被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭開く
全国各地から宗教者が焼津へ
宗教者平和運動交流集会
3・1ビキニデーの前日の2月29日に 北は山形から南は大分まで、そして地元静岡からも多数の参加者を得て、久保山愛吉さん・すずさん夫妻の菩提寺弘徳院を間近に見る高台に位置する「かんぽの宿焼津」にて宗教者平和運動交流集会が開催されました。
全体の進行は林正道常任理事があたり、まず代表委員の奥田靖二(神道)、河崎俊栄(仏教)、大江真道(キリスト教)の三師からそれぞれ挨拶が述べられました。そして開会にあたり、荒川庸生理事長が挨拶。被災62年を迎えるに至ったビキニデ―集会、そして、半世紀以上を経て今も継続している墓前祭の意義についての報告がありました。情勢では、時代に逆行して止まない現政権の危険なかじ取りへの批判、核兵器廃絶へ向けた取り組みの重要性が述べられ、戦争法廃止・原発再稼働反対・沖縄辺野古の新基地建設反対に向けての連帯が述べられました。
柿田睦夫氏&本間勇毅氏の対談
今回の交流集会は、機関紙『宗教と平和』に連載中の「宗教時評」の執筆者、柿田睦夫氏と本間勇毅氏による対談形式で行われました。「宗教時評」100回記念対談として、「宗教界の平和運動の今と課題」のサブタイトルのもとで、折々参加者の意見も取り入れながらの展開で進みました。コーディネーターは、岸田正博真言宗多聞寺住職が務めました。
柿田氏は、まず二〇〇七年九月から連載されるに至った経緯として、「創価学会」の現状や「本願寺派」の教団ぐるみ選挙を挙げ、「放っておけない状況」の中で執筆を開始したことを語りました。憲法の条項中大きな柱となる「政教分離」を「人権」としての重要な側面から考えていくことの提言がありました。(①)
本間氏は、やはり、自身の宗教、特にキリスト教との関わりの中から宗平協とのつながりが生じてきたことの経緯を語り、柿田氏の①の提言に対しては現在のキリスト諸教団の情報提供をもとに、日本の中での政治の「歪み」の状況や、キリスト教団内での教化伝道の現状として、社会的な問題に積極的に取り組むことと、「社会問題」にはあまり関わらずあくまでも「伝道」を主としていくことに主眼を置く状況に分化している現状を述べました。建設的な対話・健全な議論・「壁」を取り払っていく必要性を語りました。(②)
柿田氏はこの②に対し、キリスト教徒として社会的なことに言及すると、ここに「政教分離」を持ち出す風潮があるとし、これは、意図的につくられた風潮であり、まさに政教分離が歪められている状況であると述べ、東日本大震災の折、悲しみの中での犠牲者の納骨時、合掌等の問題で行政側から「政教分離」だからとの指摘が入ったことの事例も挙げました。政教分離とは何かということを大局的な見地からもう一度問い直すことが必要であることを発しました。
また、本間氏は、「宗教的な情操が必要である」→道徳教育の復活・充実を国や自治体がまた主張し始めたことの「怖さ」を感じると述べ、宗教ジャーナリズムの責任の大きさを伝えました。キリスト教の中で言われている「福音」とは何かという課題を、今問われている「いのち」「平和」と結び付けて考えていくことの大切さを語り、前述②の「二極対立」は成立しないことを明言。
そしてこれらの提言・対談等に対して、各地からの参加者が自身の活動の見地等を述べながら活発に意見交流が進みました。
その後、各地各宗教宗派教派からの活動が伝えられ、日常の平和活動に伴う情報交換の場が有意義に展開されました。各地でのそれぞれの奮闘が、線や面となり、戦争法廃止に向けてのよりいっそうの連帯が図られたことは大きな推進力なりました。
続いて、アピールの提案(樋口重夫事務局次長)があり採択。(全文は次号) 伊藤地張常任理事から、本集会の感想とこれを踏まえた今後の宗教者としての歩みの発信があり閉会しました。初参加の方も含めて、40人を越す参加者のもとでの開催となりました。
焼津駅からの墓参行進
朝九時過ぎ、焼津駅南口に集結、各団体の幟旗、個人参加の手作りカードや旗もありました。それぞれのスタイルは異なれど、想いは核兵器廃絶、戦争への道を許すなの一点で行進がスタート。前日の雨も上がり、少し風は冷たかったのですが、見事な快晴。駿河湾や港からは冠雪の富士山や伊豆半島も見え、日本宗平協の幟旗や各地の宗平協の旗、そして、団扇太鼓の音も相まって久保山愛吉さんの墓碑のある弘徳院まで歩を進めました。
久保山愛吉墓前祭
墓参行進の先頭が弘徳院に到着する頃、久保山愛吉さんの墓前祭の開会が宣言されました。本年の墓前祭は、芳賀直哉氏(静岡宗平懇)の全体進行で行われ、荒川庸生日本宗平協理事長が被災62年を迎える中での墓前祭挙行についての開会挨拶を述べました。
第Ⅰ部では、曹洞宗弘徳院住職松永芳信老師を導師とし、焼津市仏教会曹洞宗寺院僧侶による追悼法要が勤修され、愛吉さんが好きであった赤いバラが献花され参加者の焼香が続きました。読経後、弘徳院住職の法話では、愛吉さんの遺言、「原水爆の犠牲者は私を最後に」の言葉と、大変な苦労を続けた妻すゞさんの紹介がありました。そして、第五福竜丸平和協会・焼津市長・広島市長・長崎市長から届けられたメッセージを司会者が紹介・報告しました。(別頁掲載)
第Ⅱ部、誓いのつどいでは七団体からの代表者による誓いの言葉が述べられました。
①日本原水爆被害者団体協議会 木戸季市事務局次長 ②原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会 野口邦和代表 ③宗教者各宗派より 岸田正博真言宗智山派多聞寺住職 ④日本共産党静岡県委員会 鈴木千佳静岡県女性・子育て部長 ⑤全国労働組合総連合 長尾ゆり副議長 ⑥新日本婦人の会 米山淳子副会長 ⑦三・一ビキニデー静岡県実行委員会 石井 潔静岡大学副学長 の各氏がそれぞれ誓いの言葉を述べました。(『宗教と平和』4月号で掲載予定)
終わりに、大江真道日本宗教者平和協議会代表委員(日本聖公会司祭)が、墓前祭の歴史的な経緯、そして、今回までの運営に携わった数多くの方々への敬意を述べて閉会しました。
3・1ビキニデー集会
墓前祭終了後、午後一時より焼津市市民文化センターにて3・1ビキニデー集会が開かれました。「核兵器のない世界」への呼びかけのもと、日本とアジア・太平洋、そして世界の人々との共同を発展させようと世界各地からの参加も含めて大きなうねりとなるべく、日本宗平協からも20人名を越える参加者がありました。
第Ⅱ部では、文化企画として、「ここが家だ」(東京芸術座他)の朗読劇があり、特別企画としてフランスから美帆シボさんも参加しての報告がありました。各参加者・団体からのリレートークでは、宗教者を代表して遠藤教温日蓮宗本立寺住職から、いのちを尊ぶ宗教者の立場として現在の危険な状況の打破とこれからの進むべき方向が発信され、会場の参加者からも大きな共感と連帯の拍手がありました。
3・1ビキニデー集会でのトーク
日蓮宗・本立寺 遠藤教温住職
『原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい』と言われた久保山愛吉さんの遺志を受け継いだ私たち日本宗平協は、毎年3月1日、ここ焼津市の弘徳院において「久保山愛吉墓前祭」を主催してきました。
協賛くださいました団体及び個人の方々に感謝申し上げますとともに本日、全国からご参集いただき、墓参行進、献花・墓参をして下さった皆様に厚くお礼申し上げます。
核兵器による犠牲者をこれ以上出さないために、核を廃絶する以外にありません。そしてその声は今や全世界に広がり、核保有国を除くすべての国々の切実な声となっています。
世界で唯一、ヒロシマ、ナガサキ、そしてビキニと3度にわたる被爆体験を持つ日本こそ世界のリーダーとして核廃絶と軍備全廃を取り組むべきです。しかし、安倍首相はアメリカの顔色を伺うだけ、集団的自衛権行使を閣議決定し、戦争法を強行採決する反民主主義の独裁政権と化しています。
私たち宗教者は、宗教の違いを超えて、「平和の祈りを行動の波へ」の宗平協のスローガンの下に結集し、更なる活動を進めていきたいと思います。被爆者と連帯し、沖縄の宗教者と連帯し、皆様と固く連帯して「安倍政治を許さない」の活動を共に頑張っていく決意です。共にがんばりましょう。
「被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」に寄せられたメッセージ
公益財団法人
第五福竜丸平和協会
ビキニ水爆実験被災・第五福竜丸被ばくから62年目の3月1日を迎え、故久保山愛吉氏墓前祭にご参集の皆様に心から連帯の挨拶をおくります。
昨年5月の核不拡散条約再検討会議は、最終文書を採択できずに閉幕しました。しかし核兵器廃絶をもとめる非核国と被爆者、市民、平和運動は、核兵器の非人道性を全面にかかげ、「非人道な兵器は禁止されなければならない」とその条約実現への声は大きく広がっています。
こうした事態のもと、核兵器保有国による「核兵器は安全保障にとり必要不可欠」との主張は、論拠を失っています。ヒロシマ・ナガサキそして戦後の核開発・核実験が「人類」に対してもたらしてきた破壊・殺戮・悲劇は、一日も早い核廃絶の実現を求めるものです。
第五福竜丸は、半世紀近く前に廃船処分となり、東京・江東区夢の島=ごみの埋め立て処分場に放置されました。これを知った市民は「沈めてよいか第五福竜丸」の声をあげ、10年近い保存運動がすすめられ、この世論を受けとめた東京都により第五福竜丸展示館が夢の島公園に建設されました。
今年は展示館開館から40年となります。保存運動には、各界の幅広い識者と原水爆禁止運動や市民運動が携わり、その呼びかけには仏教徒の壬生照順師やキリスト者鈴木正久氏が加わり、貴宗平協は大きな役割を果たされました。 原水爆の脅威とそれに立ち向かう人びとのことを伝える第五福竜丸展示館の存在はますます意義深いものがあります。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」との久保山愛吉さんの遺言がかなえられる世界をめざし私どもも心して来館する市民・若い世代に伝えます。核兵器のない世界を求める声の広がりを力に、「核兵器禁止条約」の実現へと大きく前進しましょう。
東日本大震災・福島第一原発事故から5年、人類が直面する核の問題を、まさに市民一人一人が向き合い声を上げる年にしていきたいと、改めて墓前にお誓いいたします。核も戦争もなき港への航海を第五福竜丸はつづけます。墓前につどう皆様のますますのご活躍を祈念し、メッセージといたします。
2016年3月1日
焼津市長 中野 弘道
本日、「被災62年 3・1ビキニデー故久保山愛吉氏墓前祭」の開催にあたり、謹んで哀悼の意を表します。
焼津港所属の第五福竜丸がアメリカ合衆国の水爆実験により被災してから、本年で62年が経過しました。この間、世界各国の多くの人達による熱心な核兵器廃絶運動にもかかわらず、未だに一万五千発を超える核兵器が地球上に存在し、人類が今もなお、その脅威から解放されていないことは、本当に残念でなりません。
核兵器のない平和な世界の実現は、全世界共通の願いですが、本年一月、北朝鮮は国連安全保障理事会決議に違反し、地下核実験を行いました。我々の平和への思いを踏みにじる暴挙であり、強い憤りを覚えるとともに、断じて容認できるものではありません。
核兵器の恐ろしさを次世代に伝え、平和を希求するために、焼津市は毎年「六・三〇市民集会」を開催し、核兵器の廃絶と恒久平和を訴え続けております。私たちの願いは、険しく長い道のりですが、一歩一歩歩んでいく所存であります。
核兵器と人類は決して共存できません。このことを肝に銘じ、平和を愛する心を市民が持ち続けるよう核兵器廃絶に向けて全力で取り組んで参ります。
結びに、皆様方の運動が大きな力となり、「核兵器のない世界」の実現につながりますことを念願いたしますとともに、御参列の皆様のご健勝を心から祈念し、メッセージといたします。
平成二十八年三月一日
広島市長 松 井 一 實
「被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」が開催されるに当たり、心から哀悼の誠を捧げます。
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾で焦土と化し、幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでに、かけがえのない14万もの命が奪われました。辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。核兵器は非人道の極みであり、「絶対悪」です。
その「絶対悪」は、いまだに1万5千を超えて世界に存在し、人類の生存を脅かしています。核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分からないのです。
人は、国籍や民族、宗教、言語などの違いはあるものの、同じ地球に暮らし、一度きりの人生を懸命に生きています。人として「共に生きる」ために、私たちは、核兵器による非人道的な脅しではなく、人と人との繋がりを大切に未来志向の対話ができる世界を築く必要があります。
そのために、ヒロシマは、世界中の人々が、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という切なる思いを受け止め、共に行動するよう訴えています。辛く悲しい境遇の中、怒りや憎しみを乗り越え、人類の未来を見据え紡ぎ出した、この悲痛なメッセージは、様々な違いを越えて人々を一つにする原動力となります。本市が会長を務め、加盟都市が161か国・地域の6,900を超えた平和首長会議も、この被爆者の思いを受け止め、国境を越えて力を結集し、2020年までの核兵器廃絶を目指して核兵器禁止条約の交渉開始に向けた流れを加速させるために全力で取り組んでいます。
今、国際社会において、核兵器禁止に向けた法的枠組みの必要性の認識が拡大しています。今後、その実現に向けて、各国の為政者に被爆者の思いを共有し対話を重ねるよう促していく必要があり、それを後押しする私たち都市やNGO、市民等の役割がこれまでになく重要になります。
そうした意味で、皆様が、1964年から毎年開催されてきた墓前祭は、久保山愛吉氏の「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」という御遺志を、一日も早く「核兵器のない世界」に結実させるため、決意を新たにする時間(とき)として誠に意義深く、その取組に対し、深く敬意を表します。
皆様には、今後とも「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、共に力を尽くし行動してくださることを心から期待しています。
終わりに、御参会の皆様の今後ますますの御健勝と御多幸を心よりお祈りいたします。
平成28年(2016年)3月1日
長崎市長 田 上 富 久
本日、「被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」が執り行われるにあたり、長崎市民を代表し、謹んで哀悼の意を表します。
1945年8月9日午前11時2分、長崎市は一発の原子爆弾により壊滅的な被害を受け、7万4千人もの尊い生命が奪われ、かろうじて死を免れた人々も、心と身体に癒すことのできない深い傷を負いました。被爆から70年目を迎える現在も多くの方々が原爆の後遺症に苦しんでいます。
国際社会で核兵器の非人道性についての認識が広がりを見せるなか、昨年4月にニューヨーク国連本部で開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」に参加し、各国政府代表に向けて、今回の会議を核兵器の価値を否定する新しい世界へのターニング・ポイントにしようと訴えるとともに、各国首脳や核問題に関わる方々の被爆地訪問を呼びかけました。そして、ご承知の通り、国連総会においては、核兵器廃絶に向けた法的措置などを議論する公開作業部会の設置が決議され、2月から国連欧州本部で議論が始まりました。
核兵器のもたらす危険性は決して被爆地だけの過去の問題ではなく、世界が抱える今と未来の問題です。長崎市は、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向けて、今後とも着実に歩み続けてまいりたいと考えています。
「被災62年3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭」を通して、皆様が核兵器廃絶の声を大きく発信し、市民社会から核兵器廃絶の機運が高まることを期待しています。
最後に、皆様の今後益々のご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
平成28年3月1日
久保山愛吉墓前祭の盛花・花輪、協賛ありがとうございました。
(順不同敬称略)
盛花協賛団体
日本原水爆被害者団体協議会/日本生活協同組合連合会/立正平和の会/原水爆禁止日本協議会/全日本民主医療機関連合会日本医療労働組合連合会/日本共産党中央委員会/日本宗教者平和協議会
花輪協賛団体
全国労働組合総連合/新日本婦人の会/日本自治体労働組合総連合/浄土宗正念寺 一法真證/真宗平和の会/日本母親大会連絡会/3・1ビキニデー静岡県実行委員会/3・1ビキニデー北海道実行委員会/原水爆禁止世界大会実行委員会/横浜市従業員労働組合/非核の政府を求める会/全国宗教人の会/東京宗教者平和の会/静岡県宗教者平和懇談会/京都宗教者平和協議会/大阪宗教者平和協議会/株式会社 本の泉社
協賛団体
全法務省労働組合/日本山妙法寺/しらぬひ不知火合同法律事務所/日本平和委員会/全国労働組合総連合/原水爆禁止日本協議会/原水爆禁止世界大会実行委員会/岐阜北民主商工会/原水爆禁止埼玉県協議会/立正平和の会/東友会(東京)/非核の政府を求める会/東京宗教者平和の会/愛知宗教者平和の会/原水爆禁止神奈川協議会/岐阜県宗教者平和の会/横浜市従業員労働組合/全日本民主医療機関連合会/日本医療労働組合連合会/北海道宗教者平和協議会/日本自治体労働総連合/真宗企画(東京)/吉村駿一法律事務所(群馬)/港区労働組合総連合(東京)/日本共産党中央委員会/東京民医連労働組合健生会支部(東京)/浄土宗正念寺 一法真證(大阪)/祐国寺(宮崎)/泉蔵院 北村公秀(神奈川)/樹林葬・正福寺(鳥取)/アジア仏教徒平和会議日本センター/京都宗教者平和協議会/イエスと歩む会/原水爆禁止静岡顯協議会/原水爆禁止東京協議会/京滋キリスト者平和の会/京都医療労働組合連合会/静岡県爆被害者の会川本司郎
協賛個人
佐野 順常(北海道)/桑山 源龍(静岡)/宮城 泰年(京都)/鈴木 友好(東京)/手島 英真(静岡)/中井 弘和(静岡)/河崎 俊栄(石川)/早川 静泰(愛知)/安孫子 義昭(滋賀)/遠藤 教温(神奈川)/津嶋 宣夫(岡山)/日隈 威徳(神奈川)/中嶌 哲演(福井)/田中 大介(東京)/青木 敬介(兵庫)/安達 公昭(三重)/田邊 堯正(新潟)/林 正道(大分)/長谷川 治一(東京)/松山 公顯(愛知)/鈴木 章方(山梨)/西田 穣(東京)/中河 三男(千葉)/小山 弘泉(東京)/大泉寺 早瀬裕昭(群馬)/伊藤 地張(静岡)/田邊 修一(京都)/小野 和典(静岡)/小野 裕子(静岡)/藤井 慶輝(富山)/早川 篤雄(福島)/植坂 行雄(神奈川)/小山 侲子(石川)/木村 宏嗣(山形)/山田 浩道(千葉)/荒川 庸生(東京)/森 修覚(東京)/多聞寺・岸田正博(東京)/荒川 徹真(東京)/樋口 重夫(東京)/大川リリー(滋賀)/冨田 成美(京都)/渡辺 大修(鳥取)/波来谷 傑(岡山)/匿名1名
謝 辞
被災62年3・1ビキニデー「久保山愛吉墓前祭」へのご協賛、花輪、盛花のご協力に心より感謝、お礼申し上げます。
これをスタートに国民平和大行進、原水爆禁止世界大会を成功させ、核兵器廃絶を実現させましょう。
日本宗平協は、戦争法の撤廃、沖縄・辺野古新基地建設阻止、すべての原発の停止、廃炉などの諸課題に全力で取り組んでまいります。
日本宗教者平和協議会 理事長 荒川 庸生
日本宗教者平和会議in大分
記念講演「戦後70年・戦争観と現代責任」(4)
中島三千男(元神奈川大学長)
「日本の尊厳、誇りを取り戻す」(前号からの続き)
2013年9月4日ドイツのガウク大統領はフランスのオランド大統領とともに、ナチスによるオラドゥールの虐殺現場(これは当時のヨーロッパでナチスの三大虐殺現場と言われているもので、1944年6月10日、連合国軍のノルマンディー上陸作戦直後、子ども205人を含む住民642人が1日でナチスの犠牲になったという事件、教会等に閉じ込められて虐殺された)を初めて訪れ哀悼の意を表しました。この虐殺現場は、保存され今日もそのまま、焼き払われたままの状態を残しているということですが、その時にフランスのオランド大統領がこんなことを言ったのです。私はすごく感銘を受けました。「昨日のナチスの蛮行から正面から向き合える今日のドイツの尊厳を表すものである」と。過去の蛮行をしっかりと見つめることができること。それは、恥とか自虐とかそういうことではなくて、むしろ尊厳、今のドイツがいかに立派な国であるかということを示すものであるという事をフランスの大統領が言っているわけです(『毎日新聞』2013年9月5日)。
日本では、日本の植民地支配や戦争によって、アジアの国々に対して与えた被害や残虐行為を語ると「自虐史観」というレッテルが張られ、このレッテルはマスコミを含めたかなりの国民の中に定着しているように思います。皆さんも経験されていることだと思いますが、エッエッ!この人がと思うような方々、特別な思想を持っているとは思われない方が「自虐史観」という言葉を平気で使いますからね。
こういう状況は先の「日本人の三つの戦争観」で述べたように、基本的には1990年代半ば以降の右派・民族派の巻き返しによるものですが、他方で我々の方にもそれを許す余地があったと考えています。我々の側は、戦後日本社会の中で、「侵略や加害」の問題が日本社会の中で希薄であるという状況を変えるために植民地支配や戦争の中で起きた従軍慰安婦問題や南京他の虐殺、あるいは強制連行等の問題を一生懸命に押し出し、強調してきましたが、その場合に、その過去の事実をそのものを強調する(せざるを得なかったのですが)ことに主眼がおかれ(後ろ向き)、実はそうした事をするのは現在及び未来を切り開くためのものでもあるという点(前向き)の理解を得ることに注意を払う点が弱かったのではないかと思っています。
私は大学で一般教育の日本史も教えてきましたが、2000年前後、「三つの戦争観」で見ました様に、加害の事をきちんと載せた教科書で育った学生さんが大学に入ってきました。そうした学生さんはきちんと加害の事を理解した学生さんもいましたが、他方で「日本人に生まれた事が恥ずかしい」とか「もう加害の事には辟易した」という学生さんもいました。後者の学生さんの心に入り込んだのが「自虐史観」批判だったのです。
いかに日本がひどかったかという、これは事実であるわけですが、なんのために私たちがそのことをやるかというと、例えば従軍慰安婦の問題で云えば、それは現在も中東やアフリカ等で起きている様々な紛争の中で、女性の尊厳が乱暴に踏みにじられている状況、またそもそもそういう状況を生む女性差別やあるいは武力・暴力の行使、戦争というものを起こさせないため、女性の尊厳の獲得と平和な国際社会の創造のためにやっているんだという事です。オランド大統領が言った「昨日のナチスの蛮行から正面から向き合える今日のドイツの尊厳を表すものである」という言葉もそのことも意味していると思います。
「ドイツに学べ」?
さて、こうした事を書くと私も「ドイツに学べ」派のように思われますが、ここは皆さんから批判をいただくかもしれませんが、私は少し違った考え方を持っています。よく「ドイツに学べ」ということが言われますよね、戦後保障とか戦争責任とか。しかし、この点でのドイツの先進的役割を評価しつつも、一面的に「ドイツに学べ」、さらにそれから発展してドイツはよくて日本はそうではない、ドイツ人はよくて日本人は恥ずかしい存在だという、こういう風潮については、私は随分前から批判してきました。国内においても我々と同じ立場で活動している人にそういう立場を表明する方は多いです。また、私はこの「三つの戦争観」について海外、アメリカや中国、台湾、韓国などでも講演してきましたが、そこでも何故日本(人)はドイツ(人)に学ばないのかという質問をよく受けました。しかし、それは少し一面的ではないかという事です。
ドイツがそのような評価を受けることを戦後やってきたのは、長らく分断国家であって、東ドイツとの正当化競争というべきものがあった事、また経済力の面でもイギリス、フランス、イタリアなどドイツに匹敵する力を持っていた国々が周りにあった事等をしっかり見ておく必要があると思います。それに対して、日本は分断国家でもなく、アジアの中で唯一の工業国家であった、したがって先に「開発独裁」というところで見てきたように、アジアの国々は何よりも日本の経済力を求めてきた、といった客観的に置かれた条件が異なっていたということです。また、日本も戦闘の過程で虐殺を行い、過酷な差別的な植民地支配を行ないましたが、少なくともホロコースト、ユダヤ人虐殺に見られる民族浄化のような理念は持っていませんでした。 (次号に続く)
山家妄想
「出家僧の滑稽さ」
★ネット通販サイト・アマゾンが昨年末から僧侶派遣サービス「お坊さん便」を始めたことについて、全日本仏教会が宗教行為の商品化と批判する理事長談話を発表した。ネットで検索すると、二〇以上がヒットした。電話、メールで予約して当日を待つだけと便利さを強調し、法事・法要は三五〇〇〇円、葬式は五五〇〇〇円~、戒名料は二〇〇〇〇円~など明瞭会計と記す。他にも年間紹介実績三四〇〇と誇るものや、登録寺院・僧侶は六四〇名と記し、各宗派の県別人数を挙げているものもある。ちなみにわが兵庫県の臨済宗は一名が登録している。かつて一週間に五件の葬式をこなして身体を傷めたり、役僧の依頼を同じ時間に二件の葬式があるからと断ってきたことのある私の知人が、まさかその登録者ではなかろうとは思うが、どうだろう。寺院そのものが経営していると紹介されているものは、群馬県の真言宗寺院、大阪府の浄土真宗寺院があり、ご住職のお顔も拝見できる。
★近隣のものが互いに出仕して、わが家や近くの会場(寺や公民館など)で行ってきた葬儀が、若者の流出・高齢者世帯ばかりという過疎化によりできなくなり、対極に故郷を離れ過密の都会に住む孤独な若者という、ともに地域共同体の解体現象のなかで、出現した葬儀に対する意識やあり方の変化が、このようなビジネスと僧侶の加担を生み出したといえる。
★テレビは新手の詐欺商法を報道した。雑誌で開運グッズを売りつけて、後日購入者に悪霊が憑いているなどと言葉巧みに取り入って、祈祷料を振り込ませるというのである。その祈祷料振込み先口座が実在の寺院のものであり、三人の犯人が振り込ませた額は二億五千万円にのぼるという。被害者五五〇〇人。この寺の住職は口座に振り込まれた金額の五㌫を受け取る契約をしていた(二百万円振込で十万円)。百万円の契約料も受け取っており「甘い誘惑に乗った」と反省している由である。「檀家も少ないし、勤めにも出ている良い坊さん」と近所の者が話しているというが、寺に住み僧侶であることの意味を真剣に考えておれば、乗れる誘惑ではなかったであろう。
★わが教団でも住職のいない寺が三分の一に達するとして、「宗門活性化」をはかる方策が模索されている。定年退職者の第二の人生を僧侶にとか、住職養成のための宗門大学改革、専門道場規定の検討など取り組まれているのだが、現在の日本社会の大変動に対する認識を深め、抜本的に探究する体制へすべての僧侶の意識変革が提起されるべきであろう。
★一九八二年の年末に水上勉さんが書いていられる。「般若心経ほど、今日の出家僧の滑稽さに気づかせる経はない気がした」と。般若心経を読む(PHP文庫)である。色即是空に徹した経の趣旨は伽藍や名門にこだわる今日の僧とどうかかわるのかとも述べられているが、朝課や月参りなど、折に触れて読経している般若心経の趣旨を、「正統派の僧たち」は汲み取って読んでいるのかというのである。
★ここで「正統派」ならぬ僧と考えられているのは、正眼国師、一休禅師と良寛さまである。注;蛇足で失礼とは思うが正眼国師とは姫路市網干の龍門寺開山・大法正眼国師盤珪琢禅師である。仮名法語で男女庶民に「万事不生でかないますわいの」と説法された(不生禅)。
★氏によって、一応正統派の僧侶の一員と目されている私たちへの手厳しい批判であるが、正眼国師はともかく、一休禅師と良寛さまは「真の出家は寺を出るものだ」とまで言われていると紹介されている。寺にこだわることの滑稽さの指摘だ。この指摘は四十五年の歳月を経ても的を外れてはいまい。いま寺にいて寺にこだわることが滑稽ではなくなる方途がいずれにあるのか。問われていることは重い。
(2016・1・18) 水田全一・妙心寺派の一老僧
戦争法の廃止を求める統一署名320筆届く
近江八幡の会員の坊守さんが500筆を目標に取り組む決意!お寺に来られた門徒の方、用事で訪れた町内の家、集金に来られた業者などに出会った人ほとんどにすべての人に頼んでいます。「子どもや孫さんが戦争に行かなければならなくなる」、介護や老後のことが心配している人には「軍事費にお金を使われて福祉はもっと悪くなる」などと話せばほとんどの人がしてくれる。教師をしていたので「教え子を再び戦場に送らない」の言葉が行動の根底にあるのと、取扱団体が「日本宗教者平和協議会」であるのが頼みやすいと語っています。