ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名

被爆者は核兵器廃絶を心から求めます


 人類は今、破滅への道を進むのか、命輝く青い地球を目指すのか岐路に立たされています。
 1945年8月6日と9日、米軍が投下した2発の原子爆弾は、一瞬に広島・長崎を壊滅し、数十万の人びとを無差別に殺傷しました。真っ黒に焦げ炭になった屍、ずるむけのからだ、無言で歩きつづける人びとの列。生き地獄そのものでした。生きのびた人も、次から次と倒れていきました。70年が過ぎた今も後障害にさいなまれ、子や孫への不安のなか、私たちは生きぬいてきました。もうこんなことは、たくさんです。
 沈黙を強いられていた被爆者が、被爆から11年後の1956年8月に長崎に集まり、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を結成しました。そこで「自らを救い、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と誓い、世界に向けて「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えつづけてきました。被爆者の心からの叫びです。
 しかし、地球上では今なお戦乱や紛争が絶えず、罪のない人びとが命を奪われています。核兵器を脅迫に使ったり、新たな核兵器を開発する動きもあります。現存する1万数千発の核兵器の破壊力は、広島・長崎の2発の原爆の数万倍にもおよびます。核兵器は、人類はもとより地球上に存在するすべての生命を断ち切り、環境を破壊し、地球を死の星にする悪魔の兵器です。
 人類は、生物兵器、化学兵器について、使用、開発、生産、保有を条約、議定書などで禁じて来ました。それらをはるかに上回る破壊力をもつ核兵器を禁じることに何のためらいが必要でしょうか。被爆者は、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを、すべての国に求めます。
 平均年齢80歳を超えた被爆者は、後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したいと切望しています。あなたとあなたの家族、すべての人びとを絶対に被爆者にしてはなりません。あなたの署名が、核兵器廃絶を求める何億という世界の世論となって、国際政治を動かし、命輝く青い地球を未来に残すと確信します。あなたの署名を心から訴えます。
                                              2016年4月

よびかけ被爆者代表:坪井直、谷口稜曄、岩佐幹三(以上、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)・代表委員)、田中熙巳(日本被団協・事務局長)、郭貴勲(韓国原爆被害者協会・元会長)、向井司(北米原爆被害者の会・会長)、森田隆(ブラジル被爆者平和協会・会長)、サーロー・セツコ(カナダ在住)、山下泰昭(メキシコ在住)
署名は国連に提出します。

諸宗教による祈りのつどい

平沢 功

 第1回は日本宗教者平和協議会の結成50周年記念行事として、その後は日本宗平協、日本キリスト者平和の会、東京宗教者平和の会、東関キリスト者平和の会などによる実行委員会で開催、今年で4回目。京都宗平協、福島の宗教者合わせて45人の参加で行われました。
 3月14日は福島県楢葉町の宝鏡寺にて、東日本大震災犠牲者追悼、被災者への慰め、再生、原発廃止・廃炉、平和を求めて、それぞれの信仰にもとづいて祈りました。(写真表紙)
 開会にあたり、宝鏡寺住職の早川篤雄師が挨拶、「楢葉町は昨年9月5日に除染が完了したということで避難指示が解除されたが、森林は住宅地から20メートル入った部分だけの解除で、元のように生活したり農業ができる状態ではない。解除時の人口7363人中、戻ったのは440人と人口の6パーセント、内40代までの人は49人、このままで行けば、消滅してゆく地域になってしまうだろう」と語られました。
 荒川庸生宗平協理事長が「放射能の危険に晒され安住の地を追われ、安心の日々を奪われし人々への思いを馳せるとき、宗祖の『世の中安穏なれ』の言が現実の課題と鳴り響く。我いま、ここに参集の御同朋とともに見聞し、いのちの願いを受持することを期さん。如来、大悲を垂れて、哀愍摂受し給え」と表白、浄土宗、真言宗、日蓮宗、浄土真宗から14人が参加、読経しました。浅川金刀比羅神社宮司の奥田靖二師は「もはや原発は廃止、廃炉のほかは無しにして再生可能エネルギーの活用に人類の英知を結集すべき事は必条なり。あわせて放射能汚染水の海洋放棄などに即ちなる対策を成し核廃絶を国際的、地球的課題として世界の政人等はこぞりて核兵器禁止条約を定め、保有の核兵器の廃絶を成す努力をすべし」と祝詞をあげました。天理教からは3人が参加、天理教・理實教会前教会長の丸山祐一郎師が「親神天理王命により生かされている喜びを報恩感謝の形に表わし態度を示す行為を『ひのきしん』と申しておりますが、此の度の災害に於いても即対応し活動して参りました。私達はたゆむ事なく、今後共心してつとめてまいりたい」と述べ、おつとめされました。
 日本基督教団勿来教会牧師が「あれほどの過酷事故を経験しながら、国の権力者、指導者たちは目を覚ますどころか、懲りもせず経済最優先、原発再稼働へと、もと来た道を邁進しています。いったいあの無数の無辜の民たちの犠牲はなんだったのでしょうか」と述べ、「何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」と聖書の言葉を紹介し、キリスト教からの参加者13人によって讃美歌が歌われました。他に埼玉宗教者市民懇談会から4人の市民の参加がありました。
 祈りの後、国道六号線を北上、放射能計測器が不気味に鳴り響くなか、富岡町、福島第一原発のある大熊町、双葉町を通って、大半が帰還困難区域に指定され2万人の町がゴーストタウンとなっている浪江町を訪問しました。いわき市に避難生活を余儀なくされている2人の方の案内を受けました。特に津波の被害のひどかった請戸地区は瓦礫こそは片付けられていましたが、住宅地と田畑が流されたままで、悲しみをそそる慰霊碑がぽつんとあるだけでした。
翌15日はいわき市湯本の古滝屋旅館社長の里見嘉生氏が挨拶され、続いて原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が「原発事故から五年」と題して講演。いわき市義の渡辺博之氏から「原発労働者の実態」、日本基督教団常磐教会・明石義信牧師から「いわき食品放射能計測所のはたらき」について報告をいただきました。
 実行委員会に寄せられた支援金、チャリティコンサートの収益金などは、障がい者施設「ふたばの里」、「いわき食品放射能計測所」、「元の生活を返せ!いわき訴訟団」に届けました。ご協力ありがとうございました。

「被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」誓いの言葉

原水爆禁止世界大会実行委員会
運営委員会共同代表  野口 邦和
 久保山愛吉さん、あなたが「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言を残されてから62年が経ちました。私たち日本国民は本日、62回目のビキニ事件の記念日を迎えています。
 私たち日本の国民は、第五福竜丸がビキニ水爆実験により被災し、無線長のあなたが亡くなられたことに大きな衝撃を受けました。広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験した日本国民は、原水爆の非人道的な恐ろしさを身を以って学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうしてビキニ事件を契機に原水爆禁止を求める人びとの声が急速に広がり、1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催され、9月には原水爆禁止日本協議会が誕生しました。翌年1956年8月の第2回原水爆禁止世界大会の中で日本原水爆被害者団体協議会が誕生しました。
 あれから62年、日本の原水爆禁止運動は世界大会を軸に署名活動、国民平和大行進、原爆展の開催など、草の根の国民の力であらゆる困難とたたかい、日米政府の妨害を乗り越え、核兵器の使用を阻止し、核兵器廃絶の課題を世界諸国民の運動に広げ、非同盟運動諸国を中心に圧倒的多数の各国政府の意思に発展させてきました。
 いまや核兵器廃絶の課題は国際政治の本流となり、一握りの核保有国と「核のカサ」依存国だけが核兵器に固執しているに過ぎません。国際政治の焦点は、核兵器禁止条約の交渉をただちに開始するか否かにあります。言うまでもなく核兵器禁止の国際的潮流を発展させる原動力は市民社会の運動であり、唯一の被爆国日本の原水爆禁止運動への期待は高まり、その責任はいよいよ重大です。
 ビキニ被災62年、広島・長崎の被爆71年にあたる今年、国民が核兵器の非人道的な恐ろしさを体験して立ち上がったビキニ事件の教訓に学び、原爆展などを旺盛に展開して被爆の実相を全国民に伝え、そのすべての成果を8月に開催される原水爆禁止世界大会に持ち寄り、大会を大きく成功させ、日本政府を包囲し、世界諸国民の先頭に立って核兵器廃絶の扉を開く歴史的な使命を果たすために奮闘することを誓います。

真言宗 智山派 
隅田山 多聞寺 岸田 正博
 被災62年目のこの日、弘法大師が安置されたと伝わる虚空蔵尊のご加護の下、放射能症の苦しみの中にも全人類への安穏への願いを遺された 心原院久山愛真居士・久保山愛吉さんの墓前に、原水爆の被害者・核の被害者が決して出ることのない世界の実現を願い、ヒバクシャのみなさんを始め大勢の方々と共に参列させていただきました。
 あの被災の後も2千回に及ぶ核実験が続けられ、1万5千発を超える核弾頭も保有されたままです。ヒロシマ・ナガサキへの核攻撃、度重なる核実験の被災を受けてきた日本、然るに福島第一原発の廃炉の目処も立たないまま、原発の再稼動を強行し、今や世界有数のプルトニュウム大国とは。
 そして、アメリカの軍事同盟国として「核抑止」にしがみつき、核兵器の貯蔵が懸念される辺野古のキャンプ・シュワブをはじめ、沖縄県内の米軍基地の拡張強化が、県民の意思を無視し強行されています。このような、核兵器の廃絶とは真逆の邪道を許すことはできません。「抑止」は、核戦争の防止ではなく、実際は、常時使用可能な核兵器による脅迫を続けているのであり、核戦争寸前の状態にあることです。核兵器が平和を保っているなどという「抑止神話」に騙されない人々が、人類の大多数でありましょう。 
 とりわけ、侵略戦争を始め、核攻撃を受けた日本の私たちは、憲法の第九条に「戦争放棄・戦力不保持」を明記し誇りとしています。すべての人が求める安穏平和。戦争の無い世界。そのためには軍備を無くす。先ず核兵器の廃絶を。この道理を進めない人間の内なる心に巣食う愚かさを調伏し、外なる世界にある核兵器を廃絶し軍備の撤廃を進めます。
 この日に集う様々な思想・信条・信仰を持つ私たちをつなぐ力は、久保山愛吉さんの「原水爆の犠牲者はわたしを最後にしてほしい」という悲願とその成就を実現するための誓いです。
 茲に、虚空蔵菩薩の広大無辺の智慧を授かり、全人類の安楽として、核兵器の無い・戦争の無い世界という宝がもたらされんことを一心に祈願し誓願いたします。 合 掌
 
三・一ビキニデー静岡県実行委員会
日本科学者会議静岡支部代表幹事  石井 潔
 第五福竜丸の水爆被災から62年を迎える今日3月1日、改めて久保山愛吉さんの墓前に立ち、三・一ビキニデー静岡県実行委員会を代表して、全国からお集りの皆様とともに、核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて一同力を尽くすことをお約束する誓いの言葉を捧げます。
 この記念すべき日に、1月に行われた北朝鮮による核実験とそれに引き続き2月に実施されたロケット打ち上げ実験からお話しをはじめなければならないのは、まことに残念なことです。北朝鮮は今回の核実験を水爆実験と称しており、これはまさにビキニ環礁における水爆実験の非人道性を長きに渡って告発し続けてきた我々の先人たちの神経を逆撫でするものでしかありませんでした。まずもってこの愚劣な独裁者の下で行われた暴挙を本集会の参加者の名において強く非難するものです。
 他方、日本政府の核廃絶に向けてのこの間の取組みも依然として真剣さを欠くものであったと言わざるを得ません。昨年11月の軍縮問題を取り扱う国連総会第一委員会においても、核兵器廃絶についての一般的な努力を呼びかける決議案には提案国として名を連ねたものの、オーストリアや南アフリカが提案した核兵器を禁止する法的拘束力を伴う措置や実質的な効果をもつ措置へ向けての交渉の促進を呼びかけた決議にはいずれも棄権し、日本政府がアメリカの「核の傘」の下での平和という倒錯した幻想にいまだにとらわれていることを世界に対して宣言することになってしまいました。これでは核兵器という危険なおもちゃを自らの身の安全を保証してくれるものと信じ込んでいる隣国の独裁者と同工異曲だと言われても仕方がありません。
 また昨年の9月に国会で強行採決された自衛隊の海外派兵と現地での軍事力行使を可能とする「戦争法」は、戦争こそが平和を保証するものであるという同様の幻想に基づくものであり、そのような幻想がもたらした先の悲惨な大戦の記憶とその反省の上に築かれ、戦中・戦後世代の大きな努力によって守り育てられてきた日本国憲法の根本的な原則である平和主義を一内閣のまったく根拠のない政治的判断でねじ曲げようとするものでした。幸いSHIELDsをはじめとする若い世代の運動も含めた広範な国民的運動がこの「戦争法」廃止に向けた声を挙げ続けており、国会においても安保関連法廃止法案を野党共同提案という形で上程することが検討されています。しかし政府の側も露骨なメディア規制もちらつかせながら、このような国民からの批判を圧殺しようとしており、衆参同日選挙の可能性も噂される夏の国会議員選挙を一つの分岐点とする気を抜くことの許されない状況が続いています。
 もうひとつ忘れてはならないのは、10日後の3月11日に5年という節目を迎える福島原発事故です。あれほどの衝撃を与え、原発推進政策への根源的反省をすべての国民に迫ったあの福島での悲劇からわずか5年しかたっていないにもかかわらず、そして国民の大多数が反対しているなかで、川内原発をはじめ国内の原発の再稼働が次々に進められています。
 この点でも国際的にも失笑を買うことになった「アンダーコントロール」発言以来の安倍首相の無反省な態度は際立っています。今必要なのは原発の「経済性」なるそれ自体すでに破綻した論理を振りかざして再び「原子力ムラ」の利益に奉仕することではなく、福島の事故が提起した原発という技術自体が持つ大きな限界とそのような技術に依存せざるを得ない社会の在り方そのものを真摯に問い直すことではないでしょうか。
 我々は、残念ながら戦争にも原発事故にもそして歴史認識についても深刻な「反省」を欠き、その「反省」から何かを学ぼうという姿勢とは無縁な首相を持っています。アベノミクスなる経済政策が国民全体を道連れにする大ばくちに過ぎなかったことも次第に明らかになりつつありますが、我々にはこのようなあらゆる面で無責任な指導者の存在を笑ったり嘆いたりしている余裕はありません。あの隣国の独裁者もどこか我々の笑いを誘うところがありますが、その下で圧政と飢餓に苦しむ多くの国民がいることを忘れてはならないのと同じです。
 今我々に最も必要なのは、幅広い政治的立場の人々の力を結集し、平和で民主的な社会の建設のために先人たちが積み重ねてきた努力を無にすることなく、そのような努力の上に立って真剣に未来の理想に向かって進むことです。そのような前進のなかで、このビキニデーへの取組みが変わることなく追求してきた核兵器廃絶という目的に向けた新たな運動を切り開くことに全力を尽くして行く決意をここに表明し、誓いの言葉といたします。

日本被団協事務局次長 
木戸 季市 
 久保山さんの墓前で誓いの言葉を述べるのは三度目です。いま、私は、新たな決意をもって、「ふたたび被爆者をつくらない」誓いを申し上げます。
 私たち被爆者は、「ふたたび被爆者をつくらない」こと、「核兵器をなくす」ことを願ってきました。
 人類は、いま、破滅への道を進むのか、命輝く青い地球を守るのか、岐路に立たされています。被爆者は、「人類を破滅から救い、青い地球を守りたい」と願っています。
 米軍は、1945年8月、広島と長崎に人類史上初の原爆を投下しました。原爆は、一瞬に二つの街を壊滅、地獄とし、数10万の人びとを無差別に殺傷しました。被爆者は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許されませんでした。食糧、医療の救助を求める国内外の要請を、アメリカ占領軍は拒否しました。そればかりか、「人間を返せ」という被爆者の叫びを押さえつけ、一切の原爆報道を禁止しました。被爆者は、米日両政府によって見捨てられ、沈黙を強いられたのです。
 ビキニ事件を機に起こった原水爆禁止運動に参加された皆さんに、支えられ、励まされて、被爆者は立ち上がり、1956年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を結成しました。
 日本被団協は、「自らを救い、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」(結成総会宣言「世界への挨拶」)と誓い、求めるべきは求め、訴えるべきは訴え続けてきました。
・原爆被害に対する国の償いを求めてきました。
・核戦争起こすな、核兵器なくせと世界に訴えてきました。
 広島・長崎に投下されてから70年。三度目の核戦争は起こされていません。被爆者と、皆さんと、世界の市民が「核兵器使うな」と訴え続けてきた結果です。世界の世論が核戦争を阻止してきたのです。
 しかし、今なお1万数千発の核兵器が保有されています。その破壊力は、広島・長崎の何万倍にもなります。核兵器は、人類はもとより、地球上に存在するすべての生命を断ち切り、環境を破壊し、地球を死の星にする、残酷で非人道的兵器です。人類は、生物と化学兵器の禁止条約をつくり、開発・生産・保有を禁じてきました。それを、はるかに上回る破壊力を持つ核兵器を禁じるのに、何のためらいが必要でしょうか。
 平均年齢80歳を超えた被爆者は、後世の人びとが生き地獄を体験しなくてすむように、生きている間に、何としても核兵器の廃絶を実現したいと切望しています。
人類を破滅から救い、青い地球を守るために
ふたたび被爆者をつくらないこと、核兵器をなくすことを訴え、誓いの言葉とします。

日本共産党静岡県委員会
女性児童部長 鈴木 千佳
 3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。墓前祭式場の提供と読経ご法話くださいました弘徳院ご住職と焼津仏教会の皆様に、心からの感謝を申し上げます。
 久保山愛吉墓前祭は、1964年の原水爆禁止運動の分裂にさいして、「原水爆の犠牲者を追悼する祈りまで分断することは誰にもできない」と、日本宗教者平和協議会によって主催され、52年目となりました。日本宗平協の核兵器廃絶と原水爆禁止運動の統一へのご努力に心から敬意を表します。
 ビキニ事件を契機に原水爆禁止の運動は急速に広がり、ヒロシマ・ナガサキの惨劇から10年目、第五福竜丸をはじめ多くの漁船が被災し、久保山愛吉さんが急性放射能症により40歳で命を絶たれたビキニ事件の翌年の1955年8月6日に、第一回原水爆禁止世界大会が広島市で開かれました。この第一回世界大会の議長団のなかで宗教者代表が重要な役割を果たしたことも語り継がれています。それ以来、ビキニでの死の灰の苦しみから立ち上がった運動は、原水爆禁止世界大会成功へむかう重要なステップとなってきました。
恥ずべきことは、被爆国さらに水爆実験被災国の日本の政府が、アメリカの核戦略の同調者となり、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連決議に棄権し続けていることです。そればかりか、安倍政権は、安保法制の名で、戦後最悪の違憲立法の戦争法を強行し、核兵器技術を転用した原発の再稼働と輸出に乗り出しています。
 これにたいして、非核・平和の日本をめざす国民の歩みはとどまることなく、戦争法に反対し廃止をめざすたたかいは、日本の歴史でも初めての市民革命というべき、かてない運動に発展しています。
 静岡県出身の私は、反戦平和のために命がけでたたかってきた日本共産党の代表として、核兵器廃絶と即時原発ゼロを高く掲げるとともに、戦争法を廃止し、日本国憲法の平和主義、立憲主義、民主主義を貫く新しい政治、すべての国民の個人の尊厳を守り、大切にする社会の実現をめざして全力をあげる決意を表明して、「誓いの言葉」といたします。

全国労働組合総連合
副議長 長尾 ゆり
 今日3月1日、久保山愛吉さんの墓前に立ち、私は、あらためて「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」というお言葉を胸に刻んでいます。
 62年前のきょう、アメリカによる水爆実験で、第五福竜丸をはじめ、多くの日本漁船が被爆しました。しかし、日本政府の資料の公表はまだまだです。ビキニ被災の全容解明と被害者救済を政府に求める決意を表明いたします。
 世界は、いま、大きく動いています。昨年12月、国連総会では、核兵器の「非人道性」を告発し、核兵器の使用禁止と廃絶を求める決議が圧倒的多数の国々の賛成で採択されました。この流れを作ったのは、世界の平和運動と連帯した、被爆国日本の運動です。昨年、NPT再検討会議ニューヨーク行動には、久保山さんの思いを背負って、千人の代表が参加しました。被爆者を先頭に、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニを繰り返してはならない」と訴えてきました。
 しかし、核保有国は核抑止力論にしがみつき、日本政府はその同盟国として 被爆国でありながら、核兵器禁止条約を求める決議に、ことごとく棄権しました。
 そして、安倍政権は、核戦争も含むアメリカの戦争に日本が加担する戦争法を強行しました。しかし、戦争法廃止を求める国民の声と運動は広がり続け、止めることはできません。
 全労連は、「戦争する国」への安倍政権の暴走を許さず、憲法9条を守り、いかし、被爆国としての役割を果たすよう、日本政府に求めます。今も10万人が避難生活を強いられている福島の皆さんとともに、被災者救済、原発の再稼働を許さず、原発ゼロを求めます。
そして、子どもたちに核のない平和な未来を手渡すため、奮闘することをお誓い申し上げます。 久保山愛吉さん、どうぞ安らかにお眠りください。

新日本婦人の会
副会長 米山 淳子
 太平洋・ビキニ環礁での被災から62年、3月1日の墓前祭を迎えました。久保山愛吉さんをはじめ犠牲になられた方々を偲び、核兵器のない世界へ、そして「戦争する国にさせない」、憲法を守り抜く決意を新たにしております。また、この墓前祭を52年間毎年、執り行なってこられた日本宗教者平和協議会のみなさま方に、感謝申し上げます。
 昨年の戦争法をめぐる日本列島騒然となったたたかいを経て、いま日本では、憲法と民主主義が生きる日本へ、主権者が政治を動かしていくたたかいがつくられようとしています。「戦争法廃止」「憲法9 条守れ」「安倍政権は退陣を」と、これまでバラバラにたたかっていたさまざまな政治的立場をとる人たちが統一しながら、戦争法廃止の2000 万規模の署名をはじめ国会内外でのたたかいをすすめています。
 私たち新日本婦人の会は、くらしや女性の権利、子どもの幸せを守ることと同時に、核兵器廃絶、憲法を守りぬくことをかかげ、半世紀以上運動を積み重ねてきました。戦争か平和かの歴史的岐路に立ついま、会の原点にかけて、全国で行動をひろげています。
安倍政権が戦争政策につきすすむ一方で、医療・福祉・教育が切り捨てられ、6人に1人が貧困世帯という貧困と格差のひろがりが深刻となっています。「学費が高すぎて払えない」「働きたくても保育園に入れない」「介護が切り下げられて受けられない」「だれの子どもも殺させない」など、女性たちは暮らしの現場から声をあげ、「戦争法は廃止!」「軍事費ではなく、暮らし、福祉、教育へ」と、全国の草の根から署名を積み上げてきました。
 昨年のNPT再検討会議に向けて、核兵器全面禁止署名633万人分を国連に提出しました。新婦人はそのうち161万人分を集め、ニューヨーク行動や原水爆禁止世界大会にも、若い世代とともにとりくみをつよめてきました。核兵器廃絶を求める私たちの声と行動が多くの政府を動かし、国連、各国政府と市民社会との共同がこれまでになくひろがっています。国際政治の場でも核兵器の非人道性を告発し、その禁止・廃絶を求める流れが本流となっています。
 「原水爆の犠牲者は私を最後に」久保山愛吉さんのこの言葉を胸に刻み、私たち女性は、戦争法廃止の2000万署名で「戦争ができる国づくり」を許さない圧倒的な世論を築き、被爆者のよびかけによる核兵器のない世界への新たな署名行動にも全力をつくす決意をのべ、「誓いのことば」といたします。

日本宗教者平和会議in大分 記念講演
記念講演 「戦後70年・戦争観と現代責任」(完)
中島三千男(元神奈川大学学長)

「米国歴史学者の声明」
 こうした、ドイツと日本を単純に比較することの間違いはこれぐらいにして、私が強調したい点は、逆にドイツが到達しえなかったいくつかの高みを日本は持っている事を強調したいと思います。5月5日(2015年)、「米国歴史学者の声明」(日本の歴史家を支持する声明)が出されました。従軍慰安婦とか植民地支配のことで、戦後一貫して日本の歴史家は研究を行い、その研究成果に基づいて発言をしてきましたが、安倍政権のもとでなかなか発言しにくい状況が生まれています。こうした中で、アメリカの研究者を含め世界の研究者が日本の研究者を励まし支持する声明を出したのです。この声明文の中に次のような一文があります。「米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた19・20世紀の帝国列強の中で帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、充分に取り組んだといえる国はまだどこにもありません」。この「充分に取り組んだといえる国はまだどこにもありません」というところに注目して欲しいと思います。皆さんは、いやドイツはそれをやっているではないかと言われるかと思いますが、声明文は「どこにもありません」と言い切っているのです(『朝日新聞』2015年5月7日)
 さらに、従軍慰安婦の問題です。「慰安婦問題の中核には、女性の権利と尊厳があり、その解決は、日本・東アジア・そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう」と言っています。「従軍慰安婦」問題の解決は「歴史的な一歩」になるのだと。
 過去の戦争および現在でも起こっている各地の紛争において「女性」性の蹂躙は「合法・非合法」を問わず深刻な問題です。従軍慰安婦問題は政府・軍が関わったものとして、その極致にあるものですが、かつてそれを行なったのは日本とドイツであると言われております。そして、この問題に遅ればせながら早くから取り組んだのはドイツではなく日本です。歴史学者や私たち民主勢力の運動等を背景に1993年8月14日河野洋平官房長官談話(「河野談話」)において日本軍の関与と強制性を認め謝罪を表明、また不十分ながら「女性のためのアジア平和国民基金」という形で補償も行われました。他方、ドイツにおいては近年になってようやく歴史研究の方でその解明が進められていますが、政府としての見解はまだだされておりません。そういった意味において「河野談話」及びそのごの保障はまさに「歴史的な一歩」で在ったわけです。この事はしっかり確認しておく必要があります。しかし、その後の右派勢力巻き返しによって、売春行為として軍や政府の関与を否定する潮流が台頭、日本は「歴史的な一歩」という名誉を勝ち取る機会を失ってしまったのです。
 また、日本がドイツよりも一歩進んだ高みを持っているという点では第2に植民地支配の問題があります。ドイツは第1次世界大戦の敗北によって植民地を失いますが、それまでは欧米列強の一つとして植民地大国であったわけです。これも「米国歴史研究者の声明」にありますように、「この問題に十分取り組んといえる国はどこにもありません」。例えば私も海外神社調査で訪れた旧南洋群島(マリアナ・カロリン・マーシャル群島等)、そこは19世紀末以降、第一次世界大戦で敗れるまで、短い期間でしたがドイツの植民地でした。この植民地支配に対して当然、先住民の部族による抵抗、反乱がおきますが、ドイツは軍艦を派遣し指導者・島民を殺害・追放するなど残虐な行為を行ったのです。しかし、ドイツは自国の植民地支配、とりわけアジアやアフリカでの植民地支配について口をつぐんでいます。
 他方、日本は1995年8月15日の村山内閣総理大臣が閣議決定に基づいて出した談話(村山談話、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」)で、植民地支配と侵略によって諸国民に多大な損害と苦痛を与えた事を再確認し、謝罪を表明しました。まさにこれも「歴史的な一歩」であったのですが、これも従軍慰安婦問題同様、右派の巻き返しによって、「アジアの解放・独立」、「アジアの近代化」に貢献したなどという右派の主張がまかり通るようになり、日本が名誉を獲得する機会を逃してしまったのです。
 このように、従軍慰安婦問題でも植民地支配の問題についても、決して一方的に「ドイツは良くて、日本はダメだ」ということではなく、ドイツが到達しえない高みに、その後十分に発展させられなかったけれども日本は一旦、到達していたということ、そしてそれは私たち宗平協を含めた日本の民主勢力・革新勢力の営為の結果であると誇りを持って良い事だと思います。決して一面的に「日本(人)に生まれた事を恥ずかしい」と思う必要はないのです。

「植民地支配」の問題
 もう少し植民地問題について見ていきましょう。右派の人たちは従軍慰安婦問題にしろ植民地支配の問題にしろ、それは日本だけではなくどこもやってきた問題ではないかということで、日本に免罪符を与えようとしています。ここは本当に品性の問題になるんですね。私は小さい頃、母親に人がどんなことをやっても、あの人がやっているから自分もやっていいんだというようなことは絶対に言ってはいけないし、またしてもいけないということを口を酸っぱくして言われて来ました。これは良き日本の道徳心であったとも思います。右派の人たちは「美しい日本」などとよく言いますが、美しい日本というのはこういう道徳心を持つ事こそいわれるべきで、他の国もやっているという事で自国の負の行為を正当化するのは誠に恥ずべき事、美しい国日本を汚す最たるものだと思います。
 しかも植民地支配の問題はそうした道徳心の問題にとどまらず、いままで頬かむりしてきた、かっての欧米の帝国主義国もそのままでは済まない状況が今日では生まれつつあります。かって植民地支配を受けた国々が一斉に植民地支配や奴隷制に謝罪や賠償を求める運動が起こりつつあります。最近のニュースだけ取り上げても、例えば英国のキャメロン首相は本年(2015年)9月、国連総会出席にあわせてジャマイカを訪問しましたが、そこで植民地時代の奴隷制への謝罪や賠償の要求に直面しました。また、フランスのオランド大統領もハイチを訪問しましたが、ここでも同じような要求が突き付けられました。これは、2001年の国連主催のダーバン宣言において「奴隷制度と奴隷取引を人道に対する罪と断罪」し、「植民地主義が起きた所は、どこであれ、いつであれ非難される」と宣言した事、さらにより直接的には、2013年7月に「カリブ共同体」(カリコム、旧英領カリブ海諸国14か国1地域)の首脳会議で現地住民の虐殺や大西洋の奴隷貿易、奴隷制度に対して欧州の旧植民地宗主国に賠償を求めていくために、カリコム賠償委員会を発足させたことを背景にもつものです(『しんぶん赤旗』15年10月4日)。このように、もうこれからは、植民地支配は欧米列強もやったではないかということでは済まされない、遅かれ早かれ欧米帝国主義国も謝罪し賠償を求められる時代がくるということです。その時に「村山談話」を持つ日本がこの流れをリードするか、それとも取り残されていくかの時代がもう目の前に来ているのです。

安保法制(戦争法)、「殺し殺される」関係
 また、ドイツと比較して、従軍慰安婦問題や植民地支配の問題のように、日本の方がある意味では高みに到達しているということの三つ目として今回の安保法制(戦争法)の問題に触れたいと思います。今回の安保法制は従来の専守防衛から自衛隊がアメリカの指導の下、海外で戦争に参加をすることに道を開いたもので、「殺し殺される」関係をもたらすものです。でも少なくとも日本は戦後70年間憲法の理念を守り、海外で戦争することなく、そういった意味では「殺し殺される」関係は作ってこなかったのです。
 しかしドイツではどうでしょうか。敗戦後、日本と違ってドイツは軍隊を持つことは基本法(憲法)で認められましたが、それは自衛の戦争のみで侵略戦争、さらにはNATOの域外派遣は禁じられていました。しかし、91年の湾岸戦争では日本と同じように経済的支援だけにとどめたため、米国から血を流さなかったという批判を浴び、コール政権は基本法の解釈を変更して域外にも派遣する方針に転換、連邦裁判所が国会の事前承認のある場合に限って合憲と認めました。
 その結果、最近大きく話題になりましたようにアフガンの問題ですね。アフガニスタンの問題でドイツは兵士を派遣して、既に50数人も亡くなっています。他方でドイツ軍は地上戦の過程でアフガニスタン民間人も殺しているということです。そこでは「殺し殺される」関係を作ってしまったのです。ドイツでの国会の審議において派兵に反対した議員は「1945 年以降、初めての戦争犯行、戦争犯罪」という言葉を使っています。第2次世界大戦で戦争犯罪を犯したドイツが、また戦争犯罪を犯したのです。
 それに比べれば、日本は今回の安保法制(戦争法)により、ドイツと同じ様に戦争犯罪を犯す危険性が出てきたのですが、まだ現実化させていないという事です。そのようなことで、植民地支配の問題や従軍慰安婦の問題なり、あるいは、平和・戦争の問題についても、私は日本はドイツに勝るとも劣らないものを持ってきたと思っています。「ドイツに学べ」の一面的理解に私が疑問をもっているというのはこうした事からです。これをずっと発展させればよかったのですが、安倍さんのような逆流が出てきてしまって、日本が持つ歴史的意味合いが薄れてきてしまっているのです。
「未来史観」
 日本は中国に追い抜かれたとはいえ、現在なお経済大国として世界から注目され、また安倍首相も積極的平和主義の名のもとに軍事的にも世界から注目を集めようとしているわけですね。でも、私はそんなことではなくて、今日本が一番大事なこととして、かって従軍慰安婦問題であるとか(河野談話)、植民地支配の問題(村山談話)で「歴史を一歩」進めた、また平和主義においても世界をリードしてきた、こうした面、いわば知性、理性、道徳、良心という面で世界の「尊厳」を勝ち取る国、世界をリードする国になって欲しいと思っています。この道こそ我々が押し進めてきた道ですし、私たちはそうした力を持っていると思います。経済大国ということであれば、アメリカもいるし、中国もいますからね。軍事大国にしたって同じです。ただ日本が世界に抜きんでていて世界をリードできるのは、従軍慰安婦問題とか植民地支配であるとか、戦争と平和の問題などで、世界のどの国もやった事のない事、「歴史的な一歩」を刻んだことのある知性、理性、良心、道徳の問題ですね。これを光輝かせたいですね。戦前の軍国主義国家が使った言葉であまり使いたくないのですが「道義国家」という事ですね。日本は、軍事力ではない、経済力でもない、まさに道義の国家としてこれから世界をリードし、世界の尊敬を集めることができるし、そのチャンスはまだ十分にあると思っています。
 私はこのような方向性、歴史観に何か良いネーミングがないか考えていました。運動を進める上で適確なネーミングというのはとても大事で、残念ながら右派の方がお金をつぎ込んで良いネーミング、それは国民をだますための、本質を隠蔽するためのネーミングですが、このことの重要性を見抜いて実践しているように思います。「自虐史観」、「自由主義史観」、「積極的平和主義」等などです。もちろん我々の方も安保関連法案にたいして「戦争法案」という適確なネーミングを付け、運動の高揚に大きな貢献をしました。
 こうした事を考える中で、社会学者(ジャーナリズム論)の門奈直樹さんの「加害者史観は一条の光を未来に見出す展望史観」(『民衆談話』2015年9月3日)という言葉に出会いました。「一条の光を未来に見出す展望史観」、これはとても良いですね。ただ、このままでは長すぎるので「未来展望史観」あるいはもっと縮めて「未来史観」でも良いですね。「自虐史観」とレッテルを張られた我々の史観を「未来史観」として対抗し、打ち出していくのです。私たちはこの「未来史観」の立場に立って、戦前の植民地支配や侵略戦争の加害の側面を積極的に明らかにしていきたいと思います。それは、いうまでもなく、「自虐史観」ということではなく、先に述べた、これからの世界の進むべき道筋を照らすために、そしてそのことにより、世界の中で日本の「尊厳」を勝ち取るためのものでもあります。この「未来史観」という言葉を何とか市民レベルにまで広めていきたいと思っています。
 最後に、私はちょっと前に「愛国心」と言いましたが、まさにこの「未来史観」こそが日本の尊厳を勝ち取る、その意味で最も日本を愛する道だと思っています。世界の大きな流れに竿を指し、植民地支配を否定し、戦争中の様々な負の側面を否定し開き直る、安倍首相をリーダーとする右派の人たちの言動こそ、美しい日本を辱め、「理性・知性輝く、道徳心・良心に基ずく日本」の恥を世界にさらすものだと思っています。私たちは確信をもってこの「未来史観」を広め、その理念の実現のために頑張りたいと思っています。(完)

山家妄想 人権問題」に取り組む

★妙心寺派の第一三〇次定期宗議会(2016・2・23~26開催)報告集に、人権擁護推進本部報告として次のように述べられている。「平成25年度より「身近な人権と差別」を基本テーマに啓発推進している。「同宗連」の加盟教団として宗派内の人権意識の向上を目指し努力している。しかし、昨年末、本派の寺院が報道番組のなかで過去帳を開示している場面が放送された。宗務本所は本年1月にその事実を把握し、さっそく当該寺院住職に連絡を取り事情を聴き、部落解放同盟に報告書を提出した。本派では平成18年11月号の『正法輪』で個人情報保護法に伴う過去帳などの取り扱いガイドラインを周知し、その後の研修会などでも身元調査についての講議を開催、「同宗連」発行の「身元調査お断り」のステッカーを全寺院に配布、様々な啓発活動に務めてきたが、今回の事態は大変残念であるとともに重く受け止め、過去帳等の帳簿開示禁止の更なる周知徹底と人権啓発活動の継続を行っていく。」というのである。他の分野の報告と比べて、格段に詳しく具体的な記述である。
★報道番組が如何なる意図をもってなされたものか、開示の場面がどのようなものであったのか承知していないのであるが、深刻な人権侵害をもたらす虞のあるものならば、当該住職に厳重な指導をし、報道機関にも注意して侵害回復の措置を取らねばなるまい。その上で必要があれば、然るべき公的機関に報告し指示を仰ぐべきであろう。ところが教団執行部が報告した先は「解同」であった。なぜ「解同」なのか理解に苦しむ。さらに、「本派では云々」のくだりはことさらに取り組みを強調して「これだけやっているのですからおゆるし下さい」という姿に見えて仕方がない。
★宗教は人間を尊ぶことを根底に置くものである。「十方三世」と示されるこの世界において、一切の人間としての尊厳が実現されることを願い活動するものである。現在の日本においては「憲法で保障されている基本的人権の観点」を根底に据えて、それを完全に保障させる活動をあらゆる場で展開するものでなければならないのである。「解同」の顔色を窺うなどという卑屈なものではない。
★仏教各教団では曹洞宗町田総長の「差別発言」が部落解放同盟の糾弾にさらされ屈服してより、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(略称同宗連)」を組織し、その方針に盲従することをもって好としてきた。同宗連の方針は部落排外主義を掲げる「解放同盟」に無批判に追随することにほかならないものであったが、同和対策特別措置法、並びにその延長である地域改善財特法も終了した(2002年)後も、「国民の差別意識」の存在のみを強調することをもって人権擁護とし、運動を推進してきたのであった。
★しかしながら、いまや人々の部落問題に対する非科学的な認識は大幅に減少し、さらに人口移動の激化などにより部落と一般という差別の構図が瓦解せざるを得なくなっている。その結果、部落問題から「身近な人権と差別」などと称して同宗連運動(実は「解同」追随運動)の延命を図るとともに、真の人権擁護の運動から目を背けてきたのであった。
★日本の現状を率直に見るならば、人権侵害は社会のあらゆる場面に溢れている。「身近な人権」を擁護する運動を推進するというが、ことさらに「差別」と矮小化する必要はなく基本的人権の保障を憲法の各条項に則して明らかにし、それを阻害するものにたいして直言し、是正を要求する行動をとればよいのである。まして「最大の人権侵害は戦争」といって、かつての戦争に加担した責任を反省する声明などを出した教団であれば、昨年強引に成立させられた安保関連諸法(戦争法)の施行を許さず、これを廃止する行動に参加するべきであるし、現に強行されている、例えば格差拡大・貧困の進行など人権侵害の諸事実に反対する行動に参加すべきなのである。
★人権意識の向上や人権啓発活動などは具体的な人権侵害の事実を是正する行動を通じてのみ身につくものなのである。(2016・3・19)  水田全一・妙心寺派の一老僧