2015年10月号
戦争法廃止できる国会勢力を
戦争法案阻止 国会前行動に参加して
京都宗教者平和協議会 冨田 成美
9月18日夕刻、戦争法案の参議院本会議採決直前に、国会前抗議行動に参加できました。迎えてくださった森修覚師に感謝申しあげます。この日の参加者は4万数千人だそうです。
抗議はSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)と「総がかり行動」の共催で行われました。
国会正面に通じる広い道路は、最初から機動隊車が一列に繋がって壁となり、歩道には柵が設けられ、その後ろに警官が隙間なく並び、反対側の行動は、音は聞こえても見えないようになっていました。国民の抗議を認めない国家権力の姿を感じました。
森師から宿泊をご提案いただきましたので、それに甘えて、行動が終わるまで国会前に居ることにしました。
夜になり、国会の進展に従って、「戦争法案反対!」「9条守れ!」「民主主義守れ!」「アベは辞めろ!」と、抗議の声が高まりました。「野党はがんばれ!」「◎◎がんばれ!」と、野党を応援するコールも同様です。日本の民主主義は、明治以降西洋から、戦後は占領軍によって与えらました。しかし、今は違います。国会前に、全国の同じ集会に、私達は全員が自分で選択して、「非戦国家日本」を実現すべく集まっています。市民個人の主体的な意志の総意が国家を動かす、これが民主主義でしょう。議事堂の中での暴力とも言える多数決による決定では、決してありません。
参院本会議での採決が始まると、抗議と応援はさらに高揚し、2時半を過ぎて結果が出ると、2つの抗議行動はその瞬間、糾弾集会に切り替わりました。「戦争法には従わない!」「民主主義破壊を許さない!」「賛成議員は落選させよう!」―誰もが気付いていました。これで終わりではない。主権者である私達自身の力で平和と民主主義を選び取るたたかいが、今始まったと。法案は通せても、アベ政治は自ら敗北への道を開いたのです。
総がかり行動の糾弾集会は3時過ぎに終わり、その後はSEALDSの集会が、始発電車が動き出す5時ごろまで続きました。SEALDs 関西の女子学生の発言に特に心惹かれました。「他者の犠牲の上に成り立つ幸せなど、私は要らない。たとえ時間がかかっても、話し合いによって作り上げる、誰をも傷づけない平和が、私は欲しい」―全く同感です。
法案成立直後に日本共産党が提唱した「戦争法廃止のための国民連合政府」に、今注目が集まっています。国民の総意として平和主義・立憲主義・民主主義を実行し、日本を真に憲法9条を具現化する国家に生まれ変わらせる政治が必要です。私達宗教者も、個々の違いを尊びつつ、「殺すな・殺されるな」という共通の教えに結集して、平和を求める多様な人々とともに、歩みを進めていきましょう。
辺野古の海に宗教者の祈り
日本宗教者平和協議会理事長 荒川 庸生
辺野古新基地のボーリング調査の再開が強行された直後の9月15・16日の両日、日本宗平協の呼びかけによる緊急行動「辺野古の海 祈りの航海」が行われました。
「戦争法案」の緊迫した参議院情勢でしたが、沖縄・辺野古基地のたたかいも正念場を迎えていました。「戦争法案」の国会通過を最優先にする安倍自・公政権は新基地反対運動が戦争法案反対のたたかいと連帯して発展する事を恐れ、1カ月の工事休止という姑息な手段に出ましたが、1カ月ではなく永遠に中止させようと企画されました。
おりしも「沖縄の宗教者による 安全保障関連法案(戦争法案)に反対する声明」が335名の賛同を得て発表され安倍総理と参議院議長に送付されたばかりでした。
行動は岡田弘隆師、相良晴美師、金井創師など沖縄の宗教者の皆さんと協力・連帯して取り組まれました。緊急の呼びかけでしたが、東京・石川・京都・大阪から10人の仏教徒・キリスト者がかけつけました。
那覇空港集合後、レンタカーに分乗してキャンプ・シュワブゲート前の抗議テントで沖縄の宗教者と合流して抗議行動に参加。地元沖縄の皆さんと交替しながら全員がマイクを持ち、辺野古新基地の反対と沖縄のみなさんへの連帯をそれぞれの宗教的信念に基づき訴えました。当日は、全国からの支援者も含め300人ほどが参加して新基地建設反対を訴えていました。ただ、今年3回目の沖縄行動ですが右翼の街宣車がガナリたてているのに初めて出会いました。新基地建設予定のゼネコンからお金が出ているそうです。誰のための基地建設なのか裏面がかいま見えました。
その後、大浦湾沿いを移動し瀬嵩の公民館で名護市議を講師にたたかいの現状を学びました。辺野古新基地が普天間基地の移設代替えなどではなく、かねてアメリカが望んでいた巨大な埠頭のある強大な新基地の建設に他ならない事が明らかにされ、それが日本国民の税金で造られ、沖縄がアジア各地や他国の人々を攻撃する出撃基地となり、加害者となる懸念が強く語られました。また、翁長沖縄県知事による辺野古埋め立て承認取り消しの手続き開始、第三者委員会の検証結果報告書の説明を受け日本政府と仲井真前知事の共犯による埋め立て承認が、法的にも杜撰である事が確認できました。 当日「翁長知事が埋め立て承認見直し手続き見直しに着手」の沖縄タイムスの号外も入手しました。つづいて、近くの大浦湾を一望する高台に登り辺野古新基地建設の現状を視認しました。
翌16日は、辺野古の基地建設反対テント村から抗議船「平和丸」に定員一杯の13人が乗船し「祈りの航海」の出航です。平和丸は乗り入れ禁止のフロートを越えない程度にグイグイと押していきます。立ち入り禁止区域を10m程は狭めることができました。海保の高速ボートが水煙を上げて接近して威圧します。フロートの内外には何隻もの警戒船がスピーカーで退去を命じます。ちなみに、警戒船も地元の漁船をゼネコンが一日5万円で雇っているそうです。
何隻ものカヌーがフロートにへばり付くように抗議行動をしています。抗議船「不屈」とも合流し、地元活動家とのエール交換を行いました。平和丸船上からは沖縄の人たちへの激励と連帯の思いを込めた宗教者としての祈りが辺野古の海に響きます。浄土真宗各派、日蓮宗、浄土宗の読経が勤められ、団鼓、鈴、音木などがキャンプ・シュワブに届けと高らかに打ち鳴らされました。
辺野古は、いのち豊かな海です。船上からも地元の人が「辺野古ブルー」と誇らしげに呼ぶエメラルドブルーの海を通して貴重なサンゴが見えます。ジュゴンも海草を食べにやってきます。こんな「ちゅら海」に米軍の強大な新基地を許すことはできません。皆さんのご協力で「不屈」船長の金井牧師を通して反対運動への支援金をお渡しすることもできました。心より感謝申し上げます。
戦争法、沖縄・辺野古、原発の問題は通底しています。辺野古新基地の建設を阻止して戦争法を廃止に追い込みましょう。これ以上の原発再稼働を許さず川内原発の稼働を撒回させましょう。たたかいはつづきます。
原水爆禁止2015年世界大会
いのちをえらびとる断食の祈り
日本宗平協事務局次長 荒川 徹真
8月5日、真夏の太陽が照りつけました。(昨年は雨中での開催) 広島平和公園内の一角にテントが設営され、今年も全国からの参加者は40人を数える中で、『いのちをえらびとる断食の祈り』が行われました。
本年は被爆70年という節目を迎え、広島・長崎での世界大会行事が開催されるということもあり、公園内での諸つどいの参加者や海外からの見学者、また、各地から学生・生徒たちの参加もあり、祈りの場で立ち止まり核兵器廃絶への願い達成に向けての対話がテント周辺でも大変多く見られたことが大きな特徴でした。
「被爆体験を有する人たちは年を経ると共に亡くなっていく。被爆者の高齢化は避けられない現状であるが、70年経った今でも被爆者認定、被爆者手帳の交付に対する権限は完全に行政サイドにある日本。『申請をした』という事実を尊重するフランスのシステムとは大きく隔たりがある。」…今年の被爆者証言の場に立って話した佐久間邦彦さん(広島県被団協)はこう語りかけました。また、佐久間さんは、生後三カ月、爆心地から3キロの地点で被爆。当時の現況は記憶にありませんが、広島の街のその後や、原爆の子の像の佐々木禎子さんのこと、「黒い雨にうたれて」の話等々約一時間にわたり貴重な体験談を伝えられました。そして最後に、いのちの大切さを訴え、安倍政権における「国民のいのちと平和を守る」という言葉が、武器を持ち戦争を遂行していく法案になっていることの欺瞞を許さない思いを述べました。
参加者は、各々の信仰、宗教・教派・教団等の立場から、祈り・ご詠歌朗唱・聖書朗読・読経・メッセージ・勤行等々の形式で交互に思いを伝え発信しました。「南無妙法蓮華経」の法鼓、「南無阿弥陀仏」の名号本尊旗、「殺すな 殺されるな」の布(宮城泰年師揮毫)、「兵戈無用」、「不愛身命」、不戦決議、非核非戦法要ポスター、パネル展示…様々な「荘厳」により視覚・聴覚の面からも大きな発信ができました。
全国からの参加者がテント下に次々と来訪、年齢構成も、上は85歳から若きは10歳(小学4年生)まで、特に今回初参加の天理教鈴木翔太君は祖父の矢野太一師と共に参加し、「三座の勤め」を続けました。また、信徒の方々も毎回石川や神戸等から大勢参加され酷暑の中での勤行を通し核兵器廃絶・原発廃止を訴えました。継続した取り組みに心から敬意を表します。
そして、地元広島宗平協からは、吉川徹忍師をはじめ多くの会員の皆さんが準備・運営にあたり活動の幅も大きく広がりました。『核兵器も原発もない21世紀のために』の大横断幕に掲げられたこの「いのちをえらびとる断食の祈り」がまた、真の「いのちと平和をまもる」活動の大きな推進力として継続されていくことを期します。
原水爆禁止2015年世界大会
「敬朋」慰霊祭、「非核・非戦法要」に参列
大分・宇佐市 安養寺住職 林 正道
8月8日早朝に、「非核の政府を求める会」の代表と一緒に、長崎原爆爆心の碑に献花した後、9時からの「被爆70周年『敬朋』慰霊祭」に森修覚師と一緒に参列しました。長崎は被爆地であり失業対策事業で働く仲間の中には多くの被爆者がいました。身寄りのない人は、亡くなっても埋葬料では弔いも出せず、長崎医大に遺体を送り、解剖が済んだ後、手厚く葬ってもらいました。
1975年「全日自労被爆者の会」を結成して、長崎市に「引き取り手のない仲間の墓を作りたいので、墓地を提供をしてほしい」と要求して交渉。赤追町に墓地を提供してもらい、募金を集めてお墓を建立、当時の諸谷義武市長が『敬朋』の墓碑銘を書いてくれました。
77年8月31日、医大に送った人たちの遺骨を受け取り、慰霊祭を兼ねた除幕式を行いました。慰霊祭はしばらく中断していましたが、私が建交労本部の役員を辞して大分県の寺の住職になったのをきっかけに、2003年8月8日から毎年『敬朋』慰霊祭が復活しました。今年も主催者あいさつや赤羽数幸中央執行委員長のあいさつに続き、私が「表白」を唱えてから森師と一緒に読経、全国からの参加者は次々に焼香しながら、核兵器廃絶と平和の誓いを新たにしました。
9日は世界大会閉会総会に参加した後、午後から真宗大谷派長崎教区の「原爆70周年非核非戦法要」に、森修覚、小野大樹両師とともに参列しました。
70年前、長崎教区の門徒は、原爆によって焼きつくされた荒野に倒れた無数の遺体を前に、重い傷を負った自らの身を顧みず、荼毘に付し遺骨を拾いました。その1万とも2万ともいわれる遺骨が「原子爆弾災死者収骨所」に収められており、以来、毎月9日に法要が営まれています。今年も「非核非戦」の墓碑の前で嘆仏偈が勤められ後、本堂で阿弥陀経を厳修しました。表白は「今こそ、われら真宗門徒は『非核非戦』の教言を拠り処に、諸仏・如来の『兵戈無用の世界を共に生きよ」との喚びかけを、この時代のただ中で能く聞くべきであります」と呼びかけています。
記念講演では、名古屋大学名誉教授の平川宗信師が「真宗念仏者と非核・非戦―私たちはいかなる国・憲法を求めるのか」と題して法話をしました
70年ぶりの里帰り ―強制労働犠牲者追悼―
遺骨奉還東京追悼会
真言宗智山派 隅田山主 岸田 正博
9月14日午後6時より、東京築地本願寺において「遺骨奉還東京追悼会」が営まれました。主催は、「強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会」。日本側の共同代表は、「『遺骨』語りかける命の痕跡」の筆者であり、北海道宗平協の中心でもある、浄土真宗本願寺派一乗寺住職殿平善彦師。この追悼会は、「アジア太平洋戦争の終結から70年になる今年9月、…日本と韓国の市民の共同のもとで、…ご遺骨を韓国に奉持し、ご遺族、市民と共に追悼し安置する旅」の一環として営まれました。
今回奉還されるご遺骨は「本願寺札幌別院に残されてきた韓国出身者のご遺骨71体分」、「旧三菱美唄炭坑犠牲者のうち常光寺に安置されてきた6体」、「朱鞠内雨竜ダム建設工事犠牲者、旧光顕寺に安置されてきた4体」、「旧浅茅野日本陸軍飛行場建設犠牲者、浜頓別天祐寺に安置されてきた34体」、合わせて115体です。
追悼会では、殿平師による経過報告の後、築地本願寺の山本政秀副宗務長を導師に法要が営まれる中、参加者の焼香が行われ、続いて韓国国平寺住職、尹碧巖師の法要が上げられました。また、当日八王子で開催された東京宗平協でのご講演を済まされ駆けつけられた山崎龍明師の法話がなされ、日本バプテスト連盟の辻子実牧師の奨励がなされました。そして、遺族代表として、1944年4月に北千島で亡くなられた金益中氏の甥にあたる金敬洙氏から謝辞が述べられました。
今回の奉還の道程は、「戦時下に労働者の多くが朝鮮半島から北海道へと連行された道を逆に故郷へと戻る」ように組まれ、9月11日にアイヌモシリの北海道深川の一乗寺を出発、各所でご遺骨を受け取り、東京、京都西本願寺、大阪津村別院、広島別院、下関光明寺での各追悼会を経て、釜山へ、そしてソウルへ赴き20日に焼骨し納骨式を営むという、総行程3500㎞、10日間というものです。
日本全土には、未だ見元不明の朝鮮半島出身者のご遺骨が残されたままであり、戦前の関東大震災後に虐殺された朝鮮韓国人のご遺骨の発掘も満足にされていません。戦後に成されるべきことも成されないまま新たな戦前に突入しつつある今、受容できない死に追いやられた人々の声を生かす役割を日本の宗教者は担っているのでしょう。
広島で追悼会そしてソウルへ
広島宗平協 吉川 徹忍
9月16日、広島別院での追悼法要はおかげさまで厳粛な中にも、東アジアの和解と平和を願う集いになりました。ご支援ありがとうございました。 私は翌17~21日、私も代表団と共に訪韓しました。
NHK放映された納骨前日の19日、ソウル市庁前大広場で大追悼式(葬式)が多くの市民の前で挙行されました。
私たち浄土真宗をはじめ、韓国の仏教・キリスト教・民族宗教など多様な宗教の儀式にのっとったものでした。
さらに個性豊かな韓国文化の表現もあり、異郷の地で不本意に亡くなったご遺骨をハン(恨む)と悲しさの中にも温かくお迎えしようとする思いのこもったものでした。ソウル市長の挨拶もしみじみとした味わい深いものでした。
殿平氏の演説の一節が特に感動を伝えました。戦争法案可決に触れて、「日本の若者よ、銃の代わりスコップを持とう。未だ掘り起こされていない、朝鮮人強制労働犠牲者の遺骨を」。
戦争責任は今だ終わっていないことを確認しました。歴史・人権を掘り起こしていくことの課題はまだ続くことを。だからこそ、しっかりと過去に向きあおうとする市民連帯のこの試みが、民族の壁を超えた共感を広場一帯に広げたのだと理解しました。
私も殿平氏に呼ばれ、35年あまり前から掘り起しに関わり、17年前からは、日本、韓国、在日韓国・朝鮮人、アイヌの学生・若者たちと掘り起しWSに参加してきました。(隔年で、間は韓国で強制連行者からの聞き取り)歴史理解の未熟や対立をぶつけながらも、若者たちは土中から導き出された遺骨と出会う中で、闇に埋もれた「真実」にともに出会い、追悼と誓いの心のコミュニケーションが生まれました。民族和解がにじみ出した瞬間です。
今まで交流しあってきた韓国側市民団体は、今のソウル市長や共同代表の鄭ビョンホ達さん民主化闘争の仲間・知人です。1989年から私も付き合ってきた人間味豊かで酒好きで踊り歌いまくる仲間たちです。
広島からは崔ジンソク先生(広大)、カトリックの北村さんとご一緒しました。
手前みそになりますが、日本各地の追悼式の中でも広島の企画がとてもよかったと、同行した代表団のメンバーの多くの方がたがささやいてくれました。
甘露の会や僧侶仲間、宗平協(北村さんたち)、ペ・ハクテさん・崔ジンソク先生方、韓国総領事館、朝鮮総連そして高暮地区住民(庄原市議)、広島朝鮮学校や教え子たちに支えられての行事でした。
山家妄想
妙心寺派宗議会宣言文
★終戦後70年にあたる9月15日から開かれた妙心寺派宗議会は、あたかも国会で自衛隊が海外で戦争できることになる法案の審議が大詰めを迎えている17日に宣言文を発した。そこには「世界の情勢を鑑みるに、武力により国際紛争を解決しようという傾向がみられる昨今、宗門関係者は、平和国家としての歩みを守り、同じ過ちを侵すことのないよう、戦争は人間の尊い生命と尊厳を不条理に奪う最大の人権侵害であることを、社会に訴え続けなければならない」と述べている。原発再稼働に関して、安全神話の崩壊を指摘し、原発再稼働に踏み切ったことを「大変遺憾である」と踏み込んでいるのと対比して、全く及び腰である。
★時あたかも参議院安保法制特別委員会での審議が緊迫した時である。中央公聴会・横浜市の地方公聴会を、採決強行のための手続きとしようともくろむ政府与党に対して、徹底審議・廃案を求める国民の声が国会周辺から、全国に渦巻いたまさにその時、日本国憲法を無視して、自衛隊が海外で戦争(殺し、殺される)することを許すかどうかの、決定的時点であった。しかし宗議会宣言に、この時を歴史的時点と捉えている緊迫感は全くない。政治的無関心のぬるま湯に全く浸かっているか、時事認識能力を完全に喪失しているとしか思えない文章である。
★17日の鴻池委員長不信任決議案否決から、安保法案=戦争法案可決に至る経過をTVで見て、真っ当に可決されたと思う人は誰もいまい。全く異常な情景であった。朝日新聞は、あの混乱のなかで①質疑打ち切りの動議②安保法案そのもの③付帯決議④審査報告書の作成を委員長に一任する動議の、計4つの案件が可決されたというのである。委員席で起立した委員を委員長が目で確認しなくても(席を離れていた者はカウントされない)、委員長が確認したと言えば、それが記録に残ると参議院事務局は言うのだそうだが、普通の社会では通用しないことである。★国会周辺では、雨の中自発的に参集した人たちが深夜から未明まで詰めかけて、抗議の声を挙げていた。「説明が尽くされていない」という声は、世論調査の度に多数となっていた。若者たちやママたち、学者や法律家、元最高裁判事の人たちまでが「違憲である」廃案にすべきと声を挙げられた。宗教界の中でも、河野太通老師や有馬頼底老師、宮城泰年長老などは「道標」というブログを立ち上げられて発言されている。瀬戸内寂聴老尼をはじめとして活発な提言・行動をされている。真宗大谷派をはじめ教団としての声を挙げられているものも多い。それは神道やキリスト教、新宗教各派にも及んでいる。
★宗議会宣言文に示されたわが宗門の姿勢は、この事態と大きく乖離しているといわねばならない。この乖離を埋める意識的な努力を始めることが、わが宗門個々の僧侶に求められているのではないか。禅の領域のみでない、時々刻々変化している現実社会の諸相を理解する学習、それは政治・経済の領域も含めて幅広くなければならず、その根底をなす教養においても、衆人と共に語りあうことができ尊敬されうる学識の域に達する必要がある。いま必要なのは、宣言の言葉を法案の内容に即して、それが仏教の根本義に照らしてどうなのかを示す必要があるのである。★「武力により国際紛争を解決しようという傾向」と法案の関係は如何、日本国憲法第9条に則して「平和国家としての歩みを守」る日本外交や国民の海外協力事業との関連、ベトナム戦争やイラク戦争で明らかになっている事実に照らして、いま現に行われている戦争が「人間の尊い生命と尊厳を不条理に奪」っている具体相を「社会に訴え続け」ることと法案の関連、成立の暁に出現する可能性の諸相を予測して提示するなどがなされなければならない。これらのことは宗教人を自任するならば当然の責務であり、徒に「政治に介入することをおそれる」と口実化して避けるべきものでない。「政治介入云々」を自らの怠慢の隠れ蓑にしてはならないと思うのである。
2015・9・21 水田全一・妙心寺派の一老僧