあと、金乗院の座敷で、それまでの経緯確認と意見交換が行われた。その席で、金乗院の田中住職が、「納骨堂は古く、雨漏りなどの懸念もあり、修理が必要である。ついては、2018年3月末を以って、ご遺骨を当寺からどこかに移していただきたい旨を、厚生労働省に伝えているところです」との発言があった。
厚生労働省の担当者は、「はい、その金乗院様の意向を受けて、現在、移動先を探しているところです」との答えがあった。そこで、出席者から「壱岐の天徳寺への移動も、ぜひお考えいただきたい」との要望が出された。しかし、厚生労働省の担当者は「東京から遠く離れた場所への移動は・・・・・」と例の懸念により、その要望の受け入れには消極的な返事であった。それに対して、森氏は「現在は交通網が格段に発達しており、東京から壱岐へ日帰りも可能な時代です。遷座を実行したとして、韓国側がそのような懸念を持つでしょうか。しかも、壱岐は日本と朝鮮半島の接点にあたり、朝鮮半島からお参りになる人々にとっても利便性の高い地です。ぜひ再考を願いたい」と発言していた。
金乗院での意見交換会が終了後、厚生労働省の担当者は帰省し、関係者のみで、池袋にて再度の意見交換が行われた。その席で、遺骨奉還宗教者市民連絡会設立の必要性が提起されることとなる。朝鮮半島に返還したいと強く願っていた金乗院・天徳寺両住職や深川氏たちの思いを大切に、少しでも朝鮮半島に近い壱岐・天徳寺への遺骨移管を目指すことと、さらに韓国への遺骨奉還がなされるよう、協働していくことが確認された。
8 遺骨奉還宗教者市民連絡会結成と
韓国市民運動との連携
2018年1月6日、30名で「遺骨奉還宗教者市民連絡会」を結成した。殿平善彦氏・正木峯夫氏・小林知子氏(福岡教育大学教授)の3人が世話人、事務局長:森俊英氏、事務局員:金賢泰氏、それに私たち日韓の僧侶、市民団体等が会員になった。1月25日、遺骨奉還宗教者市民連絡会は「金乗院の遺骨に関する要望書」を厚生労働大臣(加藤勝信)へ提出した。内容は、「①天徳寺への遺骨移管、②祖国への早期返還」というもの。
3月1日~4月15日には韓国国会で2015年9月の日韓宗教者・市民による北海道から韓国へ遺骨をお返しした内容の「遺骨奉還写真展」が開催された。3月初めには厚労省と「民間徴用者遺骨問題」で交渉。韓国、民族問題研究所(金英丸・渉外担当責任者、遺骨奉還委員会&宗教者市民連絡会会員)をはじめとした韓国人、日本人(宗教者市民連絡会会員)が厚労省を訪れた。内容は金乗院から壱岐への遺骨移管の要求だった。3月22日、「強制動員犠牲者遺骨奉還問題(金乗院の遺骨)対応のための緊急記者会見」がソウル、日本大使館前で開催。金英丸(キム・ヨンファン)氏を中心に10団体が参加した。①金乗院の遺骨を日本市民社会の要求に応じて天徳寺へ移すこと。②日韓両政府が遺骨問題に関して誠意をもって取り組むこと」という内容を、韓国の行政府の担当者と面談し日本政府に要求を伝えるよう求めた。
そして、思いがけず3月28日、厚労省から「壱岐天徳寺へ遺骨の移送が決まった」と、金乗院・天徳寺・連絡会のそれぞれに通知が届いた。連絡会は、厚労省が熟慮の結果、貴重な決断をしてくれたことに、謝意を述べた。 (次号つづく)
平和を守る遺志を継ごう
天理教平和の会前代表「長谷川俊夫氏を偲ぶつどい」
11月26日、奈良県天理市三島公会堂で、天理教平和の会前代表「長谷川俊夫氏を偲ぶつどい」が開かれました。この日、憲法9条を守ることを最大のテーマに掲げ14年前に結成された天理教平和の会初代会長として尽力、昨年11月に逝去された長谷川俊夫の生前のご奮闘を讃え、偲ぶつどい」が開かれました。
冒頭、長谷川俊夫の遺影に対して黙祷をささげ、矢野太一天理教平和の会代表が「14年前の2004年9月に、長谷川先生を中心に有志が相談して平和の会を結成して以来11年間、会の代表として一貫して憲法9条を守るため、全力で奮闘された長谷川先生を偲んで語りあいましょう」とあいさつ。つづいて、参加者が先生の思い出を語り合い、「長谷川の平和を守る遺志を継いで憲法9条を守るため全力で取り組もう」と、今後の活動について語りあいました。 この日、大阪、京都、奈良に加え、東京都、埼玉県などから10名が参加しました。
故・長谷川俊夫氏の略歴
1925(大正14)年1月22日、大阪府堺市で天理教堺石分教会長の長男として誕生。天理第二中学校に入学、 1942(昭和17)年同校を卒業。19歳で徴兵され、大阪枚方高射砲隊に入隊、名古屋市に配属される。米空軍の爆撃で名古屋城天守閣の鯱が破壊されたのも目撃。
1949(昭和24)、24歳で天理教堺石分教会3代目会長に就任。
2004年、第一次安倍内閣発足と同時に、「任期中に憲法を『改正』する」との急な動きに対処するため、全国的に「憲法9条の会」が発足したことに呼応して、天理教信者と関係者らによって2004年9月26日結成された。同会の結成に参加、代表に就任。「戦争も原発も核兵器もない世界めざし」一貫して尽力。
2015年には、90歳という高齢の故をもって代表を矢野太一氏に譲られましたが、2016年末まで、体調が許すときは、天理市まで足を運び、平和の会の例会にも出席されるなど最後まで、天理教平和の会の活動に積極的に参加。毎月26日には天理教本部前でビラの配布(隔月)、例会(毎月)を欠かさず出席し、会の活動の推進に当たった。
2017年11月15日に93歳で逝去。
被爆者援護連帯募金
ありがとうございました
日本宗教者平和協議会が募金を呼びかけ、集まった被爆者連帯募金を昨年12月20日、森修覚事務局長から日本被団協の田中熙巳代表委員、岩佐幹三顧問、濱住治郎事務局次長へお渡ししました。
原発事故避難先の楢葉町の障がい者施設「希望の杜」、仮設住宅で避難生活をされている住民のみなさんへ「ちひろカレンダー」を送りました。
この募金にご協力くださいましてありがとうございました。
静岡県宗教者平和懇談会
創立15周年記念講演会
静岡宗平懇は、2003年の創立以来15周年を迎え、12月1日(土)静岡市内で記念集会を開催しました。
講演には、名古屋から内河惠一弁護士を迎え、『安保法制化の違憲性を問う』のタイトルで共に学び合う機会を持ちました。
内河氏は、10年前の自衛隊イラク派兵差し止め訴訟弁護団長として活躍。イラク派兵は憲法九条違反という歴史的な名古屋高裁判決を引き出しました。
当時も同会の学習会に来静、以来10年の時を経て今回の記念講演の運びとなりました。(2003年創立時の講師は本年逝去された鈴木徹衆元理事長)
内河氏は、3年前の戦争法強行可決の暴挙から、多くの若手弁護士と共に
この法案の違憲性を問うたたかいに立
ち上がりました。過去の歴史的な経緯を報告すると共に、現在立ち上がっている全国の訴訟提起の状況(22地域・原告数7512名・弁護士数1643名)を伝えました。
内河氏は講演の最後に、「憲法を守るということは、できるだけ憲法を日常の中で現実に意識することである」とし、憲法前文の「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓いたい」ものであると結びました。
参加者は16名。安倍政権下、憲法改悪の状況が逼迫する現状の中で、宗教者としての「いのちを尊び護る」立脚点を確かめ合うことができた貴重な集会となりました。
山家妄想 ふるさと納税
〇返礼品を競うふるさと納税が話題になっているのは承知していた。しかし、それがいかなるものかは突き詰めることもなく過ごしてきた。神戸新聞に『「ふるさと納税」廃止を』という記事を見て初めてその中身を知ることとなった。記事の筆者は元鳥取県知事である片山善博氏である。
〇片山氏の説明によると、ふるさと納税とは(故郷に限らずどこでも)自治体に対して寄付した場合の寄附金税額控除のことという。公益的な法人に対する寄付の場合は多くても減税額は寄付の半分に満たないのに対して、この場合のみ寄付額から2000円を引いた額が寄付者の税額から控除されるのだそうだ。
〇これは大きいと思いはないか。そのうえ各自治体によって異なるが、返礼品を受け取ることが出来るというのだ。魅力ある返礼品を出す自治体に寄付が集中するのは当然のことだ。返礼品競争が激しくなって、国が自治体に基準を示す事態になっているという。この国の対応は国と自治体の本来の関係に照らして不当であると片山さんは指摘して、国がなすべきことは「ふるさと納税制度自体をきっぱり廃止することである」と主張している。まことに理路整然とした納得できる主張である。
〇それにしてもより高額な返礼品を求めて、自分の故郷でもない自治体に寄付をするという人々の心理はどのようなものなのだろう。「税額控除」を期待しているのだから相当の所得税を納税している人であることは間違いない。いかに魅力的な返礼品とはいっても、自分がいま絶対必要とするものであるとは限るまい。必要不可欠でもない品をもらうことが出来た上に税金が控除されるという「欲」に駆られてのさもしい心が透けて見える。非課税世帯の日用不可欠の費用の工面さえままならぬ世帯にとっては考えることもできない贅沢な遊びでもある。このような欲にかまけた遊びにふける人々が現れている社会、富裕な人々と貧しき者たちの格差が拡がっている日本社会の現実を示しているとも思えないか。
〇デパートの売り上げ指標で増勢を示しているのはブランドなどの高級品であるという記事にも接した。日用食料品は微減であるという。また年に一億円以上の報酬を得ている民間企業の役員は五三八人(18年度3月)という数字にも接した。安倍首相をはじめ政治家の所得も一億円超えが並ぶ。ちなみに内閣総理大臣の給与は約4015万円、閣僚は2929万円だそうだ。日銀総裁の黒田東彦氏は3526万円という。これにさまざまな所得が加わって、麻生財務相を筆頭に一億を超える人たちが政権を率いているのだ。彼らの納税額の詳細が分かれば参考になるのだが、これは個人情報の秘匿対象で知ることはむつかしいだろう。
〇この対極には人材確保法案の審議で政府が秘匿していた資料がある。それは外国人労働者の悲惨な実態を暴露した。底辺に位置付けられている外国人労働者の現実は日本人労働者の労働水準を引き下げる働きをする。彼らの現実を直視し、その改善を図ることが政治には求められていると思うのだが、富裕な世界にどっぷりとつかっている閣僚たちにはその意識はない。首相は自殺した外国人労働者の数についての感想を求められて「答えようがない」と答弁した。実収月6万円の給与で暮らす外国人労働者の実態を改善しようとする気持ちさえないと思える答弁が横行する。彼らにとって、底辺労働者の生活実態や生命さえもが考慮の対象外にあると思えるのが労働改革法案の審議状況であった。
〇経済界の意を戴した安倍政権の施策は、「ふるさと納税」というような小さな施策ひとつをとってみても、日本社会の貧富の格差を拡大し富裕層の利益に奉仕するものであることが、あらゆる側面で示されているといえる。貪欲なその側面と施策は日本人を欲に駆られるさもしい動物に貶め、彼の言う「美しい日本」ならぬ「さもしい日本」の姿を世界にさらけ出すことに結果する。(2018・12・8) 水田全一・妙心寺派の一老僧