諸宗教による祈りのつどい  

 日本キリスト者平和の会事務局長  平沢 功



第1回は日本宗教者平和協議会の結成50周年記念行事として、その後は日本宗平協、日本キリスト者平和の会、東京宗教者平和の会、東関キリスト者平和の会などによる実行委員会で開催、今年で5回目。京都宗平協、福島の宗教者合わせて45人の参加で行われました。
 3月13日はいわき市湯本・古瀧屋旅館の会議室で、東日本大震災犠牲者追悼、被災者への慰め、再生、原発廃止・廃炉、平和を求めて、それぞれの信仰にもとづいて祈りました。(写真表紙)
 浅川金刀比羅神社宮司の奥田靖二師は「我等人類この事に心して返りみて教訓と成し、原発の廃止・廃炉を求めるを持ちて大神等の赦しもちて来るべき次なる世に安全をもたらし、再び過ちくり返す事無く」と祝詞をあげました。天理教からは5人が参加、天理教・理實教会前教会長の丸山祐一郎師が「安全、安心の神話が崩れた原発事故により、故郷を失ったり、家族や友人と離れてしまったりする中、沢山のストレスを抱え続けている方々も数知れません」と述べ、おつとめされました。
真言宗智山派・多聞寺岸田正博住職は東日本大震災、東電原発の過酷事故より6年、7回忌を迎える…被災地安穏、被災者健祥、早期復興、放射能被害再発根絶、核発電廃絶、博兵器廃絶」述べました。日蓮宗、浄土真宗から14人が参加、読経しました
 カトリックさいたま教区長澤正隆助祭の司式でキリスト教の祈りが行われました。「全能の神よ、6年を迎えた東日本大震災の犠牲者と原発廃止と廃炉、被災地復興のために祈ります」と、キリスト教からの参加者13人によって讃美歌が歌われました。
 祈りの後、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が「原発過酷事故からまる6年ー放射能公害とたたかう福島から」と題して講演。
 原発事故からまる6年の福島は、第1原発の現状、多数の避難、自殺、震災関連死などが続いている、帰還宣言しを出しても帰る人より帰れない人が圧倒的に多い、第2原発廃炉を目指す闘いが正念場、甲状腺がん問題と課題、持ち込まれた分断と対立の問題と課題について具体的事例が話されました。そして福島第1原発事故の国の責任を問うとして、損害賠償を求める集団訴訟は国と東電の責任を問う戦いとなっている。今後の判決に関心。
 日本基督教団常磐教会・明石義信牧師から「いわき食品放射能計測所のはたらき」について報告をいただきました。
 実行委員会に寄せられた支援金、チャリティコンサートの収益金などは、障がい者施設「ふたばの里」、「いわき食品放射能計測所」、「元の生活を返せ!いわき訴訟団」に届けました。ご協力ありがとうございました
 14日は被災地を巡り、楢葉町の宝鏡寺で早川篤雄師から楢葉町の現状をお聞きしました。

「国と東電の責任」認めた前橋地裁判決

 東京電力福島第1原発事故で福島県から群馬県に避難した137人が国と東電に精神的慰謝料など15億円の損害賠償を求めた判決で、前橋地裁は3月17日、「国と東電は津波を予見し、事故は防げた」と判断し、両者に過失があったことを認め、総額3855万円の支払いを認めた。

伊東達也氏が談話

 賠償額は被害の実相からかけ離れた低いもので今後の課題を投げかけているが、原発事故を巡る訴訟で国と東電の責任を認めたのは初めて。現在30件の集団訴訟が行われており、今後これらの判決につなげていくことが強く求められている。
 今回の判決の背景には第1原発事故発生後、「原発なくせ、再稼働反対」の国民的運動が全国各地で続けられていることがある。原発問題住民運動全国連絡センターが誕生した1987年(チェルノブイリ原発事故翌年)から30年にわたり取り組んできた重要な役割の金字塔と言ってもよいのではないだろうか。

被災63年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」誓いの言

原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表  高草木 博

 あの日から63年――核兵器の禁止、ビキニ被災者と広島・長崎の被爆者の援護、非核・平和の日本の実現へ、決意を込めて久保山さんの墓前に誓いの言葉を捧げます。
 1954年、久保山さんの命を奪い、第五福竜丸をはじめ、多くのマグロ漁船乗組員とマーシャル諸島島民に犠牲をもたらした核軍備競争の影響は、いまなお終わっていません。この地上には、なお人類を絶滅させるに余りある核兵器があり、他国の核は脅威だが、自国の核は「安全の保障」であるとする、核大国のエゴが押し通されています。
 しかし、あの事件で立ち上がった人々の行動は、いま、歴史を大きく前に進めようとしています。その声は世界の人々の心を捉え、政府や国連を動かし、いまや核兵器の廃絶は国際政治の趨勢へと成長しています。
 国連は今月の下旬と6~7月にかけてニューヨークで核兵器禁止条約を交渉する会議を開催します。核大国の圧力にもかかわらず、会議に反対する声は、この広いアジアでわずか二カ国、かつて世界の核実験場とされた太平洋全域でも同じくもはや2カ国にすぎませんでした。
 残念なことは、そのアジアの逆流の一つが、国民がみたび原水爆の被害を受けたこの日本にあることです。しかし、この日本でもいま大きな希望が立ち現れています。
 国民が世界の人々と連帯して声を上げ、その声に背中を押されて、野党が協力し、立憲主義と九条、戦争法の廃止、日本の主権と沖縄・普天間基地の無条件撤去、エネルギー政策の転換など、国の進路をめぐって、新たなページが開かれようとしています。
 広島・長崎の被爆者が立ち上がり、核兵器の禁止・廃絶を求めてよびかけた「ヒバクシャ国際署名」が思想信条の違いを超えて市民の声を捉え、内外の世論を核兵器の禁止のうねりへと推し進めています。
 2017年、内外で人々は、変化を求め、核兵器のない、平和で公正な世界、核兵器の全面禁止へと歴史を前に進めるでしょう。私たちは、その先頭に立ち続けることをここにお誓いいたします。

日本福音ルーテル教会牧師  横田弘行

 2017年久保山愛吉さんの墓前祭にあたり、日本宗教者平和協議会を代表し 連帯のメッセージを申し上げます。
 この国に治安維持法が施行されたのが大正14年でした。それ以来、軍部が台頭し 治安維持法が国民の思想、表現の自由を厳しくチェックする時代が続きました。1937年これは昭和12年のことです。元東大総長であり、無教会派キリスト教のリーダーであられた矢内原忠雄氏は雑誌「中央公論」の9月号に、正義と平和の立場から戦争へと突き進む時局を鋭く批判した《国家の理想》を掲載したことが大きな社会問題となりました。東大の大内兵衛氏は矢内原忠雄氏を弁護するも、矢内原氏が鳥取県のとある教会で神の国と題した説教をなさったおり、そこには特高警察が乗り込んできて、先生の説教を一字一句チェックするそういう状況下で、先生は大胆にも「軍事力を背景にしてアジアの国々に進出するのは決して神の御心に沿うものではない」こう大胆にも祈りをなさいました。その言動が軍部の逆鱗に触れ、ついに東大総長の座を追われることになりました。先人のこの言動は「聞く耳を持つ者は聞け、覚醒した感覚を持って生きよ」と、私達に鋭く迫ってきます。 このところ、2020年を前にテロ準備罪国民組織犯罪法に関し 国会で熱い議論が成されております。この法案は国民の基本的人権、憲法19条、思想信情の自由、20条信教の自由、21条集会結社及び言論、出版、表現の自由の違反し抵触する可能性があります。この様な法案が可決されるならば、今申したような歴史が再び繰り返される危険性さえ出てまいります。私達はアンテナを強く掲げ見張りの役割を果すことが強く求められています。
 第2次世界大戦前のドイツに目を転じて見ると、危機的時代状況の中にあって、キリスト者として成すべきことを成し得なかったことを、戦後、悔いて告白されたマルチン・ニーメラー牧師の大変感銘深い言葉が残されております。ニーメラー牧師は1933年9月に反ナチス運動を開始し、1937年強制収容所に収容されています。日本では言論弾圧事件が起きた時代でもありました。
 その牧師の言葉が第二次世界大戦後の世界のキリスト者或いは多くの人々に生きる指針と感動を呼び起こした言葉でもありました。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
 私達はその時代その時代の課題に対峙し覚めた感性、感覚、深い知見を携え隣人との関係性を保ち生きるよう神に求められていることを、墓前祭に於いて共に心に刻み、平和を作り出す戦いを推進してまいりたいと思います。

日本被団協事務局長  田中 煕巳

久保山さん
 あなたが「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」と訴え、無念の死を遂げられてから63年になります。
 この間核兵器が使用されることはありませんでしたが、地球上にはいまだに1万5千発余りの核弾頭が存在し、人類の破滅の危機は私たちの上にのしかかっています。
 1945年8月、広島と長崎に米軍が投下した原爆で地獄の体験をし、10年間の沈黙を強いられた全国の原爆被害者は、久保山さんたちの犠牲を契機に、国内に燎原の火のように広がった原水爆禁止の運動に励まされて、初めて結集して1956年8月、日本被団協を結成しました。 日本被団協に結集した原爆被害者は「ふたたび同じ苦しみを誰にも味わわせてはならない」と核兵器の廃絶と原爆被害に対する国家補償を求めて今日まで一貫して、国の内外で原爆の非人道性を広く語りつたえ、たたかいつづけてきました。
 原爆被害者を先頭とする、国の内外の核兵器廃絶を求める運動は、核兵器の廃絶を求める国々を励まし、核兵器の非人道性を前面に掲げての核兵器の違法化、核兵器の使用禁止、廃絶を求める国際政治の流れを加速させ、核兵器の禁止、廃絶条約のための交渉が開始される段階まで、核兵器国を追い詰めてきました。
 昨年の国連総会における「核兵器禁止条約決議」をうけた、核兵を禁止し、完全廃棄に至る条約交渉会議が3月27日からニューヨークの国連本部で開始されます。しかし、核兵器国は核抑止力による安全保障政策にしがみつき、この流れに強硬に抵抗しています。
 高齢化した原爆の被爆者が、これ以上待てないとの切実な訴えを昨年の4月に世界に向けて発し「被爆者は、すみやかな核兵器廃絶を願い、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを、すべての国に求める」訴えに賛同を求める「ヒバクシャ国際署名」運動が開始され、世界の市民社会を草の根から動かし始めています。
 世界の数億の市民の「ヒバクシャ国際署名」への賛同が、核兵器国の市民の声となり、自国の政策の転換をもたらす壮大な運動になることは間違いありません。ここに被爆者が重要な最後の役割を果たすことをお誓いいたします。

全国労働組合総連合副議長  長尾 ゆり

 「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」。その久保山愛吉さんの願いの実現に、世界が大きく動き始めたことを、きょう、3月1日、この墓前で報告いたします。
 久保山さんのお言葉を胸に刻んで、日本の平和運動は、歩み続けてきました。そして、被爆者のみなさんを先頭にした「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニを繰り返してはならない」と訴え続ける運動が、いよいよ核兵器のない世界の扉を開こうとしています。60年以上にわたって求め続けてきた核兵器禁止条約の交渉が、開始されようとしています。
 しかし、核保有国は核抑止力論にしがみつき、核兵器の禁止・廃絶を求める、世界の圧倒的な流れを妨害しています。そして、日本政府はアメリカの同盟国として、被爆国でありながら核兵器禁止条約を求める動きに、背をむけています。
 この逆流をくいとめ、核兵器禁止条約を実現できるかどうか、日本と世界の世論と運動にかかっています。私たち全労連は、今、かつてない共同を広げながら取り組まれている「ヒバクシャ国際署名」を世界数億積み上げる、そのたたかいに全力をつくす決意です。
 また、日米同盟第一主義で、「戦争する国」へと暴走する安倍政権に対して、憲法9条を守り、いかし、被爆国としての役割を果たすよう強く求めます。
 そして、今も8万人が避難生活を強いられている福島の皆さんとともに、福島切り捨てに反対し、被災者救済、原発の再稼動をとめ、原発ゼロの日本に舵を切るよう求めます。
 さらに、ビキニ被災の全容解明と被害者救済を政府に求めます。
 いま、市民の共同は、市民と野党の共同、そして野党共闘を生み、政治は変えられるという希望を生み出しました。その力をさらに発展させ、子どもたちに核のない平和な未来を手渡すことを、この墓前でお誓い申し上げます。 久保山愛吉さん、どうぞ安らかにお眠りください。

日本共産党静岡県委員会 書記長 森 大介

 久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。
 まず、この墓前祭のために、久保山愛吉さんのお墓のある弘徳院の境内地を提供してくださった弘徳院ご住職様と、読経くださった焼津仏教会の皆様に御礼を申し上げます。
 昨年2016年1223日、国連総会は、核兵器禁止条約の締結交渉を開始する決議を賛成113カ国という圧倒的多数で採択し、核兵器禁止条約の交渉が、反核平和運動の参加もえて、今年3月と6月から国連で開催されることになりました。
 核兵器禁止条約に、かりに最初は核保有国が拒否したとしても、国連加盟国の多数が参加して条約が締結されれば、核兵器は人類史上初めて「違法化」されることになります。あらゆる兵器のなかで最も残虐なこの兵器に「悪の烙印」をおすことになります。そうなれば、核保有国は、法的拘束力は受けなくても、政治的・道義的拘束を受け、核兵器廃絶に向けて世界は新しい段階に入ることになるでしょう。
 これは、各国政府の共同による成果とともに、この久保山愛吉墓前祭をふくめ「核兵器のない世界」を求める世界の反核平和運動の成果です。
 改めて、久保山愛吉墓前祭を主催してこられた日本宗教者平和協議会に敬意を表します。
 私は、焼津市をはじめ浜岡原発のある静岡県に責任を負う日本共産党静岡県委員会書記長として、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連総会の決議に「反対」の態度をとった日本政府にたいして、唯一の戦争被爆国の政府にあるまじき、日本国民の意思を踏みにじる態度として、きびしく批判するとともに、「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」運動の成功のために、あわせて浜岡原発の廃炉のために、全力を尽くすことをお誓いいたします。

日本民主青年同盟中央委員会 静岡県委員長 橋爪 春人

 アメリカによるビキニ水爆被災から63年が経過し、「今年もやってきたか」という気持ちです。毎年この墓前祭の場で「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」という久保山さんの言葉を噛みしめてきました。
 歴史をひも解けば、私たち日本の国民は、ビキニ水爆被災を体験し、無線長の久保山さんを亡くし、広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験しました。日本国民は、過去の経験から原水爆の非人道性を学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうしてビキニ事件を契機に原水爆禁止を求める人びとのうねりは、1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会の開催につながり、9月に原水爆禁止日本協議会が誕生しました。また、翌1956年8月の第2回原水爆禁止世界大会の中で日本原水爆被害者団体協議会が誕生しました。
 あれから63年、脈々と引き継がれてきた反核平和の運動は、青年にも引き継がれています。民青同盟は昨年11月に開いた第40回全国大会で、現在の情勢を「共同の力で政治を変える新しい時代」と確認し、日本と世界で広がる情勢の変化に連帯でたたかいを作っていこうと運動を進めています。世界では、国連総会において、2017年に、核兵器を禁止しその全面廃絶に至る法的拘束力を持つ条約を交渉する国連会議の招請を明記した決議が圧倒的多数の賛成(賛成133カ国、反対35カ国、棄権13カ国)で採択されました。これは核兵器禁止条約の実現に向けた画期的な意義をもつものになります。
 民青同盟も活動方針では、核兵器禁止条約の交渉開始を求める「ヒバクシャ国際署名」を広げ、戦争・被爆体験の継承と発信にとりくんでいます。
 核兵器禁止条約の交渉が開始されるならば、化学兵器、生物兵器など大量破壊兵器が法的拘束力を持つ協定(条約)によって禁止されたように、最も残虐な兵器である核兵器を禁止し廃絶する道がひらかれます。そして、国際政治が核兵器に悪の烙印を押し、違法化にふみだせば、核兵器の使用や保有を正当化する核抑止力論の根拠を失わせることができます。
 同時に安倍首相は「(日本の立場としては)トランプ米大統領と親密な関係をしっかりとつくり、世界に示していく。それしか選択肢はない」と日米首脳会談を受けた国会審議で「日米同盟第一」の追随ぶりを鮮明にしました。トランプ大統領は昨年12月、「アメリカは核戦力を大幅に強化、拡大する必要がある」と発言し、国防長官に指名されたマティス元海兵隊大将は、イラク戦争で民間人多数を殺傷したファルージャ作戦を指揮し、米国内の討論会で、アフガニスタンの「男の風上にもおけない奴(やつ)ら」について、「そういう人間を的にするのは死ぬほど愉快でした」と発言した人物です。
 いま、世界で核保有国と平和な社会を目指す非同盟諸国が世界の世論の押される形で核兵器廃絶をめぐり正面から対決しています。久保山さんの言葉を新たな決意で噛みしめ、人類史でも胸を張れる報告をこの墓前で行うことが出来るよう決意し、誓いの言葉とします。

新日本婦人の会副会長  米山 淳子

 1954年3月1日、太平洋・ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による被災から、63年目を迎えます。 本日3・1ビキニデー・墓前祭にあたり、久保山愛吉さんをはじめ犠牲になられた方々を偲び、一日も早く核兵器のない世界の実現へ、そして日本国憲法を守り抜く決意を新たにしております。また、長年にわたって、この墓前祭を執り行なってこられた日本宗教者平和協議会のみなさま方に、感謝を申し上げます。
 今年、3月と6月には、国連で、いよいよ核兵器禁止条約の交渉会議が始まります。非人道的兵器である核兵器を法的に禁止しようと、国連、各国政府と市民社会が力をあわせて実現しようという、画期的なとりくみです。この歴史的チャンスを実りあるものにするために、私たちはいま、被爆者の方々がよびかけた国際署名を大きく広げ、核兵器廃絶、禁止条約締結へ、圧倒的な世論をつくりだそうと奮闘しています。
 被爆証言や原爆パネル展など、若い世代といっしょに被爆の実相を伝えるとりくみ、原発や戦争法反対のたたかいのなかで築いてきた共同行動を、核兵器廃絶の課題でもさらに発展させるとりくみ、自治体の市長や議長、自治会や女性団体、保育所や学校などへ協力を申し入れるなど、各地で知恵を出し合い、ヒバクシャ国際署名を広げています。
同時に、戦争法を強行し南スーダンへ新しい任務を担った自衛隊を派遣、沖縄・新基地建設、共謀罪創設へと、アメリカいいなりに戦争政策をつよめる安倍政権に、女性・国民は危機感を募らせています。貧困・格差が広がるなか女性たちは、切実な願いをつのらせています。この声と「憲法9条守れ」「核兵器廃絶を」との平和を願う声を結集し、一日も早く安倍政権を退陣に追い込んでいくために、新日本婦人の会もいっそう力をつくす決意をのべまして「誓いのことば」といたします。

三・一ビキニデー静岡県実行委員会 日本科学者会議静岡支部代表幹事  山本 義彦

 3・1ビキニ・デー63周年のこの日に、宗教者の皆様方の久保山愛吉さんの思いをはせる機会を、このように与えてくださっていることを、日本科学者会議静岡支部として、心から深く御礼申し上げたいと思います。とくに弘徳院さまに対しまして、重ねて御礼申し上げます。
さて、第五福竜丸被災をきっかけに、澎湃として沸き起こった日本国民の核兵器廃絶への祈りにも満ち溢れた運動は、世界の反核運動へと引き継がれ、ついに国連では今年、核廃絶への方向性を模索する公式の協議が始まっています。ところが日本政府はこの協議にも後ろ向きの態度で、不参加を続けております。それは先に会談が行なわれたトランプ大統領と安倍首相との話し合いで示された、アメリカが今後、核の傘を日本にさしかけてくれるとの意思表明に遠慮したといっても差し支えないでしょう。しかも安保法制もしくは戦争法制の論議でも明らかにされましたとおり、安倍政権が、政策論としてはともかく、明確に核保有も排除しないという姿勢とも通じるものであり、ヒロシマ、長崎、そしてこの地焼津の第五福竜丸被災、さらには2011年3月11日の東日本大震災における、福島原発被災の教訓をもないがしろにしたというほかないものです。
あの久保山愛吉さんの悲痛な遺言を踏みにじる、数々の動きに対して、他方では昨年5月アメリカのオバマ前大統領のヒロシマ訪問には様々の評価が出来るでしょう。しかし、私は世界最初の核爆弾を無辜の市民に投下した国自らの代表者が、70年を超えてとはいえ、一定の反省の表明をしたことを評価するとともに、このオバマ氏の広島での演説に際しても安倍内閣側からは一定の後ろ向きの釘をさしたということが報じられるほどに、今や、この安倍内閣とアメリカのトランプ大統領とは、被災者の思いや、世界にひろがる反核意識に真っ向から挑戦し、今や世界諸国民に敵対する核維持勢力に積極的に加わっているといわざるを得ないでしょう。
第五福竜丸事件をきっかけとして、その後の長い道のりを経て、今日では、核実験場であったビキニ環礁の被災者、そして終には、高知県の被災者の国家賠償請求訴訟へと広がってきましたように、日本の人々の粘り強い反核への運動が、国際的な流れを作り出してきました。
 しかし、旧ソビエトの世界最大の核実験場であったセミパラチンスクを抱えたカザフスタン共和国ナザルバーエフ大統領が安倍政権に対して国連での核廃絶決議の共同呼びかけ国になるようとの当然の要請したにもかかわらず、これを拒絶したことも、国民の願いに反する行為であることはいうまでもないでしょう。
 久保山愛吉さんと、すず様が今も生きておられたら、このような数々の反核への敵対行為に対して、どんなに心をいためられたことでしょう。 このように思うにつけても、この久保山愛吉様の法要に参加して、改めて、心から核脅迫の世界戦略を拒絶し、日本国憲法前文と第九条が指し示す、平和な世界の術元を目指し、軍事による力の均衡論の数々の誘惑を拒絶する世界への歩みに協力してゆきたいものです。 (静岡大学名誉教授)

2016年日本宗教者平和会議 in 東京

「宗教者の平和運動をめぐって―課題と展望(試論)―」②
浄土真宗本願寺派法善寺前住職、武蔵野大学名誉教授 山﨑 龍明

日本仏教史概観

 古代の奈良・飛鳥から、平安、鎌倉、室町、近世になって江戸、そして明治の仏教を「教科書」的になりますけれども、たどってみたいと思います。
 古代の仏教は、皆さんご承知にように護国仏教という言い方があります。僧侶は、国分寺にこもって「法華経」、「般若経」、それから「金光明最勝王経」の三つの経典を天皇を中心とした国のためにお経をあげるのが古代の仏教でありました。戦前の「死んで護国の鬼となる」というような、「護国」の仏教がいわゆる古代の仏教でありました。
 平安時代になりますと、貴族の仏教というところから一般に「貴族仏教」と言われます。藤原三代などに表されたように、道長は「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」とうたいましたが、三代でつぶれてしまいました。彼らは、来世にどういうところに自分が生まれるかとても心配だったのです。そして、来世にこういうところに生まれたいとという形で作られたのがご承知の宇治の平等院鳳凰堂であります。
 それから鎌倉時代。法然さん、親鸞さん、道元さん、日蓮さん、一遍さんなどが現れ、鎌倉時代は民衆仏教の時代といわれています。じゃあ鎌倉時代の仏教はほんとうに民衆仏教の時代であったかというと私には若干の疑問があります。一般的には、今までは比叡山、高野山など国家と完全に一枚となった仏教に対して、法然が「違う」ということを言います。そういうところから、法然さんを「良き人」という親鸞さん、そして永平寺の道元さんや日蓮さん、一遍さんが現れてきます。
 それから近世、江戸時代にはいってまいりますとご承知のように、徳川幕藩体制のなかで仏教の形が随分変質してきます。いわゆる「寺檀制度」です。お寺と檀家。「あなたの家の宗教は何ですか」という言い方があるじゃないですか。「あなたの家の宗教」という言い方です。「あなたの宗教は何ですか」ではないのです。宗教というのは極めて個別的な問題です。私個人にかかわる問題です。「あなたの宗教は何ですか」「私はこうですよ」という。近世は、キリスト教を排撃するということもあり、住職の認可がなければその地を離れることもできない。ある意味で僧侶が戸籍係のような役を荷わされたのが近世の仏教です。そのなかで、仏教が非常に変質してきたのでないかという思いがあります。270年弱の間に非常に、仏教が質的に変化したのは、どういうことかというとやっぱり「知らしむべからず、寄らしむべし」。人びとに本当にことを教えてはいけない。お上の言うことには口を出すなということを仏教が底辺から支えてきたわけです。
 それぞれの宗派をお開きになった宗祖は、それを大変残念に思っているのではないかと思うのです。妙な言い方ですが、一宗を開かれた祖師方というのは、それぞれ国をどうするかということを根底的に考えておられた、ということを私は考えましたときに、近世の仏教のあり方というのは極めて異質なものであったということを考えざるを得ないのです。

近代日本における仏教のありよう

 近代日本における仏教のありようですが、戦争と日本仏教は深くかかわります。日清、明治3637年頃の日露戦争、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦。特にとりわけ第二次世界大戦で日本の仏教教団は例外なく戦争を根底的に支えてきたのがいつわらない日本仏教の歴史であるわけです。
 とくにそこに、当時は「皇国教学」と言いましたが、いわゆる「国体護持」するための教学的な営みによって仏教教学を形成していく「皇国教学」。それから、「決戦教学」というのが昭和16年から終戦(敗戦)まで盛んに言われました。浄土真宗でしたら、親鸞教学を改ざんしていくわけです。そうした悲しい歴史、日本の仏教の歴史、現実があったわけです。私は、そういう先輩方・学者を断罪するなどというつもりは毛頭ありません。ただ、そういう事実を検証していかなければいけない。それが後に生まれたもののつとめではなかいと思います。そういう問題がたくさんあります。
 今日、私が持ってまいりましたこの本は、本願寺教団の戦時布教文庫の第3集『聖戦ののちに』(興教書院)というものです。昭和12年、「日支事変」のときに出版されたものです。本願寺教団はこのような本をたくさん出しまして、いかにこの国が正しいか、「支那」が悪いかというようなことを当時の碩学が滔滔と書いているのです。
 「帝国がずいぶんと持久して支那に対して我慢して来た。彼らの反省をまって平和的親交を希望しておったのであった。しかし、ついに恩にむくいるに仇をもってした」。排日運動を起したのが原因だというようなことです。
 この写真は、戦利品として本願寺にはこういうものがあるという写真です。私は、若いころ大変心が痛みました。
 こういう本を沢山戦時中に出版されました(戦時布教指導本部)。私は資料を沢山持っているのですが、その中の『真宗の護国性』という本は、浄土真宗の教えはいかに国体精神と合致するかという本で昭和18年に出版されています。そういう本が昭和20年まで多く出版されました。
 そこでは、天照大神は、元々阿弥陀仏でこの国では天照大神となって現れたとあります。教団教学のオーソリティがそういう論理展開したのが『真宗の護国性』という本です。(次号に続く)

山家妄想  特攻精神の根源 増永霊鳳

(『中外日報』1945年5月25日~6月1日

★「5年8カ月にわたる欧州大戦もドイツの無条件降伏を契機としてひとまず終了した。米英の軍門に屈したドイツの屍を超えて、わが日本は東亜勝利の日を期して愈よ光栄ある独歩の聖戦に邁進するのである」とはじまる一文を、参考にと送っていただいた。
★筆者は戦争の現段階を「総力戦」というが、「総力戦が長期に亘れば勢ひ思想戦を漸次表面化する」と言い「フランスの敗北、イタリーの分裂、独逸の降伏、いずれも思想混乱がその主なる因子であった」と独断する。そして「歴史の中から生まれた道義と、その実現を期してやまざる無限の生命力」が戦争を決するのであるという。
★「悠久二千六百年の光栄ある日本の歴史はかかる道義的生命力の発現過程であった」として「道の国日本の戦争こそ文字通り聖戦の名に値する。道義を基盤とする限り大乗的な指導性を内包する。従って日本の戦争に玉砕はあっても降伏は決してない。我々はそこに次元を超えた熾烈なる宗教精神の醸成をも看取し得るであろう。蓋しかかる道義は聖なる宗教的信念によって基礎づけられるからである」と述べ、破局的段階にある戦争の現実から目を覆い、国民をあくまでも聖戦遂行へ狩り立てるべく宗教者に迫るのである。
★なかでも「世界に冠たる国体思想によって純化せられて、その如実層を開示した」と述べる日本の禅は「(明治維新以来の)国民皆兵の新制度によって、その精神を一般化してきた」「生死一如の中によく忠の道を全うすることを本義とする」武士道精神を鼓吹してきたと述べ、「いまや最後の段階に突入した」世界の戦局にあって、日本は「独歩を以って最後まで道義昂揚自存自衛のため」「特攻精神を発動」して最後まで戦うべきといい、盤珪国師の不生禅・道元禅師の『学道の要は名聞利養を離るるにあり』までを特攻精神の育成に利用する。
★かの快川和尚の『安禅は必ずしも山水を用いず 心頭を滅却すれば火自ずから涼し』と、戦火の中に従容として死に就いた事跡までを引いて特攻精神を鼓吹する。「捨身以って国を興すの特攻魂を喚起し振作せよ」と叫び、「ただ生くる限り物の不足は心の豊かさを以って補い、従容不迫、日々の生活を感謝報恩の行によって一貫したい」というが、それは、つまるところ「臣道の実践」として「一旦自己を否定しつくし、わが心挙げて大君にささげ奉る」ことが大乗仏教の根本精神であり、禅の大悟徹底であると帰結するのである。
★すでにこの年の2月には近衛首相が「敗戦は必至、ソ連に仲介を求めては・・・」と上奏したのに対し、昭和天皇は「今一度戦果を挙げてからでなければ難しかろう」と応じて破局へと邁進していた時点である。今一度、戦果を挙げるべき沖縄戦は民衆を巻き込んだ戦場がアメリカ軍の「鉄の暴風」の前に、本土決戦の捨て石とされる惨状を呈していた。南九州鹿屋を発進した特攻機は沖縄を包囲するアメリカ軍艦艇に対して、自爆攻撃を行ってあたら前途ある若者の命を「大君にささげ奉まつらせ」たのであった。
★3月10日東京の下町を襲った米軍の空襲は、日本家屋の模型を使った予行演習を経て、火の壁で囲んだ中に民衆を閉じ込めて殺戮する非人道的所業を呈し、この後全国の都市空襲として展開されている時点であった。油脂・黄燐焼夷弾に「火たたき」と防空頭巾で不可能なこと自明の消火に当たらせ、避難することを敵前逃亡と称して禁じたことによって、非戦闘員の無益な犠牲を積み重ねたのであった。
★目前に迫った敗戦の現実に目をそむけて「思想戦」と称し、最後まで戦い「玉砕」の美名のもとに死に追いやることを大乗仏教の根本精神、禅の大悟徹底であると叫ぶ姿を、どのように理解したらよいのだろうか。既に高名の老師方が時局に迎合して教義を歪曲され戦意高揚に奔走された事例は知られているところであるが、敗戦必至の時点に至ってなお「自己を否定しつくし、大君にささげ奉る」ことを鼓吹する。善意の禅・仏教者が時局に流されて陥った姿とのみ見ることはできないのではないか。
★現実の実相を冷静に見抜く眼は、平常の中において養うことを必要とする。仏教の根本義を日常底の中において磨き、非常の事態に直面してこそ生命の尊重を貫くことは、現在のわれわれにも求められているところではないか。その鋭い眼を養い不断に努力することなくして非常時に真の仏教者としての言動はなしえない。
★脱稿後、二カ月半にして迎えた敗戦の時、筆者はどのような感懐を抱き大悟徹底の言動をされたのか、知りうべくもないことではあるが、気になるところである。(2017・3・19

水田全一・妙心寺派の一老僧

「共謀罪」反対・憲法改悪阻止をめざす宗教者・信者全国集会  案内

 日 時  5月31日(火)14001630
会 場  日本教育会館8階大会議室


「ヒバクシャ国際署名」=日本宗平協ホームページから署名用紙を印刷できます。寺院・教会名・役職など記名していただく住職・牧師などの個人署名と5名連記の署名用紙の2種類があります。ご活動ください