2015年12月号

日本宗教者平和会議in大分を開催
記念講演
中島三千男 「戦後70年・戦争観と現代責任」(1)

私と宗平協
 皆さんこんにちは、ご紹介いただきました中島です。元学長ということではございますが、今年の3月に定年退職しまして、現在は年金生活者です。
 私と宗平協とのかかわりは、60年代末から70年代にかけて、京都で数年間事務局のお手伝いをさせていただきました。当時一番大きなことは、ベトナムの宗教者との連帯でした。
 私がここに入ることになったのは、藤谷俊雄先生の存在でした。私は、近代の国家と宗教ということを大学院生の時代に学んできたわけですが、藤谷先生も国家神道研究や部落問題研究を進めていたわけです。藤谷先生からは、「こういう研究をしていくのであれば、少し現場のことをかんがえなくてはいけませんよ。」と言われまして、当時の宗教者の活動に参加させていただきました。
 私自身はどのような信仰も持っていないというか、持てていないというか、そういう状態でおりましたのでそのまま宗平協の活動にかかわらせていだいたわけです。「宗教と平和」の会員・読者としてずっと今日までに至っております。

三千男命名の由来
 私は現在71歳、1944年生まれです。戦中の生まれと言ってもよいのですが、物心ついたのは戦後です。
 私の三千男という名には、戦争中のことがきちんと刻印されているんです。私の世代の名前には、勝男とか英雄とか行雄とかそんな男の子の名前ばかりでしたけれども、三千男という名も戦争とは密接に結びついています。
 1944年といいますと、日本は太平洋の島々で玉砕が続いていたのですが、7月19日、サイパン島において日本軍は玉砕しました。兵士の数は3千人ではなく数万人と言われているのですが、この3千人という数は、前年のアッツ島玉砕時の数字だと思うのですが、この時初めて玉砕という言葉が使われました。この時3千人が玉砕したと、そして、私の父は、1944年7月のサイパン島の時よりも、前年2月のアッツ島玉砕時の3千人という状況から、「三千男」と名付けたのでしょう。軍国主義の父親でもなくごく普通の父親でしたが、久しぶりの男の子の誕生に、「3千人の仇をとってほしい」という願いを込めたのであろうと思われます。小さい時からよく話しは聞かされておりました。まぁ、そういう世代でございますので、直接戦争のことは知りませんが、戦後の雰囲気が残っている時代に育ちましたので、歴史を学んでいく上でも、近代史・現代史を中心に進めてきたわけであります。

日本人の三つの戦争観
 本日の話は、『戦争観と現代責任』というかたちでテーマをいただいたわけですが、「戦争観」という言葉は私も各所で述べているわけですが、「現代責任」という言葉においては、私はこんな大きなことを言う資格はとてもありません。ここのレジュメには、「わたしたちの課題」というくらいの言葉で書かせていただきました。
 今日は、日本人の三つの戦争観といわれることを最初に、そして二つ目には、この8月に出された安倍首相の談話をめぐって、三番目にわたしたちの課題ということで報告させていただきたいと思います。きちっと精査してまとめられるとよかったのですが時間の余裕がなくてすみません。
 まず、日本人の三つの戦争観ということですが、わたしそのものはこの専門家ではありません。一橋大学の吉田裕さんが一番の専門家で著書も多いのですが、私は、たまたま国家と宗教のこと、国家神道のことで、20年前から海外の神社の研究を行ってきました。この20数年間で海外のあちこちに行ったのです。北はサハリン、樺太からですね南は南洋群島、パラオとかこの前天皇が行かれたペリリュー島、東南アジア等々ほぼ神社が建てられた主要な所は行ってきました。戦前は約1600もの神社が海外に建てられたのです。
 一般の人はこれを聞いて大変驚きますよね。研究者でも驚きます。こんなにもたくさんの神社が造られたのかと。そして私の研究は、戦前の神社の研究ももちろんですが、それらの神社が戦後どのようになっているのかという跡地の研究も行っています。海外のこういった事象を見ながら考えさせられたことが多くあります。そしてこの三つの戦争観ということも、専門ではありませんが話が少しはできるようになりました。

著本の紹介
 今日はこの「海外神社の景観変容」という本を持ってきましたので、もし関心のある方はご覧になって下さい。そしてもう一つ、「若者は無限の可能性を持つ」…これは、私の2期6年間の学長時代の入学式・卒業式のメッセージ・式辞を本にしてくれまして、持ってきました。お子さんやお孫さんが大学生で或は二十歳前後でいろいろ悩んで模索している時に読むといいという評をいただいております。
 最近はですね、戦争法案反対で、シールズとか若者たちがすばらしい動きをやってくれているわけですが、私は以前から若者たちが無限の可能性を持っているんだということを学生たちに語りかけていましたので、そんなには驚いていません。今の学生たいしたもんだよということは、私の教員生活時代からの想いでしたから、関心のある方はお求めいただければと思います。
 三つの戦争観ということですが、まずは、被害者・犠牲者としての戦争観。二番目は、加害者・侵略者としての戦争観。もう一つは、安倍さんが好きな自存自衛、アジアの解放のための戦争であったという考えです。いろんな戦争観がありますが、突き詰めていけばこの三つに集約されていくのだろうと思います。この三つがいろいろに複雑に絡んだり交代したりしながら存在しているということであります。今日はまずこのことについてお話ししたいと思います。今日は出口さんも見えておられますが、京都で話した時に、ユーチューブで見ることができますから、ひょっとしたら、すでに見ている方があるかもしれませんが、この部分につきましてはレジュメの枚数も多いのですができるだけ省略していく予定です。

第一 被害者・犠牲者としての戦争観
 最初の、被害者・犠牲者としての戦争観…このことについてはもう説明する必要はないですね。
 日本人が体に身に付けている戦争観です。今度の戦争法案反対の動きについても、あれだけ多くの盛り上がりを見せたのは、ひとつはこのことがあるんです。もう戦争は二度といやだということ。あんなことは絶対にしてはいけないという思いがあるからです。被害者と犠牲者としての戦争観という特徴は、真珠湾攻撃から、1941年から45年までの時期をイメージします。そして、どこと戦争したかというとですね、アメリカと戦争をしたということです。アメリカと戦争をして負けたということです。どこで戦ったかということでは、空と海の戦いですよ。日本人が好きな特攻隊とかゼロ戦、戦艦大和・武蔵、のようなイメージですね。だからこの戦争観という場合には、戦争名は太平洋戦争、まさに太平洋をはさんでアメリカと戦ったという感覚です。そして大変な目にあって負けたというイメージですね
 戦争中の大変な目だけではなくて、戦後の様々な生活ということも含めて、もう二度と戦争はいやだという気持ちが、憲法九条の精神、平和主義の定着を支えているものであります。そして国とか軍隊とかいうものに対しての不信感がある。国家は国民を助けてくれるものではないという気持ち、軍隊というものはいざという時に国民を助けてくれるものではないという思いがある。このことを身にしみて痛感した戦争観です。
 これは、ほかの世界の国にはないものでしょう。愛国心であるとか、軍隊に尊敬を払うとか、これはどの国にもあるのですが、日本の場合にはなかなかそれができなかった。ようやく、災害の救助であるとか、最近は、中国とか北朝鮮に対抗するために自衛隊にがんばってもらわなくてはいけないというような思いの中で、自衛隊の認知ということも急速に進んできましたが、戦後しばらくは、軍隊・自衛隊とか、或は国家そのものに対する相対であったということですね。この戦争観が日本人の戦争観の岩盤を形成しているということであります。
 
第二 加害者・侵略者としての戦争観
 二番目は、加害者・侵略者としての戦争観です。ここは皆さん方宗平協の活動に参加している方々からみればこの考え方の道筋は進んでいると思いますが、多くの日本の国民の全体で見ると、この考えはまだ定着していないのです。この戦争観というのは、1931年の満州事変から、いわゆる15年戦争という名の戦争ですし、アメリカだけでなくて、アジアの地域での戦い、つまり太平洋戦争だけではなくて、この視点に立つとアジア太平洋戦争という概念の中で形成されてきた戦いであります。ここはまた、空と海との戦いということではなくて、人が生活している場ですよね、陸上で農作業をしている、田畑を耕している、家で暮らしをしている、こういうところが戦場になりますから、女性であるとか子どもであるとか老人であるとか、いわゆる非戦闘者の悲惨な死が存在します。
 特攻隊とか戦艦大和であるならば、いわゆる機械と人間、戦闘機と人間とのかかわりにおいてヒロイズムというものが生まれてきます。そのヒロイズムの背景には、規則を守るとか、そういう想いがありますから、日本人、もちろん私もふくめてですけれども、百田さんの小説読んでも多くの日本人は涙するわけです。自分の家族を持って云々…というそういうヒロイズムが生まれてくるわけです。しかしそこをしっかり見ると、そんなヒロイズムというものは吹っ飛んでしまいます。兵隊とか軍隊とか兵役…そういうものがヒロイズムでは片付けられないほどひどいことが行われるわけです。これは日本人だけではないとは思いますが、戦争というものはそういうものだと思っています。戦争というものは、非人間的なことを行うということを前提にしないと戦争になりませんからそういった意味でヒロイズムとかロマンというものが全く消されていくのが事実であると思います。

「開発独裁」という概念
 戦前・戦後から、共産党、左翼と革新勢力ですね、宗平協の活動も含めてこの活動があったわけですね、或は戦争中でもそうですね、日本共産党を中心として帝国主義戦争反対という極めて少数の人達がいたわけです。
 しかし、市民権を持つというかたちには至りませんでした。これが定着し市民権を持つようになったのは、1980年代から90年代になって市民権を持つようになってきました。これは日本の歴史では、とても大きなことであったと私は考えております。なぜこの時期、80年代から90年代で市民権を持つようになったかといいますと、ひとつは、アジアの国々の開発独裁の崩壊というものがあります。
 この開発独裁という言葉は、あまり聞きなれない概念ですけれども、まあこれは政治学の概念なんですが、民主主義の発展よりも経済発展を優先させるという政策です。したがって開発独裁にとってのアジアの国々は、日本に対しては戦争責任よりも経済援助を重視すると言う考えが基本ですね。戦後、日本とアジアの関係はこれで進んで来ました。アジアの国々は日本に対して、戦争責任をとるよりも、むしろ日本の経済力を自国の経済発展に生かすということ、このことを最重要に考えるのです。それで、日本と良好な関係を築くため、日本による戦争被害の露出を抑えるというようになるわけです。日本が抑えるのではなくて、例えば韓国などは典型的ですけれども、韓国や台湾が抑えてくる、このような格好をとってくるのです。
 これはもちろん、アメリカのアジア戦略ですね、私たちの学生時代はケネディ・ライシャワー路線と言っていましたけれども、アメリカの対ベトナム戦争、これがアジアに広がるために、アジアの国々の経済発展をアメリカが一生懸命に後押しして行いますけれども、その時の尖兵的な役割をしたのが日本です。この国の経済力がアジアへの経済援助というかたちで展開していきました。
 
各国の戦後体制の中で
 開発独裁というものがどんな体制であったのかということにつきましては、レジュメに記してありますが、韓国の政権、台湾の国民党政権、フィリピンであればマルコス政権等々、こういう独裁政権なのですね。私たちはやはり西側のマスコミに影響されていますから、独裁というと、社会主義国だけが独裁を行いひどいことをやっていると思われがちですが、実はこれらの国々も、例えば韓国の朴政権の中でどれだけのことが行われたのかとか、台湾の国民党政権…戒厳令の中で台湾の人々にどんなひどいことが行われたか、このようなことはあまり知られていないのだろうと思います。
 これは、経済発展をしたおかげで、当然都市が発展し、中間層が発展したことにより、市民の力が結集されこの力により独裁政権を倒していくのです。そして、独裁政権を倒すだけではなく、独裁政権が抑えてきた日本の戦争犯罪とか戦争責任というものが初めてこの段階で噴き出してくるということです。ここに記載の「従軍慰安婦」の問題もまさにその通りです。

学生たちからの素朴な疑問
 大学での講義の時も、一般教養の学生さんに近代史を考える上での資料として戦争観の問題を話してきました。十数年間講義し続けてきました。15回にわたり、この三つの戦争観について本を読ませたり、映画を見せたり、ディスカッションをしたりしてきました。学生の中には、「先生、なぜ『従軍慰安婦』とか戦後保障とかの問題を戦争が終わってすぐに言わず、何十年も経ってから言い出したのですかと。それはそれらの国々の自分たちの都合ですか。」とよく聞く者がいました。どうしてすぐに言わなかったのかということについては、まさに、この開発独裁の問題ですね、戦後すぐにはこの開発独裁政権によってこのことが抑えられていたのです。そして、この開発独裁政権が倒れることにより初めてそういう問題が出てきたということが言えると思います。タイムラグの大きな要因であるということです。

(次号につづく)

辺野古基金にご協力を

日本宗教者平和協議会も賛同団体に

 このたび「辺野古基金への協力について」賛同団体のお願いを受けて、「私たちは、辺野古新基地建設断念するまで、取り組みに賛同します」と回答しました。
 この呼びかけは、共同代表の呉屋守將、長濱徳松、宮城篤実、石川文洋、佐藤優、菅原文子、鳥越俊太郎、宮崎駿氏らが案内したものです。
 呼びかけはいま起こっているなりふり構わずの辺野古への新基地建設強行は「政府による沖縄県民の意思を愚弄する行為は民主主義と地方自治の根幹を破壊する暴挙と言わざるを得ません」「2013年1月に安倍総理に提出した建白書を総意としてこれ以上の基地被害を許さず『オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念』を強く求めているのです」「辺野古基金は沖縄の民意を発信すべく国内外に安倍政権による非民主的政策かつ沖縄の現状を訴え、広く世論喚起を図ることを急務と考えます。今必要なことは、国内外への意見広告の掲載、米国政府・議会や国連に直接訴えるロビー活動等への支援を含め、あらゆる取り組みを駆使し辺野古への新基地建設を断念させることです」と基金の趣旨の理解をお願いしています。
日本宗教者平和協議会は12月7日の常任理事会で賛同を確認しました。
これまで、沖縄での日本宗教者平和会議開催(10年10月)、辺野古新基地反対行動(15年2月、9月)名護市長選、沖縄県知事選などの支援と行動に取り組んできました。
 来年1月の宜野湾市長選挙も重要なたたかいです。支援のための募金と現地に派遣のどうかご協力をお願いします。

山家妄想
河野太通老大師講演に思う

★新日本宗教団体連合会において、記念講演をされた河野太通老大師から「新安保法制 私の考え」と題する記録のDVDを届けていただいた。老大師は産業革命以来、人類が自然を利用(火から原子力に至る)しながら欲望の抑制を見落としていたことの指摘から始められて、フクシマ以来恩恵の裏に反社会的なものの存在が明らかになったにもかかわらず、それを無視する政治の横行を慨嘆される。
★西欧的教育を受けながら、インドの民族衣装とメガネ・時計と杖のみを身につけて、インドの独立運動を指導したガンジーの「非暴力とは物理的力を行使しないというだけでなく、真理の力を行使する」という言葉を引かれて、真理とは諸行無常・縁によって世界は成り立つという仏法そのものと説かれる。
★さきの戦争を回想される中で、その時代が現在に回帰しているのではないかと警鐘を鳴らされる。かつてのドイツでは強力な指導者をナチス・ヒットラーに求めたが、いま日本は安倍首相などにそれを求め、その心は私たちにないかと。
★宗教者は政治に口出しすべきでないという声もあるが、人の命を軽んずる政治に対して仏の道を教えていかねばならぬ。このことは決して政治活動ではない。さきの戦争で沖縄の現実は私たちに軍隊は国を守るけれども国民を守るものではないことを教えてくれた。いま、戦争に向かうような「危険なことはやめてください」と言い続けることが大切である。戦争になる前に私は何をするのか。何もしないこと、それが罪となり責任を問われるのだと、映画の場面を回想して示された。
★世界中で僧侶が兵士となり従軍したのは日本だけの事実である。いまそれを繰り返さないために「もの申す必要がある」。親鸞聖人、道元禅師の言葉を引き、仏の道=時代・社会が変わろうとも変わらぬ正しい道を説き続けることが求められている。法句経にいう「汝自身を島とせよ」島とは救いの場であり、これを自灯明・法灯明というのであると結ばれた。
★視聴させていただいて、現在の情勢を正確にとらえる姿勢と仏法の本質に根ざした提言に、大きく感銘を受けたという以外ない。さきの戦争中の軍国少年としての体験、敗戦による挫折・虚脱の感情から、仏法に心のよりどころを求めての出家決意は、そのまま私たちの僧侶であることの意味を問うものであり、世間の僧侶への批判にこたえる道を示唆するものである。
★寺の子として生まれ、疑問を抱く、あるいは逡巡することもなく世襲した僧侶の答えはどのようなものであるか。政治にかかわる事だけは、厳しく自制することを口にしながら、世俗の人と同じく、あるいはより以上に、欲望に溺れることには口を噤み、またそれに加わる姿が問われている。問われているのは、その姿勢だけではない。
★老大師は人類の歴史、近代科学の発展から説き起こされ、ガンジー・親鸞聖人・道元禅師のことばにも言及された。現在に対峙するためには、人類の歴史・文化を進めてきた人々の遺産を正しく継承する、私たちに知の力が必要であるとの指摘である。たゆみない学習の必要が私たちに課せられている。
★「戦争法」は無法にも成立させられた。政府は、その成立以前から、そして成立後はより積極的に、アメリカとの軍・軍共同一体化の体制構築に励んでいる。しかしながら、それは2014年12月総選挙の結果、すなわち自民党は得票率48・1%で議席占有率75・6%(223人)という「腐敗」小選挙区制による多数であり、比例代表の得票率33・1%に依れば158人に過ぎず、有権者比にすれば17%という国民の信任を得たとは、とてもいい難い現実に対する焦りというべきものであり、破たんを予測させるものである。
★今年初めより9月に至る国民運動の動向は大方の予測を超えたものであった。とくに若者や女性たちの動きは、新しい歴史の始まりを予感させるものであった。かつての60年安保の時のように、所得倍増などと経済問題に目くらましさせられることなく、着実に運動を発展させ、国民の意思が政治に正確に反映される体制の実現を目指さなければならない。★それでなければ、「美しい国」日本は「美国(中国ではアメリカをこう呼ぶ)」の属州と化し、安倍総督の無法な支配下に呻吟しなければならなくなる。そんな事態は御免だ。

2015・11・26 水田全一・妙心寺派の一老僧