東日本大震災犠牲者追悼、原発廃止・廃炉を願う
「諸宗教による祈りのつどい」に初めて参加して
真言宗豊山派・泉福寺住職 岡田 隆法
実は去年も東日本大震災の諸宗教による祈りの集いに参加しないかと誘われ、自分は身体も弱い方なので放射線を気にして参加しませんでした。今年は体調が良かったこともあり初めて3月12日(月)-13日(火)参加させていただきました。 東京から車で5人相乗りし、3月もまだ前半だというのに真青の晴天のなか福島へ向かいました。福島県の手前のSAで休憩、去年はモニタリングポストがあったそうですが撤去されていました。モニタリングポストの数もどんどん少なくなって来ているようです。
福島県いわき市のいわき駅の1つ手前に内郷駅があり、そのすぐ近くに日本基督教団の常磐教会があります。今年はその常磐教会が会場としてご提供くださり、入っていくと白い壁で吹き抜けのスッキリとした使い勝手の良さそうな明るい雰囲気でした。入って右側が広いダイニングキッチンがあり休憩時間には美味しいコーヒーも出していただきました。
宗平協で作った平和の鐘を設置し、祈りの集いが始まり、キリスト教、仏教、神道、天理教と順番にそれぞれが唱え祈りを捧げました。各宗教の祈りを間近に接することも貴重な経験でした。自分は真言宗豊山派で、同じ真言宗智山派の岸田先輩と一緒にお唱えしましたが意外にお経の節が違うもので兄弟宗派でも違うものだなと感じました。
講演では伊東達也氏と矢吹道徳氏から、原発事故当時の頃のことから現在の訴訟の状況をお聞きいたしました。伊東氏には翌日の津波被災地のスタディツアーまでご案内頂きました。常磐教会に設置されたいわき食品放射能測定所も見学し放射能を遮蔽する工夫の為にペットボトルに水を入れてそれを放射能測定器の周りに並べていらっしゃいました。
その日は湯本温泉の古滝屋に宿泊し、交流会には早川住職達の障害者の作るお弁当を頂きました。古滝屋の前には温泉神社という所もあり、一大温泉街ですが原発事故の影響で本営業出来るまでには至っていないながらも少しづつ復興してきているようでした。来てみればなかなかいい所だし放射能も意外と気にならないものだなと感じました。親戚が会津等にいますが、東日本大震災があって初めて浜通りに来ました。いわき湯本温泉にもこうしたことがなかったら来なかったと温泉に入りながら呟くと、周りの参加者の方もそうだそうだと同じ意見が散見されました。
2日目は福島第一原発へ向かい海岸線を北上し、津波被災や原発事故後の空間放射能を測りながら見学いたしました。最大で3μSv/hの地点もあり、測定器の警報音を聞きながら人のいない町をみてまわりました。ただそうはいっても何らかの工事作業員の方の車が散見されました。楢葉町の宝鏡寺へも寄らせて頂き、早川住職のお話もお聞きいたしました。宝鏡寺も放射能さえなければ、とても気持ちのいいお寺でした。早川住職曰く「原発事故前は安全神話だったが破綻しました。いまは復興神話を宣伝していますがとんでもありません。これから取り出そうとしている原発溶融燃料はどう取り出すかも、どこに置くかも決まっていません。何十年後に無くなるかもわかりません。そんなこんなで住民は帰還しようもないのです。避難が解除されても若い人達が6割近く戻らないとアンケートに答えており、将来わずかな帰還したお年寄りがいなくなれば、誰もいなくなるのは目に見えています。これで復興と言えるのでしょうか。
子どもを産み育てる世代が戻らないと、この地域がどうなるか。それにどう対処するか計画を示さずに、復興再生とは言えません。安全神話と札束で騙して、実際に事故が起きてみれば福島切り捨て、正にそのとおりだと。安倍総理が、避難解除地区で米を採ったのを食べて見せたり、牛から牛乳を絞ったといって飲んで見せて写真を撮り、さも復興していると宣伝していますがとんでもありません。もとに戻ったわけではないんです。被災者の誰もがこんなことは私たちで終わりにして下さいと言うんです。だから被災者が一番喜ぶのは原発を止めて無くすことです。」
現地に来たからわかることが沢山ありました。この次の原発事故を起こさせないために共に戦い続けて行きたいと思わされました。
被災64年3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭『誓いの言葉』
原水爆禁止世界大会実行委員会
運営委員会代表 高草木 博
ビキニ水爆実験の被災から64年、久保山さんの墓前に、核兵器禁止条約が国連により採択されたことを報告できることをうれしく思います。
本来、国連憲章を守り、核兵器の廃絶と平和のために努力すべき大国がなお、自国の核にしがみつく中でも、核兵器のない世界への流れは世界の大勢であることがはっきりしました。アジア、中東、アフリカ、中南米、そしてかつて世界の「核実験場」とされた太平洋の島嶼諸国がこぞって声を上げ、核兵器の禁止を決議しました。
その流れの中で、日本の被爆者も原水爆禁止運動も、多数の政府の力を合わせて、核の被害の非人道性を証言し、核兵器全面禁止の決断を求め、幾百万の国民の声を署名にして届けました。
他方で、私たちがあなたの墓前につどういまも、朝鮮半島をめぐっては、人類絶滅の道具である核兵器を「抑止力」、「核の傘」などと偽って、緊張と対立が続けられています。こともあろうにその中で、かつての侵略戦争の反省、広島、長崎の被爆の苦しみから、憲法に平和と戦争の放棄、武力の放棄を掲げたはずの日本で、紛争の話し合い解決の努力を「時間の無駄」といい、大国に核の使用・脅迫をそそのかし、戦争を準備し、憲法を変える動きが続いています。
私たちは、こうした流れを絶対に許しません。すでに地域でも、社会の諸分野でも国政のレベルでも、立憲主義と平和と国民の暮らしを守り、政治の腐敗を断ち切る流れが音を立てて広がっています。
私たち、原水爆禁止運動は、ことし、思想信条の違いも過去のいきさつも超えて、核兵器のない世界、非核平和の日本の実現へ、さらに広範な国民的共同へと前進するでしょう。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニを繰り返してはならないとの、核兵器禁止・廃絶のヒバクシャのよびかけを、日本と世界の何億もの人々の署名とし、新しい歴史のページをめくるでしょう。
日本原水爆被害者団体協議会
事務局次長 和田 征子
久保山愛吉さん
あなたがマーシャル諸島にいた第五福竜丸の船上で、「死の灰」と呼ばれる大量の放射性降下物をあびられたのは64年前の3月1日でした。一番若い、長崎の被爆者の一人である私が小学校5年生の時でした。まだテレビも十分に普及してない時で、映画のニュースで見た、原爆マグロにあてたガイガーカウンターのガーガーという音とその映像は今もはっきりと脳裏に残っています。計数機の針がふり切れるほどの数値でした。久保山さんの被曝の重さはそれをさらに超えるものでした。
亡くなるまで続いたあなたの苦しみは、広島・長崎の被爆者と同じ苦しみでした。放射能の「内部被ばく」とその影響を、ご自分の死をもって証明されました。「原水爆の犠牲は私を最後にしてほしい」と訴えられた久保山さんをはじめ、ビキニ環礁で被曝された方々の犠牲で、全国で沈黙を余儀なくされていた被爆者たちは初めて立ち上がりました。手をつないで1956年8月の日本被団協結成の契機となり、被爆者運動の原点となり、それ以来、核兵器の廃絶と日本政府へ原爆被害に国家補償の実現を求め続けてきました。
被団協設立から62年間、被爆者は「自分たちと同じ苦しみを地球上の誰にも味合わせてはならない」と国の内外で被爆の実相を語ってきました。語ることで、あの当時に引き戻される苦しみや悲しみを乗り越えながら、核兵器の非人道性を語り、廃絶を求めてきました。
久保山さん、被爆者が長い、長い間、求め続けてきた核兵器禁止条約が昨年7月7日、国連で採択されたことを心からの喜びをもってご報告いたします。重く、錆びついた鉄の扉が、少し開かれ一筋の光が差し込んできたと実感しました。平和を願い、行動してきた多くの方々と共に叩き続けた扉でした。
しかし、世界にはまだ15000発ともいわれる核兵器が存在するとされ、核保有国は所有することで、核戦争の抑止になると主張し続けています。日本政府もアメリカの「核の傘」に守られていることを、よしとしています。
禁止条約には多くの禁止項目が記されました。使用することは勿論、所有すること、威嚇することも禁止です。ヒバクシャ及び核実験の被害者の受け入れがたい苦しみと害に留意する、という文言も明記されました。
久保山さん、この禁止条約が批准され発効されるまでは、まだしばらくの時間が必要です。これから私たちは2016年に被爆者が初めて訴え、開始した「ヒバクシャ国際署名」にさらに力を結集して、世界中で署名を集め、核兵器の廃絶までの道を歩みことをお誓い申し上げます。
全国労働組合総連合
副議長 長尾 ゆり
1954年、久保山愛吉さんが、アメリカによる水爆実験で「死の灰」をあびてから、64年目の3月1日を迎えました。いま、久保山愛吉さんの墓前に立ち、あらためて、「原水爆の犠牲者はわたしを最後にしてほしい」というお言葉を胸に刻んでいるところです。
世界は、核兵器のない世界の実現に向かって、大きく動き始めました。昨年7月、国連で核兵器禁止条約が圧倒的多数の賛成により採択されたのです。被爆者の苦しみに心を寄せ、核兵器の使用はもちろん威嚇も禁止し、核兵器の実験も開発も生産も保有も禁止されました。核兵器は国際法違反だとして、きっぱり断罪されたのです。
いま、私はあらためて、被爆者を先頭にした平和運動の歩みと、一人ひとりの平和への思いを集めた署名の力が、この核兵器禁止条約を実現させたことに確信を深めています。
64年前、ビキニ環礁で被災し、広島・長崎に続いて三度、核兵器による被害を受けた国民は、「原水爆禁止」を求めて署名運動に立ち上がりました。燎原の火のように広がった署名は、翌年の1955年には3200万を超え、その署名の力は、日本政府の態度をも変えました。
いま、その歴史の教訓に学びながら、核抑止力論にしがみつく核保有国の態度を変え、また、被爆国でありながら核兵器禁止条約に反対している日本政府の態度を変えるために、ヒバクシャ国際署名の共同を大きく広げることを、久保山さんの墓前でお誓いいたします。
いま、安倍政権は、憲法9条を変えて戦争する国への道を強引に進めようとしています。一方で、「戦争はイヤだ」という市民の声を集めた共同が広がっています。激しいせめぎ合いの今年、私たちは、3000万人署名運動をひろげ、安倍改憲を必ず止めることを、久保山さんの墓前でお誓いいたします。核兵器禁止条約と憲法9条でこそ、日本の平和と安全を守ることができる、その確信の下、運動を広げてまいります。
労働者・国民が安心して暮らせる社会をめざして、子どもたちに核兵器も原発もない平和な未来を手渡すため奮闘することをお誓い申し上げ、墓前の言葉といたします。
日本共産党中央委員会・准中央委員
前衆議院議員 島津 幸広
久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。
初めに、この墓前祭のために、久保山愛吉さんのお墓のある弘徳院の境内を提供していただいた弘徳院のご住職様と、読経してくださいました焼津仏教会の皆様に御礼を申し上げます。
昨年2017年の最大の歴史的・画期的な出来事は、国連での核兵器禁止条約の採択でした。「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」との久保山愛吉さんの御意志をふくめ、被爆者の告発、一連の国際会議などをつうじて、核兵器の非人道性に対する理解が、国際社会の共通認識となりました。
10月には核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。11月には、ローマ法王庁の主催で、「核なき世界」への道筋を議論する国際シンポジウムが開かれました。フランシスコ法王は、核兵器禁止条約を高く評価し、バチカンは率先して条約の署名・批准しました。国連での核兵器禁止条約採択とICANのノーベル平和賞受賞の背景には、市民社会の粘り強い運動がありました。
この3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭もその一翼を担ってきたことを忘れることはできません。日本宗教者平和協議会の皆様の献身的なご努力に、あらためて敬意を表します。
ところが、日本政府は、核兵器禁止条約に背を向ける許しがたい態度をとったばかりか、アメリカのトランプ政権が発表した新たな核兵器開発に対して、河野太郎外務大臣が「高く評価」するとの談話を発表しました。
日本共産党は、安倍政権に対して、核兵器禁止条約に賛同し、署名するよう強く求めるとともに、アメリカの核兵器開発を歓迎するという、唯一の戦争被爆国の政府にあるまじき態度をきびしく批判するものです。
私は、「ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャが訴える核兵器廃絶国際署名」運動の成功のために、あわせて浜岡原発の廃炉のために、全力を尽くすことをお誓いいたします。
日本民主青年同盟中央委員会
静岡県委員会委員長 橋爪 春人
アメリカによるビキニ水爆被災から64年が経過しました。毎年、この墓前祭の場で「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山さんの言葉を噛みしめてきました。
歴史をひも解けば、私たち日本の国民は、広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験しました。日本国民は、過去の経験から原水爆の非人道性を学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうしてビキニ事件を契機に原水爆禁止を求める人びとのうねりが、昨年7月7日、国連で採択された核兵器禁止条約につながっています。
あれから64年、脈々と引き継がれてきた反核平和の運動は、青年にも引き継がれています。昨年、国連での核兵器禁止条約の交渉会議に合わせたニューヨーク行動には、全国からたくさんの民青同盟員が参加し、海外の青年とともに核兵器廃絶の声を上げました。毎年開かれる原水爆禁止世界大会には同盟内外の青年と参加し、「被爆された方々の思いを引き継ぐのは、私たちの世代だ」との思いを語り合っています。
核兵器禁止条約には、被爆者の方々の、そして未来を担う青年の切実な願いが詰まっています。「ヒバクシャ国際署名」の取り組みでは、たくさんの青年の「核兵器をなくしたい」との思いを聞いてきました。北朝鮮とアメリカとの緊張関係を見て、多くの青年は不安を感じていますが、その解決を武力に求めている青年はほとんどいません。「戦争しないためにどうしたらいいのか」と模索する青年に、核兵器禁止条約という展望を伝えれば、「武力では解決しないですね」「日本政府も、核兵器禁止条約に参加してほしい」との思いを語り、署名してくれます。
民生同盟は、昨年12月に第41回全国大会を開き、「共同の力で国民主権の政治の実現へ―新しい時代を切り開く力強い民青をつくろう」と決議を採択しました。日本も世界も、逆流と本流がぶつかりあう中で、多くの青年が「このままでいいのか」と解決の道を探しています。民青同盟は、「青年との共同」「草の根の行動力」「社会を変革する学び」の三つの役割を発揮し、安倍政権を打倒し日本国憲法が生きる新しい政治を実現するために、力を合わせます。
激動の情勢の中、久保山さんの言葉を新たな決意で噛みしめ、世界と日本で始まった新しい政治を生み出す胎動を力強く発展させる先頭に立つことを決意し、誓いの言葉とします。
日本科学者会議静岡支部
代表幹事 谷 健二
第五福竜丸の水爆被災から64年となる今日3月1日、久保山愛吉さんの墓前に立ち、あなたが遺した、「原水爆の被爆者は、わたしを最後にしてほしい」との遺言と、「被爆者とその遺族が生きているうちに、一発残らず核兵器をなくしてください」とのすずさんの強い思いの大切さを感じています。改めまして、核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて、決意を込めて久保山さんの墓前に誓いの言葉を捧げます。
昨年7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採択され、現在、各国で批准か開始され、条約発効に向けて大きく前進しています。そして、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーンのノーベル平和賞受賞に象徴される非人道的な核兵器廃絶を求める国際世論は、一層強まっています。
しかし残念ながら、核兵器保有国、とりわけアメリカは「核抑止論」に固執し、新たな核兵器拡大競争に突き進もうとしています。本年2月公表の「核態勢の見直し」において、小型核兵器や新型核巡航ミサイルの導入とともに、通常兵器の攻撃に対して核兵器の使用を認める方針を打ち出しています。この「核抑止論」、すなわち、強大な核兵器を背景としたアメリカの力の外交こそが、北朝鮮政権の核兵器開発を生み出し、際限のない核兵器拡散の危険性を高めているのではないでしょうか。
ところが、被爆国にも関わらず「核兵器禁止条約」採決に参加しなかった安倍政権は、いたずらに北朝鮮の脅威を煽り、平和的解決に向けての何のイニシアチブも取ることなく、アメリカとともに軍事力行使も選択肢とする圧力姿勢に終始しています。一旦、アメリカの軍事力行使が行われれば、韓国とともに日本が戦場になり、核兵器と原発施設の破壊による核被害の現実的脅威に国民が晒されることになります。先制攻撃さえ公言する安倍首相に対して「あなたはどこの国の首相なのですか?」と改めて問わざるを得ません。
また、日本政府は昨年、北朝鮮がアメリカ領グアムを狙って弾道ミサイルを撃った場合、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に認定し、自衛隊のイージス艦が迎撃することは法的に可能だとの認識を示しました。私たちが戦争法と呼んだように、アメリカを守るために日本を戦場とした戦争が集団的自衛権の最初の実践例になりつつありことに強い危惧を抱きます。
さらに、安倍政権は、一層の軍事力行使を可能とするため憲法9条に自衛隊を明記する改憲を行おうとしています。戦後世代が守り続けてきた日本国憲法の平和主義の原則を踏みにじり、新たな戦争の加害者として日本を復活させると共に、再び戦争と核兵器の犠牲者を生み出す道となるものです。
私たち日本科学者会議は昨年、高知で「原水爆禁止科学者集会」を開催し、「核兵器を生み出した科学者の社会的責任に思いを致し、軍事研究拒否の運動を拡げること」を誓いました。また、日本科学者会議静岡支部も昨年10月に『武器輸出と日本企業』の著者である東京新聞の望月衣塑子記者の講演学習会を開催しました。今後とも核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて、科学者としての取り組みを一層強めていくことを決意し、久保山さんの墓前にてお誓いいたします。
新日本婦人の会
副会長 米山 淳子
3・1ビキニデー・墓前祭にあたり、久保山愛吉さんをはじめ犠牲になられた方々を偲び、一日も早く核兵器のない世界の実現へ、そして日本国憲法を守り抜く決意を新たにしております。
また、長年にわたり、この墓前祭を執り行なってこられた日本宗教者平和協議会のみなさま方に、感謝を申し上げます。
1954年3月1日、アメリカによる南太平洋ビキニ環礁での水爆実験は、第五福竜丸をはじめ1400隻以上の漁船と周辺の島民に大きな被害をもたらし、日本国内でも漁師の被ばく、健康被害はもとより、放射能に汚染された魚、飲料水や農作物への不安が広がりました。いのちと暮らしの問題として女性たちはいち早く立ち上がり、「核実験禁止」「核使用禁止」を求める署名運動は、翌年までに3200万を積み上げるまで高まり、いまに続く原水爆禁止世界大会や日本母親大会の出発点となりました。
あれから60数年、ねばりづよく続けてきた草の根の運動と国連や各国政府と力を合わせて、昨年7月、核兵器禁止条約が国連で採択されるという大きな成果を生み出しました。もっとも残虐な大量破壊兵器である核兵器が歴史上初めて違法なものとして禁じられたのです。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞したことも、核兵器廃絶の太く力づよい流れを後押しするものとなりました。被爆者を先頭に歩んできた日本の運動が、禁止条約実現に重要な貢献をしたことは誇りです。
北朝鮮の核ミサイル開発、トランプ米政権の新たな核戦略(「核態勢見直し」)など逆流や抵抗などに対しても、「軍事衝突を避けよ」「外交と対話による解決を」との声が世界中で高まるなか、核兵器廃絶の緊急性と、アメリカの核攻撃体制の強化を「歓迎」し、北朝鮮の問題を大軍拡と日米軍事一体化、憲法9条改憲に最大限利用する安倍政権の孤立する姿がいよいよ浮き彫りになっています。
創立いらい56年間、核兵器廃絶、憲法改悪反対をかかげ続けてきた新日本婦人の会は、いま安倍改憲を許さない「3000万人署名」と「ヒバクシャ国際署名」を平和の2署名と位置づけ、列島中で「軍事ではなく平和を!」「安倍9条改憲ストップ、核兵器禁止・廃絶へ」とレッドアクション署名行動をまきおこしています。市民と野党の共同を広げ世論を結集し、一日も早く安倍政権を退陣に追い込み、核兵器禁止条約に署名、批准する政府をつくっていくために、私たち女性もいっそう力をつくす決意をのべまして「誓いのことば」といたします。
真言宗豊山派
泉福寺住職 岡田 隆法
久保山愛吉さんの墓前祭を弘徳院御山主と焼津仏教会の厳かなご供養をいただき、また各地の政治団体・労働組合や諸宗教の皆様のお力のもと共に開かせて頂きますことを心より感謝申し上げます。昨年は被爆者が長年願ってきた核兵器禁止条約が採択され、署名と各国での批准が進みつつあります。日本政府へ署名と批准を要求していきます。
64年前の1954年3月1日午後3時50分、太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、焼津を母港とする第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びる被ばくされました。同年9月23日にその乗組員であった久保山愛吉さんは壮絶な放射能障害に苦しめられながら亡くなられました。その死に際に「原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい」との言葉を残されました。久保山愛吉さんの慰霊と合わせて、原水爆被爆に苦しめられた方々の安寧を先ず、弘徳院虚空蔵菩薩のもとお祈り申し上げます。
この水爆被害を受けて核兵器への大きな反対運動が起き、原水爆禁止運動を契機として日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が結成され、ヒロシマ・ナガサキの被爆者が政府に保証を求め、被爆の実相を世界中に知らしめる活動が始まりました。一方で原子力の平和利用ということで日本に原発が導入されていきました。原発は2011年3月11日に東日本大震災で4基の原発が壊滅的な破壊と被曝被害をもたらし、今だに多くの原発事故被災者がその損害を十分に保証されず、昨年4月には自主避難者の住宅補助が打ち切られたために、金銭的に追い詰められ中には自死された方もいらっしゃるとお聞きいたします。日本政府は核被害を自ら起こし、その責任を弱い者に押し付け、事故が起こるかもしれない原発をまた再稼働するなど、決して許される行いではありません。
北朝鮮では水爆とICBMを開発して、周囲を怯えさせ核戦争の危機を作り出しています。一方でアメリカもトランプ政権がオバマ前大統領が核開発を中止していたのを覆し、新たな小型核兵器を開発し通常攻撃に対しても核攻撃で反撃すると言い始めました。
いまシリアでは大国の代理戦争となって泥沼の戦いが繰り広げられています。
安倍政権が改憲しようとしている日本国憲法には、国民主権と平和主義と基本的人権の尊重が説かれています。平和を求める民意とともに、日本国憲法を掲げて、戦争のない世界を実現していかなくてはなりません。それには核兵器を無くし軍備の撤廃を進めていく世界的な世論が必要です。「ヒバクシャ国際署名」の数億が求められています。そのために宗教界に働きかけなど進めていきます。
虚空蔵菩薩の広大無辺の智慧により、全ての核兵器が世界中から無くなり、人々が武器を捨て軍隊を抑制し、戦争を止め互いに認め合い、平和に安穏に暮らせる世界を実現できますように誓願致します。 合掌
「護憲か改憲か」
浄土真宗本願寺派 妙福寺住職 藤井 慶輝(卒寿)
政治的革命は普通流血を伴う。権力者は、「魔法の杖」である権力を容易に手放さないから激突となる。日本では流血なくして権力の転換が行われたかに見えるが、流血はあったのである。それは何か。日本人310万人、アジア人2000万人、それに多くの欧米人の流血の上に現憲法が成立したのである。我々は彼我の戦争犠牲者に、あなた方のおかげでの深謝の念を絶対に忘れてはならないのである。
国の分岐点で思う
国の分岐点にさしかかっているのに、一般的には呑気である。外国人は「日本は経済は一流、政治は三流」と嘲笑する。くやしいこと限りなしである。それは「なまくら民主主義」「おまかせ民主主義」「無関心民主主義」「ひよわ民主主義」「ずるい民主主義」だからである。政治の中枢にいるのが神様か仏様ならおまかせもありうる。ところが、「わが心のよくて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも、百人、千人殺すことあるべし」「さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもなすべし」(歎異抄)の「煩悩具足の凡夫」が権力を行使するのであるから、関心をもち、監視を怠らず、正すのは国民の側である。これは国民の権利であり義務である。自民党から共産党に至るまで、どの政党が政権を担当しようが、国民の関心、監視、注文、抗議、賛同、称賛等の行為や、風通しのよい政治制度や機構がないと、正しく望ましい民主政治は確立されない。国民が主人公、主権在民なのである。
「戦後レジームからの脱却」「美しい日本の国造り」を提唱する者が、森友、加計の問題で見せる、国民によりそわない不誠実さに国民は目をさますべきである。政治とはこんなもの、との「なま悟り」の独断、偏見におちいってはならない。政治はいくらでも改良、改善できるのである。年数、忍耐、エネルギーが必要だが、日米安保条約を「日米友好条約」に切り替え、基地のない真の独立国家にすることは夢物語ではない。夢、理想を捨てている点が問題なのである。
国民投票について思う
国民投票のPR合戦の諸経費は護憲派も改憲派も同額であるべきなのに「上限なし」である。これはフェアではない。財界から献金が豊富な改憲派の有利は明白である。現状では護憲派がやや優勢だが、逆転される可能性大である。国民投票に持ち込ませないために護憲、活憲の3千万署名をやり切ることが我々の意志表示であり、抵抗運動である。民族の危機に直面し、仏教徒たるもの「慈悲行とは何か」「お念仏に生かされるとは何か」を真剣に考え、ああ九条は仏様の願いであった、と押さえ各自で可能な行動を手をとりあい、胸をはって実行しよう。
平和外交こそ
ピョンチャン五輪での羽生結弦の健闘とともに小平奈緒と李相花との相互敬愛の深い友情の発露、北と南の代表が共同でトーチを運ぶ場面は感動的だった。開会式も立派だった。内容、演出、電子技術はレベルが高く、文化国家と認識を新たにした。雪と氷の国以外のアフリカや中南米の国々からの選手にも驚いた。まさに五大陸のスポーツ祭典である。これは「人類はみな兄弟」(第九)「憲法の前文と九条」「御同朋、御同行」(親鸞)と響きあうではないか。理想にあこがれ、実現に歩みを進める――我々の生き甲斐である。
世界の憲法学者たちが称賛を惜しまない憲法を戦前型の日本にするべく改定していく、そこには夢、希望、理想はしぼんでいく。戦前の国民生活の実態を知らない者の白昼夢である。天皇を元首にする案などその最たるものである。彼我のぼう大な非業の死をとげた人たちが喜び、子孫や我々も喜べる現憲法を護り活かしていこうではないか。
昔や戦前と違い、いまは自国民の欲しいものは貿易や外交交渉で入手できる時代に人類は入っている。侵略、略奪の野蛮で残忍な戦争よ、さらばである。人類はゆるゆると進歩、進化しているのである。勇気をだして3千万署名を成功させよう。
神社本庁による宇佐神宮乗っ取りは許せない
大分県宇佐市・真宗大谷派安養寺住職 林 正道
宇佐神宮の社家で権宮司だった到津克子さんの不当解雇撤回を求める裁判の判決が2月13日、大分地裁中津支部でありました。宇佐神宮職員らによるパワハラの一部を認め、宇佐神宮の穴井伸久前宮司と永弘健二元権宮司に110万円の支払いを命じましたが、解雇無効の訴えは退けられました。神宮側が反訴した到津さんが住む宮司邸の退去明渡しは、棄却しました。原告側は、「パワハラが認定され、正常な労働環境でなかったにもかかわらず、労務提供がなかったことを理由にした解雇有効の判断はおかしい」と、福岡高裁に控訴しました。
宇佐神宮は、1300年以上の歴史を持つ全国約4万の八幡神社の総本宮で、到津家は長年、宮司職を務めてきた社家です。
2007年、宇佐神宮の宮司だった到津公斉氏の長女・克子さんが39歳で権宮司になり、翌年、責任役員会が克子さんを宮司に具申しましたが、神社本庁は認めず、父の宮司が亡くなった後、神社本庁は、大分県神社庁長(当時)の穴井伸久氏を特任宮司(後に80代宮司)に任命しました。
克子氏は地位保全を求めて提訴しましたが、最高裁で克子氏側の上告が退けられ、敗訴しました。その後、克子さんが宇佐神宮に出社しようとしても明確な指示や連絡もなく、職場から長期にわたる排除とパワハラが行われ、暴力も振われるなど、まともな労務提供ができなくなりました。こうしたもとでも、克子さんは、就労意欲を持ち続け、正常な労働環境を要求し続けてきましたが、宇佐神宮の穴井宮司は2014年、到津克子権宮司の懲戒免職願を神社本庁に出し、神社本庁は克子さんを免職、宇佐神宮はそれを口実に不当にも解雇したのです。到津克子さんは、不当解雇の無効を請求して提訴しました。
こうした不当な攻撃をはね返すために、到津克子さんは、一人でも入れる建交労(全日本建設交運一般労組)に加入、大分県労連などの支援を受けたり、「宇佐神宮の伝統を守る会」を結成して、団体交渉や宣伝活動、署名運動、裁判傍聴など粘り強く取組んできました。
2014年、広島市で開かれた「日本宗教者平和会議」で、小生や到津さんが支援を訴え、翌2015年の大分県宇佐市での「日本宗教者平和会議」では、参加者は国宝・宇佐神宮にも訪問しました。小生は、今年の「3・1ビキニデー宗教者平和運動交流集会」をはじめ様々な集まりでも、支援を呼びかけました。
この問題の本質は、神社本庁による宇佐神宮の乗っ取りです。全国8万社を束ねる神社本庁(田中恆清総長)は、本来は各神社の緩やかな親睦会組織です。戦前、侵略戦争を積極的に推し進めた国家神道を反省して、政教分離を謳った日本国憲法のもとにおかれています。
しかし、今日では、かつての「大東亜戦争」は「自存自衛」の正義の戦争であったとして、自主憲法を制定して、天皇の元首化、靖国神社への公式参拝、女性天皇・皇室反対、保守政治家の支援などの運動を、右翼的な神道政治連盟や日本会議の中心となって進めています。全国の神社に、憲法「改正」の署名運動を呼びかけ、目標の1000万を突破したと伝えられています。
一方、有名神社の人事権を握ろうとして各地でトラブルとなり、神社本庁を離脱する動きも強まっています。同庁幹部の女性蔑視・差別が指摘されており、有名神社には女性の宮司は認めない方針であることが報道されています。昨年12月7日に東京・富岡八幡宮で起きた富岡長子宮司を弟夫婦が刺殺した凄惨な殺人事件も、その根底には宮司人事に介入しようとした神社本庁の策動があったと言われています。
神社本庁を離脱した有力神社には、日光東照宮(栃木県)、明治神宮(東京都・のちに復帰)、喜多神社(石川県)、梨木神社(京都府)、富岡八幡宮(東京都)など。神社本庁や神政連への上納金の取りやめや減額などの動きも、出雲神社(島根県)、熱田神宮(愛知県)、金比羅宮(香川県)、東京大神宮・神田明神・大国魂神社(東京都)など大神社で広がっていると言われています。
宇佐神宮では、穴井宮司は、酒席で神職たちが暴力事件を起こし、宇佐神宮の氏子総代会が、能力欠如を理由に解雇嘆願書を神社本庁に出す騒ぎになり辞任。代りに送り込まれた小野崇之宮司は、神社本庁の総務部長として、神社界の森友問題と言われる本庁の百合丘職員職舎の不正売却疑惑の中心にいた田中恆清総長の懐刀と言われた人物です。権宮司には、田中恆清総長が宮司を務める石清水八幡宮(京都府)から大久保博範氏が送り込まれてきました。
大分県神社庁宇佐支部は、「小野氏は高圧的、独善的」として、宇佐神宮の祭典への協力拒否を決議、支部事務局を宇佐神宮内から移転し、両者は絶縁状態になっています。氏子らの寄付金集めの協力が得られなくなり、神宮では神事などの資金集めにも困っている、特定業者と癒着して不要不急の工事も行われている…と。今、宇佐神宮を守るため氏子や信者が、「社家である到津家をないがしろにし、地元宇佐地区の神職とも絶縁状態、市民や各種団体からも非難が上がっている」として、小野宮司と大久保権宮司の罷免を求める署名運動が広がっています。
宇佐神宮は戦前・戦中、国家神道のもとで到津宮司は追放され、陸軍大将が宮司を務めました。宇佐海軍航空隊などから、中国や東南アジアなどに出兵する兵隊や出撃する特攻隊員が、宇佐神宮に参拝して必勝を祈願する『戦争神社』にされていました。
安倍政権は今、憲法を「改正」して、「海外で戦争できる国づくり」を進めています。安倍首相や閣僚、国会議員が靖国神社に参拝するのは、海外に出兵した自衛隊員が戦死したら、「英霊」として再び、靖国神社に祀るための地ならしでしょう。いま又、全国の神社を、かつての国家神道のように総動員しようとしています。全国4万の八幡神社の総本宮である宇佐神社の乗っ取りは、その象徴だと言えます。皆さんの力強いご支援をお願いします。
山家妄想 綸言汗の如し
★綸言(りんげん)汗の如しということばがある。中国の歴史書の漢書に出てくる。天子の言葉は始め糸のように細くても、下、人民に届くときは綸(絹糸十本をきちんと縒り合せた太い紐のこと)のように太くしっかりとしたものになるという意味から、天子の言葉を綸言という。体から出た汗が元に戻ることがないように、一度出された綸言を元に戻すことはできないということであると、岩波ことわざ辞典は解説する。漢書には「今善令を出し未だ時を踰(こ)ゆる能(あた)はずして反すは、これ汗を反すなり」とあるという。日本でも鎌倉時代から「天子は二言なしなどとは申したるなり」などと使われたと示されている。
★さて、問題は「私や妻が関わっていたことが明らかになれば、首相はもちろん国会議員も辞職します」と、昨年二月国会の場で切った「大見得」である。「ない」、「ない」と隠し続けた決裁文書が「発見され」て、しかも国会に提出されていたものは原本を大幅に削除や書き換え、まさに改ざんしたものであったということが明らかとなった。昨年2月から4月の間に何者かが行ったと思われると、政権・財務省は犯人探しに躍起となっている。首相や財務大臣はあずかり知らぬこと、当時の財務官僚であって国会答弁にあたり栄転した佐川元国税庁長官の仕業との筋書きを描き、トカゲのしっぽ切りをはかっている。
★改ざんした偽文書を国会に提出した行為は、国会を欺く重大な犯罪行為であり、責任者が罰せられるべきは当然であるが、そこにのみ注目することによって根本を見誤ってはなるまい。根本事とはなにか。首相やその妻が事に関わっていたということである。原本の近畿財務局決裁文書には「『昭恵夫人より宜しく進めてください』とのお言葉をいただいた」との籠池氏の言葉が記されていることが明らかとなっている。この記載を隠ぺいすることが「改ざん」の目的であり、それがたとえ官僚の「忖度」による独断専行であったとしても、首相夫人の関与が証明されたことには間違いがない。
★参議院予算委員会の集中審議で安倍首相は「私の妻が関わっていた事実は述べられていない。籠池氏の発言が書かれているだけだから、妻が関係していないことがはっきりした」という旨を胸を張って答弁したが、はたして納得できるか。首相夫人の森友小学校への関与の事実が証明される証拠は沢山ある。籠池氏の経営する幼稚園を訪れ、園児が教育勅語を暗唱する姿や安倍首相へのエールに感激したこと、小学校建設予定地を訪れた際の籠池夫妻との写真やメールのやり取り、そして何よりも開設される予定の小学校名誉校長に一時就任していた事実は隠しようもない。「関わっていた」事実は、改ざんされる前の決裁文書だけに求められなければならぬものではない。安倍総理夫人昭恵氏が籠池夫妻と共にした行動のすべてをとまで言わずとも、その一端を明らかにすればすむことなのである。
★「妻は私人である」といって証人喚問を逃れる動きもみられるが、籠池氏をはじめ私人である人物が証人喚問された前例は存在し、拒否の理由にはならない。しかし、何よりもヨーロッパにある公館へ栄転した谷氏をはじめとする公務員が「秘書」役として昭恵夫人に侍っていた事実は、少なくとも公人に準じる存在であることの証左である。証人喚問に応じるべきである。
★綸言汗の如しという言葉は、現代では「一度話したことは取り消せない」という程度の意味合いで用いられることが多いと言うが、古代中国においては「天 (天地万物の主宰者)」の「命 (天命)」を承けて善政をすべき使命を与えられた天子は、天の意に反する行動をとれば天命革(あらた)まり更迭されるという。これを革命とよぶ。日本国憲法下に於ける「天」は主権者である国民であろう。さすれば現代の天命は国民の声である。「独裁者」まがいの言動を好む首相は、とても天子とはよべないが「綸言汗の如し」のことばをかみしめ、いま一度「それじゃあやめて見せましょう」と「大見得」を切るべきである。その時、満場の大喝采が起こること請け合いである。この期に及んでも他愛のない屁理屈を弄して悪あがきを続けるならば、必ずや天命革まる「革命」を将来すること必定である。
(2018・3・20) 水田全一・妙心寺派の一老僧