沖縄の怒り、悲しみは限界
米海兵隊撤退を求め6万5千人

 「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」)が19日、那覇市の奥武山(おうのやま)陸上競技場で開かれ、6万5千人が参加。県内各地から宗教者が集い、日本宗平協からも代表が駆けつけました。
米軍属の元海兵隊員によって繰り返された事件への憤り、悲しみと怒り、被害女性への追悼と祈りのなか、その根絶のために在沖米海兵隊の撤退、地位協定の抜本改定などを求め、強烈な日差しが照りつけるなかで参加者は、「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」のメッセージボードを掲げて抗議しました。
 古謝美佐子さんの初孫誕生の喜び、子を慈しむ母の愛を歌った「童神(わらびがみ)」の歌で開会。大会は、犠牲者に黙とう、被害者の父親から、「無念は計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなっていく…次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『新基地建設断念』は県民が一つになれば可能」とのメッセージが読み上げられました。
 翁長雄志知事は、遺棄現場に花を手向け、手を合わせてきたとき、「心の底から『あなたを守ってあげることができなくてごめんなさい』という言葉が出た」と述べ、その上で、「政府は県民の怒りが限界に達しつつあること、これ以上の基地負担に県民の犠牲は許されないことを理解すべき」であり、「日米地位協定の抜本的な見直し、海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理縮小、新辺野古基地建設阻止に取り組んで行く不退転の決意」を表明しました。
 被害女性と同世代の若者たちが思いを述べました。何度、こうした集会を開かなければならないのかという憤りを込め、喪服に身を包んで発言した大学生の玉城愛さんは、「安倍晋三さん、本土に住んでいる皆さん。この事件の『第二の加害者』は、あなたたちです。しっかり沖縄に向き合っていただけませんか」と訴え、「生きる尊厳と時間が軍隊によって否定される、命を奪うことが正当化される。こんな社会を誰がつくったのか」「彼女が奪われた生きる時間の分、私たちはウチナーンチュとして、一人の市民として、誇り高く責任を持って生きていきませんか」と時折言葉を詰まらせながら呼びかけました。なぜ、米兵による性犯罪、人権侵害が繰り返されるのか、どうすればこれを防ぐことができるのか。この若者の声を胸に刻み、真摯に向き合い、どう応えるのかが厳しく問われています。
 参加者は最後に、「県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である」との大会決議を採択し、日米両政府に、遺族と県民への謝罪と補償、海兵隊の撤退、日米地位協定の抜本的な改定を要求しました。
 沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になった沖縄、日本の国土の約0・6%しかない沖縄に、在日米軍の専用基地が面積で約74%も集中しています。これ以上の基地負担の押し付けは許されません。海兵隊を撤退させ、基地のない平和な沖縄を目指すのが急務です。
 最後に海勢頭豊さんの沖縄戦をテーマにした「月桃」の歌が演奏され、噴き出る汗と涙をぬぐいつつ女性と遺族に思いを寄せました。

元海兵隊員による、残虐な蛮行を糾弾!
被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会決議
 元海兵隊員の凶悪な犯罪により、20歳の未来ある女性のいのちが奪われた。これは米軍基地あるが故の事件であり、断じて許されるものではない。
 繰り返される米軍人・軍属による事件や事故に対し、県民の怒りと悲しみは限界を超えた。
 私たちは遺族とともに、被害者を追悼し、2度と繰り返させないために、この県民大会に結集した。
 日米両政府は、事件・事故が起きるたびに、「綱紀粛正」、「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはない。このような犯罪などを防止するには、もはや「基地をなくすべきだ」との県民の怒りの声はおさまらない。
 戦後71年にわたって米軍が存在している結果、復帰後だけでも、米軍の犯罪事件が5910件発生し、そのうち凶悪事件は575件にのぼる異常事態である。
 県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である。
 私たちは、今県民大会において、以下決議し、日米両政府に対し、強く要求する。

1、日米両政府は、遺族及び県民に対して改めて謝罪し完全な補償を行うこと。
2、在沖米海兵隊の撤退及び米軍基地の大幅な整理・縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を行うこと。
3、日米地位協定の抜本的改定を行うこと。

宛先: 内閣総理大臣/外務大臣/防衛大臣/沖縄及び北方対策担当大臣/米国大統領/駐日米国大使
    2016年6月19日

元米海兵隊員による、残虐な蛮行を糾弾!
被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会

韓国訪問 
 吉川徹忍(浄土真宗本願寺派僧侶)

 5月5日夕刻、小雨の金浦空港に降り立ち、迎えの車でソウル市内に入った。ネオン以上に強烈に目に焼き付いたのは、街中の至る所に飾られた色鮮やかに輝く燃燈(提灯)。釈迦誕生日(旧暦4月8日)を祝う韓国最大の祭典「燃燈会(ねんとうえ)」(6日~8日)が始まろうとしていた。
 新羅時代から約1300年続いてきた祝祭で、毎年ソウルでは市をあげてのお祭りといわれる。「燃燈会」とは燃燈を灯して自分の心を照らし、世の中を照らすという釈迦を讃える行事で、韓国全土の寺院で開催される。
 5月5日~9日、「国際佛教指導者燃燈会」招請ということで、韓国仏教宗団協議会(日本では「全日本仏教会」にあたる)から殿平善彦氏(北海道・浄土真宗本願寺派一乗寺住職)と私の2人が日本仏教僧侶代表として正式招待を受けた。
 韓国はもとより、5か国(スリランカ・タイ・中国・モンゴル・日本)からそれぞれ2~3人の仏教僧侶代表計12名が招かれた。南伝仏教・北伝仏教の各地域から同じ釈迦の慈悲と智慧の教えを信じ平和を願う仏教僧侶が「燃燈会」行事に参加し、交流しあうというもの。
 韓国の中で、寺院・信徒数で最大なのが、高麗時代から民衆に浸透してきた曹渓(チョゲ)宗であり、伝統的仏教寺院の約9割を占めている。私たちがお世話をいただいたのは曹渓宗総本山であるソウル中心部の曹渓寺(チョゲサ)。2009年、日韓仏教交流協議会と共同で、「日本が韓国民に多大な苦痛を及ぼした歴史的な事実に対し、反省とざんげの念を深くしている」と刻まれた「人類和合共生祈願碑」を京畿道の神勒寺に建てた。ナヌムの家の経営に関わるなどいわゆる「従軍慰安婦」の問題でも尽力している。
 6日、私たち仏教僧侶の代表団はどしゃ降りの雨の中、韓国仏教中心道場の奉恩寺の住職を表敬訪問した。本堂では殿平氏と2人でお勤め(重誓偈)をした。雨上がりの7日午後は、曹渓宗総務院で会長スニム(和尚)を表敬訪問した。奉恩寺住職、そして曹渓宗会長スニムとの対面・対話を通して、国境を超えた平和を願う同じアジア仏教徒としての交流・協力の大切さを確かめあった。日本仏教僧侶を代表して殿平氏から、まだ日本に残されている朝鮮人強制労働犠牲者のご遺骨返還では、今後韓国と日本の両仏教界が連携協力して支援をして欲しい旨を述べた。それぞれの住職やスニムは大きくうなずき共感を示された。
 7日は朝バスで、ソウルから漢江~イムジン川沿いを北へ50㎞の朝鮮戦争の傷跡が残り、南北分断の悲劇ゆえの平和を願う公園・臨津閣(イムジンガク)を訪れた。
 1953年7月休戦協定締結時、捕虜交換で彼らが渡ってきたわずか長さ83mの古い木の橋を歩いた。横には爆撃の痕跡が残る機関車、昔は中国まで南北をつないだ京義線の途切れた線路。戦争と民族分断の苦しみを想像する。 代表団全員で、平和と南北統一を願って「平和の鐘」を鳴らした。ヒロシマからの核廃絶の願いと日本の植民地支配への謝罪、南北分断の平和的統一の気持ちを込めたメッセージを「平和のリボン」にしたため吊るした。バスでソウルに帰る途中、前日6日の雨はすっかり上がり、漢江の上に美しく大きな虹がかかった。南北の「架け橋」に思え、みんなの祈りがひとつになった思いがした。
 7日午後3時から「燃燈会」行事。曹渓宗設立の東国大学校大運動場正面に、巨大な釈迦像を掲げてある「燃燈会仏教文化公演」会場に入った。観客席・グラウンドには韓国中から集まってきた僧侶・信者でいっぱい。
 私たち仏教僧侶代表団を「カムサハムニダ」と手を合わせて迎えてくださった。僧侶・信者のみんなが、釈迦の生誕記念法要のお勤めに参加した。時にはチャンゴなどの楽器に合わせての歌と踊りや、100名以上のコーラス団員が仏教賛歌の美しい合唱の音色を会場いっぱいに響かせた。
 午後7時からは、東大門(トンデムン)~鍾路(チョンノ)通り~曹渓寺の約3kmを結ぶ通りで、10万個あまりといわれる提灯行列がスタート。韓国の仏教各派の代表僧侶と私たち外国仏教僧侶代表団が全員提灯を手に行列の先頭を進んだ。私たちの後を数千数万の僧侶・信者が同じく提灯をかざし続く。さらにその間を韓紙(日本で言う和紙)などでつくられた大小のお釈迦さまや仏教伝説にも関わる象・虎・龍などが幻想的な美しさを醸し出して車に引かれながら練り歩く。沿道も信者だけでなく市民、外国からの観光客で埋め尽くされていた。先頭の私たちに、「アンニョンハセヨ」と声をかけ、手を振り合掌される。私も沿道の人々に握手しながら歩いた(ただし、日本の祭のように酒を飲む見物人を見かけず)。曹渓寺の境内も空が見えないほどに隙間なく提灯が吊るされ壮観。「燃燈会」の行事に参列する中で、多くの敬けんな仏教信者や僧侶同士が、崇め合い抱き合う光景を目にして、信仰の強い絆を感じ、日常生活の中に仏教の教えが根付いているように思えた。
 8日、最後の会合では韓国仏教宗団協議会所長の性空師が司会を務めた。殿平氏は温かい韓国仏教界の接待に感謝しつつ次のように述べた。「日本の植民地時代での韓国への責任を自覚している。真宗初め日本の仏教教団も国家に加担してきたこともあり、韓国の仏教界との関係も絶たれ今日に至った。今後、自立した仏教徒として共々未来を切り拓きたいと願っている。韓国仏教界の導きをいただきたいと同時に韓国仏教界の底力を見た思いがした」と。 私は次のように語った。「日本の植民地政策により広島の原爆で3万人余りの韓国・朝鮮人が亡くなり、多くの韓国人、在日韓国・朝鮮人被爆者を生んだ。放射能で苦しんでいる人も多い。創氏改名、軍の機密、強制連行などで死者の「名前」や人数さえ判明しない悲劇が今に至る。改めて日本の国家と仏教教団の戦争責任を果たすと同時に、加害・被害を踏まえ日韓仏教徒の交流と情報交換しながら核廃絶の世界を目指していきたい」と。 
 実は7日夜、殿平氏と、「慰安婦」被害者を象徴する「平和の少女像」を守るために、毎晩テントを張って泊まり込んでいる学生達(中・高・大学生)を訪ねた。全国から交代して参加している彼ら彼女たちを激励した。2015年12月28日、慰安婦問題をめぐる日韓外相合意で「最終的かつ不可逆的な解決」を確認し、韓国政府は「平和の少女像」の撤去のため関連団体と交渉すると述べた。
 しかし、日本軍「慰安婦」問題への責任認定や謝罪・補償は不十分ということで、被害者や多くの市民たちが批判している。さらに合意には、日本の歴史教育で事実を伝えることに言及していない。その日から泊まり込みを始めて128日目だった。
 「燃燈会」を終えた8日夕方、「平和の少女像」を製作した彫刻家のキム・ウンソン氏、キム・ソギョン氏夫妻や鄭炳浩(チョン・ビョンホー)氏(漢陽大学教授)ら8名の市民運動家と交流会を持った。「平和の踏み石」(犠牲者の記憶を継承することを願う市民運動)の仲間たちだ。
 現在、キム・ウンソン夫妻はベトナム戦争で韓国軍に虐殺された住民犠牲者追悼のモニュメントを製作中とのこと。ソウル市庁舎前を初めとしたソウル市内の街角や北海道各地で、強制労働犠牲者追悼の「平和の踏み石」プレート設置も予定されている。
 交流会の後全員で再び「平和の少女像」に集った。像の前に「平和の踏み石」を埋め込んだのは4月6日。日本から殿平氏がこのイベントに参加した。キム氏夫妻が作ったプレート3枚には「真実のためここに立った女性」というタイトルの下に慰安婦被害者として初めて証言した故金学順(キム・ハクスン)さんなど3人の被害者の名前と生・没年月日、出生地、被害に遭った地域などが刻まれている。「平和の踏み石」の活動は、アジア全体に戦争犠牲者の記憶を残す市民運動として広がろうとしている。
 9日朝、性空師をはじめ韓国仏教宗団協議会の方々の温かいお見送りをいただき、金浦空港から一路帰国した。韓国仏教の奥深い歴史と人々の信仰心の篤さを学んだ。仏教僧侶・信徒たちや市民運動との交流を通して、国境を超えて戦争の過ちを直視し、民族和解と平和創造、人権尊重の宗教者・民衆の大きな連帯を築くことの大切さを知らされた。楽しく心豊かな思いに包まれつつも、日本の仏教僧侶としての生き方を問われた訪韓だった。
 帰国して約半月後の5月27日、オバマ米国大統領が広島を訪問した。演説の最初部分、「死が空から降りてきた」とあたかも、原爆投下を自然災害と同じ扱い。日本側があえて米国へ謝罪を求めない姿と表裏の関係で、日本のアジアへの戦争責任を認めない安倍政権の意図を強く感じた。私は、「反面教師」として、被爆者と共にさらなる核廃絶世論喚起に、そして国家としての戦争責任への視点を曇らせないようにしなければならないと強く思った。

日本キリスト者平和の会 総会

 6月13日、沖縄キリスト教センターで20名の参加で総会を開催しました。開会礼拝では柴田良行牧師(首里バプテスト教会)がメッセージを述べました。「昨年の4月に赴任。関東では気づかないことが多くあった。米軍基地の町。オスプレイがスーパーマーケットのすぐ上を飛んでいる。先日、性暴力殺人死体遺棄事件があった。全国紙では報道されていない犯罪・事件が頻繁に起きている。風速70メートルを超える台風。家・電柱が倒れ、農作物は壊滅。6月には戦争の傷跡を思い起こす。フェンスは風は吹き抜けても沖縄の人たちを遮っている。ゴスペルを歌う会に参加。『小さな群れよ。恐れるな』『神の国は与えられる』(ルカ12章)。御国が来ますように祈り、主から与えられている希望を失わないで、平和を創りつづけたい」。
 新潟キリスト者平和の会、東京関東キリスト者平和の会、北千住教会平和の会、京滋キリスト者平和の会、和歌山キリスト者平和の会から報告を受け、取り組みを共有しました。愛媛キリスト者平和の会を準備しているとの報告がありました。北海道キリスト者平和の会と今年3月発足した大分キリスト者平和の会は欠席でしたが、報告が寄せられています。
 沖縄宗教者九条ネットワークの神谷武宏牧師(普天間バプテスト教会)から以下の報告がありました。「ゴスペルを歌う会を普天間基地ゲート前で2012年から始めた。オスプレイ配備が決定され、10万3千人の県民大会、オール沖縄で反対。レイプ事件も続いた。行動を起こす必要があると礼拝説教で話した。毎週月曜夕方6時からと朝7時からそれぞれ1時間の集会。その年の12月クリスマスコンサートには250名が参加、ハレルヤを歌った。クリスチャンだけではなく、僧侶も参加するようになった。長期戦となることから週1回とした。独自のゴスペルソング集を作った。連帯の祈りが全国から、アメリカや韓国からも届けられている。本日で188回。休んだのは台風で1回だけ。ゴスペルを歌う会は、国会前、福岡、岡山、横浜、岩手でも行われている。普天間基地の大きさは東京ドームの102・5個分。日本の基地の74パーセントが沖縄に集中。全面返還されても2パーセントしかない。2パーセントでも返さないのがアメリカと日本政府だ。昨日の礼拝説教はダビデとゴリアテの話をした。不条理とのたたかい。皆尻込みした。とうてい勝ち目のない戦い。しかしダビデには神がついていた。私たちは不条理と戦って行く」。
 各地の報告の後、日キ平の報告、情勢、方針、アピールを採択しました。夕方「ゴスペルを歌う会」に参加、その後食事をいただきながら交流会をしました。
 14日は宇佐美節子代表委員と金井創牧師(日本基督教団佐敷教会)の案内と協力をいただき、辺野古、キャンブシュワブ、高江の座り込みテント村を訪問。報告を聞き、高江では米軍基地ゲート封鎖行動に参加しました。
 15日は読谷村、世界遺産の座喜味城グスク、シムクガマなどの戦跡を訪問しました。
 3日間をとおして、沖縄宗教者九条ネットワーク、沖縄キリスト教センターの皆さんに大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。 (日キ平事務局長 平沢功記)

山家妄想
「部落差別永久化法案」を廃案に

★自・公・民三党が「部落差別の解消の推進に関する法律案」を衆議院に共同提出したが、継続審議となった。自民党の山口 壮代議士が「部落差別は許されないものであるとの認識を明確にし、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現しようという『理念』を法律の形としてまとめたという意味で『理念法』と呼ばれるものですが、部落差別解消の根拠法となるものである」というが、はたして現在の時点で必要なものなのだろうか。
★法案の内容は「現在もなお部落差別が存在する」(第一条)と断定し、「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化」と、ネットに載せられる悪質な書き込みを新しい理由付にしている。第二条は(基本的理念)と銘打ち行うべき施策は「全ての国民が等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとる」というが、これは日本国憲法に基づき立憲主義を貫く政治を実行することに尽き、新法制定の必要はない。第三条は国や地方公共団体が施策を推進し、そのために必要な情報提供、指導及び助言を行う義務を有するとし、第四条で「相談に的確に応ずるための体制の充実を図る」第五条「必要な教育及び啓発を行う」という。「必要な教育及び施策」の内容がどのようなものになるか。これまで地方公共団体や、とりわけ宗教団体で行われてきた事態を見れば、およその見当は付くというものである。
★この法案には「部落差別」の定義がされていない。法案提出者の山口議員はこのことを追及されて「法律上の定義を置かずとも部落差別の意味は極めて明快」と強弁した(5月25日衆院法務委員会)が、ただ一人質疑に立った日本共産党の清水忠史議員が「誰かが主観的に『部落差別』だと認定すれば際限なく濫用を生み、同和事業の復活や脅迫的な確認・糾弾活動の根拠となり得る」と指摘する危険がある。第六条は「国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとする」である。まさに清水議員の指摘する通り、定義のないままで「実態調査」などを行えば「新たな差別を掘り起こす」ことになり、「部落差別の解消推進」などではなく「部落差別永久化法案」にほかならない。
★「同宗連」に加盟している浄土真宗本願寺派で「兵庫教区 同朋講座における差別発言事件」(2009年1月)「兵庫教区内より発信された連続差別投書事件」(2009年12月から2010年2月)が起こり、その「検証結果報告書」(2014年4月各寺院へ送付)に対し、部落解放同盟兵庫県連合会より「当初は県連から『検証結果報告書』の回収の依頼でありましたが、話し合いの結果、兵庫教区として一部の文章を削除し、今後さらに『ご同朋の社会を目指す運動』を推進していくことで一定の整理をすることになった」ので、「一部削除してほしい」と改めて通知する事態が起こっている。
★その「差別発言」とは兵庫教区の同朋講座で講師を勤めた住職が、遅刻した理由を「同朋講座だからお話してもいいと思うけれども、被差別地域X(地名)のY寺の離れ門徒のZ(地名)というところから来られた熱心なご門徒さんの後添えの方の葬儀と繰り上げ初七日があり、遅れた」と述べたことが問題化され糾弾学習会が一年間にわたって行われたようである。さらに、大阪教区教務所に兵庫県明石郵便局消印の「表面の差出人欄と思われるところに行為者ではない他の個人名を騙り、その裏面には、個人名、役職名そして特定の役職者と推測できる人物の姓を列記し、部落差別・障害者差別・民族差別・人種差別を意味する賤称語を用いて貶める内容が記載」されていたはがきが届けられ、兵庫教区教務所、兵庫教区内寺院、浄土真宗本願寺派宗務所、真宗大谷派宗務所にも同様の差別文書(計27通)が届いたという。兵庫教区は2010年11月25日には「講師団・僧侶研修会」を開催し、講師の小森龍邦氏(解同広島県連顧問・元衆議院議員/本願寺派門徒)が事件は「一から十まで心得た兵庫教区の僧侶が、教区や教団が進める同朋運動への取り組みに対して反発して起こしたものである」と証拠に言及することもなく述べたという(兵庫教区 教区新報 一六七号)。結果として「報告書の一部削除」通知となったのである。
★「中外日誌・真言宗豊山派」の欄に次のような記事が載った。同和推進・人権擁護委員会委員の栃木市内の住職が栃木県内の同和地区住民に聞き取り調査を実施して、その結果を全国布教使大会で報告したというのである。師は「表面的には差別は見えにくくなったが、人々の意識から消えたわけでない。宗教者は同和問題を〝関係ない〟や〝知らない〟で済ませず、きちんと向き合わなければならない」と訴えたという。
★このような事例は、現在の部落差別解消に果たして資するものであろうか。「部落差別の解消の推進に関する法律案」が成立するようなことがあれば、このような「解消」に逆行する動きに力を与えることになると懼れるのである。

(2016・6・21) 水田全一・妙心寺派の一老僧

熊本・大分大地震の
被災者にお見舞い金を届ける

日本宗平協・常任理事、
安養寺住職 林 正道

 昨年10月の日本宗教者平和会議で、自衛隊の日出生台演習場のガイドをしていただいた大分県湯布院町の真宗大谷派見成寺(日野詢城住職)は熊本・大分大地震で大きな被害を受けました。周りの住宅なども大きな被害に遭い、ブルーシートに覆われていました。私は4月26日、6月6日につづいて、6月29日には宗平協からのお見舞い金を持って見成寺を訪問、住職と坊守にいろいろとお話を伺いました。
 本堂の屋根全体が20㎝ずれ、本堂の仏具や家具なども倒れ、壁も崩れ落ちました。庫裏の屋根や壁、家具なども倒壊したり破損しました。裏の墓地の墓石もほとんど崩壊しました。
 現在は、瓦礫などの撤去は終わり、本堂の壁など修復し、壁紙を貼る段階になっています。今は、庫裏の壁など修理に取り掛かっており、部屋中、足の踏み場もありません。台所と隣の部屋などで不便な生活を送っています。墓地の修復の依頼に取り組んでいます。「何とか、お盆までに目途が立てば・・・」と話されていました。宗平協の皆さんに感謝していますと伝えてくださいとのことでした。