翁長知事の急逝を悼み、ご遺志を受け継ぎ、沖縄県知事選で勝利しよう
日本宗教者平和協議会
この4年間、沖縄に新たな米軍基地はつくらせないとの立場を貫き、県民の先頭に立って全身全霊で奮闘されてきた翁長雄志知事が、8月8日急逝されました。
7月27日に基地建設のための「埋め立て承認」撤回に向けた手続き開始を表明、11月の県知事選挙に向け病を押して奮闘されてきた中での急逝に、その無念いかばかりかと思わざる得ません。翁長さんのこの4年間のご奮闘に心から敬意を表するとともに哀悼の意を表します。
翁長さんの急逝によって、知事選挙が9月13日告示、30日投票と決まりました。
6月23日の「沖縄慰霊の日」の「平和宣言」で翁長雄志知事は「平和を求める大きな流れの中であっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一解決策と言えるでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざる得ず、まったく容認できるものではありません。『辺野古に新基地を造らせない』という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」と表明しました。この遺志を継ぐ知事選挙です。
日本宗教者平和協議会は、「辺野古に新基地を作らせない島ぐるみ宗教者の会」(略称・島ぐるみ宗教者の会)と連帯して支援、行動をしてきました。
これまでも、高江、辺野古など抗議行動、島ぐるみ宗教者が訴える宜野湾市長選挙、名護市長選挙の応援を行ってきました。
今回の知事選も島ぐるみ宗教者の会と連帯して辺野古に新基地を造らせない、翁長知事の遺志を継ぐ候補者の応援と支援を行います。会員・読者のみなさんに次のことをご協力をお願いします。
8月29日に玉城デニーさんが出馬表明しました。
➀沖縄の知り合いに候補の支持をお願い ②沖縄に出向き島ぐるみ宗教者の会と連帯行動の参加 ③支援の募金 以上
被爆73年 原水爆禁止2018年世界大会広島、長崎で開かれる 8月2日~9日
事務局長 森 修覚
8月2日から9日まで開かれた国際会議、広島、長崎の世界大会に私が参加させていただきました。
今度の大会は、昨年7月の「核兵器禁止条約」採択から1年目で世界の動きが注目を集めました。
■国際会議開会総会
主催者あいさつ
2日の国際会議開会で主催者あいさつした世界大会実行委員会の野口邦和運営委員会共同代表は冒頭西日本豪雨被害の犠牲者、避難者などにお悔みとお見舞いの意を表明しました。
原水爆禁止運動の3つの原点を紹介。「核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶、被爆者援護・連帯」であり、核兵器禁止条約が国連で採択され、核兵器は歴史上はじめて違法なものとして明文化された。発効が急がれるなか現在まで調印した国は59ヵ国、批准した国は14ヵ国で、50ヵ国が批准すれば発効します。
「画期的な南北首脳会談と米朝首脳会談は朝鮮半島の非核化、平和へのプロセスを着実に実らせるため世界各国の世論と運動が必要」と強調し、「核抑止にしがみつく勢力安倍政権は核兵器禁止・廃絶の流れに逆行するもので恥ずべきだ」と批判しました。
この大会が核兵器禁止・廃絶の流れを促進し、朝鮮半島の非核化と北東アジアの平和体制構築という「平和プロセス」を実らせ、日本の反核運動の力を結集して大きな共同と具体的な方針を打ち出す画期的な場となることを期待しますと呼びかけました。
被爆者のあいさつ
日本被団協の大下克典事務局次長は「広島で2歳の時、爆心地から3・5㎞地点の農家のなかで母の膝の上で被爆した」私は「二度とヒバクシャをつくらないで」という想い。「唯一の被爆国として率先して批准すべき、反対するとは何たることか」と安倍政権を厳しく批判しました。
第一セッション
「広島・長崎の原爆被害、核兵器の非人道性、ヒバクシャのたたかい」をテーマで討論。日本、韓国の被爆者、福島の原発被害、医師などから発言。フロアーからの発言もあり、非人道性の特徴が強調された。
第二セッション
「核兵器禁止・廃絶と市民・運動の役割、核兵器禁止条約の推進、核抑止力論の克服」をテーマに討論。アメリカ、イギリス、フランス、韓国、日本から発言があり、核抑止論の克服には政府を変えることも大切。韓国のキャンドル革命の果たした役割など報告。
第三セッション
「核兵器廃絶と諸分野の運動との連帯ー紛争の平和的解決、放射能被害根絶、原発ゼロ、環境、開発、貧困・格差の克服、暮らし」をテーマに討論。アメリカ、ロシア、ベトナム、フィリピン、日本から発言。沖縄のたたかいは日本、世界のたたかいと辺野古新基地は、白紙撤回をとオール沖縄の運動に全力。連帯の支援をと報告。
■分科会
3日は第一、第二、第三セッションのテーマで分科会が開かれました。
私は第3分科会で宗教者の活動を報告しました。
■国際会議閉会総会
4日は国際会議閉会総会が開かれました。起草委員長の冨田宏治さん(関西学院大学教授)から「国際会議宣言」案が提案されました。
ヒバクシャ国際署名など「核兵器のない世界」を求める多様で壮大な行動を各国で発展させ、国際的行動を呼びかける「国際会議宣言」を採択しました。
宣言は、核兵器の完全廃絶を求める流れが「世界の本流」であり「核兵器禁止条約の発効を押しとどめることはできない」と指摘。朝鮮半島の非核化と平和体制の確立に向けた動きを「心から歓迎」し、関係各国が「誠実に交渉し合意を履行」するよう求めました。
日本政府に対して禁止条約参加と米軍新基地建設の撤回、憲法9条を守り生かした外交を求めています。
「被爆者を先頭とする市民社会が被爆の実相を広げながら核兵器廃絶の緊急性を訴えていくことが重要」と強調。2020年のNPT会議までに数億のヒバクシャ国際署名、国連の軍縮会議、NPT再検討会議準備委員会の開催に合わせて国際共同行動が呼びかけられました。
■平和行進が終結
5月6日東京・夢の島や全国を出発した2018年国民平和大行進が8月4日広島平和公園で終結し、集会を開きました。集会では広島に到着した8人の通し行進者が紹介され、腕を真っ黒に日焼けし、頑張った様子を語りました。
広島集会では60周年原水爆禁止国民平和大行進・国際青年リレー行進の紹介がありました
■世界大会-広島
4日午後、広島の開会総会が開かれました。5000人の参加。
主催者報告は冨田宏治さん、被爆者あいさつは藤森俊希さん(広島被爆者・日本被団協事務局次長)、世界の国の政府代表あいさつは、核兵器禁止条約を批准したオーストリア、アイルランド、キューバの大使。
連帯あいさつは、福山真劫さん(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)「この演壇に立つことは想像していませんでした。みなさんの熱い思いを感じます。共同、共闘の中にこそ未来があります」と述べました。
核兵器のない平和で公正な世界のためにー国内外のたたかい、オール沖縄のたたかいの連帯、山本隆司さん(オール沖縄会議事務局長)
■広島市平和祈念式典
6日平和公園で広島市主催の「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」が開かれ、参列しました。松井広島市長や国連事務総長など核兵器禁止条約の批准や「核抑止」の危険性など述べました。しかし、安倍首相は条約のことは話さず、どこの国の総理かと思いました。
■ヒロシマデー集会(閉会総会)
6日世界大会・広島閉会総会が開かれ、日本宗平協から6人が参加。全国から6000人が参加。
政府代表のオーストリアのトーマス・ハイノッチ欧州統合外務省軍縮軍備不拡散局長があいさつし「核兵器禁止条約は〝二度と繰り返すな〟を確かなものにする具体的な一歩だ」と強調しました。
各地の活動報告では、広島の高校生が被爆体験を絵で表し、被爆実相を受け継ぐ経験や北海道の高校生がヒバクシャ国際署名活動の経験を報告。感動を与えました。
政党連帯では日本共産党小池晃書記局長があいさつ、自由党の小沢一郎代表、参院会派「沖縄の風」の糸数慶子代表、「無所属の会」の岡田克也衆議院議員のメッセージが紹介されました。
<いのちをえらびとる断食の祈り>
8月5日(日)、原水爆禁止2018年世界大会広島の関連行事として「いのちをえらびとる断食の祈り」が平和公園の供養塔横で日本宗教者平和協議会の主催で開催されました。全国から40人近くの宗教者・僧侶・信者が参加しました。
この祈りは今年で35回となり、原爆と人間のパネル展、被爆者の証言、各宗教の祈りを1日断食し「核兵器も原発もない世界を」を願って行われています。
各宗教の祈りは、日蓮宗、浄土真宗、浄土宗、天理教の宗派が行われました。
石川県能登から本延寺の河崎俊栄住職や檀家の皆さん、神戸の妙法華院の僧侶と檀家の皆さんなども参加し、核兵器のない世界を願って祈りました。
被爆者証言
ジャンケンで勝った重荷
被爆者の証言には、吉岡幸雄広島被団協副理事長が被爆した当時を語りました。「73年前、16歳、中学2年生でした。原爆投下時は軍事工場で働かされる毎日でした。軍の命令で米軍の空襲による延焼を防ぐための防火帯をつくるため建物疎開が行われました。私のクラスは5日と6日の動員の命令がありました。どちらにするか級長の私と副級長のジャンケンで決めることになり勝った私は5日を選びました。ジャンケンで負けた副級長のグループは爆心地から800メートルの広島県庁に出かけました。そして23名全員が3週間以内に死亡しました。
私は、8月6日は休日となり、建物疎開で取り壊された家の風呂釜やレンガを譲ってもらうために父とともに爆心地から1・7キロメートルの地点で作業していました。原爆投下。目がくらむような閃光を受け気絶しました。父が助けてくれ気がついたときは火の海、女性、老人の叫び声をあげ、地獄絵でした。
家に帰ってから10日間くらい40度近い高熱にうなされましたが母親ら家族の懸命な看病で生き残ることが出ました。父と私は放射線のせいで髪が抜け、下痢を繰り返しました。
体中のうっ血で紫斑が出、父は3カ月後に亡くなりました。54歳でした。ジャンケンで同級生の生と死を決めたことが私の生涯の重荷になりました」と語り、その後について「親戚の縁で国家公務員になり、労働組合に加入し、仲間から被爆体験を語るようにいわれ、いやいやながら始めました。何度か語るうちに相手に届くようになり希望を持つことができました」と今日に至ると語りました。核兵器禁止条約の発効、核兵器廃絶への道への決意を述べました。
国際会議に参加した森修覚宗平協事務局長で世界大会運営委員から「原水爆禁止2018年世界大会 国際宣言」の内容の説明があり、この内容の実践を呼びかけました。参加者の自己紹介で交流しました。
「原爆と人間」のパネルを展示し、多くの通行人が見入っていました。平和の鐘を鳴らそうと供養塔の説明のところに設置した「平和の鐘」をならす方もいました。世界大会参加者の碑めぐりコースの皆さんとも連帯を示しました。
交流・懇親会
断食の祈り終了後、広島YMCAで「宗教者交流懇親会」が行われ、全国参加者と広島の参加者と交流しました。
昨年亡くなられた宗藤尚三さんの奥様も参加され、夫の被爆の苦しみとたたかいについて語り感動を受けました。
<ヒロシマデーとうろう流し>
8月6日(月)原水爆禁止2018年世界大会広島の最後の行事の「ヒロシマデー灯ろうながし」が、元安川の河川敷で行われました。
広島宗平協の吉川徹忍師の司会で進行されました。
主催者を代表して建交労の山田昭夫委員長があいさつしました。「今年は西日本豪雨の被害で広島の地が大きな被害を受けた中、原水爆禁止世界大会が開かれました。被害の犠牲となられた方々に哀悼の意を表します。いまだ避難生活をされておられる皆さんにお見舞いを申し上げ、1日も早い復旧を願っています」とのべ、「この行事は、明日からの長崎集会へつなぐもので、(中略)戦後73年間、核兵器の使用を許さず、憲法を守ってこれたのは『人類と核兵器は共存できない』の被爆者の声と行動があったからこそ、核兵器禁止条約の批准、発効へ運動を広めましょう」と強調し、「とうろう流しは、日本の民族的な宗教行事で、広島では73年前の今日、原爆で焼かれ、放射線を浴び、苦しんで死んでいった被爆者を弔い、地球上から核兵器をなくすことを誓って、この元安川においてとうろうに火をつけ川面に流します」と紹介し、20数年前から、毎年イギリスの宗教者団体から贈られてくるろうそくの紹介をしました。
続いて海外代表の韓国のイ・ジュンキュ(キヨレナ平和研究センター兼任研究委員)さんが連帯のあいさつし、「韓国と北朝鮮の平和への変化は大きく核兵器のない世界へ向かっています。核兵器禁止条約発効させるためには50か国以上が批准することです。そのために日韓の運動の交流を」と呼びかけました。
その後、イギリスから贈られたろうそくに、森修覚師(日本宗教者平和協議会・世界大会運営委員)が原爆犠牲者の位牌の火を点火しました。
その火を、それぞれの願いを書き記したとうろうに点火し、川面に流しました。
同時に日本宗教者平和協議会の有志による伽陀、表白、阿弥陀経の読経が聖教されました。広島の僧侶はじめ全国から9人が参加しました。
このとうろう流しには、海外代表はじめ保育園児、被爆者、広島大会参加者300人以上が参加しました。
原水爆禁止2018年世界大会-長崎に参加して
常任理事 林 正道(安養寺住職)
「『敬朋』墓前祭」
8月8日午前9時から、建交労(全日本建設交運一般労組)長崎県本部主催の「2018年(被爆73年)『敬朋』墓前祭」に、小生は宗平協の森修覚事務局長と共に参列しました。
長崎の失業対策事業で働いていた被爆者で、亡くなっても引き取り手のない人の墓地を作りたいと、全日自労長崎分会が長崎市に墓地の提供をお願いし、1977年に『敬朋』の墓碑を建立しました。小生が、建交労や全労連の役員を退任して安養寺の住職となったのを縁に、2003年8月8日に『敬朋』墓前祭が復活しました。それ以来、小生と宗平協事務局長が、伽陀、表白、阿弥陀経や正信偈を称える中、歴代の建交労中央本部委員長を始め参列者が焼香し、核兵器の廃絶と平和への誓いを新たにしてきました。
「原水爆禁止2018年世界大会「長崎・国際交流フォーラム」
午後からは、長崎大学で、「核兵器禁止・廃絶へー政府とNGOの対話」をテーマに「原水爆禁止2018年世界大会―長崎・国際交流フォーラム」に森事務局長と一緒に参加しました。
トーマス・ハイノッチさん(オーストリア欧州統合外務省 軍縮軍備管理不拡散局長)は、「核兵器禁止条約が122カ国の賛成で締結された。世界の大多数が、国家の安全保障は核兵器を持たなくても守れるとの結論に達したものだ」。ジェイミー・ウォルシュさん(アイルランド外務貿易省 軍縮不拡散局 副局長)は、「新たな協定ができれば、核兵器保有国は必ず抵抗してきた。しかし、たたかえば現状も変わるということも、外交の歴史からは明らかだ」。ジョセフ・ガーソンさん(アメリカ、平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン議長)は、「禁止条約発効のカギを握っているのは、『核の傘』のもとにある国々だ。安倍政権を変えるという日本のたたかいは重要だ」。イ・ジュンキュさん(韓国、キョレハナ平和研究センター兼任研究員)は、「シンガポールでの米朝首脳会談後、トランプ大統領が『朝鮮半島で二度と戦争はしない』と表明したのは、米大統領としては初めてで、注目される」。土田弥生さん(原水爆禁止日本協議会事務局次長)は、「核兵器のない世界への新たな可能性が開かれる条件として、①禁止条約の締結、②朝鮮半島情勢の劇的な変化、③日本で広がるかつてない共同、の3つ。安倍政権が核兵器に固執しても、私たちが多数派だ」。
5人の報告を受けて、質疑応答やフロアーからの発言がありました。
また、長崎市の田上富久市長があいさつ、「市民社会がぶれずに原点を示し、めざすべきゴールをしっかり示すことが大事だ。核兵器禁止条約の署名・批准に向けて、市民社会が各国それぞれの政府を後押ししていく。日本では、300以上の地方議会が、日本政府に条約の署名・批准をうながす意見書を採択している。この流れがより広がって、政府を動かす力になっていく。これからも同じ方向を向いて連携しながら、核兵器のない世界に近づいていこう」と呼びかけました。
第46回原爆殉難者慰霊祭
『平和への祈り』
夕闇が迫る中、午後7時からは長崎県宗教者懇話会が主催して原爆落下中心地公園で開かれた第46回原爆殉難者慰霊祭『平和への祈り』に、初めて参列しました。1972(昭和47)年、長崎県明るい社会づくり運動推進協議会の宗教部会が母体となり、約40名の宗教者で長崎県宗教者懇話会を発足しました。宗教・宗派を超えて市民の集う記念すべき第1回原爆殉難者慰霊祭が、1973(昭和48)年に営まれて以来、今年で46回目を迎えました。
開会前には、平和への祈りコンサート~グレゴリオ聖歌とオラショによる祈り、天理教の雅楽演奏がありました。開式の辞に続いて、讃歌の合唱、お清めの儀、献水の儀、3人の小学生による「平和の誓い」、新宗連青年会による「平和の灯」、3人の「慰霊のことば」、浦安の舞、献花のあと、全員で「長崎の祈り」(♪教会と寺と神社の音和して 清らかに明ける 長崎の朝 平和を祈る 長崎の街 平和を告げる 長崎の空♪)を合唱しました。
ナガサキデー
翌8月9日、長崎市民会館体育館で開かれた「原水爆禁止2018年世界大会ー長崎」には、約1500人が参加しました。
世界大会実行委員会の野口邦和運営委員会共同代表が基調報告、「核兵器のない世界を求める流れは、世界の本流となって発展している。禁止条約に背を向ける安倍首相に対し、禁止条約の署名・批准を迫っていかなければならない」と訴えました。日本被団協の木戸季市事務局長はあいさつで、「誰にも、私たちのような体験を味わわせてはならない。被爆者の間には安倍首相に対して、再び被爆者を見捨てるのか、と怒りがわいている」、韓国原爆被害者協会の金成云さんは、「核兵器は造っても、使ってもいけない。核保有国は、完全廃棄し、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにすべきだ」と訴えました。
特別企画「被爆地ナガサキからの声」では、長崎原爆被災者協議会の大塚一敏さんが被爆体験を語り、「爆心地から3キロの国民学校で10歳の時に被爆。父親も硫黄島で戦死、戦後も原爆の影響が疑われる病気で家族が次々と亡くなっていった。戦争被爆国である安倍首相は、核兵器廃止条約の参加すら拒んでいる。この姿勢を変えさせるため、ヒバクシャ国際署名を大きく広げよう」と呼びかけました。
各地・各分野の取組も交流、8月に国連欧州本部を訪問する「高校生1万人署名運動実行委員会」の第21代高校生平和大使で被爆4世の徳永雛子さんは、「被爆者の声を聞ける今だからこそ、被爆者の声を受け止め、“核兵器はいらない”と、署名などの場で声を上げていきたい」と話しました。
全労連副議長の長尾ゆりさんは、「被爆国の労働組合として、憲法9条を守り、核兵器を廃絶するために、日本政府を変える運動に奮闘する」と決意を述べました。5人の海外代表も発言に立ちました。集会は最後に、「長崎からの手紙」を満場の拍手で採択しました。
非核非戦法要
集会が終わってからただちに、真宗大谷派長崎教務所で執り行われた『非核非戦(原爆)法要』に、森さんと一緒に参列しました。73年前の原爆投下で亡くなった、身元のわからない方々の1万とも2万とも言われる遺骨が、『非核非戦』の碑の下に収められています。碑の前では嘆佛偈、本堂では阿弥陀経などのお勤めをした後、元教学研究所所長の玉光順正師が、「非核非戦―共に生きよ」をテーマに法話をしました。
宗教者と市民がともに学ぶ 講演のつどい―平和・憲法・アベ政治―
「浜 矩子 言いたい放題」
同志社大学大学院ビジネス研究科教授 浜 矩子
「明治維新150周年」の魔の手
いみじくも今年、2018年という年でございますが、何から何年目の年であるということについても「チーム・アホノミクス」の溶岩の森から出てくる「魔の手」を我々は感じない訳にはいかないというふうに思います。と申しますのも、今年2018年については、今年が「明治維新150周年」であるということが嫌になるほどあちこちで盛りたてられておりますよね。
NHKの大河ドラマも今年は、「西郷どん」で、えらく視聴率が悪いらしくてざまぁをみろと思ったりするのですが、「明治維新150周年」がすごい勢いで盛り上げられております。
いろんな自治体に講演のご依頼を受けていったりすると、まあ、私に講演のご依頼を頂く自治体というのはなかなか勇気ある自治体という感じがいたしますが、そういう自治体に行った先でお話を伺うと、「明治150周年」というテーマでなんかやりたいですと手を上げると、すぐ国から金がでるというようなことのようでございますし、あんたのところはそろそろ何か150周年記念というイベントをやらないんですかという、さりげないプレッシャーもあったりするということのようでございます。
何でそういうことになってくるのかということでございますが、もちろん、大きな日本の歴史上における大きなイベントの150周年というのは盛り上がってもいいといえばいいのですが、ここまでしつこくそういう格好でやってくる。ちなみに、内閣府のなかに「明治維新記念事業推進室」という特別な班・チームができているようでございまして、その推進室がつくったポスターというのが、自治体のホールなどに張り出されております。以降、私は、そういうポスターを見たら必ず剥がしてこようと思っているのでございますが、ここにはないですよね。もし、お見かけにならましたら、皆さまにおかれても、剥していただければいいんじゃないかと思ったりしますが、そんな調子で、何故ここまで「明治維新150周年」を盛り上げるのかというとですね。
実をいえばですね、この「チーム・アホノミクス」の大将がすごく好きな言い方、まあ、「世界の真ん中で輝く」とかいうやつも好きですけど、しばしばいろんな演説で使う言い方に次の言い方がございます。すなわち、「あの時の日本人にできたことが、今の日本人にできない訳がないじゃありませんか」という言い方を彼は非常によくするんですね。
「富国強兵」など三つのスローガン
その彼が言う、「あの時の日本人にできたこと」というのは、どの時であるのかというと、それは一に戦後の「高度成長期」ですが、そして二に実は「明治維新」の時ということでございます。あの時の日本人にできたことがなぜ今の我々にできない訳がありますかというふうに、盛んに言うんですよ。いみじくも、あの時、「明治維新」の時に人々を鼓舞するために盛んに使われた四文字熟語が三つございました。
そういえばすぐお判りいただけると思いますが、三つのキーフレーズがあの時に、大いに喧伝されました。
その一が「富国強兵」でございます。そしてその二が「殖産興業」、その三が「立身出世」ということで、この三つのスローガンに煽り立てられながら、あの頃はまだ1億じゃないですが、国民上げて、お国のために頑張ったという、そういう時代状況があった訳ですね。それと同じ方向、雰囲気をつくり出したいという感じがものすごく充満しているという感じを強くもっております。
ともかく、お国のために頑張って立身出世してください。高度プロフェッショナルになってくださいとかですね、そういう感じでございますし、「オール・ジャパン」で殖産興業というので、世界中で原発開発プロジェクトなんかを受注いたしましょうと、殖産興業でございますと。そして、「アホノミクス」を憲法改正をもって富国強兵の体制をととのえ、我々は21世紀の「大日本帝国」に向かって力強く歩みだして行くのですという感じのイメージのなかにすべてが組み込まれていくという、まあ、その展開を我々は目の当たりにしているということをつくづく思うところでございます。
彼らの邪まで露骨な下心
だから、まさに「改憲はともかくにして、経済のことを一生懸命やってくださいよ」というような言い方を彼らにするということは、もうその時点で彼らの根源的な下心が見えていないということになります。
そのような邪(よこし)まな下心、まあ下心といってもここまで露骨にいっちゃってるやつは、もはやちょっと下心とはいえない訳です。下心というのは隠しているから、下心というわけでございますが、ああいう調子で「戦後レジーム」からの脱却だとか、GDPを大きくすれば国防費をしっかり増やせますとか、あの時の日本人ができたことをやりましょうとかはっきり言っていることは、到底下心の域に留まっているものではないというふうに思います。
こういう露骨なやつをいったい何というのか。下心とは言えない、まあ、「上心(うわごごろ)」とでもいうべきものかなというふうな露骨さをもって前面に出てきているということですね。
だから、非常に怖いのはですね、これはですね、そういう意味では野党からもたまに出てくる言い方で私が気になるのはですね、もう「アベノミクス」は失敗したということを認めたらいいんじゃないですかという言い方をしたりすることがあるんですね、野党が。
鳴り物入りで出てきた「アベノミクス」だけど、結局何もできていないじゃないですか。だからちょっと考え直したらいいんじゃないですかとか、もっと一生懸命になってやると言ったことをやりなさいというような言い方をするんですが、これも実はすごくまずいと私は思います。
何故かといえばこれは全部、表裏一体でルーツは一つなわけでありますから、「アホノミクス」が成功すればするほど、彼らがやりますといったことがやれちゃえばやれてしまうほどそれは、それだけ富国強兵路線の富国の方にのせられているということを意味する訳でございます。
だから、「アホノミクス」、「アベノミクス」をちゃんとやってないじゃないかという糾弾の仕方は非常にまずいですね。彼らがそれこそ、実際問題としてこの失業率が下がっているとか、まあ、GDPがここにきて息切れになっていますが、GDP成長率がプラスになってくるとか、賃金がまあちょっとは上がってきているというようなことを彼らは言っております。
それらが出来てしまっているということが、それ自体がまずいというふうに我々は考えなければいけないと思います。21世紀版の「大日本帝国」をめざす人々が、その思惑に沿うように経済の繁栄を実現してしまうことほど恐ろしいことはございません。
「アホノミクス」は「富国」担当
そういうなかで、我々はもっともっとよりよき経済状況を実現するために頑張ってください。一億総火の玉になってくださいとかいうふうに言われるのがおちなんでございまして、お前ら、やるといったことをやってないいじゃないかという言い方を彼らにすることは絶対ダメですね。お前らが、そういうことを言うということを我々は許さないというスタンスで、だから「森を見て木を見ず」でいかないとダメだということなんですね。そこを本当に気をつけていただきませんと、いけないということです。
ここでは、この言い方はだから、もう「新三本の矢」の方はいいですと。「アベノミクス」と「新三本の矢」というやつをちゃんとやりなさい、改憲のほうばかり言わずになっていますから、これは極限的はまずいですけど、これほどはまずくないけど、やっぱりまずい言い方として、こういうのもあります。「アホノミクス」あるいは、経済最優先でございますとか、もうともかく安倍政権は経済をよくするということに全精力を傾ける政権でございますというようなことを「チーム・アホノミクス」は結構言いますよね。経済最優先という言い方も彼らは好きです。失業率も下げましたとかっていうふうに言う訳ですね。
そういう彼らの批判として、あれは彼らが経済最優先というのでいろんなことをやって一生懸命成果を上げようとしているのは、あれは「煙幕」であるというふうな批判が結構ございます。改憲というそれこそ邪まな下心から我々の眼をそらすための目くらまし、我々に彼らの本当の目的意識が見えないようにするために「アホノミクス」が展開されているんだというような批判の仕方というのも結構ございます。それに、目をくらまされてはならないという言い方も、私はものすごく甘いというふうに思います。
「アホノミクス」は煙幕、目くらましというような生易しい代物ではないと私は思います。まさに、「アホノミクス」はその21世紀版「大日本帝国」に向かって行く乗り物の「富国」部分を担当しているということでございますから、彼らの露骨な下心のディープな部分にしっかり組み込まれているのが「アホノミクス」であって、表面的な「煙幕」というような簡単なものではないという、その辺も誤解をしてしまうと非常に危険だと私としては思うのでございます。
ですから、改憲も新三本の矢も全部、ひとつの我々を国家主義体制、ファシズム体制へ引きずっていく力学のなかにみんな組み込まれていることであるから、個別的に扱うということは決してしてはいけないということをつくづく思うのでございます。そういうことが、いかに危険かということか改めて確認させていただけるという意味では、こういう言い方が出てくるというのは非常に何というのか、ありがたいといえばありがたいですね。こう考えちゃダメという意味合いにおいて非常にインパクトのある反面教師的フレーズを頂戴したなというふうに思っている次第でございます。
「敵の言葉で語らず」
「森を見て木を見ず」じゃなきゃだめだという話で、そこがまさにメイン・タイトル、本題との関わりで、「森を見て木を見ず」の原則を貫かなければならなきゃいけないということ改めて認識するわけでございますが、二番目の「敵の言葉で語らず」というのも、ものすごく重要なポイントであると思います。
いま我々が「チーム・アホノミクス」に向かって問いただすべきことは何かといえば、それはすなわち、「君の名は?」という問いかけだと思います。
もっともこの「君の名は」というフレーズを使うとですね、世代によってイメージするものが全然ちがうということがございますが、このお集まりの場合は、明らかに一つのイメージに傾いている感じがいたしますが、それはどっちでもよろしいのございますが、やつらに向かって我々が常に厳しく問いただすことは、「君の名は?」ということだと思います。それは、どういうことかというとですね。まさに、それは「敵の言葉で語らず」ということを別の言い方でいえば、「君の名は?」と問いただすということに通じるというふうに思います。
あんたが語っているその名前の向こう側にあるあんたの本当の名前は何なの、というふうに常に問いただすということでございます。我々が、人といいますか、敵の言葉、敵がつくった言葉、敵が用意したボキャブラリー、用意した語彙を使ってしゃべっちゃう、会話しちゃうということは、もうおのずと敵の世界に引きずり込まれていく。敵の宇宙に取り込まれていくということに通じていく訳でございます。人の言葉をあたかも自分の言葉のように、会話のなかで使っちゃうというようなことをするのは実に危険なことでございます。
ということで、ご覧いただきますれば、「一億総活躍社会」とか「働き方改革」とか「全世代型社会保障」なぞという言葉は全部、「チーム・アホノミクス」が自分たちの都合に従ってつくり出した造語でございます。
この「一億総活躍社会」なぞというフレーズが昔からあった訳ではございません。「働き方改革」なぞという言い方は、経済用語でもなければ一般名詞でもない訳でございます。「全世代型社会保障」なぞという言葉は突然降って湧いてきた、彼らがくり出してきた用語でございます。このような、彼らが自分たちの意図をもって、自分たちに都合のいいようにつくった言葉を使って我々が会話をするというようなことをしては決して決していけないというふうに思います。それほど、危険なことはないと思います。
ですから、このタイトルが、一生懸命に新三本の矢というのはなんだったっけというので、これとこれとこれだったなということを考えて、書いてあげてしまっていると。実は、この三つは「新三本の矢」ではないのですが、ですけど、そんなことを我々がちゃんと覚えてあげる必要などは全然ないのでございます。
「三本の矢」なぞという一番最初に彼らが言い出した「三本の矢」というのもありましたけど、旧「三本の矢」が何であって、「新三本の矢」が何だっけなどということを我々がご親切に一生懸命覚えてあげる必要などは全然ないのでございますが、律儀に思い出そうとして上げてしまっているというタイトルで、しかし実は「新三本の矢」とは全然違うのですけど、三つあったなというので一生懸命書かれているのでしょうけれども、この書き方だともうまさに彼らがつくった言葉をそのまま使ってですね、このそれぞれどうなっているんですか。ちゃんとやらなきゃだめでしょうというふうに言ってる感じのタイトルになってしまっているところにものすごい怖さを私は感じたのでございます。
非常に、特にこの「働き方改革」というやつについては、非常に日常会話用語になってきちゃっているような雰囲気がございますよね。新聞の見出しなどにおいて、「あなたの会社の働き方改革はどうなっていますか」とか、「教育現場における働き型改革の進捗状況は」とかいって、そういう形であたり前のように、昔からあった我々が共通認識をもって使っている言葉のごとく、「働き方改革」という言葉をつかって、「我々も、もっと働き方改革を頑張らないといけないですね」なぞという言い方さえも出てくるという現象が私は本当に怖いと思います。
「敵の言葉を使う」ということは絶対に間違いが、たちどころに敵の術中にはまるということでございますから、それは断固避ける。だからこそ私は「アベノミクス」という言葉は使わないということで頑張っているという訳でございます。
「世を忍ぶ仮の名前」の意図
「働き方改革」なぞと彼らが言っているものはですね、全然、働き方が改革されるというような方向観をもっているものではないですね。「働き方改革」と彼らが称しているこの一連の政策の本当の狙いは何かというとそれは、「働かせ方超効率化のための企み」というふうにこれは読み替えていただく必要があるということでございますし、「一億総活躍社会」というのは、「一億総動員社会」というふうに読み替える必要があるというふうに思います。
「全世代型社会保障」というのは、これがそもそも何だかよく判らないということもございますが、これはまさに全世代をひっくるめて皆さん、この「一億総動員」に協力していただくための仕組みというふうな感じで受け止めるべきところであろうというふうに思うのでございます。ですから、彼らがくり出してくる言葉はすべて、いってみれば世を忍ぶ仮の名前というふうに受け止めるべきところだと思います。
その世を忍ぶ仮の名前の向こう側に存在している、本当の名前、本当の意図というものに我々は着目しなければいけないのであって、このように彼らが使っている言葉をそのまま見出しとか、演題とかに使うということを、かりそめにも打倒やつらと思っている人々は彼らの言葉を使って語るということを決して決してしてはいけないというふうに思います。 どうしても行きがかり上、彼らが使っている言葉をそのまま使わなければ、そのまま声に出していわなければいけない時は、明らかにそこに「カギ括弧」がついているということが聞こえるような感じで言っていただくということが必要だと。やつらの「いわゆる働き方改革」なるものというイメージが滲み出るような、あの人たちが言っているかのような「一億総活躍社会」という代物というような、そんな感じで語るべきものであって、あたり前の用語として彼らの言葉を使わないということを改めてこの「タイトル」を見て思ったことでございます。
名前というのは、本当に重要なものでございます。名前は正体に通じると
いうことがありますから、正体に通じない名前は「偽名」ということになってくる訳でございます。
名前というものがいかに重要かということが、面白いもので、洋の東西を問わずでありますけれども、「おとぎ話」とか「昔話」の世界には結構名前が重要だ、名前がポイントになる話ってありますよね。本当の名前を知られてはいけない。「わが名を問うべからず」という感じの話って、おとぎ話のなかに結構ございますよね。
神仏にせよ、本当の名前を知られると神通力を失っちゃうとか、本当の名前を知られたら、その場を立ち去らなければいけないというお話が昔話のなかには多いですよね。だから、名前は聞かないでねっていうふうに言う人がでてくる。だけど、聞かないでねって言われると聞いちゃうんで、聞かれたとたんに天に帰っていっちゃうという、そういう話が結構ございますよね。
それだけやっぱり、本当の名前というものには重要な意味が、まさに正体を現すものが本当の名前だということですから、常に我々はあの人たちがくり出してくる言葉、名前について、その裏にある本当の「君の名は?」と問いかける必要があるというふうに思います。
「採用労働制」というのがはじめて出てきた時に、あれは「残業代ゼロ法案」だと野党がいったのはすごく冴えていたというふうに思いますね。あれで、本当の名前がそこで明らかにされた。だから、それが本当の名前だったから彼らは嫌がったわけでございます。ということで、申し訳ありませんが、ある講演会の企画でお考えいただいたタイトルをめぐってやってはいけないことの「好例」ということで持ち出させていただきましたが、そういうところを我々は気をつけていかなければならないと思います。
最後に一言だけ申し上げて終わることにしたいと思いますが、「敵の言葉で語らず」ということを考えはじめたことに伴って、ある私が密かに企んでいることがあるんですが、それは何かというとですね、私もいろんな出版社から本を出しませんかと言っていただきます。非常にありがたいことですが、そういうのが来るんですけれども、次に手がける本を書くプロジェクトとして、この際でありますので、「アホノミクス用語辞典」というのをやろうかなぁというふうに考えている次第でございます。
彼らが、まさに次々とくり出してくる怪しげなこういったたぐいの言葉を全部集約して辞書として取りまとめて、出てきた経緯とか彼らがそれで売り出そうとしていたこととか、その背後にある本当の名前、それらを全部謎解きする辞典、「アホノミクス用語辞典」を是非つくりたいなぁというふうに思っていることもあわせてご報告しましたところで、ほぼ丁度時間となりましたので、ひとまず私の話は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(終)
斎藤秀一生誕110年 記念講演会報告
大高 全洋 (山形県宗平協役員、鶴岡聖書集会会員)
斎藤 秀一(1908-1940以下秀一)については、本誌585号(2017・10)で水田全一老僧が「『特高に奪われた青春―エスペランティスト斎藤秀一の悲劇』工藤美知尋 芙蓉書房出版を読む」で紹介ずみなので、まず略歴のみを紹介します。
略歴:秀一は1908(明41)年12月25日、鶴岡市東荒屋(旧櫛引町)で曹洞宗泉流寺の長男として誕生。鶴岡中学(現鶴岡南高)、駒澤大学・東洋文学科で学び、卒業後は地元の小学校に赴任。学生時代からいくつかの外国語を学び、エスペラント学会や日本カナ文字会、日本ローマ字会に加わり、日本文学、国語・国字学、方言研究に取り組み、数多くの論文を発表しています。
地元では地区の青年たちと先進的なローマ字教育に取り組み、『山形県教育』に「ローマ字と小学校教育」などの論文を投稿。これらが校長に疎まれ、1932年9月に免職、鶴岡警察署に検挙。その後34年から38年まで『文字と言語』誌を13号まで発行。35年には東京に残る江戸弁の研究書『東京方言集』(共著)を謄写印刷で自費出版しています。
1938(昭13)年、治安維持法違反で特高により最後の検挙(5回目)。あちこちたらい回しされた末、秋田刑務所で服役中、肺結核に罹患。病状悪化のため自宅療養が許されますが1940(昭15)年9月5日、32歳で永眠。戒名は「大雲秀一高和尚品位」です。
2007年9月、生誕百年記念事業として泉流寺門前に「斎藤秀一顕彰板」が設置、5年後の12年9月には同境内に顕彰碑が建立。その寺院を来る10月22~24日の日本宗教者平和会議in山形・鶴岡の研修ツアーでご案内する予定になっています。
生誕110年記念講演会:去る6月23日午後、当地で開催された「生誕110年記念講演会」の様子を報告し、会員・読者の参考に供する次第です。
主催は名古屋の「斎藤秀一師に学ぶ会」、協力は鶴岡の「斎藤秀一を考える会」、後援は曹洞宗人権擁護推進本部。会場は鶴岡市郷土資料館講座室。なお、今年1~4月、同会場の展示コーナーで企画展「斎藤秀一とその時代」が開催され、多くの市民が参観しました。
第Ⅰ報告は鈴木良春氏(「考える会」会員、元小学校教員」の「秀一の日記と卒論について」、第2報告は別府良孝氏(「学ぶ会」会長、曹洞宗龍潭寺住職)による「戦時に平和を願った僧侶たち」で、参加者は約70名。地元のみならず、県内外の遠来者も集まり、質疑応答や意見交換が活発になされました。
この講演会は地元の「荘内日報」紙(6/27)が報道。当日夕方の「山形放送ローカルニュース」でも放映。また、週刊仏教タイムスは6/28と7/12で大きく紹介。さらに『曹洞宗報』平成30年8月号でも「斎藤秀一師に学ぶ会発」として写真入り2段組で掲載。その文中で、内山愚童師(大逆事件の犠牲になった洞門僧)の言葉「人は『侵略されたらどうするか』と問う前に、『侵略されないためにはどうするか』を、どうして問わないのであろうか。戦争のために危険を冒す前に、どうして平和のために危険を冒すことをしようとしないのか?」が引用されており、改めて斎藤秀一の悔しさ・無念さが心に刻まれました。
第15回「平和を考える市民の集い」
「天皇の代替わり儀式は憲法の原則にふさわしいものに」
大阪宗平協は、6月29日に大阪市住吉区の真宗佛光寺派大阪別院で、第15回「平和を考える市民の集い」を開催し約50名の市民・宗教者が参加しました。 中島三千男(神奈川大学元学長)氏を講師に「天皇の代替わりと改憲問題」をテーマに講演いただきました。
代替わり儀式の意味
中島氏は来年予定されている天皇退位・皇太子即位に伴う主な式典を紹介した上で、代替わり儀式の目的はカリスマ性の弱い新王の権威付けと臣下の尊敬・服従意識を醸成、一体感をつくることにあると指摘されました。
同時にその儀式は「伝統として、同じものとして続いてきたのではなく、時代によって変化してきた」ことを紹介し「私たちが日本の伝統だと思っていることのほとんどは明治以降の近代の産物、創られた伝統」であることを示されました。
明治以前は
即位儀礼は7世紀に天武天皇が唐風の即位の他に大嘗祭を創設。同天皇の妻持統天皇の時代から「即位礼」「大嘗祭」の二本立てに。8世紀末は「践祚(せんそ)(皇位継承)」「即位礼」「大嘗祭」の3本立てになりましたが、中世から近世にかけての9代221年間は「大嘗祭」はほとんど行われていないといいます。また平安時代の「即位式」には即位灌頂(そくいかんじょう)という仏教儀式が取り入れられ、13世紀末から幕末の孝明天皇まで32代にわたり継続して行われ、装束も中国皇帝風であったことが紹介されました。参加者からも驚きの感想が聞かれました。
明治以降の代替わりは
中島氏は、明治時代に策定された皇室典範と登極令に近代における即位儀礼のあり方が定められことにふれ、その特徴は①絶対主義的天皇制にふさわしい「天皇制正統神話」の理念に基づいて仏教色・中国風を排除②全国民を巻き込んでの儀式という点であることを指摘されました。
戦後の日本国憲法下で
旧皇室典範や登極令が失効した現憲法下の皇室典範では「即位の礼」と「大葬の令」しかないにもかかわらず、平成の代替わりでは、昭和天皇の病状を理由に国民に知らせることもなく「剣璽等継承の儀」と言い換えて国事行事として行われました。
自民党の憲法改正案には天皇の元首化が明記されていることもあり、「安倍政権の戦前回帰的・復古主義的性格」を強く懸念される中、中島氏は「今回の天皇の代替わり儀式を憲法や民主主義の立場で考える。今の憲法にふさわしい儀式を考案すべきだ」と訴えられました。(事務局・長田 譲)
2018年7月豪雨災害お見舞い申し上げます
西日本を中心とした記録的豪雨により各地で土砂災害、河川の浸水・氾濫などが相次ぎ、210人もの人命が失われ、20人以上の方々の安否が不明となっています。寺院教会など多くの宗教施設も甚大な被害を被っています。
今後も被害の拡大が予想されます。猛暑が続くなか、約5000人もの方々が避難所に身を寄せており、断水なども続いています。
豪雨災害にあわれたみなさまに心からお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方々、ご遺族の皆さまに心から哀悼の意を表します。
捜索・救助や住民支援ボランティアを担ってくださっている方々に心から敬意を表します。
政府と自治体には、人命救助に全力を傾注するとともに、かつてない被害規模の被災地住民のすみやかな救済、適切な避難所の運営、被災者の方がたの心のケアや健康確保など、個人の尊厳や生存権の保障のために全力を傾注するよう強く要請するものです。
2018年7月15日
日本宗教者平和協議会 事務局長 森 修覚