年頭のあいさつ

迎 春 『世の中安穏なれ』

理事長 荒川 庸生 (真宗大谷派・長永寺住職)

 日本では自民・公明プラス維新の三党による暴走が止まりません。世界ではトランプ・プーチンとそれに追従する安倍の時代錯誤の三ばかトリオが何をしでかすか不気味な様相です。あたかもヒットラー・ムッソリーニ・昭和天皇の戦前の時代を彷彿とさせます。
 今年は総選挙の年になるかも? 国民の多くが望む戦争法の撤廃、沖縄・辺野古の巨大基地建設阻止、全ての原発の廃炉等、市民と野党の共闘を実現して、これ以上の悪政をくいとめたいものです。
 三月からは国連で「核兵器禁止条約」の交渉が始まります。国内・国際世論は核兵器の完全禁止を求めています。「ヒバクシャ国際署名」を広げて、日本宗平協の運動の原点でもある核兵器の完全廃絶を実現してまいりましょう。改めて故高木仁三郎(原子力資料情報室設立者)の言葉、「人間が天の火(核分裂)を盗んだ、その火の近くには生命は存在できない」「核が安定した状態を保ち、放射線レベルが低下した地球上に奇跡的に生命が誕生しえた」を心に刻みながら。

日本宗教者平和会議in東京 記念講演

「急変貌・大増強する日本の基地」②

内藤 功 (弁護士)

全国各地の基地の概観
北海道・東北の基地
 次に、全国各地の演習場を含む基地のポイントを概観してみたいと思います。
 まず、北海道ですが千歳基地の航空自衛隊の第2航空団、これは三沢の北部航空方面隊司令部の指揮下にあります。北海道の自衛隊基地の特徴は、恵庭、島松の大駐屯地、北海道大演習場、それから川瀬さんが頑張ってきた矢臼別演習場など、広大な演習場と駐屯地があることが特徴です。
 陸上自衛隊は旧ソ連が侵略してくるという想定のもとに北海道に概ね3分の1を集中させていました。いま、その脅威は明らかに少なくなって南に重点を移しました。北海道の基地がいま、どういう役割を担っているかというと、昔の日本帝国軍隊が満州の広大な土地に着目したように、広い土地に部隊を集めてそこで思う存分に訓練、演習、実験とあらゆるものをやるということに北海道は使われています。北海道はいま、陸上自衛隊にとって最適の演習の場所であり、海外派遣の後方拠点になりつつあると思います。
 陸上自衛隊の内部文書も、北海道の果たす役割として訓練、演習、実験の場というふうに規定しています。道東の矢臼別演習場は、米海兵隊と自衛隊との共同作戦の演習の場となっています。
 東北は三沢基地が中心です。三沢は横田基地、沖縄の嘉手納基地とともに日本における米空軍の中心的基地です。明日、みなさんは横田基地にいらっしゃいますが、三沢のF16戦闘機は核兵器を積載でき、他国領土奥深く侵攻します。このF16が7月から8月にかけて横田基地に11機が飛来しています。ここを中継地としてマレーシアに移動して行きました。三沢は横田、マレーシア、東南アジアとも直接つながっていることを把握しておく必要があります。三沢の基地は、F16戦闘機の本拠地です。三沢の米空軍基地は、イラク、シリアなど中東方面への攻撃拠点です。同時に、日米共同使用で自衛隊の第3航空団の戦闘機が常駐しています。この航空団が一昨日、10月22日英国の最新鋭戦闘機ユーロファイター・タイフーンと共同訓練をやりました。本当は、米空軍も加わりたかったらしいのですが、それでは米英日の共同演習になり、余りに露骨過ぎるというので米軍は表にでずに日英の戦闘機の「防御・防空訓練」を行いました。これは、将来のイギリスとの共同作戦への伏線ではないかと思います。

指揮中枢=関東の基地群
 次に関東ですが、関東の基地を横田を中心に見ていただくならば、沖縄に次ぐ重要な基地群が関東に密集しているというのが現状であります。それはまた、日米の軍事の指揮中枢が関東に置かれることと一体です。
 東京には、米空軍司令部と自衛隊航空総隊司令部がある横田基地、ここは日本に対する情報収集をふくむ政治支配、アメリカの対日支配の拠点です。次に、防衛省があり、自衛隊の総元締めである統合幕僚監部の置かれている市ヶ谷、それから港区麻布には情報機関、軍の機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」の発行所、重要な会議の場所があるもようで、横田との間を高級幹部を乗せたヘリコプターが頻繁に往復しています。
 神奈川県は非常に基地が多いですが、なかでも米海軍と海上自衛隊の司令部がある横須賀。厚木基地は米空母艦載機の訓練、駐留の基地で、オスプレイも飛来しています。東富士、北富士の演習場、これらは静岡県、山梨県にまたがっている演習場です。在日米陸軍司令部及び陸上自衛隊の海外派兵部隊の中央即応集団の司令部のある座間。そして、相模原は米陸軍の巨大な補給基地です。
 埼玉には、朝霞基地、これは、来年度から自衛隊の全陸上部隊を一元的統括する「陸上総隊」の最高司令部がおかれます。朝霞と練馬は、埼玉と東京ですが隣接しています。練馬には自衛隊第1師団がおかれています。地元の平和委員会のみなさんが毎月1回、その門前で宣伝行動をおこない、アピールしています。
 入間基地、その隣接地に自衛隊病院を設置する動きがありますが、それは戦争法のもとで海外の戦場で続出するであろう負傷者に対処する救護、後送、戦地医療体制の拠点づくりの動きです。
北関東の群馬県には相馬原演習場、ここには第12旅団の司令部があります。とくにヘリコプターを使った演習が行われています。
 千葉県は、習志野に陸上自衛隊第1空挺団が置かれています。ここは最大のパラシュート訓練基地です。木更津基地にはアジア・太平洋全域対象のオスプレイの修理工場が設置されます。
 茨城には航空自衛隊第7航空団の百里基地があります。
 在日米軍司令部のある横田は日米両国の「空軍」、横須賀は両国の「海軍」、座間は両国の「陸軍」、このように日米の3軍の実動部隊全体を指揮する最上級の司令部が、すべて関東に置かれています。
 繰り返しますが、横田の在日米軍司令部は、日本に対する政治的支配の拠点であり、在日米大使館、ハワイの米太平洋軍司令部、自衛隊の統合幕僚監部と直結し、一体の関係にあり、ガイドライン、戦争法の下で「日米同盟調整メカニズム」が常置され、始動している、このような政治支配の拠点です。
 2011年3月11日の東日本大震災・原発事故の際の米軍の動きを見ると、米太平洋艦隊司令官の大将が率いる「常設統合任務部隊519司令部」が、ハワイから横田に前進配備し、約1カ月間横田で指揮を執っていました。米軍がいちはやくやったことは在日米民間人、軍人の家族を本国に輸送しました。次に、米本土から核・化学対処専門部隊が来日し、横田に駐屯し、もっぱら情報収集に携わり、埼玉県大宮の自衛隊の化学部隊を呼んで共同訓練を2回やったことと、隊長が福島に視察に行っただけでした。万一、大使館なり在日米軍司令部の偉い人たちに放射能の影響や被害が及んだときに飛び込んで助けるための派遣だったと思われます。
 それから、横須賀の米空母ジョージ・ワシントンは、放射能を逃れて横須賀を急遽、出港しました。台湾と沖縄の間に向かい、ロシア、中国や北朝鮮などの国々がどのように出てくるのかをそこで見張るということと、放射能の危険から避難するためでした。これが有事のときの米軍の動きの特徴です。
米軍の「トモダチ作戦」がマスコミで大きく取り上げられましたが、その裏でこうした動きがあったことも私は見ておく必要があると思います。
 従来は、主として輸送基地であった横田基地が、戦闘攻撃基地としての機能。さらに加えて、米空軍のCV22オスプレイ、敵の政治指導者を拉致・殺害するなど特殊作戦部隊の基地になります。
 これら関東の基地の特徴は、歴史的にみると、日本帝国陸海軍の侵略戦争のため、人民の土地、農地を強制接収し、敗戦後は、米軍に占領、接収されて拡張され、それが現在、日米共同基地とされているところが多いのが特徴です。あらためて旧日本「帝国軍隊」の歴史的な把握が必要であると思います。

中部、西日本の主要基地
 それから中部日本、東海・北陸の基地です。石川県の小松基地、ここは航空自衛隊第6航空団の戦闘機の基地、岐阜では三菱重工業や川崎重工業などと密着した航空機の試験飛行を行っています。愛知県には小牧基地があります。小牧は、東南アジアや中東にいく時に、小牧から輸送機に乗って出発する、海外派兵の基地となっています。
 西日本では山口県の岩国基地です。ここには、オスプレイが一番ひんぱんに飛んでくるところで、米第3海兵遠征軍の第1海兵航空団第12海兵航空群が配備されています。岩国基地は、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争やイラク戦争など米軍が行ってきた侵略・干渉戦争のすべて出撃基地とされ、いまや極東最大の航空基地の一つとなっています。海上自衛隊の航空隊も配備されています。
 長崎県の佐世保は、米海軍の強装揚陸船隊基地で、沖縄と直結して海兵隊を海外に出撃させる基地です。ここには陸上自衛隊の西部方面普通科連隊が置かれ、島嶼の防衛、奪還を目的とした強襲上陸作戦訓練を行っています。この部隊を来年度から新設予定の「水陸両用機動団」の中心をなす第1連隊とする計画があります。この部隊は米国内で海兵隊との共同訓練を一番多く行っています。
 京都の舞鶴基地、それから広島の呉基地は、海上自衛隊の最大の基地です。潜水艦隊の基地となっています。鹿児島県の鹿屋は海上自衛隊の航空基地です。
 京都府の経ケ岬には、アメリカに向けて飛んでいくミサイルを発見し捕捉するレーダー基地。佐賀は、陸上自衛隊オスプレイの配備予定の基地。大分の日出生台の演習場、ここで米海兵隊の実弾砲撃演習がやられています。
 沖縄の基地は、対中国、対東南アジア、さらにインド洋を経て中東、アフリカ方面に向かう出撃拠点に大きく強化されようとしています。いまやられている配備増強の口実は、中国の東シナ海や尖閣諸島などでの行動を口実にして、離島「防衛」という口実です。島をめぐる戦闘の演習、これに最大の力点を自衛隊全体がおいています。しかし、この離島防衛というのは米軍と一緒にやるのです。米軍の離島作戦とは、どういうものかというと、島への大規模な攻撃作戦です。島を包囲し、敵の補給路を断ち、沿岸の機雷などの障害物を除去し、徹底的な砲爆撃を加えた上、地上部隊が上陸し、進攻し、敵部隊を掃滅するというものです。
 口実は、島の防衛ですが実際には島を攻撃するという、そういう演習を米軍と共同していまやっているのです。自衛隊は、その演習を米海兵隊の「胸を借りて」やっていると私は見ております。

根本の安保条約、地位協定
 こういう基地をなくす根本にある日米安保条約の廃棄の問題を考えなくてはいけないと思います。日米安保条約の廃棄というのは、安保条約第10条によって、「一方の政府が他国の政府に対して通告する」とあります。私がもし、廃棄通告文書を起案するということになれば、「憲法第9条および前文に反する」ということをぜひ書き込むべきではないかと思います。その日が、いつ来るか、どういう情勢のもとで来るか、ある意味で楽しみですが、なんとしてもこの状況をつくらなければならないと思っています。
 皆さんも、日米安保条約第10条に基づく「廃棄通告文」を自分が担当者になったつもりで書いてみたらどうでしょうか。
 安保条約の廃棄の問題を常に頭においておく必要があると思っています。確かに廃棄までには時間がかかります。一定の時間がかかるでしょう。それまでの間、米軍基地に関する横暴勝手な米軍の振る舞いがつづく米軍の地位を定めた「地位協定」をどのように直すか。すぐ直せない場合は、運用をどのようにチェックするのかという問題があります。
 この「地位協定」のなかでポイントは、「米軍の基地管理権」です。いま、「基地管理権」が、どんな被害をわれわれに与えているか。基地のなかで例えば、米軍機が墜落・炎上したとします。あるいは突然、何か判らないが大爆発音がした。明らかに、日本の女性を殺害した、あるいは性的暴行をした米兵が基地内に逃げ込んだというような場合に、当然独立国ならば日本の地方自治体の職員、場合によっては警察官が犯罪捜査などで立ち入りが認められるべきであります。しかし、入れないのです。米軍は、この「基地管理権」をたてに応じません。基地の中は米軍が管理するというのです。
 それでは基地の内だけではなく、外ではどうかというと、米軍機の夜間・早朝の爆音、超低空飛行が横行していますが、その対処も米軍の「基地管理権」に委ねられているのです。基地に出入りする、アクセスすることについてもアメリカの基地管理権が及ぶと称しています。
 占領下の米軍特権の遺物が、そのまま「地位協定」において継承されているのです。
 沖縄県東村の高江において、そこに張ってあった住民の方たちのテントを一方的に日本の防衛省職員が取り壊しました。その根拠を追求されても、根拠を全然示せないのですね。示せないはずなんです。それは、日本の法律でとりこわしているのじゃない。地位協定の米軍基地管理権が根拠になっているからだと思います。だから、胸をはって説明できないんですね。なぜ、アメリカの基地管理権を日本の警察なり防衛省が代行するのだ、ということです。
 もう一つは、基地をどこにつくるのか。どんな部隊が来るのか。どんな飛行機が来るのか。どういう演習をするのか。こうしたことが、どんどん住民が知らないうちに決められて進められていくという特徴があります。
 それは、「日米合同委員会」という非公開の秘密組織が決めることになっているのです。地位協定の第25条で決められています。これは、国会でも日米合同委員会の議事録の提出を求めても、絶対にださない、一切答えないということが特徴です。
 こうした米軍の横暴を許す地位協定を改定できるかどうか、改定できないのであれば安保条約そのものを廃棄するしかないという問題です。
 安保条約はまた憲法の問題です。日本の最高裁を含めた厳正な憲法違反の判断をするべきなのですが、最高裁判所は、砂川事件の判決において、「在日米軍は日本の戦力ではない」、「安保条約は高度の政治問題で裁判所の司法審査の対象外である」と判断するなど、日本の司法部は米軍の行動に関する憲法判断を一切避け「憲法の番人」たる責務を放棄しています。1973年の自衛隊違憲判決の福島裁判長、2008年の名古屋高裁のイラク派兵違憲判断をした青山裁判長などがいますが、大半の裁判官は政府の安保政策に追随しています。こういう無気力な状況があります。これを何とか突破して、憲法が活きる世の中にしたいと思います。(次号に続く)

追悼 平和・反核求道者としての牧師・宗藤尚三先生

 日本基督教団牧師で、日本宗教者平和協議会代表委員、広島宗教者平和協議会共同代表の宗藤尚三先生が2016年10月30日にお亡くなりになりました。89歳でした。1927年広島生まれ、御両親は浄土真宗信心の篤い門信徒であり、親鸞を描いた『出家とその弟子』の作者である倉田百三の甥という豊かな宗教的家族環境の中で成長されました。
 現在の広島大学工学部1年の18歳の時、爆心地から1・3キロの自宅2階で被爆。家屋の下敷きとなり、ガラスの破片を受け全身血まみれで意識不明となりました。母親と共に悲惨な地獄の惨状をくぐりぬかれたものの、急性白血病で苦しまれました。
 以来、原爆体験にこだわり続けてこられました。証言の原点は広島平和都市記念碑の碑文「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」という誓いの言葉でした。アメリカの非人道的無差別大量殺戮に対してはもちろん、天皇制軍国主義によるアジア侵略、朝鮮の植民地支配の「あやまち」を問い、平和憲法の精神を守り続けることを使命とされました。それを先生は神様から与えられた最大の義務であると自覚されるようになりました。
 被爆で生死の境を往来する危機的状況の中、「いかに生きるべきか」という人生問題に直面した時、倉田百三の作品『愛と認識との出発』の中に記されたキリスト教の隣人愛についての論文に、強く心を引かれました。さらに西田幾太郎の『善の研究』の中にある「宗教的要求は人心の最深最大なる要求」を通して、道徳を超えた宗教の世界、又人間の罪の問題と真剣に取り組むことの重要性を悟られました。カール・バルト、ブルンナーなどの「危機神学」に導かれた先生は、キリスト教を人生の支えと決意されました。
 21歳の時洗礼を受けられました。広島大学を中退し東京神学大学に入学、卒業前には名古屋の金城教会で奉仕活動。その時教師であった生涯の伴侶となる奥様・信江さんとの出会いがありました。
 神学校を卒業後、金城教会で副牧師に就任され、60年にはサンフランシスコ神学大学に留学。大学院修士課程修了後の63年金城教会の牧師、72年から東京の阿佐ヶ谷東教会、76年から99年まで広島府中教会(府中町)で牧師を務め、同時に2002年までそれぞれの教会付属幼稚園の園長も務められました。
 被爆者として神から与えられている使命に応える思いを抱き、国内外で被爆証言を通して原爆の残酷さ、悲惨さと核廃絶を訴えてこられました。
 1968年プラハでの第3回世界キリスト者平和会議。82年国連軍縮特別総会時の反核百万人行進に参加後、10フィート映画を携えて全米各地での上映と被爆証言。85年5月には西ドイツ教会平和大会で、日本の加害の面と共に、被爆者として原爆の悲惨さを講演され、ドイツ各地で被爆体験を語られました。その時、ヴァイツゼッカーの講演『過去を引き受け…過去に眼を閉ざす者は、現在に盲目となる』を聞かれました。
 26年にわたる府中教会付属「こばと幼稚園」園長時代は、キリスト教の隣人を愛する情操教育と平和教育を基本方針とされました。特に平和教育はあくまで自由で民主的な教育として、生命を尊び、平和を愛し、他人の痛みのわかる心の形成を子どもたちに培ってこられました。
 人間信頼に基づいたこの平和教育の理論と実践は『子どもの心に平和の砦を』(汐文社)と題して出版され、大きな反響を呼びました。先生の平和教育理念の原点には、教育基本法前文の「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」があります。また、長田新編『原爆の子』(1951年)の序文の中で、長田氏が願っていた「平和を築くことを人間として最高の道徳と考えるような人間」形成に取り組んでこられました。
 先生は戦後、キリスト教界が天皇を神として崇め、神社参拝を強制し戦争協力したことを深く反省し、戦争責任を問い続けてこられました。したがって、牧師として、「最大の使命はイエス・キリストの福音を正しく宣べ伝え、信徒の魂への配慮をすることであるが、同時に地の塩、世の光として預言者的な見張りの使命」を持って、「この世の平和の問題に対しても積極的に関わっていかねばならない」と行動されました。
 また、「核兵器に対してキリスト者の側から神への告白として語られる無条件の『否』が、いかなる然りも含まぬ『否』がつきつけられるのみである」(ドイツ改革派教会【平和宣言】第五テーゼ)を通して被爆者としての使命を一層強く痛感されました。具体的には、お亡くなりになるまで、反戦平和・反核・反原発の意思表示をされ続けました。
 2014年暮れ、世界平和遺産の原爆ドームのバッファゾーン内であり、子どもたちが掘った原爆瓦を敷き詰めてある「原爆犠牲ヒロシマの碑」前の元安川岸に、「かき船」を設置することが明らかになりました。行政サイドの平和的追悼視点に欠けた、観光的経済利益優先発想と思わざるを得えませんでした。先生に「かき船問題を考える会」の共同代表をお願いしたところ、快く引き受けてくださり、対市交渉では中心になって抗議や署名活動・提出に尽力してこられました。
 2015年2月9日、宗藤先生は「原爆ドームとアウシュビッツは負の遺産。ドイツでは、心に刻む場として真剣に取り組んでいる。原爆ドームは、ヒロシマの心として過ちの反省の材料になっているのか、思い起こし心に刻む場である。バッファゾーンは、『鎮魂と慰霊』の場。食文化としての『かき船問題』ではなく、戦争の根源に遡って、原点を見すえる」大切さを訴えられました(第1回世話人会)。
 2016年5月、オバマ米国大統領来広に合わせ、「被爆の実態を知らない世界の人たちに核の惨禍を伝えることが自分の使命」の思いで、「拝啓オバマ様」宛てに手紙を書かれ、全文が毎日新聞(5月19日付)に掲載されました。ホワイトハウスのオバマ大統領の目にも触れるよう、英訳され公開されました。
 広島宗教者平和協議会の学習会では、よく先生にはキリスト教の立場から「核時代における人間の責任」についての講義をしていただきました。2016年12月15日、「反核問題」の学習会を持ちました。参加者15人全員で先生を追悼し、奥様から先生の温かいお人柄を偲ぶご挨拶をいただきました。私は宗藤先生ご夫婦とは、毎月の定例「読書会」でご一緒に学ばせていただいています。9月4日は私が『Q&Aでわかる宗教と教育・人権・平和』(平和文化、2015年)所収の宗藤先生執筆「宗教者として核時代をどう考えるか?」の内容に触れ、10月9日は宗藤先生が、栗林輝夫著『原子爆弾とキリスト教 広島・長崎は「しょうがない」か?』(日本キリスト教団出版局、2008年)の本の解説をされました。この日が、私が先生にお会いした最後でした。
 広島の平和・反核運動の代表的存在で、「さよなら原発ヒロシマの会」の運営委員でした。また「広島宗教者九条の和」の共同代表を故信楽峻麿先生(龍谷大学元学長)とご一緒に受けてくださいました。宗藤先生が歩んでこられた平和・反核探求の生きざまは、思想・宗教の違いを超えて多くの人々の心に染み渡り、私たち宗教者平和運動の心の支えでした。宗藤先生には、心よりの感謝と哀悼の念を捧げます。

著書 『あなたはどこにいるのか』・『ヒロシマと平和の福音』(以上新教出版社)『子どもの心に平和の砦を』(汐文社) 『心の内なる核兵器に抗して』(キリスト新聞社)『核時代における人間の責任』(ヨベル社) 『もはや戦いのことを学ばない』(デルタプリント) 編著 『いのちの塔』(中国新聞社) 『真赤な原子雲』(汐文社)共著 『Q&Aでわかる宗教と教育・人権・平和』(平和文化)他多数

 広島宗教者平和協議会事務局長  吉川 徹忍

「彰元さんのつどい」開かれる 

 竹中彰元さんの72回目の命日の昨年10月21日、岐阜県垂井町の生家・明泉寺で「彰元さんのつどい」が真宗大谷派大垣教区の主催で開かれました。 つどいには本堂を埋め尽くす100人以上が参加し、彰元さんの反戦への思いをしのびました。
 竹中彰元さんは先の大戦中、「戦争は罪悪である」「この度の事変については、自分は侵略の様に考える」と公言し陸軍法で有罪となり、追って宗派からも布教師資格剥奪、僧階を最低位にするなどの処分を受けました。
 その後、彰元さんの事跡は永く埋もれていましたが、愛知宗平協の大東さんや、岐阜宗教者平和の会の皆さんの尽力により平和への発言が発掘され顕彰運動が起こり、2008年に復権顕彰大会が開かれ宗派による処分も撤回されました。
 名誉回復・復権までに70年を経てのことでした。
 記念講演は福井県・小浜市の中嶌哲演師(福井宗平協)が彰元さんの生き方への敬意を表明し、小浜市民が三度にわたって原発を拒否した闘いの報告と原発と平和の問題が密接に関わっていることを訴えられました。      岐阜県宗教者平和の会

2017年東日本大震災犠牲者追悼・原発廃止廃炉を願う
「諸宗教による祈りのつどい」のご案内


2017年3月13日(月)~14日(火)
日程・プログラム
※3月13日(月)
祈りのつどいと学習会
場所 湯本温泉・古滝屋旅館 電話0246-43—2191
(JR常磐線 湯本駅下車 徒歩5分)
※3月14日(火)
フィールドワーク(楢葉町・宝鏡寺、原発・津波被災地訪問)
参加費
※全日程参加17,000円(含む宿泊・懇親会費・バス代・弁当代・被災者支援)
現地当日参加者 つどい参加費1,000円、被災地訪問3,500円(バス・弁当)
主催:「祈りのつどい」実行委員会 
実行委員長・奥田靖二(日本宗平協)/事務局長・小山弘泉(東京宗平会)

山家妄言

「客商売」政治家のアドバイス

★「西宮市長 生徒に〝不良〟自慢」という見出しの記事が目に入った。記事を紹介すると、発言があったのは11月27日、市立子育て総合支援センターで開かれた「中高生3万人の夢プロジェクト」でのことで、今村岳司市長は「唐突に」自身の中高生時代を振り返り、「私に必要な居場所は、授業を抜け出して楽器がひけるところ」「教室の鍵を盗んで合鍵を作り、面白くない授業を抜け出して、タバコを吸い、マージャンをした」と自慢し、さらに「見回りのガードマンにはエロ本やお酒を渡して味方につけた」とも話した。中高生18人が市職員と議論しているさなかの発言で、「居場所は自分で手に入れよう」と訴えるためにしたのだという。
★12月8日の市議会本会議で、女性市議が「公の場でいうことか。市長として自覚を持つべきだ」と指摘したが、それに対しどのような答弁をしたのかは記事にない。ところが市長自身のブログで「ピンクのダサいスーツに黒縁眼鏡で『お下品ザマス!』って言っている女教師みたい」と揶揄したという。彼は44歳、記事に載せられている写真は、ポマードをつけてつまみ上げたような髪型に、外人スポーツマンによく見る形のあごひげ。いかにも高校時代、成績を鼻にかけて屁理屈をこね、裏ではやんちゃをしていた男に相応しいと、教師であった私には思える。
★小学校は国立神戸大学付属、中高は進学名門私学の甲陽学園、京都大学法学部卒というから典型的な「エリート」といえる。彼は市議に初当選した時、金髪にピアスで登場し物議をかもした。また、今は消しているようだが刺青をしていたことも事実のようだ。名前の半分を彫りこみ「未完成の自分を、常に意識するため」と理屈をつけていたそうである。髪やひげ、あるいは刺青も嗜好の問題で他人がとやかく言う必要はないと思うが、発言の中身は常軌を逸している。「鍵を盗んで合鍵を作り侵入する」ことや、未成年者がたばこを吸い酒を飲むことは犯罪である。そのような犯罪の場所を「居場所」と称して、「自分で手に入れよう」ということが、中高生相手でなかろうと許されるものではない。
★「JapanProducerインタビュー(NPO法人ドットジェイピー)西宮市議会 今村 岳司」なる記事をネットで見つけたので紹介しよう。「なぜ、今村議員は政治家なのに、金髪でピアスにしているんですか?」という質問に対して、「ひとことで言えば目立つからです。(笑)政治家でこういうカッコの人って日本でぼくだけですから。 目立つってことはマークされるわけだから(中略)こんなかっこしてて、政策がないとか、仕事してないとかって、許されないでしょ?(笑)そのテンションがきもちいいね。政治は客商売だから、テレビに出たり新聞に取り上げられたりしたら、それを見た西宮のお客さんたちは「西宮の政治家も元気だな」って喜んでくれるじゃないですか。 お客さん(市民)に、なんだか政治もおもしろそうだって思ってもらって、議会にきてもらう。そしてぼくのライブを見てもらって、西宮の政治に対して希望をもってもらいたいんです。(後略)」というのだ。
★彼の人物像をよくあらわした発言だと思えないだろうか。そしてまた、現在の政治塾出身「政治屋」の本音でもあると言えないだろうか。政治を「客商売」と言い、お客さん(市民)に面白そうやなと「思わせる」ことを使命とするという。自分を有権者(市民)と同じレベルに引き下げたように見せながら、実は蔑視しているさまは、さきのブログに共通している。しかし、現在彼は市長の座にある。公の場であろうと個人的な場であろうと、その職の重さを自覚した良識のある大人の中高生に対して発する言葉ではない。女性市議の指摘はまさに当を得たものである。
★彼の学歴を見るとき、古くからの伝統をもつ私学を含めて現在の学校と教育の実態が、かつてとは変質してしまっているさまが、まざまざと見えるように思える。現在の教育体制のなかで「優秀」とされた人物が人格においても優秀である保証はない。歪んだ人格の人物が「政治屋」への道を志し、最近よく聞く「政治塾」において速成教育を受け、「腐敗」選挙制度にも利されて各級議員や国政・自治体の施政担当者になる例がまま見られる。彼らは政治に対する志を欠く。「金だけ、今だけ、自分だけ」という流行語は彼らに相応しい。
★当面する困難な政治・経済の状況は彼らに主導権を持たせていることによる。この事態を打開するためには、私たち志を持つ者は彼らと同じレベルの地平に埋没していることは許されない。本来の志高い人間愛を信じて広く手を結びあうことによって次元の高い世界を形づくることが求められている。哲学や倫理学を身につけた教養ある人々と並んで、いやそれ以上に宗教者の使命は重く、大きいことを自覚させられるのである。(2016・12・19)  水田全一・妙心寺派の一老僧