数億のヒバクシャ国際署名を
原水爆禁止2016年世界大会  国際会議・広島・長崎

原水爆禁止2016年世界大会に参加して
日本宗教者平和協議会事務局長・真宗大谷派僧侶  森 修覚


 原水爆禁止2016年世界大会・国際会議が8月2日から4日まで広島で開催されました。
 開会総会の主催者あいさつで、原水爆禁止世界大会実行委員会の野口邦和・運営員会代表は、粘り強い運動の成果が実り、「核兵器のない世界の実現へ大きな転機」が来ていると指摘。「国連の場で圧倒的多数の国が、核兵器を法的に禁止、廃絶する交渉を速やかに開始すべきだと主張している」もとで「世界各国での世論と運動の高揚が必要だ」と強調しました。
 長崎で被爆した日本被団協の木戸季市事務局次長は、「1945年8月9日長崎の爆心地から2キロメートルの路上で被爆しました。私が見たものは何もない街、死体と水を求める人々の群れでした。被爆者はあの日を境に原爆が残した体と心の傷によって生活と人間性破壊に脅かされ続ける人生を余儀なくされた」と自らの体験を語り、「ヒロシマ、ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」は思想・信条・政治的立場を超えて誰にもできる署名。世界数億の署名で核政策を変え、核兵器のない世界を実現しようと訴えました。
 特別報告を行ったセルジオ・ドゥナルテ元国連軍縮問題担当上級代表は「世界は岐路に立っています。ひとつは核兵器を世界の厳しい現実と受け入れる道。もうひとつは、核兵器は受け入れられない兵器だと万人が認識する世界に通じる道です」と訴え「みなさんが今の努力を粘り強く続けるよう呼びかけます」と訴えました。
 その後、第1セッションでは、広島・長崎の原爆被害、核兵器の非人道性などをテーマに、日本の矢野美耶子さんと韓国のク・ジョンソンさんの被爆者、ビキニ核実験の被害を受けたマーシャル諸島のアバッカ・アンジャインさん、ロシアのオレグ・ボドロフさんは国内の核実験・核兵器製造の被害者実態、チェルノブイリ原発事故で被災者を出したリトアニアのゲディミナス・リムデイカさんらが発言しました。
 第2セッションでは、「平和運動と市民社会の役割」などをテーマに米のジョセフ・ガーソンさん、英国のキャロル・ターナさん、オランダのセルマ・ファン・オーストワードさん、日本原水協の安井正和事務局長らが発言しました。
 第3セッションでは、「核兵器のない世界への共同、核抑止論の克服」などをテーマに、米国のポール・カウイカ・マーティンさん、韓国のパク・ジョンウンさん、国際平和ビューロー(IPB)のジョルディカルボ・ルファンヘスさん、沖縄県会議員の瀬長美佐雄さんらが発言しました。
 それぞれの分科会が開かれ、活発な討論が行われました。私は第2分科会に参加し宗教界や日本宗教者平和協議会の活動を報告しました。
 4日の閉会総会では分科会の報告、国際会議宣言が採択されました。
 国際会議で国連の作業部会の活動が注目され、秋の国連総会、2017年の国連の核兵器廃絶のための総会招集など、核保有国への働きかけ、核抑止論の国へ世論の圧力を強めることが重要になっています。数億の国際署名の運動が求められていることを強く感じました。
 国際会議宣言の行動提起にどうこたえるか、日本宗教者平和協議会の活動を展開するかが課題です。

国際会議宣言(抜粋)
「核兵器のない平和で公正な未来をひらく最大の力は、諸国民の世論と運動の発展である。我々は、以下の行動をよびかける。
―世界で数億の署名を目標にした「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」をはじめ、核兵器を禁止し、廃絶する条約の交渉開始を求める世論を発展させよう。そのためにも、広島・長崎の被爆の実相の普及、被爆者の証言活動を国際的に推進する。国連総会、国連核兵器廃絶デー(9月26日)や国連軍縮週間(10月24日~)などを節目として行動を発展させよう。
―被爆者への援護・連帯をすすめ、国家補償を実現しよう。核実験や原発事故被害者の救済を求め、福島第一原発事故の被災者への支援を強めよう。原発ゼロを求める運動との連帯を発展させよう。枯葉剤、劣化ウラン弾などの戦争被害者を支援しよう。武力紛争やテロの犠牲者を支援しよう。
―反戦・平和、沖縄・グアムはじめ外国軍事基地の縮小・撤去、武器輸出と軍事産業の規制、軍事費削減と生活、雇用、福祉の向上、貧困と格差の解消、気候変動の防止と地球環境の保護、性差別はじめあらゆる差別の克服など、社会的不正義にたちむかい、持続可能な発展をめざすあらゆる運動と連帯しよう。

 被爆者は訴えている―「後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」(「ヒバクシャ国際署名」の「訴え」より)。この切実な願いにこたえ、決意をあらたに「核兵器のない平和で公正な世界」へ前進しよう。」と呼びかけています。

平和行進集結集会
8月4日(木)全国からの平和行進が集結し、500人が参加し、集会が開かれました。5月6日東京・夢の島出発で通し行進の山内金久さん、山口逸郎さんとの再会でした。この会場に真宗門徒の看板を掲げて参加された広島の本願寺派の僧侶と一緒になりました。

世界大会-広島
 4日から6日まで開かれた世界大会-広島は、開会総会で全労連の小田川義和議長が開会宣言し、国連の場で核兵器廃絶のための法的措置に向けた議論が始まったのは、被爆者のたたかいと世界大会がつくりだした到達点だと指摘。「ヒバクシャ国際署名は核兵器固執勢力を世論の力で追い詰める最重要の取り組みだ」と訴えました。冨田宏治国際会議宣言起草委員長(関西学院大学教授)が主催者報告を行いました。
 「ヒロシマから世界へ被爆地からの訴え」としてヒロシマの被爆者7団体代表が国際署名に共同して取り組みが報告されました。ベトナム平和委員会のブイ・リエン・フォン事務局長がすでに集めた8万の署名目録を岩佐幹三被団協代表委員に手渡し、大きな拍手に包まれました。
 6日の閉会総会に、日本宗平協から矢野太一、奥田靖二両代表委員、林正道常任理事、鈴木章方師、荒川徹真事務局次長、森修覚が参加しました。
 国連軍縮問題担当上級代表キム・ウォンスさんが「核兵器が再び使用されない唯一の絶対的な保障は、核兵器の全面廃絶」と述べました。被爆者発言で松本秀子さんは10人家族。71年前の「あの日」の出来事を話しました。
 家族6人の命を一瞬にして原爆で奪われた」「生き残った43歳の父親も原爆症で体中が腫れ、髪や歯が抜け、あごの骨まで溶け落ちました。胃がんを併発し58歳で亡くなった」「原爆資料館に展示されている物言わぬ遺品の声を聞き世界中の人が集うこの場所から核兵器廃絶、真の平和の実現をみなさんと一緒に唱えていきたいと思います」と訴えました。
 文化行事は「被爆71年、被爆地ヒロシマから」で、原爆による白血病で12歳で亡くなった佐々木禎子さんのおいで被爆2世のアーティスト・佐々木祐滋さんが「INORI」を熱唱しました。被爆3世のメティスさん は「音楽で平和の種まきを」と、被爆の語り部だった沼田鈴子さんに伝えられた言葉を紹介し「平和の祈り、命の大切さを曲に託します」と訴え、2人は一緒に「INORI」の新バージョンを披露しました。
日本の草の根の決意表明。最後に広島からの呼びかけを採択し閉会しました。

ヒロシマデーとうろう流し
 8月6日(土)夕方、原水爆禁止2016年世界大会・広島の最後の行事の「とうろう流し」が、太田川(元安川)の河川敷で行われました。
 主催者を代表して建交労の山田昭夫委員長があいさつしました。「今年の原水爆禁止世界大会は、安倍政権による戦争法制定により、戦争法発動の危険が高まるなか開催されています。(中略)戦後71年間、核兵器の使用を許さず、憲法9条を守ってこれたのは『人類と核兵器は共存できない』との被爆者の声と行動があったからこそ」と強調し、「とうろう流しは、日本の民族的な宗教行事で、広島では70年前の今日、原爆で焼かれ、放射線を浴び、苦しんで死んでいった被爆者を弔い、地球上から核兵器をなくすことを誓って、この元安川においてとうろうに火をつけ川面に流します」と紹介し、30年前から毎年、イギリスの宗教者団体から贈られてくるろうそくの紹介をしました。
 続いて海外代表のロシア・グリーンワールドのオレグ・ボロドフ会長は「とうろうに私の4人の孫の名前に加えて佐々木禎子(白血病で亡くなった少女)の名前を書き加えた。子どもたちのために、核兵器のない世界を望んでいるからです」と連帯のあいさつをしました。
 その後、イギリスから贈られたろうそくに、森修覚師(日本宗教者平和協議会・世界大会運営委員)が原爆犠牲者の位牌の火から点火しました。
 その火を、それぞれの願いを書き記したとうろうに点火し、川面に流しました。
 同時に日本宗教者平和協議会の有志による「原爆犠牲者追悼の祈り」が行われ、「過ちを二度と繰り返してはならない」と伽陀、表白、阿弥陀経の読経で祈りました。広島の僧侶はじめ全国から11人が参加しました。東京・八王子浅川神社の奥田靖二宮司が「核兵器のない世界へ、宗教者の想い」の祝詞を述べました。閉会のあいさつを全商連の今井誠さんが行いました。
 この灯ろう流しには、セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮問題担当上級代表(ブラジル)ら海外代表はじめ保育園児、被爆者、広島大会参加者のなど約300が参加しました。

署名活動とレセプション
 長崎の繁華街・浜町アーケードで「ヒバクシャ国際署名」活動に高校生と海外代表とともに参加しました。
 9日夜開かれた、レセプションに参加し、被爆者、海外代表と友好交流を深めました。

いのちをえらびとる断食の祈り

一日も早い核兵器廃絶の実現を

 広島・長崎被爆71年を翌日に迎える8月5日、広島平和公園の供養塔の横で、日本宗教者平和協議会による「いのちをえらびとる断食の祈り」が行われました。
 日蓮宗、真言宗、天理教、神道、キリスト教、浄土真宗などの宗教者約50人が参加し、原爆の犠牲者を追悼、核兵器の廃絶と平和を「原爆と人間」パネルを展示し、祈りました。
 33年目となる今年の断食の祈りには、広島県被団協事務局長の大越和郎(76)氏が、「語り部」としてご自身の被爆体験を話されました。
 大越さんは5歳の時、爆心地から13キロのところで被爆しました。「爆発の瞬間、眩しいものすごい量の光で、まわりも何も見えなくなってしまった」。その後、しばらくしてかなり激しい「黒い雨」を浴びました。自宅の池の魚が死んでいるのを見た、と言います。 同じ小学校に通っていたクラスメートの33人が、やがて白血病で亡くなったということです。
 初期放射線、残留放射線、内部被爆それぞれの被害の実際を見てきたなかで、広島、長崎、ビキニ被災、そして福島原発事故の運動が連帯していくことの大切さを強調されました。
 また、先日のオバマ大統領の広島訪問に関して、被爆者間でも評価が別れていること。ご自身も複雑な思いをもっているとも語られました。
 長年にわたり語り伝えられてきた、筆舌に尽くしがたい被爆の体験はいま世界の指導者たちの心をとらえ、勇気ある行動へと突き動かしています。NPT再検討会議(2015年)では、条約に加わる8割以上の国々が、核兵器を非人道的として、全面廃絶を訴える共同声明を発表しました。
 今年も国連総会では、作業部会で核兵器禁止条約が本格的に議論されるという前進も生み出しています。
 これとは対照的に核兵器禁止条約の交渉に反対し、核保有国の代弁者のようにふるまう日本の政府を許しておくことはできません。
 「後世の人々が生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」という被爆者の訴えに真剣に向き合う、被爆国にふさわしい政治をなんとしても実現しなければ、と思います。      荒川徹真(真宗大谷派)

核兵器廃絶をめざして
長崎での取り組みに参加して

真宗大谷派安養寺・住職  林 正道

 8月5日の広島市の平和記念公園での「いのちをえらびとる断食の祈り」や6日の広島市主催の平和記念式典、「原水爆禁止世界大会-広島」に参加した後、いったん大分県の自坊に帰りました。7日、法務を済ませたあと、夜に長崎市に入りました。
 8日午前9時から、建交労長崎県本部主催の「2016年(被爆71年)『敬朋』墓前祭」に宗平協事務局長の森修覚師ともに参列しました。
 『敬朋」の墓には長崎市の失業対策事業で働いていて亡くなった被爆者が眠っています。失対事業には多くの被爆者が働いていましたが、一人寂しく死んでいった人もいました。弔いも出せず、長崎医大に遺体を送って、解剖が済んだ後は手厚く葬っていただきました。全日自労長崎分会は、事業主体である長崎市に、「引き取り手のない人のために、墓地を提供してほしい」と要求し交渉。1977年8月31日、赤迫町に墓碑を建立、医大に送っていた遺骨も受け取り、慰霊祭を兼ねて除幕式を行いました。『敬朋』という墓碑銘は、当時の諸谷義武長崎市長が揮毫したものです。
 小生が2002年、建交労中央本部の役員を退任して、大分県にある真宗大谷派安養寺の住職になったのをご縁に、2003年8月8日、建交労の坂田晋作中央執行委員長や原水禁大会に参加した全国の代表、地元の仲間も参加して、しばらく途絶えていた『敬朋』の墓前祭を復活させました。それから毎年、墓前祭が続いています。
 この日も、灼熱の太陽が照り続ける中、主催者や建交労の赤羽数幸中央執行委員長のあいさつに続いて、小生が「表白」をあげた後、森修覚師と一緒に読経する中、参列者が次々に焼香。「戦後71年、被爆71年の今年、戦争法廃止と核兵器の廃絶、国内のすべての原発をなくすことを『敬朋』の墓前祭での新たな決意」とすることを誓い合いました。
 午後からは、「核兵器全面禁止のために-草の根の運動と国際連帯」をテーマにした「国際フォーラム」に参加。核保有国や「核の傘」の下にある国など海外代表と日本の草の根の参加者が、国際政治に大きな影響を与えてきた確信とともに、ヒバクシャ国際署名などの運動を発展させていく決意を語り合いました。また、土田弥生日本原水協事務局次長は、ジュネーブで開催中の国連核軍縮作業部会に対し、世界大会で採択された「宣言」を送付した経緯を報告。田上富久長崎市長が、「いま核兵器をめぐる状況に変化がおきている。法的枠組みで核兵器を禁止するのは〝国〟。その〝国〟を動かすのは市民社会、非政府組織(NGO)あるいは国連。核兵器のない世界の実現に向け、手をつないで一歩一歩前進していこう」とあいさつしました。
 翌9日は、「原水爆禁止2016年世界大会・ナガサキデ-集会」に参加。「ヒバクシャ国際署名」呼びかけ人被爆者代表の一人、谷口稜曄(すみてる)さんは「核兵器は一発も残してはいけない。国際署名をストックホルム・アピール署名のような世界規模の大きな運動にしよう」と来賓あいさつ。
 「日本の草の根運動の決意」の中で、高校生1万人署名運動実行委員会と高校生平和大使が登壇、「被爆者の証言を聞ける最後の世代として、核と人類は共存できないと、国連で訴えてきます」と訴えると、会場からは大きな拍手が…。大会は「被爆者とともに、世界のすべての政府に『核兵器のない世界』の速やかな実現のために行動することを訴えます」とした「長崎からすべての国の政府への手紙」(決議)を満場の拍手で採択しました。
 大会終了後午後1時30分から真宗大谷派長崎教務所で謹修された『非核非戦(原爆法要)』に森修覚師、建交労長崎県本部委員長の中里研哉さんと小生の3人が参拝しました。1945年8月9日、米軍が投下した原爆で亡くなった、身元の分からない方々の1万とも2万ともいわれる遺骨が納められている『非核非戦』の碑は、1999年に落成しました。 この碑の前で、嘆仏偈のお勤めをしたあと、本堂で表白、阿弥陀経、正信偈のお勤めをし、講師の法話がありました。

平山武秀先生を偲んで

京都宗平協  出口 玲子

 7月31日の夕方、大阪宗平協の長田さんから「平山先生の電話番号を教えて下さい。西川治郎さんを偲ぶ会の献杯をお願いしていたのに、まだみえないのです。」という電話がありました。
 その数分後、「平山先生が今朝亡くなって、今ご遺体が自宅に帰ったところです」という再び長田さんからの電話に、私は耳を疑いました。なぜなら、前日に先生と原稿の手直しをファックスでやり取りしていたばかりで、とても信じられなかったのです。
 その手書きの原稿は、京滋キリスト者平和の会の機関誌の巻頭言で、なぜか速達で私のところに送られてきたのです。それで、私がパソコンで打って先生にファクスで送り、手直しをして貰っていたのですが、それが先生の絶筆となってしまいました。
 平山先生は天満教会の牧師を長く務めて隠退されたので、大阪宗平協での活動の方が長く、3年程前に娘さんの京都の留守宅に転居されてきた関係で京都宗平協に属して下さいました。
 京都宗平協では副理事長として、新春放談会や毎月の会議を楽しみに参加され、欠席の時には必ず連絡を下さいました。 先生は1年位前から体調を崩され、「入院中に心臓の発作を起こしたが命拾いをした」と話されていましたが、その後元気になられ、6月末の「市田さんを囲む宗教者のつどい」にもご夫妻で参加されていました。そして、7月12日の積善院での会議にも通院の帰りに来たと、ご夫妻で参加。「宗教と平和」の発送作業も手伝って下さったのが最後になりました。
 今年5月、先生は私の属する教会に特別伝道集会の講師でみえ、説教の中で毎週超教派の「朝祷会」に参加されていることを知りました。
 まさに先生は「平和の祈りを行動の波に!」を実践されていた「祈りの人」だったのだと思います。
 生前のご指導に感謝し、先生の平安とご家族の方々へのお慰めを心から祈ります。

山家妄想

真宗教団の要望書

★浄土真宗の10派で構成されている「真宗教団連合」が8月2日、「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請のこと」という要望者を安倍首相あてに提出したと報じられた。
 日本国憲法が個人の信教の自由を保障し、政教分離の原則を打ち立てておることを強調し、「国家を代表する首相・閣僚が、憲法の精神に反してまで公式参拝することに強い危惧の念を有しており、深い悲しみと憤りを禁じえません」というのであるが、真宗教団連合のホームページには、毎年だされた要請書が記載されている。
★今年のそれは、まず1969年、教団連合が結成されてより「一貫して、首相及び閣僚が靖国神社を参拝されることに対して、抗議や中止の要請をしてきた」ことの紹介に始まり、靖国神社が「戦争遂行の精神的支柱として国家神道体制の中心的役割を担ってきた」ことや、戦争で亡くなった方を「故人の宗教や遺族の意思に関わらず特定の基準で強制的に合祀」していることを指摘し、靖国神社が今もなお「わが国における戦没者追悼の中心的施設である」とすることには無理があるという。★さらに釈尊の「国豊民安 兵戈牙無用」、宗祖親鸞聖人の「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」の願いをひき、教団や仏教者が先の戦争に加担したことを懺悔し「非戦平和」に向けた取り組みを進める決意を述べ、最後に昨年の戦後70年にあたっての首相談話をひき、あらためて「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止」を要請している。
★NHKニュースによると、今年、安倍首相は私費で玉ぐし料を奉納したが、参拝は見送り、高市総務相、丸川オリンピック担当相と荻生田官房副長官が8月15日に参拝し、ほかに閣僚では山本農相が6日に、今村復興相が11日に一般の参拝者と同様の形で参拝した。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に所属する「超党派の議員」70名も集団参拝したという。
★ネットにはなぜ国会議員は靖国神社にお参りするのだろうか、みんなが行かなくなっても一人だけでも行くのだろうかなどと「集団参拝」にたいする疑問も出されている。これに対しては、遺族会への選挙対策で日常的にも参拝しているなどの答えが載せられているが、参拝する会が「超党派の議員」で構成されているところに、日本の政党状況や議員の信仰に対する姿勢の問題がうかがわれるのではないか。
★注目を集めていた稲田防衛大臣は、どなたかの手厚い配慮でジプチを訪問中となり、本人にとってはさぞかし残念な結果となったのだが、ことほど左様に靖国神社参拝問題は世界やアジアの平和にとってゆるがせにできない問題なのだということである。
★あらためて教団提出の要望書をみると、いささか問題を感じる。昨年は戦後70年の節目、今年は日本の自衛隊が海外の戦争に駆り出される危険が現実化されている情勢のなかで、要請書にもその情勢が反映された緊張感が必要と思う。わが教団にも言えることなのであるが、戦争加担責任を懺悔した宣言文を発表した際の内容や表現の検討については、事にあたられた方々の真剣なご苦労を承知している。しかし、その後おりおりの教団としての戦争や平和についての宣言など、教団としての姿勢や態度表明については、情勢分析・文章表現ともに惰性を感じる。
★靖国神社に参拝する会と一体でもある日本会議(生長の家創始者谷口雅春の極右理論を信奉する特異な極右組織)が「草の根改憲運動」ともいうべき、組織的な活動を強めている時、あくまでも平和と民主主義を守り強めていくべき使命を自覚する宗教者は、たとえ恒例となっている要請書一つでも、教団の隅々まで徹底した討議を組織して、力あるものにする努力をせねばならないのではないか。改憲の危機が具体的となり、国民投票さえ地平に登場している時点で、国民の多数を組織していると自負する仏教各教団の、危機意識と洞察・行動力に期待したいのである。(2016・8・20)
水田全一・妙心寺派の一老僧

真宗教団連合
浄土真宗本願寺派 総長 石上 智康
真宗大谷派 宗務総長 里雄 康意
真宗高田派 宗務総長 安藤 光淵
真宗佛光寺派 宗務総長 佐々木亮一
真宗興正派 宗務総長 龍村 豐雄
真宗木辺派 宗務長 藤本 秀曉
真宗出雲路派 宗務長 泰圓澄法嗣
真宗誠照寺派 宗務長 茨田 隆信
真宗三門徒派 宗務長 黒田 昌英
真宗山元派 宗務長 佛木 道宗

国連軍縮週間に呼応する
日本宗教者平和会議in東京


日時  10月24日~25日
場所  八王子労政会館
26日オプション 高尾山の薬王院訪問