日本宗教者平和会議in長崎 記念講演

「非核非戦の碑の歴史と願い」最終回
   真宗大谷派・長崎教区・信行寺住職  清原 昌也真 

パンフレットに「核とは人間の知恵なり。人間の無明なり」という表現をさせてもらったんです。
「戦とは人間の心の奥深くにある差別の心なり」なんで戦いが差別かというと、戦う時には私が正しいっていう立場に立ちますから正しいもの、正しくないものが出てくるという差別です。
夫婦喧嘩でも
 私のところは、夫婦仲がいいのであんまり喧嘩する事はありませんけれども、嫁さんとちょっと討論になるとするならば子どもの教育方針について、たまにやりあう事があります。喧嘩というほどではないですが、段々煮詰まってきますと、夫婦であっても、やっぱりどうしても自分自身がお坊さん、どっかで坊さんなんでしょうね。言葉じゃ負けないんです。屁理屈は上手なんです。ですから口喧嘩をしていると、必ず妻の方が負けるんです。段々形成が悪くなる。そうしますと結婚する前に付き合っていた恋愛時代の揉め事まで、話に出てくるんです。「あなたは大体、結婚する前からそういう所があったのよ」と言うわけです。それで話は平行線で大体まとまらないですよね。もうそうなれば、その場を収めるためにはとにかく黙っておくのが一番です。もうどれだけ言っても分からん、という立場に立った時の自分が正しいじゃないですか。
 まだそこだけならいいんですよ。一応一晩寝て、「昨日は少しお酒も入っとったし言い過ぎたでごめんね」と謝るんですよ。大概言われるのは「そうやろ」。こっちは謝ったんですが、「いや私も悪かったね」って言って貰えればホッとするんですが。しかし、「そうやろ」ってカチンと来ますよね。もうそれから先はもう我慢するしかない。
 だから謝ろうとしても本当に心の底から謝れないんですね。だから心の底から許せないんですね。これが人間の心の奥深くにある差別の心です。戦いっていう事なんです。「自分が正しい」この自分が正しいというのがここに出てくる。
 「戦争を聖戦という風に美化していこうとする人間の無明」自分が正しいという所に立ってしまっておる事に気付かない人間の無明です。この罪によるものじゃないかと思うですが、皆さんはどう思いでしょうか。
仕事で作っている物が武器に
 長崎教区でこの「非核非戦の碑」というものを取り上げて大事にしていく時には、社会運動をしているわけじゃないんです。もちろん戦争は無いがいい。核も無い方がいい。これはもう絶対にそうです。
 これ50周年のちょっと前ですけども、私がちょうど大学卒業して、直接係わり始めた頃です。その頃に仏教青年会に入りました。ある10歳ぐらい年上の方と出会ったんです。
 仏教青年会をしながらやはりこの「非核非戦」の下に、テーマにしながら話をして、沖縄戦であるとか、強制労働であるとか、公害の問題ですとか特攻の問題とか色んな事を学びました。話をする中でその男性が、こういう事を言ったんです「非核非戦でも、反核反戦でもいいけれども、僕は反対って言いきらん」理由はこうなんです。その方は長崎市内からちょっと離れた諫早という所で旋盤工の方です。鉄を削る仕事をして小さなネジや大きなネジを削り出すそうです。「この年になって俺は昨日怒られたんだ」と言うんです。「どうしたんですか」って聞いたら、ほんの3㎝ほどのネジを削るのに1000分の6mm大きかった。上手に削れず叱られたというわけ。「この年になって1000分の6mmずれたぐらいで怒られねばならんのか」と。でもこの1000分の6mm削り損ねたこのネジは何のネジだったか。もしかするとミサイルか魚雷か、平和利用で言うならばロケットのネジだったろうって言う。そこの工場では、三菱の下請け工場で明らかに魚雷の胴体部分に当たるものとか、そういう物があるんだそうです。組み立てが別の場所で行われ、別の県にあるらしくて、自分が何を作っているかというとネジだって事は分かる。しかし出来上がった物が武器だという可能性が明らかにある。たぶん間違いなくそうだろう。そういう仕事に就いていて、この長崎の地で反戦反核をもし言うならば、自分は家族とともに仕事がなくなるって言いました。「反対」っていうことは大きな問題なんだ。してはいけないと思っていながらも、生きていくためにはどうしても罪を犯さねばならない自分があるんだけどどうしてくれるというですね、そういう事を言う方に出会ったんですね。非常に私、重たい言葉でした。
「非戦非核」という言葉は
 そういう色んな話やら経験をさせてもらいながら、「非核非戦」にずっと触れていく中でですね、この「非核非戦」という言葉はどう考えても社会問題でもなく社会運動でもない。これは自分自身に亡くなっていかれた方々が色んなものを働きかけている事なんだと思いで気付いてくるわけです。長くかかりました。
 15歳の青年がお坊さんにまでなって長年かかって、この「非核非戦」っていう言葉は実は仏事であるんだっていう事に気付いたのはここ数年の事かもしれないです。  例えば彼岸会法要とかですね、盂蘭盆会法要とかいう、「非核非戦法要」なんです。何のためにお念仏するかという所に立った時にですね、「非核非戦」、自分自身の知恵、無明といわれる知恵というものを忘れないように。生活の中で。それでもずっとそれを繰り返し、繰り返し問うていかねばならない。その生き様を、この生き様っていうのは本当ころころ変わりますから、生き様を忘れないためにずっと願い続けねばならないっていう働きかけがですね、「非核非戦」であったなあっていう事に気付くんです。
「共に生きよ」
 この「非核非戦」の碑だけがみなさんの所では重要な文字になっていますし、この写真を撮った人も、そんなに思わなかったのかもしれませんけども、後で出てもらって見てもらいます。「非核非戦」の碑は、3本の柱が立っています。
 一番真ん中が「非核非戦」と書いた碑文ですね。で、その右側に「原子爆弾災死者収骨所」という小さい碑があって、もう一つ左側の小さな碑に「共に生きよ」って言葉が一言入っているんです。これを碑文に残された先輩方は素晴らしいなあとつくづく思います。
「共に生きよ」、これはですね、あそこの中に収められています、1万とも2万とも言われるご遺骨の声なんです。「共に生きよ」って、私がこのまま黙って死んではおれん。平和を願い、核のない世の中を願い、そうやって思い続けて下さい。ただ戦争をしたのも核を作ったのも人間です。あなたもどこでどんな罪を作っているか分からないんです。私も死にました。私も罪人の一人でした。もしかしたらそこまで、この言葉の中にはあるのかもしれない。だから「共に生きよ」っていう言葉も私も罪人の一人でありました。そういう思いが深いのでないかなあと思います。
「絶対的許し」
 この学びの中で、本当色んな所の研修会に参加させてもらいましたけれども、これも不思議でこれもたぶんカトリックの響きだなあと私思っていたんですけども、長崎にはピストルで撃たれました本島市長という方がおられた。伊藤市長と二人続けてピストルで撃たれて亡くなる。長崎市の本島市長は晩年平和活動を一生懸命されていました。
 その講演会の時の発言が未だに頭の中から離れないんです。長崎にいる被爆者は、戦争の悲惨さを訴えるために各地で被爆の証言をされます。海外に行ってまででもですね、被爆の悲惨さを伝えて下さいます。そういう事も取り上げまして本島さんはこの様に講演会の中で言っていました。
 「どれだけ戦争の悲惨さを、原爆の悲惨さを訴えてもそれには意味はないと思います。日本人もたくさん死にましたけれども外国人もたくさん死にました」と。どれだけ現実を訴えても意味が無いと思います。この本島さんはこうも言いました。「絶対的な許し、無償の許ししか平和の道はありません」という風に講演されていました。「絶対的な許し」です。素晴らしい言葉だなあと思います。確かにそう自分の行った罪も自分が受けたものも全部まっさらにしてしまいましょう。お互いの「絶対的な許し」をされても黙って許しを請うしかない。それしかないでしょうと平和を訴えました。 その時に私、直感的に私の様な者は、人は許せないと思いました。この許せないという言葉、どこから来ているかというと、無明という人間の知恵なんです。先ほど夫婦喧嘩の話しましたけどね、どれだけ謝っても本当には謝れない心が必ずどこかに私の中にあるんですよ。この自分自身の中にある罪を忘れてしまったらきっとまた同じことを繰り返すんでしょう、少しでも思い続ける事が出来るのであるならば、一度や二度ぐらいは喧嘩の数は減るかもしれないんです。
真宗の僧侶に
 隠れキリシタンから始まりましてキリスト教、カトリックの村に育ち、色んな事を感じてきました。その中で私自身がどうしてもこの真宗から離れることが出来なかった理由があるとするならばそこなんです。人間の知恵である無明というものは、払っても、払っても消えないものであったからなんです。これを照らすのは仏様、阿弥陀様一人という事を教えてもらったから私は、真宗の僧侶にそのままなっているんだろうと思うんです。
お骨の叫び
 この「非核非戦」の碑というのは、収骨所になっていますけど、お骨を収めている所じゃないんです。この事をきっかけとしてどうか自分自身が色んな方に迷惑をかけている事、罪を作り続けている事を忘れないでいてくれよっていうお骨の叫びが「非核非戦」っていう言葉で現れ、共に生きよといわれている言葉の基になるのでないかなあと思います。
 ですから、「非核非戦」の歩みというのはですね、先ほど紹介しました様に原爆40周年からやっと始まった言葉です。この碑が出来る時に「非核非戦」の碑の建設の実行委員になられた方がこの様に言っています。「納骨堂が完成した途端に、これで終わったとどうしても思ってしまうのではないか。そうなるぐらいだったら納骨堂は建てない方がいい」そういう風に思っていたんだそうです。なんかこれでもう終わった。例えば法事なんかでもですね、50回忌までするとですね、もうこれで終わりっていう人います。もうこれで一区切り。そうなっては欲しくないと。そう願いがありまして、納骨堂が裏にあったのが表に出てきたんです。これで終わりにして欲しくない。
 これ作る、建設の時の設計図の中で設計図の中に出ませんでしたけど、こういう意見があったんですよ。中が見える様に一部ガラス張りにしてお骨が見える様にしたらいいんじゃないか。そういう話もありました。ただ他の方はこう言います。「たとえお骨になっていても、その方の人権があれば晒し者にはしないで下さい」。どっちもたぶん正しいです。ですから希望者にだけ中を見てもらう様にしていた。しかし中を見てもらったからって骨があるだけです。焦げた骨があるだけです。そこから何を聞き取るかっていう事だけしか私たちには出来ないんです。なんかその事を含めて今回、聞いてもらえればなという風に思っていました。
福島は70年前の長崎
 ちなみにこれからの事です。ちょっと1時間の時間貰って、これからの事になりますけども、被爆という事に関しまして、70年前の出来事という風に思っておられる方が多いかもしれませんけれども、長崎の中で被爆は未だに大事な問題として残っています。それは被爆二世、被爆三世、被爆四世と呼ばれる被爆者の子ども達です。被爆者と同じ様に健康の不安を抱え差別の不安を抱えながらまだ生きている人たちがたくさんいらっしゃいます。
 私の子どもも被爆三世になります。私は被爆にはあんまり関係ないです。私の妻のお父さんが胎児被爆といってお腹の中にいる時に被爆しました。その父親から生まれた子ですから、私の妻が被爆二世になります。私の子が被爆三世になります。
 結婚を申し込みに行った時にこう言われました。「家の子で本当にいいですか」。普通に聞いたら、家のような子でもっていうのは普通の言葉なんですけども、その言葉の裏側はですね、家の子は被爆二世ですけれどもそれでいいですかって事です。「そんな事いっこうに気にしていません」と言って結婚しました。
 そして我が子が小さい頃にですね、鼻血を出したりですね、体の具合が悪くなるとですね、被爆の関係はなかろうかっていっつも心配します。病気する度に私の妻は泣いていました。実際どうですかね、ちょっと臓器の名前を忘れましたけれども、普通の人よりも白血病になる可能性が高い。臓器が肥大している部分があるそうです。家の妻も、家の妻の弟も何か子どもが具合が悪くなると大丈夫だろうか。
 本当小さい頃は、熱を出す度に泣いていました。私のせいじゃないだろうか。それぐらい不安を抱えて、未だにこう差別される方がおられるようです。被爆の差別というものの実態もあります。
 ただ追跡調査がありまして、被爆二世、被爆三世などは健康診断を受ける事が出来るんですけども、被爆者である事を隠すために二世、三世を名乗らない方もいらっしゃいます。原爆手帳もそうです。被爆者である事が分かって、子どもや孫に影響があっては困るので手帳を持っていない方も長崎には存在します。
 本当、核の問題だけでなくて、同時に差別の問題がこの原爆の中にはあるという事も覚えておいて欲しいです。 今の福島の放射能漏れの問題なんかちょうど私たちが知らない70年前の長崎の不安な姿でなかったかなと。今はもう情報がたくさんあるので、ますます不安は大きいかもしれないです。  逆に言うと福島の方々に見て欲しいのは、今の長崎の姿は福島の70年後の姿です。子どもや孫まで心配せねばならない状況になるだろうと思います。 長い、長いこれからですね。そう考えれば考えるほどやっぱり原子力そのものは無い方がいいんです。宇宙戦艦ヤマトの様に放射能除去装置などという物が出来て全てが丸く収まるのであれば問題ないんですけども、まだまだそこまで人間の知恵は及んでいない以上、もうコントロール出来ないものは手にしない方が無難じゃないかなと私は思います。
 一応頂いた時間を超過しましたのでこれでお話に代えさせてもらいます。どうもありがとうございました。  (文責と見出しは編集部)

島ぐるみ宗教者の会と連帯して
稲嶺ススム氏及ばず


「辺野古新基地を造らせない島ぐるみ宗教者の会」(島ぐるみ宗教者の会)は1月18日名護市長選で「名護市長選にのぞみ、稲嶺ススムさんを支持する声明」を発表しました。
 この声明に連帯することを日本宗教者平和協議会は決め、募金と応援派遣をしました。
 19日から24日まで森修覚事務局長、29日から2月2日まで樋口重夫、岡田隆法両事務局次長を名護へ応援派遣をしました。島ぐるみ宗教者の会の岡田弘隆師、谷大二氏、久保礼子氏らと行動しました。
 海にも陸にも基地をつらせない、断念させる争点の選挙でした。しかし相手候補はだんまりで市民に基地のことは示さない
 島ぐるみ宗教者の会のみなさんと教会、寺院などを訪問しました。
 訪問先の牧師さんは「基地建設は百害あって一利なし」「信徒さんにもお願いしている」「教会の敷地で演説してほしい」など教会の中まで案内され、島ぐるみ宗教者の会の共同代表も承諾されました。
 日蓮正宗の住職は「創価学会をやめた人が訪ねてきます」「稲嶺さんは役所時代から友達で、檀家さんにもお願いしますよ」と答えていました。
 創価学会の幹部のところを回り「自民党に借りがあるから自民党に返さなければならない選挙になっている。会長までも来ているが学会員のなかには基地は造ってもらいたくない人もいる。私は稲嶺さんに入れるよ」と坊主頭に触らさせてくれと、和やかに懇談しました。
 済井出地区にある愛楽園を訪ね、信徒さんと懇談しました。ハンセン病でのたたかいや差別などの話を聞き、宗教施設を案内していただきました。

「―東京電力福島第1原発事故から7年―原発ゼロの未来へ
福島とともに3・4全国集会」への参加を


 東京電力福島第1原発事故からまもなく7年をを迎えようとしています。しかし、いまだ事故も収束せず、様々な形で苦しみと被害が続いています。 原発事故の補償・賠償を求める裁判では、前橋地裁と福島地裁で国と東京電力に対する責任が認められました。原発事故被害者への賠償と避難者の住宅保証の打ち切りを許さない戦いを福島とともに大いに進めていきましょう。 今年の1月10日、小泉純一郎、細川護熙元首相らが顧問を務める「原発ゼロ・自然エネルギー基本法推進連盟(原自連)の骨子が発表されました。本法案は、原発の即時停止と再稼働・新増設の禁止、核燃料サイクル事業から撤退と原発輸出の中止、さらに2050年までに電力を自然エネルギーで賄うことを柱にしており、法案成立へ向けた協力が各党へ呼びかけられました。
 福島と福島原発事故被害者に寄り添い、福島の真の復興を目指し原発ゼロ未来へつなぐ結節点の集会です。参加を呼びかけます。

山家妄想

宗教者年頭の発言

★新年を迎えて、フランシスコ・ローマ教皇をはじめ指導的立場にある高僧の発言に接することができた。教皇は被爆直後に長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を添えたカードを作り「戦争が生み出したもの」との言葉をつけてひろめるように指示されたという。教皇はこれまでにも核兵器廃絶を呼びかけられており、あらためて平和を訴えられたのだ。
★臨済宗相国寺派の管長有馬頼底老師も中外日報紙上において、昨年教皇に謁見された時「武力によらない対話による平和の大切さ」について共感されたこと、またケソン市(北朝鮮)にある霊通寺の法要に参列した時の経験で、かの国の人々も「対話による平和を望み」を実感したとし、悲惨な結果を招くことが明らかな戦争を避け平和の道を切り開くためには、粘り強い対話と交渉が必要で「そこに仏教徒が寄与できればと強く思っている」と語られている。
★黄檗宗管長近藤博道老師も、北朝鮮問題は憂慮すべき課題の一つと指摘され「平和裡に治まることを願っている」といわれ、天台宗森川宏映座主は「ひとたび戦争が勃発すれば、人類滅亡にも招きかねません。各国が協調し、人類の英知を結集して、危機を回避されんことを念ずる」と訴えられる。杉谷義純天台宗妙法院門跡門主も30年間積み重ね続けてきた「比叡山宗教サミット」の成果として「無防備というか率直な対話が可能になった」ことを指摘し、すべて戦争は対話が途切れたところから始まる。戦争には勝者はなく、結果として関係者は苦しみを味わう敗者となる。「このことを肝に銘じて、どんな細い糸でも対話につなぐ努力が求められます。宗教者の一人としてこの原点を忘れたくない」と述べられるのである。それぞれに宗教・宗派の枠内での徳目・実践にとどまらず、ひろく視野を世界に広げた観点から足元の実践課題を提起されている。この先達たちの導きを踏まえて、私たち個々の宗教者は日々努めてゆかねばならないと思うのである。
★わが寺に届いた妙心寺専門道場師家の雪丸令敏老師からの年賀状には新年のお気持ちを述べられた漢詩と和歌、そして昨年歳末の思いを述べられた漢詩が載せられてある。
戊戌元旦 口占    因御題語
来賓続々賀新正 海月山雲会話盛 鳥語松吟般若説 庭前芻狗吠天明
(来賓続々 新正を賀す 海月山雲 会話盛んなり 鳥は語り松は吟ず 般若の説 庭前の芻狗 天明に吠ゆ)
・元日や 賓主互いに 祝語述ぶ これぞまことの 一代時経 丁酉歳晩書懐
紛々野隊失威光 与党無端守一強 世界東西多諍乱 人間名利似風狂
 (紛々たる野隊 威光を失す 与党端無くも 一強を守る 世界東西 諍乱多し 人間の名利は 風狂に似たり)
人境と隔絶した僧堂内の老師もまた昨年の総選挙を注目されていたのである。
★「私は高齢となり動き回ることはかないませんが、発言することはできる」と、「釈尊は、世の中を平穏にすれば、兵隊も武器も必要ない=『国豊民安 兵戈無用』と教えています。(中略)これは日本国憲法9条の戦争放棄の思想そのもの、仏教者にとっての根本理念です」と話し始められたのは浄土宗西山禅林寺派元管長の五十嵐隆明師である(2018年1月7日しんぶん赤旗)。師は同派の若い僧侶の中からも核兵器禁止条約推進の会議に参加する人が出ていることにふれて、「こうした動きを僧侶の世界だけでなく、檀信徒の世界にまで伸ばしていく努力がますます必要です。平たく言えば、坊さんが檀家のところへ行き、『お経(『国豊民安 兵戈無用』)の意味はこういうことだ』と発信していけば、平和の精神が浸透していくのです」と話される。
★戦前、仏教界も戦争協力した苦い歴史の反省を「今に生かさなければならない」と呼びかけられるとともに、平和の精神を浸透させるための発信にいま取り組むことが、果たすべき「仏教徒としての役目」であるといわれるのである。
「当面の平穏の中で、ぼかされた危険をはっきりと見ぬく必要がある」という師の言葉は、痛苦の戦前の経験に裏打ちされた現在と未来への洞察とともに、見せかけの「平穏」の内に埋没してしまっている坊さんたちへ、眼を大きく見開いて現前の真実を見抜けと言う獅子吼と受け取るべしと思うのである。(2018・1・7) 水田全一・妙心寺派の一老僧