2018年被災64年3・1ビキニデー


 被災64年の3・1ビキニデーの行動が2月27日の「国際交流会」、日本原水協全国集会、墓参行進、久保山愛吉墓前祭、焼津集会など「各兵器禁止条約を力に、核兵器のない世界、非核平和の日本の実現」をテーマに繰り広げられました。

■宗教者平和運動交流集会開く
 日本宗教者平和協議会は28日、焼津で「3・1ビキニデー宗教者平和運動交流集会」を開催しました。
 荒川庸生理事長が開会あいさつで「このビキニデーの集会は1年の核兵器禁止国民大行進、世界大会、平和の取り組みの緒となるもの。焼津の地から、地元へ、それぞれの教団へ、宗教者として行動を広げていきたい」と述べました。

和田征子さんが証言
 昨年の11月バチカンでの国際会議に参加し、ローマ教皇にも面会した日本原水爆被害者団体協議会の和田征子さんが講演。
 1歳10ヵ月の時に長崎の爆心地から2・9キロの自宅で被爆しました。山に囲まれた地形の陰になったためやけどなどを負わず生き延びることができました。幼かったので原爆投下直後の記憶はないのですが、母から聞かされたと語りました。
「8月9日11時2分、大きな爆発音。家の中は窓ガラス、障子、土壁などが爆風ですべて粉々になり、30㌢以上の泥が積もりました」と。「緑の山々は茶色になり、母はその山道に爆心地から逃れてきた〝蟻の行列〟のような人々を見ました」。
「家の隣の空地には大八車に満載された遺体が次々運ばれ、毎日朝から晩まで火葬が続きました。その光景にも、においにも慣れ、感覚がマヒしてしまった。人はそのように創られたのではありません」と当時の様子を語りました。
また母は治療の手伝いに行った救護所で、床いっぱいに収容されている人たちの、火傷や怪我のひどさに気絶してしまい、その後与えられた仕事は、傷口にわいた蛆虫を箒でかき集めることでした。その無数の蛆虫は親指大になっていました。
 母は6年前、89歳で亡くなりました。

核兵器禁止条約の論議に参加、そして採択
 7月7日、条約の採択は草の根の運動が歴史を動かした瞬間だと思います。
核兵器は、爆風、熱線、そして放射能の被害を無差別に広範囲に、長年にわたってもたらす非人道的な兵器です。再び使われれば、同じ苦しみを世界中が負うことになります。被爆者はそのことを経験してきたものです。日本被団協結成の1956年、私たちは「世界への挨拶」で宣言しました。「私たちは自ら救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」でした。今日まで、決してあきらめることなく歩んできました。今、その宣言が実現する道筋が見えてきました。重い錆びついた扉がやっと少し開いて、一筋の光が入ってきました。語ることによってあの時に引き戻される辛い努力を続けてきました。
 条文の前文に「公共の良心」という言葉が記されています。
「公共の良心は」公共の利益、人類の利益、地球の利益の保持のために不可欠なものです。力は正義ではありません。核兵器は正義ではありません。廃絶しなければなりません。それを作った人類の責任です。核廃絶のために、祈り、小さな努力をすることが公共の良心であり、正義です。核保有国に、日本を含む同盟国に、禁止条約への署名と批准を訴え続けなければなりません。
「被爆者が呼びかける核兵器廃絶のための国際署名」はこれまで515万以上の署名を国連に提出しました。私たちは世界中に呼びかけて2020年までに数億の署名を、多くの公共の良心を集めようとしています。ご協力をお願いします。

バチカンでの教皇との謁見
 条約をいち早く批准したバチカンで昨年の1110日~11日、ローマ教皇は国際会議「核兵器のない世界と総合的軍縮への展望」を開き、被爆者の証言をしました。教皇との謁見で教皇は被爆者や核実験被害者の証言に「彼らの予言的な声が次の世代のために役立つことを願います」と訴えました。
 和田征子さんは約1時間の講演でした。
 その後、参加者の運動の交流をしました。「日本の政府に署名と批准を要求しますが、しない安倍政権をやめさせなければならい」「憲法9条の改悪を許さないために3000万署名を」「ノーベル平和賞はなぜICANなのかと思う」などの意見を交流し、最後にアピールを採択しました。

■墓参行進・久保山愛吉墓前祭
 3月1日強風のなか墓参行進と墓前祭が行われました。焼津駅前から久保山愛吉の墓の弘徳院まで行進をしました。3・1ビキニデー静岡実行委員会と日本宗教者平和協議会が主催。1500人が行進しました。久保山愛吉さんが好きだったバラの花をもち、墓前へ献花しました。
 墓前祭では一部として追悼法要を弘徳院の松永芳信住職ら焼津仏教会が努めました。
 今年新しく第五福竜丸平和協会代表理事に就任した山本義彦静岡大学名誉教授が挨拶を行いました。(あいさつ文は4p)焼津市長、広島市長、長崎市長からのメッセージが紹介されました。
 第2部は各界からの誓いの言葉で、日本原水爆被爆者団体協議会の和田征子事務局次長、原水爆禁止世界大会実行委員会の高草木博運営委員会代表理事、全国労働組合総連合の長尾ゆり副議長、新日本婦人の会中央本部の米山淳子副会長、真言宗豊山派泉福寺の岡田隆法住職、日本共産党中央委員会の島津幸広前衆議院議員、日本民主青年同盟の橋爪春人静岡県委員長、3・1ビキニデー静岡県実行委員会の谷健二静岡大教授が述べました。
 開会の辞は、平沢功副理事長、閉会の挨拶は大原光夫副理事長、司会は小野裕子静岡県宗教者平和懇談会理事が行いました。(誓いの言葉は次号で紹介)
 午後から焼津文化センターで「3・1ビキニデー焼津集会」が開かれ、リレートークで京都から参加した真宗大谷派僧侶のラブデイ智美師が決意を述べました。

焼津集会で
リレートークのラブディ智美さん
 集会参加者の皆さんこんにちは、 私は昨年京都宗教者平和協議会に入った真宗大谷派僧侶のラブディ智美です。
 午前中の久保山愛吉墓前祭にバラの献花、盛花、墓碑生華、協賛金にご協力いただきましたことに心より御礼申し上げます。
私たちは、昨日、和田征子さんの話を1時間聞きました。被爆体験や国連で核兵器禁止条約採択の瞬間、ローマ教皇との謁見などの話に感動しました。
 私は京都の清水寺の前で6・9行動に参加し、英語で海外から来る観光客にも訴えています。この取組みを行うことは、仏教でいう菩薩道が開けたと思っています。  
 条約にある「宗教指導者」の役割を強く感じ、日本の「宗教指導者」が日本政府に署名を迫る働きをするよう、これからも運動をしていきます。各県でのヒバクシャ国際署名の連絡会に宗教者が参加することは大切です。
 京都でも宗教者平和協議会やキリスト者平和の会が連絡会に参加しています。共に頑張りましょう。

2018年3・1ビキニデー
日本宗教者平和運動交流集会アピール
 1954年3月1日、アメリカは南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を強行しました。度重なる核爆発による「死の灰」(放射性降下物)は広大な海域に降り注ぎ、マーシャル諸島の人びとや第五福竜丸をはじめ1400隻にものぼる漁船などが被災しました。あれから64年を迎えました。
  昨年7月7日には、核兵器禁止条約が国連で採択され、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しました。被爆者、核実験被害者とともに、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯の実現を求めてきた私たち日本の宗教者は、核兵器禁止条約の採択を歓迎するとともに、被爆国である日本政府がアメリカの「核の傘」から脱却し、すみやかに核兵器禁止条約に署名・批准するよう求めます。
市民社会での運動の重要性を明記した核兵器禁止条約は、核兵器廃絶の呼びかけに示された人道の諸原則を推進するための公的(市民的)良心の役割を強調し、国連、国際赤十字運動、その他の非政府組織、宗教指導者、国会議員、学術研究者、ヒバクシャの取り組みを高く評価しています。ICANのノーベル平和賞受賞の意義を、グテレス国連事務総長は、「核兵器が使用された場合の人道的、環境的結末を世に知らしめてきた市民社会の努力が認められた」と述べました。
 私たちは、広島・長崎の被爆、そしてビキニ被災の運動の原点から核兵器禁止条約の実現まで、一貫して核兵器廃絶を求める署名に取り組んできました。被爆国の宗教者として、世界で数億人をめざす「ヒバクシャ国際署名」の推進など、「核兵器のない平和で公正な世界」の実現のために、ひき続き奮闘する決意です。
 核兵器の非人道性を訴える声がひろがり、核兵器使用を前提とした「核抑止力」論の道理のなさが浮き彫りになりました。北朝鮮の核・ミサイル開発の問題も、「圧力」「核抑止力」による対峙(たいじ)こそが、安全への保障ではなく、逆に脅威であることを示しています。
核兵器の非人道性と核兵器完全廃絶の必要性をひろげるために、被爆者の証言活動、原爆写真展をはじめとする被爆体験の継承をすすめましょう。被爆者への援護・連帯をすすめ、国家補償を実現させ、被爆二世・三世の運動を支援しましょう。核実験被害者、原発事故被災者の救済と、原発ゼロを求める運動との連帯を発展させましょう。
 絶対に戦争をしてはなりませんし、許してはなりません。戦争は破滅への道です。「抑止力」は役に立ちません。国民の税金で米国製の武器を今まで以上に購入するなど、莫大な軍事費が浪費されようとしています。対話と交渉こそが唯一の選択肢です。「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(戦争、武力行使、その威嚇)を放棄する」と謳う憲法9条こそが、日本の政治と社会の導きとなるべきです。
 米トランプ政権は、新たに発表した「核態勢見直し(NPR)」で、核兵器を使用する姿勢をいっそう強め、新たな核軍拡への道を突き進もうとしています。トランプ政権に追随する安倍政権が、憲法9条改憲を企てています。安倍改憲を断じて許さず、国会での改憲発議を阻むために、「3000万人署名」を推進しましょう。
 沖縄では、米軍新基地建設に反対する県民ぐるみのたたかいがひき続き継続・発展しています。私たちは、憲法を守り生かし、非核平和の日本をもとめるこれらの運動に、心からの連帯を表明するものです。
  2018年2月28日   2018年3・1ビキニデー日本宗教者平和運動交流集会

被災64年3・1ビキニデー

久保山愛吉墓前祭へ挨拶・メッセージ


挨拶 
公益財団法人 第五福竜丸平和協会
山本義彦代表理事
 ビキニ水爆実験被災・第五福竜丸被ばくから64年目の3月1日を迎え、故久保山愛吉墓前祭にご参集の皆様に心から連帯の挨拶をおくります。
 ここに集う皆さまと第五福竜丸の私たちは、核兵器廃絶を願う世界諸国民の願いと非核国政府の奮闘により国連で核兵器禁止条約が採択され、さらに核兵器廃絶国際キャンぺーン(ICAN)がノーベル平和賞を授与されるという大きな出来事と共にあります。
 核兵器保有国とその同盟国による「核兵器は安全保障にとり必要不可欠」との主張は、論拠を失っているにもかかわらず、核に固執して世界の緊張を高めているといえます。ヒロシマ・ナガサキそして戦後の核開発・核実験が「人類」に対してもたらしてきた破壊・殺戮・悲劇は、一日も早い核廃絶の実現を求めるものであることを改めて世界の市民の声としてひろげていきたいとおもいます。
 第五福竜丸は、半世紀余り前に廃船処分となり、東京・江東区夢の島=ごみの埋め立て処分場に放置されました。これを知った市民は「沈めてよいか第五福竜丸」の声をあげ、10年近い保存運動がすすめられ、この世論を受けとめた東京都により第五福竜丸展示館が夢の島公園に建設されました。保存運動には、各界の幅広い識者と原水爆禁止運動や市民運動が携わり、その呼びかけには仏教徒の壬生照順師やキリスト者鈴木正久氏が加わり、貴宗平協は大きな役割を果たされました。 
 原水爆の脅威とそれに立ち向かう人びとのことを伝える第五福竜丸展示館の存在はますます意義深いものがあります。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」との久保山愛吉さんの遺言がかなえられる世界をめざし私どもも心して来館する市民・若い世代に伝えます。核兵器のない世界を求める声の広がりを力に、核兵器廃絶へと大きく前進しましょう。
 東日本大震災・福島第一原発事故から7年、人類が直面する核の問題を市民一人一人が向き合い声をひろがる年にしていきたいと、改めて墓前にお誓いいたします。
  2018年3月1日 

メッセージ
焼津市長 中野 弘道
 本日「被災六十四年三・一ビキニデー故久保山愛吉氏墓前祭」の開催にあたり、謹んで哀悼の意を表します。
 本市焼津港所属の第五福竜丸ほか、多くの船がマーシャル諸島ビキニ環礁におけるアメリカ合衆国の水爆実験により被災してから六十四年が経過しました。この間、世界各国の多くの人たちによる熱心な核兵器廃絶運動にもかかわらず、未だに多くの核兵器が地球上に存在していることは、本当に残念でなりません。核兵器のない平和な世界の実現は、全世界共通の願いでありますが、北朝鮮の地下核実験は、我々の平和への思いを踏みにじる暴挙であり、断じて容認できるものではありません。
 焼津市では、毎年六月三十日に核兵器廃絶と恒久平和の実現を訴える市民集会をはじめとした平和推進事業を通じて、市民が平和を愛する心を持ち続けるよう、引き続き全力で取り組んでまいります。
 結びに、皆様方の運動が大きな力となり、「核兵器のない世界」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、御参列の皆様の御健勝と御活躍を心からお祈り申し上げます。
  平成三十年三月一日

広島市長 松井 一實
 「被災六四年 3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭」の開催にあたり、心から哀悼の誠を捧げます。
1945年8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」である原子爆弾が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で広島の街は一瞬にして地獄と化しました。この原子爆弾は、罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的に差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしいました。
 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、誰が遭遇してもおかしくない状況に立たされているのです。それ故に、私たちは73年前、あのきのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の「こんな思いを他の人にさせてはならない「という核兵器廃絶を願う切なる思いを世界の人々に広げ、次の世代にも受け渡していかなければなりません。
 昨年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器の使用や保有、配備、威嚇等を禁止した核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。各国政府には国家の枠を超えて「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させていくことが求められています。
 そうした中、私たち市民社会は、世界中の為政者に核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていく必要があります。 そうした意味で、皆様が、今年も墓前祭を執り行われ、「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」との久保山愛吉氏の願いを心に刻み核兵器のない世界に向けた運動を前進させることを多くの人に呼びかけられることは誠に意義深く、その取り組みに対し深く敬意を表します。
 本市が会長都市を務め、世界の163か国・地域の7.500を超える都市で構成する平和首長会議としても、市民社会において核兵器廃絶に向けた国際的な機運を高めるため、全力で取り組んでいく所存です。
皆様には、今後とも「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、共に力を尽くし行動してくださることを心から期待しています。終わりに、ご参会の皆様の今後のますますのご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。
  平成30(2018年)3月1日

長崎市長 田上 富久
「被災六四年 3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭」の開催にあたり、長崎市民を代表して謹んで哀悼の意を表します。
 日本宗教者平和協議会の皆様におかれましては、故久保山愛吉無線長の「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を胸に本日の墓前祭を開催されたことはもとより、日頃から宗教の垣根を超えて世界恒久平和に向けた様々な活動に取り組まれていることに対し心より敬意を表します。
 1945年(昭和 20 年)8月9日午前 11 時2分、長崎の街は一発の原子爆弾により、一瞬にして壊滅的な被害を受けました。すさまじい爆風と熱線により7万4千人の尊い命が奪われ、 7万5千人が負傷しました。あの日から73年を迎える現在も多くの方々が放射線による後障害に苦しんでいます。
昨年7月、被爆者が長年待ち望んでいた、核兵器の開発や保有及び使用等を禁止する核兵器禁止条約が誕生しました。更に10月には、核兵器禁止条約の制定に向けて主導的役割を果たした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。これは、ICANと共に活動してきた被爆者を始め、志を同じくする平和団体や市民社会の貢献を称えるものであり、たとえ一人ひとりの平和を願う声は小さくても、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを示した出来事だと思います。今後も、平和を願う草の根運動が活発化していくことを期待しています。  昨年の歴史的な前進を追い風にして、今後も長崎市は核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け歩み続けてまいります。引き続き、本日ご参列の皆様方のあたたかい御支援・御協力をお願い申し上げます。
最後に、皆様の今後ますますのご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
 2018年(平成30)3月1日

山家妄想  いまや渾身の呼びかけ、直截な諫言を発する


★平成三〇年二月八日、妙心寺派は「峰尾節堂師百回忌を迎えるにあたって」という総長談話を発表した。
★峰尾節堂師はいうまでもなく大逆事件に連座し、死刑を宣告されたが恩赦で無期懲役となり八年の獄中生活の後、大正八年三月六日獄死したのである。総長談話は、この事件に対する妙心寺派教団の姿勢と、戦後の師に対する名誉回復への取り組みの問題点を「慙愧の念に堪えない」と述べながら「節堂師の事蹟に鑑みて人権の問題を考える」として、「昨年制定されたテロ等準備罪」に対する危惧や、「戦後70余年が過ぎ、次第に戦争の悲惨さが忘れられ、国際紛争を武力によって解決しようという風潮が高まる」情勢を指摘し、「宗門の社会的責任について改めて深く反省し、 先の大戦で宗門が戦争に協力してきた事実を常に思いおこし、二度と同じ轍を踏まないよう、非戦平和の決意をあらたにせねばなりません」と述べるのだが、果たしてこれでよいのだろうか。
★過去にも「戦後七〇年に際して」という談話で「先の大戦で宗門が戦争に協力した事実を思い起こし、二度と同じ轍を踏まぬよう、静かに自心を省みなければなりません」と言い、「私達は如何なる時も、お互いの生命を尊重し、共に社会の平和と人類の幸福の為に精進努力致しましょう」と呼びかけ(平成27年7月16日)、北朝鮮のミサイル発射に対しても「全ての国の核実験や兵器の開発に反対するとともに、国際的な対立においては、戦争・武力によらない、平常心をもった対話による平和的解決をはかることを心から願います」(平成二九年九月二〇日)と反応しているのだが、情勢の緊迫度に対して反応の悠長さを感じるのである。★現在開会中の通常国会における討議を見れば、情勢の緊迫度は尋常でないことが判るであろう。安倍晋三首相はこの国会会期中に改憲の発議を行い、二〇二〇年には国民投票をするという日程を公言してはばからない。改憲の焦点はいうまでもなく憲法第九条に自衛隊を書き込むことである。先年来の安保法制の異常極まる強行成立によって、アメリカの引き起こす地球規模の戦争に自衛隊を動員することを目論む。すでに日米安保条約の裏面において自衛隊がアメリカ軍司令官の指揮下で活動する密約が結ばれていることは明らかになっている(末浪靖司:日米指揮権密約の研究 創元社)。首相の母方の祖父岸信介の悲願「戦前の日本=普通の国」を実現すること、それは総長談話の「非戦平和」や「人類の幸福」に真っ向から反する道であることは明らかであるのみならず、総長も言う「仏教徒の基本的戒律」不殺生に反するものなのである。そうであるならば断乎として檀信徒をはじめとする社会に対して、具体的な事実を指摘して渾身の呼びかけがなされるべきなのではなかろうか。
★さらには森友問題・加計学園問題をはじめとする国政私物化に対する首相をはじめ高級官僚たちの答弁は、不妄語戒を破って恥じない鉄面皮なものである。総長談話のような抑制されたものではなく直截な諫言が宗教者からは発せられて当然と思うのであるが、いかがか。
★日本国憲法は、当時の帝国議会において真剣な討議がなされ、二度と戦争の惨禍をもたらさず世界平和を先導するという日本国民の決意のもと制定されたものであることは、その議事録を見れば明白である。そして、現在までの七〇余年の歴史を見れば、日本が掲げた理想こそが平和な世界を導く星であり、日本の平和の現実を実現してきた源であることは明らかである。宗教的理念を現実化する姿をそこに見て確信を持ちたいものである。
(2018・2・27)  水田全一・妙心寺派の一老僧

峰尾節堂師百回忌を迎えるにあたっての総長談話


 峰尾節堂師は大正836日、千葉刑務所で35歳の若さで病死されました。今年が百回忌という大切な節目に当たっております。
 師は、明治421月、大石誠之助氏宅で幸徳秋水氏が語ったとされる話を、ただ聞いたという理由だけで『大逆事件』に連座させられ、 明治44118日、死刑判決を受けます。そして翌日恩赦によって無期懲役に減刑されますが、8年間もの服役の後、獄死することになります。
 『大逆事件』は、言うまでもなく、国家による思想弾圧事件として、多くの人たちが無実の罪で死刑や無期懲役となった国家的な謀略事件です。 節堂師は漢学に親しみ、俳句に巧みな読書家で、普通の悩める若い僧侶でしたが、彼もその事件の犠牲となった一人なのです。
 当時の妙心寺派教団は、節堂師が拘引されて間もなく、まだ判決が出る以前の明治431114日付けで師を「擯斥」(僧籍剥奪)に処しています。 当時の仏教界を取り巻くさまざまな事情があったとはいえ、教団が国家権力に追随し、社会主義運動の防止という役割を担い、 更に戦時体制に積極的に協力していったことは紛れもない事実です。
 そして戦後、民主主義の時代になっても、教団は節堂師を顧みる事なく、外部から指摘されて初めて検証を始め、 平成8928日、ようやく「擯斥」処分の取り消しが行われ、復階及び復権が認められて名誉回復がなされました。遅きに失したという慚愧の念に堪えません。
 節堂師の事蹟に鑑みて人権の問題を考える時、昨年制定された「テロ等準備罪」が、運用の仕方によっては、 一般市民の集会や思想・信条の自由を制限するのではないかという危惧もあります。 また、戦後70余年が過ぎ、次第に戦争の悲惨さが忘れられ、国際紛争を武力によって解決しようという風潮が高まる中、宗門の社会的責任について改めて深く反省し、 先の大戦で宗門が戦争に協力してきた事実を常に思いおこし、二度と同じ轍を踏まないよう、非戦平和の決意をあらたにせねばなりません。
 ここに、百回忌を迎えるにあたって、節堂師に対する懺悔の念を込めつつ、この世の全ての人々の思想・信条の自由を守り、お互いの生命と人権を尊重すると共に、師の事蹟を忘れることなく啓発活動を進めていく所存です。
   平成3028日  臨済宗妙心寺派 宗務総長 栗原正雄