2017年 日本宗教者平和会議in長崎を開催


 日本宗教者平和協議会は、1023日長崎の真宗大谷派・長崎教会の本堂で、国連軍縮週間に呼応する「2017年日本宗教者平和会議」を開催しました。
 台風21号の影響で開催が危ぶまれましたが、全国から参加しました。
 主催者を代表して、岸田正博副理事長・真言宗智山派多聞寺住職)があいさつし 昨日の総選挙の結果、「与党が3分の2を超え、『戦争する国』への改憲が出されかねません。憲法9条を、平和を守るためになにが必要か、共に学んでいきたい」と述べました。
 真宗大谷派長崎教区第2組信行寺住職の清原昌也さんは「非核非戦の碑の歴史と願い」と題して講演しました。
 原爆との出会いは高校生まで「長崎の原爆資料館のなかを見ることができなかった。しかし、ある神父さんの話を聞く機会で「見ぬふりしないで、見てください」と声をかけられて初めて原爆資料館に行くことができた」と。
「非核非戦の碑」について、碑の下には、1万体とも2万体とも推定されたお骨が収納されています。
 8月9日に、米軍が投下した原子爆弾の直撃を受けて亡くなった身元の分からない方々の遺骨です」と当時は遺骨の収容先を探し回ったようですが、雨露をしのげるようなところがなく、結局、教務所に仮安置所を設け、26個の木箱に収めて責任をもってお預かりすることになった。
 「非核非戦」の言葉は1985年に名付けられ、1999年に現在の碑に落成したもの。その意味は「この碑が単に『原子爆弾被災者者収骨』ではなく、原爆を過去の悲劇ととらえるもではなく、現在を生きる私たち一人ひとりの課題として、また、真の平和を希求するものとして世に公開するためである」とのべ、「核」とは人間の「チエ」なり、人間の無明なり「戦」と人間の心奥深くある差別の心なりと受け止めました。
 碑の前で祈り、収骨の遺骨に出会いました。「共に生きよ」と呼びかけられていると。
 この平和会議には長崎県宗教者懇話会の会長の神崎正弘さん(真宗大谷派法生寺住職)、顧問でカトリック長崎大司教区司祭の野下千年さんが参加し、あいさつしました。

被爆者証言と今後たたかいについて

被爆者の松谷英子さんが被爆の実相を生々しく語りました。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下されました。当時3歳5カ月だった松谷英子さんは、爆心地から2・45キロにある稲佐町の自宅で被爆しました。  縁側で遊んでいた松谷さんの頭に、爆風で飛んできた屋根瓦がつきささり、頭蓋骨埋没骨折によって脳に損傷を受けました。 被爆直後には下痢や脱毛など原爆被爆特有の症状があり、その後は脳の傷のため何度も引きつけを起こすなど、医者に見放されるほどの重傷でした。放射線の影響で治癒能力が低下したため、傷口がふさがるのに2年半かかりました。
 松谷さんは、この傷がもとで、右半身麻痺という重い障害を負わされてしまったのです。
 「頭の傷はいまでも深く陥没しており、寒いときや暑いときにはひどく痛みます。曲がった右足では坂道や道の段差などで転んでしまいます。負担のかかる足腰はいつも痛み、全身が疲れます。右の手はハンカチをつかむこともできず、顔までしか上がりません」と述べ、瓶のふたを開けたり、料理をするときの包丁で皮をむいたりする作業も実際に紹介しました。
 学校時代はいじめにあい、辛い思い出があります。
 けれども、松谷さんは何度も挑戦し珠算検定2級に合格。左手だけで伝票をめくり、そろばんをはじきます。「障害をかかえながらも、なんとか自立しようと一生懸命生きてきました。被災協との出会いが今日の私です」と笑顔で語りました。
 続いて長崎被災協会長の田中重光さんより核兵器禁止条約の批准や「ヒバクシャ署名」の運動の重要性などを紹介されました。
 その後「『ヒバクシャ署名』を広げ、いのちと平和な未来にかかわる核兵器のない世界のために『平和の祈りを行動の波へ』と被爆国日本の宗教者の責務を果たそう」という宗教者アピールを採択しました。
 夕方レセプションを開き、講演者、長崎の宗教者、参加者との交流を深めました。

原爆史跡巡り

 平和会議2日目は、岡まさはる長崎平和記念資料館を訪ね、戦争の加害者責任、朝鮮人連行などについて説明を受けました。 爆心地では被災協会長の田中重光さんの案内で原爆投下の様子の説明を受けました。平和資料館、平和公園、被爆者のお店など回り、日程を終えました。
 24日の午後から、軍艦島(端島)に上陸し、世界遺産となった経過、建築物の説明など案内していただきました。
 25日は佐世保原水協の仲村真二さんの案内で佐世保の軍港を船で回り、弓張岳の展望台から佐世保港の全体を見ることができました。
 日本の「戦争する国づくり」が具体的に進められている様子を知ることができました。

被爆国に核兵器禁止条約に参加する政府を

「核兵器のない平和な世界」の実現を――宗教者のアピール

 私たちは今年の7月7日、国連加盟193カ国の約3分の2にあたる122カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択され、9月から署名・批准が開始され50数カ国が署名したもとで、国連軍縮週間に呼応し「核兵器のない平和な世界へ」のための祈りと行動をひろげようと「2017年日本宗教者平和会議 in 長崎」を被爆地・長崎で開催しました。
 長崎の被爆者・山口仙二さんは、自らの体験をとおして核兵器の非人道性を告発し、ふたたび被爆者をつくるなと、「私は核兵器を廃絶するために生きている限り訴え、そして、被爆者として死にたい」と叫び、谷口稜曄さんは、自らの赤く焼けただれた背中の写真を高く掲げ「被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま、苦しみに耐えて生きている…私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで見てほしい」と呼びかけ、「人間が人間として生きていくためには地球上に一発たりとも核兵器を残してはならない。私を最後の被爆者に」と国連で訴えました。
 世界にはなお1万5千発余の核兵器が存在し、北東アジアで緊張と対立が高まり、核兵器使用が現実の脅威でありつづけています。核兵器禁止条約は、核兵器の非人道性を厳しく告発し、その開発、実験、生産、保有、使用、使用の威嚇などを全面禁止するとともに、核兵器を人類史上初めて違法化しました。また、核兵器の「使用の威嚇」の禁止が明記されたことは、核兵器による威嚇に依存した安全保障論=核抑止力論を否定した画期的なものです。
 ところが、唯一の戦争被爆国である日本政府は、米国の「核の傘」に守られている安全保障政策と相いれないと条約交渉に参加せず、安倍首相は禁止条約に「署名、批准を行う考えはない」とし、世界の流れに逆行し、禁止条約参加に背を向けています。
 アメリカの「核戦略」にしがみつき、国民多数の願いを無視する態度をとっている安倍首相は、長崎の被爆者から「あなたはどこの国の総理ですか」と厳しい批判を浴びました。日本政府に核兵器禁止条約に署名するよう強く求めるとともに、条約に署名・批准する政府をつくりましょう。
 私たちは、被爆者が共同受賞でなかったのは残念ですが、核兵器の使用が人類に破滅的な結果をもたらすことに注目を集める取り組みと条約の実現に被爆者とともに力を発揮した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞したことを心から歓迎するものです。
 被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は、16万4621人(17年3月末現在)となり、平均年齢は81・4歳となりました。原爆症認定制度の抜本的見直しや被爆者対策の支援拡充が求められています。被爆の実相を伝えること、悲惨な体験を継承し、被害の実態を正確に後世に残すことは核兵器廃絶のために欠かせません。
 東電福島第1原発事故から6年半余、今なお約6万8千人もの福島県民が避難生活を余儀なくされるなど、深刻な状況がつづいています。私たちは福島で「宗教者祈りのつどい」を開催してきましたが、ひき続き、原発の再稼動を許さず、「原発ゼロ」、自然エネルギーへの転換を求めましょう。
 対立や憎悪ではなく愛と慈悲、対話・話し合いによる平和をめざし、日本の政治に立憲主義と民主主義、平和主義を取り戻し、一人ひとりのいのちと尊厳を守り、大切にする社会を築きましょう。憲法改悪と軍事化、戦争の危険な動きに反対し、戦争責任の反省の戦後の原点に立ち返り、憲法9条を生かす日本としなければなりません。沖縄の新基地建設に反対し、「日米地位協定」見直しなど、基地のない平和な沖縄への展望を切り開くために力を合わせましょう。
 長崎は、永遠に最後の被爆地でなければなりません。核兵器による破壊の危険から人類を救うために、「ヒバクシャ国際署名」をひろげ、いのちと平和な未来にかかわる核兵器のない平和な世界のために、「平和の祈りを行動の波へ」と被爆国日本の宗教者の責務を果たしましょう。

2017年10月23日       2017年日本宗教者平和会議 in 長崎

福島避難者訴訟が結審

宝鏡寺住職・早川篤雄原告団長が意見陳述


 東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた楢葉町、双葉町、南相馬市などの住民が東電に損害賠償を求めた福島避難者訴訟の第26回口頭弁論が1011日、福島地裁いわき支部(島村典男裁判長)で開かれ、最終弁論を行い結審。判決は来年3月22日。
 原告団長の楢葉町の宝鏡寺の早川篤雄住職が意見陳述し、「原発さえなければ」と命を断った人たちの無念の思いを代弁。起こるべくして起きた原発事故の「事実と真実に照らして、『言語化することそのものが不可能な』被害に苦しんでいる私たち多くの被害者が、この先、生きる希望の持てる判断をするように」と陳述しました。

福島原発避難者損害賠償請求事件

意見陳述書(要旨) 
2017年10月6日  原告 早川篤雄
 私は、六百年を超える歴史を持つ山寺の三十代目の住職ですが、寺は私の代で消滅に向います。既に十軒のお檀家が離檀しました。
 私は自分の代で、寺本来の宗教活動・行事の復活と境内環境の整備をしようと計画し、3・11までの30数年の間にほぼ達成して満足していました。特に境内整備は、晩年の人生を自然の中で楽しんで生きたい想いを重ねて丹精しました。退職後、その自然を楽しんで満足していました。この、達成、満足、楽しみを奪われました。そのために生きてきて得ることのできた幸福感を奪われました。残る人生を生きる心の支えもなくなりました。自分の生涯はなんだったのか。
 私は、今、こうして生きておりますが、このような悲しみに明け暮れ、自ら命を断った避難者もいます。
 原発事故で仕事がなくなり、「もう疲れちゃった」とため息をくり返していた会津若松の夫婦。障害を持つ息子の首を絞め、夫婦は只見線の鉄道で並んで首を吊ったそうです。
 また「ここ出なきゃなんねのか。おらはここにいてぇな。ちっと長生きしすぎたかな」と自分で縄を綯い、首を吊った飯館村の102歳の男性。
 「原発さえなければ」と牛小屋の壁に書き残して自殺された相馬市の酪農家の54歳の男性。
 原発事故は、このように、百キロもの先の人の仕事を奪い、百年の生涯を生きてきた老人の故郷を奪い、牛乳の出荷停止で収入が途絶え借金返済のめどが立たず「保険で金を支払って下さい」と自殺に追いやったのです。
 原発事故によって、私たちの住んでいた地域と社会・住んでいた人々の生活と人生の総てが奪われました。二度と再び元通りになることは、どう考えても有り得ません。ふるさと喪失です。
 利潤追求最優先が事故の根本原因であることも明らかにされました。しかし、東電は事故責任を認めず、私たちが求める償いも「争う」としています。こんな非道が許されるでしょうか。
 「原子力発電所の立地条件は、周辺地域に大都市がなく人口密度の低い地域であること(『双葉原子力地区の開発ビジョン』)」、「大熊、双葉両町が(原発の)適地であると確認した。適地確認が順調に進んだ背景には東京電力が原子力発電所の設置を決めてから、入念な根回しを行なった―などの事情がある(『共生と共進―地域とともに―福島第一原子力発電所45年のあゆみ』『東京電力三十年史』)。
 これが、福島に原発がつくられた理由といきさつですが、「どうして、原発の立地条件は、人口密度の低い地域でなければならなかったのか」「なぜ、入念な根回しを行なったのか」。東電が原発の危険性・過酷事故を想定しているからです。
 東電は、1971年第一原発1号機営業運転開始直後から大小さまざまな事故を次々起こし、大事故寸前の事故まで隠し、その度に、通報遅れを指摘され、その上データの改ざん・捏造等々、こうしたことが常態化し悪質化していました。地震・津波がなくても大事故がいつ起きても不思議でない状態での40年、これが福島原発でした。
 一方で、東電は「安全神話」・地元住民対策に様々な大量のビラや冊子を地域住民に配布していました。
 「美しい自然の山河と町民の平和な暮らしと我々と我々の子々孫々の生命を守る」と決議して72年楢葉町民の会が結成され、73年富岡町、大熊町にも結成され、同年9月「安全性の確認が得られず、真の地域開発にもならず、住民意志をも無視した原発・火発に反対する」と申し合わせて県民組織が結成されました。
 86年のチェルノブイリ原発事故の翌年、全国の原発反対住民組織が中心になって、「原発問題住民運動連絡センター」が結成され、以来、安全性・防災対策の確立を国と各電力会社に申し入れと交渉を毎年行なってきました。
 92年「原発大事故つぎは日本」と題するパンフレットを発行して警告し続けてきました。
 2005年2月、東電は私たちの追及で、福島原発はチリ津波級の津波に耐えられないことを認めましたが、再三の抜本的対策要求はことごとく無視されました。そして、ついに大事故が起きました。福島原発事故は、起こるべくして起きた事故である。
 13年3月、本件事故後に東電が発表した『福島原子力事故の総括および原子力安全改革プラン』の事故の「根本原因分析の結果」の中で、「津波対策が必要ということを認めること自体が、その時点での発電所が安全ではないということになり、その結果、立地地域及び規制当局のみなさまから過剰な対策を求められると思いこんだ~。」と述べています。
 15年8月5日。東電社長、廣瀬直己は、福島県議会で、「事故は加害者として人災だと自覚しているか」との質問に「私はこれまで、これが人災なのか天災なのかということを、正直言って真剣に考えたことないです」と言い放ち、1612月8日、東電福島復興代表石崎芳行は、ある被災者に「原発は必要悪だ」と言いました。被災地・被災者の惨状を全く理解していないことを放言したのです。
 裁判所におかれましては、事実と真実に照らして、「言語化することそのものが不可能な」被害に苦しんでいる私たち多くの被害者が、この先、生きる希望の持てるご判断をして下さるようお願い致します。

山家妄想


なぜ、「ことば」は重みを失ってしまったのだろうか

★情報や知識を手に入れたり、やり取りをする方法は大きく変わってしまった。かつては新聞を読み、ラジオを聴くことによって情報を獲得し、そのやり取りは書簡に頼ることが普通であった。知識の獲得は書物が最大の取得源であり、それは必然的に思索を促して教養と人格の形成に資する知的作業であった。しかし、いま新聞は読者の急激な減少に直面しているといわれ、ラジオもBGMとしての音楽はよく耳にするが、知的な講話や対談などは深夜・早朝に追いやられて、聞く者も限られている。タレントのキャラに依存した刺激性の強いテレビが幅を利かしている。
★読書は最大の危機に直面しているといえる。都会のターミナルなどの大型書店こそ賑わいを見せてはいるが、街中の書店はあいついで店を閉めている。書店の存在しない都市も決して稀ではない。それは書店の側に問題があるのではなく、新刊は大型書店に平積みされていても、地方の中小書店には注文しても取次から本が回ってこなくなっているという。流通の仕組みに最大の原因があるというのだ。
★読書離れは学校教育のあり方にも原因がある。始業前の15分読書などいかにも「書物に親しむ」取り組みの如く伝えられるが、本体の授業で読書を基本とした実践が少ない。パソコンなどを使っての授業がもてはやされ、辞書を引く作業はスマホによる検索にとってかわられている。両者の知的領域における違いなどの検証もなしに。いつも手元にあるキーに触れるだけで検索して得られる知識はスマホの中に蓄積されこそすれ、人間の脳に蓄積されることが少ないことは自明である。スマホを多用する人間にとって知識は人間の脳を瞬間に通過する一過性のものとなってしまった。
★前世期なかばから始まった教育の国家統制は、いまや完成期にあると言ってよい。勤務評定実施から始まる教職員に対する統制は、過労死が起こっても不思議はない過酷な勤務実態に結果している。本来相互研鑽による共同研修によって高められるはずの教員の資質向上は、教育集団の分断によって機能することができない実態である。当初は教師がカリキュラム作成する際の参考資料と位置付けられていた学習指導要領は、絶対遵守すべきものとされて教育内容の国家統制は完成した状態となった。
★グローバル化に対応すると称して、人づくりは人格の陶冶、教養の育成という観点よりも企業の要求に応じる即戦力の人間作りという性格が強くなった。そのような教育によって育ってきたのが現在社会の中核を占めている人々である。「コトバ」の重みを尊重しない風潮の根源はここにある。
★発言する「ことば」の中身よりも、発言の様相が重視される。SNSの場ではそれがより顕著にあらわれる。トランプ アメリカ大統領のツイッターやフェイスブックでの発言は、その最たるものといえよう。そこでは「フェイク」と呼ばれるニュースが横行する。フェイクとは「偽造された・偽物の」と辞書にはある。嘘が真実として拡散されるのである。このような現象にいかにして対処すべきか。
★ネットの上で発見した杉江義浩氏のブログにその一つの回答をみた。「僕は昔から共産党が大嫌いでした。」とはじまるのだが、日本共産党の綱領全文を読んでみたら進化に驚いたというのである。「とにかく理想だけを並べ立てて、現実を直視しない政治姿勢が気にくわないのかもしれない」、公安調査庁からマークされていることも「危険なテロリスト団体」だろうという先入観もあったという。きちんと共産党を否定できる根拠を挙げた上で批判しようと思って「念のため現在の綱領を確認しようとよく読んでみると、驚くほど穏健で現実的なものに進化していることに気がついた」と、その内容を具体的に紹介している。そして「現代の日本の政治を担う政党として、現実路線を強く打ち出していることが分かりました」「今の安倍独裁政権よりは、はるかにマシなので、脱安倍独裁のための一票を、安心して投ずることができます」と結論付けている。さらにツイッターにも上田博之氏が共産党員ではないがと、断ったうえで「初めて綱領ゆっくりと読みました。とても納得させられました」とつぶやいていることを発見した。
★私たちがこのような姿勢を他の政党の発表している文書などについても取り、それに基づいて相互批判をするならば論戦は意義あるものになるであろう。たとえば自民党の「憲法改正草案」や公明党の綱領、民進党の綱領などの内容は興味深く、その内容の検討は彼らの現実行動に意義ある評価を下すことになるだろう。
★事実を自らの眼で確認し発言する姿勢の中に、失われた「ことば」の重みを取り返し相互批判を経て互いに向上する人間社会を育てていくことができるのである。日本の健全な民主主義の発展はここにしか保証されない。

(2017・1010) 水田全一・妙心寺派の一老僧