アピール  総選挙で核兵器禁止条約に署名の政府を


2017年9月28日 日本宗教者平和協議会 

 安倍首相が、臨時国会冒頭で大義なき解散を行いました。民主主義の根幹である国会の議論を軽んじ、憲法と立憲主義をないがしろにするものです。また、森友・加計疑惑を隠蔽し、議席の確保をねらった極めて身勝手で党略的なものであり、その先に憲法9条改憲を企んでいることは明白です。安倍政治に対する野党の追及と国民の批判に追いつめられての解散でもあります。
 この間の戦争法や共謀罪、沖縄新基地建設、原発再稼働の強行、行政の私物化、改憲策動、アベノミクスの失敗と格差と貧困の拡大、社会保障の連続改悪等に対する国民の批判は深く、広く形成されてきており、野党共闘による明確な選択肢が示されればアベ政治の崩壊は免れません。安倍首相を退陣に追い込むチャンスです。
 野党共闘は、単に野党間の関係ではなく、戦争法反対の「市民革命」とも称されたたたかいの中から生み出されたものあり、国民の『共有財産』となっています。安倍首相・自民党が憲法9条改憲を打ち出してきているもとで、総選挙における野党共闘の実現とその勝利は日本の将来を左右するものとなっています。
 いま、総選挙勝利、安倍政権打倒、改憲阻止に向けて、野党共闘の実現が切実に求められています。
 戦争法反対・廃止等の思想信条・党派を超えた共同が広がり、それをベースに総選挙に向けた市民連合が大きく広がってきていています。
 総選挙における野党共闘の実現と本気の共闘、豊かな共通政策の確立を求め「核兵器のない世界」実現へ、核兵器禁止条約に署名し、批准する政権をつくる歴史的なチャンスです。日本政府を禁止条約に参加させることは、北朝鮮に核を放棄させるうえで大きな意義があります。
 日本宗平協は、7月7日国連で採択された「核兵器禁止条約」の署名する政府を求め、野党共闘の実現とその勝利をめざし全力を尽くすものです。  以上

「平和の波」スタート 
核兵器禁止条約 政府は署名を



 国連本部で核兵器禁止条約の署名がはじまった20日正午、原水爆禁止世界大会が呼びかけた各国政府に条約参加を迫る世界同時行動、「平和の波」がスタートしました。
 東京・新宿駅西口では、原水爆禁止世界大会実行委員会の野口邦和運営委員会共同代表が、「平和の波」の開始を宣言。開始行動には日本宗平協をはじめ25団体・個人約100人が参加し、「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけ、128人から署名が寄せられました。
 午後1時半からは場所を首相官邸前に移し、約60人の被爆者代表のみなさんを含め約300人が参加し、日本政府に対し核兵器禁止条約に署名・参加するよう迫る「平和の波・おりづる行動」が取り組まれました。
 各地の被爆者代表が、「億という『ヒバクシャ国際署名』を集めるために頑張りたい」「核兵器禁止条約は死が無駄ではなかったと思わせてくれた。でも、まだ安らかに眠ることはできません。核兵器をなくして安らかに眠れるようにしたい」と決意を表明。日本政府は被爆国としての責任を果たし、一刻も早く禁止条約に参加・署名し、「核兵器のない世界」を実現する先頭に立つようにと訴えました。
 また、世界大会実行委員会による官邸前での「おりづるアピール」行動では、日本原水協の高草木博代表委員らが、「広島と長崎のあの惨状をくり返していいのか」と訴え、政府は被爆者の声を聞き、世界の反核平和の流れに合流し、被爆者のことばにできない苦難とたゆみな努力が刻まれた核兵器禁止条約に参加するよう訴えました。
 この行動では、日本共産党の衆参両院の4人の議員が参加し、ニューヨークにいながら核兵器禁止条約にサインせず、足を引っ張る安倍首相の情けない姿への怒り、核兵器禁止条約にサインできる政府に変える決意などの決意と連帯の思いが語られました。
 その後、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が主催し、「核兵器禁止条約への日本政府の参加を求める院内集会」が参院議員会館で開かれました。主催者あいさつで日本被団協の岩佐幹三顧問は、「日本政府は被爆の実相を受け止め、再び被爆者をつくらせないために核兵器のない世界の先頭に立ってほしい」と訴え、木戸季市事務局長は、北朝鮮の核・ミサイル危機を克服するためにも核兵器禁止条約への参加が重要であると訴え、安倍首相に「被爆者、国民の願いを受け入れられないのであれば、首相をいますぐおやめください」と述べました。
 集会後の記者会見で岩佐幹三顧問は、「核兵器禁止条約は、大きな意味を持つものの、北朝鮮をはじめとした国際情勢の危機的状況は変わらない。核兵器の廃絶に向けて日本は役割を果たすべきで、政策転換を求めていきたい」と話しました。

核兵器のない世界を願って
世界規模の「平和の波」連帯し祈りのつどい


「平和の波」行動に連帯し、日本宗平協は25日、核兵器のない世界を願って「祈り、学習、行動」のつどいを開催しました。
 祈りではキリスト教、神道、真言宗、浄土真宗。それぞれの教えにもとづき、核兵器のない世界を願って日本基督教団北千住教会の平沢功牧師は「日本の政府がこの条約に署名し、核兵器廃絶が早期に実現するよう求める」と述べました。
 学習会では「核兵器禁止条約を力に」題してミニ講演で事務局長・真宗大谷派僧侶の森修覚事務局長が「条約に署名する政府を総選挙でつくろう」と呼びかけました。
 終了後、北千住駅前で「ヒバクシャ国際署名」の行動を行いました。

原水爆禁止2017年世界大会―長崎に参加して


日本宗平協常任理事
真宗大谷派・安養寺住職 林 正道


 7日の朝、お月忌参りをすませてから長崎へ。午後3時30分から長崎市民会館で開かれた「原水爆禁止2017年世界大会―長崎」の開会総会には、宗平協の森修覚事務局長と一緒に参加しました。
 印象に残ったのは、安倍首相が広島で核兵器禁止条約に背を向ける姿勢を示したことに対し、田上富久長崎市長も批判。日本被団協の木戸季市事務局長も、「唯一の戦争被爆国の首相の言動としては許されない。恥ずかしく、悲しく、腹立たしい。日本の首相が今すべきは、日本国民、被爆者の願いを核保有国、同盟国に伝え、説得し、禁止条約に署名させることだ」と強調し、大きな共感の拍手が湧きました。国連の中満泉軍縮上級代表は、「核兵器禁止条約は、被爆者の皆さんの核軍縮への長年の取組みが結実したものだ。核兵器国とその同盟国は、禁止条約という新しい現実とどう向き合い、2020年のNPT(核不拡散条約)再検討会議で軍縮への具体的なステップを真剣に考えなければならない」と強調しました。
 集会の終了後、夕食を取るため、建交労委員長の角田季代子さん、前委員長の赤羽数幸さん、婦団連会長の柴田真佐子さん、森さんと私で中華街の料理店に入りました。、最初は1グループだけでしたが、間もなく満席に。しばらくして、外国代表のアメリカのジョゼフ・ガーソンさんが1人で入ってきましたが、満席で追い出されそうになり、私たちと同席してもらって大いに歓談しました。“外国代表は、食事にさえ苦労が多いんだ”と妙なことに感心しました。
 8日朝、私と森さんは、建交労長崎県本部主催の『敬朋』慰霊祭に参列しました。被爆地長崎では、失業対策事業に働く人たちの中には多くの被爆者がいましたが、身寄りもなく一人寂しく死んでいった人たちもいました。その遺体を長崎医大に送り、解剖が済んだ後、手厚く葬られていました。「全日自労被爆者の会」は、「引取り手のない人の墓を作ってやりたいので、墓地を提供してほしい」と長崎市に要請。1976(昭和52)年8月31日、当時の諸谷義武長崎市長が揮毫した『敬朋』の墓碑の慰霊祭を兼ねた除幕式を行いました。墓前祭はしばらく途絶えていましたが、建交労中央本部の役員をしていた私が、九州の寺の住職になったのを縁に、2003年8月8日、『敬朋』墓前祭を復活しました。今年も、建交労の中里研哉長崎県本部委員長の主催者あいさつ、角田季代子中央執行委員長のあいさつのあと、私と森さんが「伽陀」、「表白」のあと、「正信偈」を読経する中、参列者は次々に焼香、核兵器廃絶と平和への誓いを新たにしました。
 午後からは2人とも、フォーラム『核兵器禁止条約実現―政府とNGOの対話』に参加。国連会議で核兵器禁止条約が採択され、禁止から廃絶へ、「核兵器のない世界」に向けた新たな一歩が踏み出されました。会議で条約づくりの先頭に立った国々の政府代表と反核平和運動の代表が、「核兵器のない世界」の実現に何が求められるか、議論しました。パネラーの発言を聞きながら、その1人、オーストリア外務省軍縮軍備管理不拡散局のマルチン・クリューガー次長が、6日のヒロシマデー集会で、「禁止条約が2018年に発効することを期待し、19年に第1回締約国会議をウィーンで開くことを提案している」と述べたのを聞き、大きな感動を受けたことを思い出しました。
 私も討論の中で、「田舎の小さな寺の住職だが、地域で市民や門信徒と共同して平和運動に取りくんでいる。今度の核兵器禁止条約の中に、“核兵器の完全廃絶のために、国際連合…その他の国際機関、非政府組織、宗教指導者…ヒバクシャが行っている努力”と、宗教指導者が取りあげられ感動している。どういう議論と経過の中で取り上げられたのか、各国の宗教と宗教指導者は、どういう役割を果たしているか」と質問、それぞれの国の状況が報告されました。
 9日は、午前1030分から閉会集会へ。広島・長崎を二度と繰り返さないために、被爆者・松谷英子さんの訴えや、長崎保険医協会の本田孝也会長の長崎への原爆投下とその被害についての報告につづいて、核兵器のない世界へ、海外から行動の発言、被爆国の決意が力強く訴えられました。
 大会は、①9月2026日、「草の根」からの多彩な行動をつなぐ世界同時行動(「平和の波」)を行う、②核兵器禁止条約についての対話と宣伝、学習をしよう、③「ヒバクシャ国際署名」を大きく発展させよう、という行動を提案され、大きな拍手で確認しました。
 集会の後、すぐに真宗大谷派長崎教務所に駆けつけ、午後1時30分からの『非核非戦』の法要に参列しました。
 10月の日本宗教者平和会議の場所でもあります。

大垣警察市民監視


違憲訴訟原告の思い  松島 勢至 

 私の住む岐阜県大垣市上石津町上鍛治屋地区は緑に囲まれ自然豊かな地で、四季折々の花が咲き、ウグイスが鳴き、夏には蛍も飛んで、わたしたちの生活に潤いを与えてくれます。そういうこの地をわたしは終焉の地と思い定めています。
 その上石津に風力発電建設の話が出てきました。わたしは以前から風力発電の問題について若干の知識を持っていたので、大変なことだと思いました。2012年11月に自治会で建設業者(シーテック)の説明会があり、いろんな質問が出ましたが、明快な回答はありませんでした。2013年2月の自治会の総会でシーテックによる立入調査の賛否を取りましたが、その前に風力発電について基本的な勉強をしようということで、6月に自治会主催で勉強会を開きました。その後、私と原告の一人である三輪さんとで企画して、自主的に勉強会を3回開催しました。
 そして、2017年7月24日の朝日新聞朝刊に「岐阜県警が個人情報漏洩」の見出しで、警察とシーテックとの意見交換会のニュースが一面トップで報道されました。驚愕という他ありませんでした。何故、何、という感じです。
その後、証拠保全により警察とシーテックとの意見交換の議事録4回分を手に入れ読んだところ、あろうことか、私たちのことを監視して得た情報を、開発業者であるシーテックに提供していたのです。情報が漏れたのではなく警察が提供したのです。議事録内の警察の発言は、意見交換と称して、シーテックに私たちのことを過激派でもあるかのような意識を植えつけ、危機感を煽っているようにしか思えません。これが警察のねらいなのでしょう。
 2013年8月7日の第1回の議事録では、私が他の原告と「繋がるとやっかい」になり、「岐阜コラボ法律事務所」と連携すると、「御社の事業も進まないことになりかねない」と事業者側に立った発言をしています。警察は開発業者を応援するのが仕事なのでしょうか。そのために一般市民を監視し情報を収集しているのでしょうか。本当に憤りを感じます。言語道断です。
 私が何故風力発電の勉強会を開催したのかといえば、もしも私の家の裏山に風車が建てば、いろんな被害が予想され、住めなくなる可能性を感じたからです。
 まず、自然豊かな景観が損なわれます。施設建設のために山が開発され、土砂崩れや獣害が深刻になります。風車が建てば、風切り音やシャドーフリッカー、バードストライク、そして一番深刻な超低周波音被害が発生し、生活できなくなる可能性が出てきます。これらのことは数回の勉強会を経て確信となりました。
 私自身を含め同じ地域に住む人達の生活を守りたいという思いからの行動です。しかし、それが警察にとっては「平穏な大垣市」を壊すような行為だということになります。逆です、私は平穏な上石津、平穏な上鍛治屋を維持したい為に行動したのです。
 自分の命と生活を守るのは国民の権利であることを、憲法が保障しています。また、自然に手を入れる行為に反対の意見を持つことや、そのために行動することも、憲法で保障されています。
 私が風力発電勉強会をしたことは国民としての権利を行使しただけです。その根底にあるのは「いのち」を守るということです。それは、決して自分のいのちだけでなく、誰しものいのちを守られなければ、守ったことにはなりません。
 私は真宗大谷派の僧侶です。念仏を信じて生きようとする者です。
 仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)には阿弥陀仏(あみだぶつ)の願いが四十八(しじゅうはち)(がん)として表されています。その願(がん)の第一願を「無三(むさん)(まく)(しゅ)の願(がん)」といいます。「たとえ私が仏になったとしても国に地獄・餓鬼・畜生があるならばさとりを開くことはしない」という願です。
これは、私たちに地獄・餓鬼・畜生の無い世界を生きて欲しいという願いが掛けられているということです。
 畜生というのは監視され、管理され、主体性を奪われているあり方です。
 今回の警察の行為は、そして共謀罪は、当に私たちに畜生の生き方を強要するものです。断じて許すことはできません。
 無三悪趣の願は、憲法で言えば9条(戦争の放棄)、13条(個人の尊重と幸福追求の権利)であり、19条(思想良心の自由)であると受け止めています。
 私は、このたびの警察の行為は、仏の願いを我が願いとして生きようとしている私の生き方を侵害するものだと受け止めています。よって、今回の裁判は私の生き方を確保するための闘いだと思って臨んでいます。ご支援をお願いします。

立正平和の会 講演会
「平和な世界の創造」


藤田秀夫立正大学名誉教授が講演
 立正平和の会(河崎俊栄理事長)は8月30日、東京・大田区の日蓮宗宗務院で公開講座「平和な世界の創造」講演会を開催しました。
 「新しい歴史教科書」に関連して、日蓮宗とアジアの近現代史にふれつつ、日蓮は「他民族を蔑視する民族主義者では決してなかった」と話しをはじめた藤田秀夫立正大学名誉教授は、自身が中学3年のとき体験した、「人間らしく死ぬことを許さない戦争の現実」の東京大空襲の体験から、平和、人権抑圧や貧困という問題の解決のために、社会教育・平和学を学ぼうと考えたと語り始めました。
 藤田名誉教授は、「教育勅語」と、当時の日本の軍隊の「軍人勅諭」、そして東条英機が示達した「生きて虜囚の辱めを受けず」の「戦陣訓」について解明し、日本の朝鮮支配の経過を詳細に報告。「大東亜共栄圏」の思想ほど恐ろしいものはないと指摘し、アジア諸国との関係を重視した日本近現代史の学習の重要さを強調し、「記録」や証言を聞くこと、さらに「戦争文学」などを通して「戦争被害」「戦争の生々しい現実を知る」ことは、後の世代のために、より良い社会を残していく大人のつとめであり、そのためにも歴史を知ることが大切であり、特に近現代史の戦争の歴史を知ること、アジア諸国との関係を知ることが大切だと指摘しました。
 戦争中は「死は鴻毛より軽し」とされ、「いのち」を限りなく軽んじ、死を賛美・強要するのが戦争体制であり、殺さない、殺させないという「いのち」の問題を一番の根本として日本の将来を見定める必要があると指摘。また、軍事的対立を解決するためには、相手より以上の軍事力で抑える「抑止力」ではなく、核戦争を回避するためにも「対話」の道を残しておくことが大切であると述べました。そのうえで、日米安保体制を見直し、非同盟国は現在約130カ国にのぼっており、日本の中立化をもっと話題にすべきではと提起しました。

安倍9条改憲ノー!
9・8キックオフ集会

 今年の憲法記念日に安倍首相は、2020年を自衛隊を9条に書き込む「新しい憲法施行の年に」と発言。この安倍9条改憲を止めようと発起人として有馬頼底臨済宗相国寺派管長、天台宗僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん、浜矩子同志社大学教授らが8月15日付で呼びかけた「安倍9条改憲ノー!市民アクション」のキックオフ集会が9月8日、東京都内で開催され1500人が集まりました。
 集会で、浜矩子教授は「いま、私の頭のなかに一つのフレーズが浮かぶ」と洗礼者ヨハネの「荒れ野で叫ぶ声」を引用。裸の王様の言うことを信じてはダメ。アホノミクス打倒を叫ぶ荒れ野で叫ぶ声の大合唱、不可能を可能にする連帯が形成されています。「もう、だれも我々を止められません。国民の大合唱が形成されれば怖いものはない、手を緩めずに声を大きくさせましょう」と呼びかけました。
 守ろう憲法! 3000万署名をめざす「安倍9条改憲No! 全国市民アクション実行委員会」には、日本宗平協も参加しています。

大阪宗教者平和協議会
14回 平和を考える市民の集いを開催


 大坂宗教者平和協議会は9月14 日に第14回平和を考える市民の集いを開催。ジャーナリストの柿田睦夫さんを講師に「創価学会はどこへ行く-安倍内閣の最大の支持母体」をテーマに講演をしていただきました。会場となった大阪府社会福祉会館の80名収容の会議室は30分前の開場とともに参加者であふれ、160名を超える参加者となり立ち見でご不便をかける事となりました。

柿田さんはまず、自民党政権を連立で支えながらも、東京都議選で都民ファースト、大阪では維新に近づくという公明党の政治体質に言明。
 この間の国政選挙で創価学会票がなければ、野党統一候補に自民党候補が勝利できなかったと指摘。その上で、都民ファーストを応援することで、自民党に学会票の威力を見せつけるという、創価学会流の目前の現世利益を優先したと分析。一般的に言われる「公明党の支持母体である創価学会」という見方は誤りで、創価学会を通して公明党の存在を見ないと本質は見えないと語られました。
 雑誌「世界」46から「名誉会長・池田大作というカリスマ指導者が衰弱して事実上不在となり、ポスト池田の座に最も近いと言われる事務総長の谷川がその直系の佐藤浩と組んで、選挙で結果を出すことによってその地位を盤石にしようとしていることが」選挙協力の見直しと言いながらも自公の連立の解消出来ない大きな原因であると指摘されました。今や創価学会は安倍政権の最大の支持母体となっているとも。
 続いて、柿田さんは創価学会内で進む、池田大作氏亡き後を想定した後継者争いや、学会の会則変更の狙いについて話されました。池田氏が公の場に出なくなって以降、学会の会則が改定され、今まで教義の根幹であった日蓮正宗と大石寺という文言が会則から消え、「日蓮世界宗創価学会」という名称で信濃町を「世界総本部」とし、あげくにはご本尊を「創価学会仏」としたと指摘。これらの変更の根拠はすべて池田氏が初代・二代目会長の意をくんで述べたものとされ、学会独特の師弟関係が根底にあり、三代までの会長を「先生」とよび神格化を進めるものであると指摘されました。 
 最後に会場からの質問に答えながら、創価学会は政教分離の問題が一番のネックであり、公明党との政教一致だけでなく、今や一宗教団体が政権の政策決定や政局にも関与している事実は、「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条1項に違反した団体であり、そのことが世に知らされなければいけないと強調されました。

山家妄想

「特高に奪われた青春―エスペランティスト齋藤秀一の悲劇」工藤美知尋 芙蓉書房出版を読む
★齋藤秀一は鶴岡中学に入学以来、ロシア語、フランス語、ドイツ語、ローマ字運動、カナ文字運動、さらには方言研究と多方面に関心を拡げた。駒澤大学東洋文学科に入学。かれはエスペラント学会会員、日本カナ文字会会員となる。著者は「言語というものに対して鋭敏さと深い関心を持つ、天才的な言語研究者であった」と評しているが、かれは駒澤大学東洋文学科の卒業論文を「近世日本口語文発達論にしようと思う」と日記に記し、卒業式の一ヶ月前「駒澤文学」に「エスペラント原作文学の展望」を発表した。「この論文は、彼の知的水準の高さを示すもの」と評価されている。山形県立図書館の文献目録には約110点にのぼる資料が確認されているという。
★大学を卒業した1931年当時は世界的な恐慌のまっ只中で、「大学は出たけれど」とかれも希望する東京での就職はままならず、郷里に近い大泉村の大泉小学校の1年から3年生まであわせて児童17人の大平分教場の教師とならざるを得なかった。自宅から四里(16㌔)の道を歩いて赴任した。この分教場で彼は児童にローマ字を教え、また、夜には村の青年たちのローマ字研究会を組織している。当時、モスクワで開催されることになっていた演劇オリムピアードの参加費カンパに申し込んだりしたが、これが検挙の口実になったという。
★この言語研究者であり僻地の一介の小学教師であった彼が、なぜ治安維持法違反として逮捕されなければならなかったのだろうか。事件を著者は特高係警部の砂田周蔵によってねつ造され、でっち上げられたものであると断言する。周蔵は昭和5年満州公主嶺独立守備大隊を除隊後、「小作争議や農民運動の裏には必ず共産主義の動きがあることを強調し、抑止策をとることを鮮明にしていた」山形県警特高係に就職、「言語学、特に左翼の言語学とは何かについて勉強し、自分で調べ上げる確信をつけ」て、全国的な規模でエスペランティスト弾圧に着手して有罪に持ち込んだというのである。砂田は「自分の出世欲と権勢欲のために、讒言やデッチ上げなど、ありとあらゆる奸智を巡らした」「現代の鳥居耀蔵」であると記され、「戦後のどさくさに紛れて生き抜き、ついには警察学校の教官にまで出世した」と紹介されている人物である。満州国高官・東条内閣閣僚・戦犯容疑で巣鴨に拘留されながら釈放され戦後総理大臣にまで上り詰めた某を彷彿とさせる。
★ところで、治安維持法が猛威を振ることができた背景を私は指摘したい。彼の卒業論文について「僕の論文は今度ローマ字論を書いたからいけないのだそうだ。ローマ字論とエスペラントにあるのだろう」と、年号に西暦を用いた点が問題にされたことが記されている。分教場に着任早々校長から「ローマ字の話でもして聞かせるさと皮肉られた」ことも記している。さらに「クラジ氏は炭の請求書をもらいに来たのだが、授業を一時間見ていく。菅井(秀夫)氏から僕の排斥運動があった由を聴く」とあり、学年末には校長から更に僻地の分教場への移動を宣告される。この分教場でも校長から留守中に下宿の「ガサ」をやられたり、満6時間もの「思想がいけない」という説教をされたりしている。官憲の直接的な弾圧を許す背景には、大学内における研究者らしからぬ異論を排して怪しまぬ空気の存在や、校長など地域の小さな権力者の異端を排斥する保守性などが存在したことがある。このような存在なくしては、特高の狂気の暴力も機能することはできないと考えられるのである。いうなれば、私たち庶民の特高的共感・雷同の存在に注目すべきと思うのである。
★秀一は特高に検挙されて拷問も経験、釈放・検束を繰り返えされるが、34年には結婚し一女を儲けるが離婚。この間も膨大な研究著作を続け東北帝大図書館に職を得ることもできたが、38年治安維持法違反で逮捕、秋田刑務所に服役、40年4月肺結核の病状悪化のため自宅療養、9月5日死去、享年32才であった。
★かれは曹洞宗の寺院の子弟として生を受けたが、「葬式仏教に対しては非常に冷めた見方をしている」と指摘されている。実家の寺の行事を手伝い、寺の住職になる階梯を踏むことを始めてはいるが、仏教者としての自覚を固めていたとは見えない。当時の、現在とは次元を異にした檀徒の貧しさを背景とする寺の貧困は、すぐれた素質を持つ若者に活躍の場を寺の外に求めさせたのである。秀一の場合、空前の不況の中にあって、それはかなうことがなかった。よき活動の場を得ることができておれば、現在の寺の子弟のように、やがては仏教界に回帰してすぐれた仏教者となることができていたかもしれない。
★いま「共謀罪」で罰する法の施行が実行されようとしている時、砂田周蔵のごとき良心を失った官僚や、かの校長や村の有力者が出現するおそれはないのか。私たちは黙して語ることなく、犠牲となる実は先覚者を見捨てる輩に堕するおそれはないか。心したいものである。
(2017・9・19)水田全一・妙心寺派の一老僧