被爆70年「国民平和大行進」
東京・夢の島 第五福竜丸展示館前をスタート

 5月6日核兵器禁止条約の実現求める2015年原水爆禁止国民平和大行進が東京・夢の島公園・第五福竜丸展示館前から広島をめざして出発しました。同日北海道・礼文島からも出発しました。
 出発前の集会が持たれ、ニューヨークの国連本部で核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれているなかの集会となりました。リレートークが行われニューヨーク行動に参加した参加者から活発な発言がありました。
 日本宗平協から、荒川庸生理事長、森修覚事務局長、樋口重夫事務局次長、滑川静夫常任理事(千葉宗平協事務局長)、滑川敏子さん、小山弘泉常任理事(東京宗平会事務局長が参加し、行進しました。
 7日は神奈川県・川崎市役所まで森修覚事務局長が行進しました。
 各県の引き継ぎは、神奈川から静岡は5月19日(火)、静岡から愛知は5月31日(日)、愛知から岐阜は6月11日(木)、岐阜から滋賀は6月16日(火)、滋賀から京都は6月21日(日)、京都から奈良は6月26日(金)、奈良から大阪は6月30日(火)、大阪から兵庫・神戸は7月7日(火)、兵庫から岡山は7月16日(木)岡山から広島は7月26日(日)、広島・平和公園終結は8月4日(火)正午(予定)

久保山愛吉墓前祭(2015年3月1日)

各界の誓いの言葉



日本原水爆被害者団体協議会 
 事務局長 田中 煕己

 久保山さんが「原水爆の犠牲者は自分を最後にしてほしい」といって亡くなられてから61年、原爆被害者にとって70年という大きな節目の年を迎えました。
 全国で孤立していた被爆者が、水爆実験による多くのマグロ漁船員の放射能被害と久保山さんの死を契機に団結して日本被団協を結成してから来年が60年目を迎えます。
 日本被団協に結集した被爆者は、原水爆実験の禁止、核兵器の速やかな廃絶、原水爆被害に対する国家補償を求めて運動をつづけてきました。
 幸いに、今日まで核兵器が使われることはありませんでしたが、核兵器は依然として1万6千発が地球上に存在し、その使用の危機は去っていません。
 しかし、近年、核兵器が使用された時の人間に対する破局的被害、非人道的結果についての国際的関心が新たな視点からの、核兵器廃絶への流れを大きくしています。このような情勢の中で、2015年NPT再検討会議を迎えます。
 この再検討会議が、核兵器廃絶の確かな道筋、核兵器使用禁止・廃絶につながる法的枠組みを明確にすることを被爆者は求めていきます。
 一方で、唯一の被爆国を標榜する日本国政府は、アメリカの「核の傘」による核抑止力にしがみつき、核兵器が違法であること、核兵器禁止条約を速やかに締結することを認めようとはしません。それどころか、安倍政権のもとで、憲法を改悪し、不戦を誓った第9条をなきものにし、戦争する国、軍事大国への道を驀進し始めました。
 平和憲法のもとで築き上げてきた戦後を戦前としないために、平和と公正を求める国民は一致団結して安倍政権の暴走を食い止めなければなりません。
 ここに改めて、久保山さんが最後に残した言葉、被爆者と同じ苦しみを、人類の誰にも味わせてはならないと叫びつづけてきた言葉をかみしめて、核兵器のない平和な世界の実現をめざして、被爆70年をたたかいぬくことを久保山さんの墓前で誓います。


原水爆禁止世界大会実行委員会
 運営委員会共同代表 野口 邦和

 久保山愛吉さん、あなたが「原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言を残されてから61年が経ちました。私たち日本国民は本日、61回目のビキニ事件の記念日を迎えています。
 私たち日本の国民は、第五福竜丸がビキニ水爆実験により被災し、無線長のあなたが亡くなられたことに大きな衝撃を受けました。広島、長崎、ビキニと三度原水爆の被害を体験した日本国民は、原水爆の非人道的な恐ろしさを身を以って学び、全国各地で原水爆禁止署名運動に立ち上がりました。こうしてビキニ事件を契機に原水爆禁止を求める人びとの声が急速に広がり、1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催され、9月に原水爆禁止日本協議会が誕生しました。また、翌1956年8月の第2回原水爆禁止世界大会の中で日本原水爆被害者団体協議会が誕生しました。
 あれから61年、日本の原水爆禁止運動は世界大会を軸に署名活動、国民平和大行進、原爆展の開催など、草の根の国民の力であらゆる困難とたたかい、日米政府の妨害を乗り越え、核兵器の使用を阻止し、核兵器廃絶の課題を世界諸国民の運動に広げ、非同盟運動諸国を中心に圧倒的多数の各国政府の意思に発展させてきました。
 いまや核兵器廃絶の課題は国際政治の本流となり、一握りの核保有国と「核の傘」依存国だけが核兵器に固執しているに過ぎません。国際政治の焦点は、核兵器禁止条約の交渉をただちに開始するか否かにあります。言うまでもなく核兵器禁止の国際的潮流を発展させる原動力は市民社会の運動であり、唯一の被爆国日本の原水爆禁止運動への期待は高まり、その責任はいよいよ重大です。
 ビキニ被災61年、広島・長崎の被爆70年、NPT再検討会議の開催される今年、国民が核兵器の非人道的な恐ろしさを体験しで立ち上がったビキニ事件の教訓に学び、原爆展などを展開して被爆の実相を全国民に伝え、「核兵器全面禁止のアピール」国際署名を旺盛に行い、そのすべての成果をNPT再検討会議開催の前日、4月26日のニューヨーク行動に総結集する決意です。その力で被爆70年となる原水爆禁止世界大会を大きく成功させ、日本政府を包囲し、世界諸国民の先頭に立って核兵器廃絶の扉を開く歴史的な使命を果たすために奮闘することを誓います。


 日本山妙法寺
 僧侶 木津 博充

 ビキニ水爆被災から61年となり、今年も久保山愛吉さんの『墓前祭』を迎えました。この間、久保山さんの『原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい』との願いに、多くの人々が心を寄せて平和への努力を続けてまいりました。
 『原水爆をなくせ』という事は、二度と戦争をするな!一人たりとも命を奪うな!という事に他なりません。
 しかしながら、アメリカ等はいまだに貪欲・傲慢・猜疑心で勝手に戦争を仕掛けて、無辜の人々を殺傷し続け、暴力の連鎖となって、おさまりがつきません。
 そのアメリカにべったり追従の安倍総理は、戦後70年間一度も戦争をせず、殺し殺される事のなかった平和憲法九条を破壊して、今再び戦争国家の日本へと猪突猛進しており、今後の子ども達の命が兵隊へとねらわれます。そればかりかあの“ISIL”という連中の反感をあおり、湯川遥菜さん、後藤健二さんの命を助けなかっただけでなく、日本国民は今までになかった重大な身の危険にさらされてしまった。
 ナチスの高官が、『戦争を起こすことは実に簡単だ、危ない危ないと連呼するだけで、事は足りる』と言っています。
 安倍総理!武力で平和はつくり得ません。自衛隊員とて戦場の露と消さないで下さい。あの広島・長崎・沖縄・ビキニ・福島原発等の大惨禍を絶対繰り返してはなりません!不殺生・非暴力の平和外交に徹して下さい。
 皆さん、『悪は多けれども一善に勝つ事なく、異体同心なれば万事を成ず』で、さらにあらゆる立場の人々と祈り、行動を強めましょう。
 その一環として、私たちアメリカ国内の日本山妙法寺もサンフランシスコから、マサチューセッツ州から、南部のテネシー州から国連のNPTに向けて、三つの平和行進をつとめさせていただきます。
 最後になりましたが、この『墓前祭』を50年を越えて主催されてこられた宗平協と弘徳院様、そして多くの皆様方、誠に有難うございました。  合掌


日本共産党中央委員会
 衆議院議員 島津 幸広

 3・1ビキニデー久保山愛吉墓前祭にあたり、日本共産党を代表して「誓いの言葉」を申し上げます。墓前祭式場の提供と、読経ご法話くだいさいました弘徳院ご住職、焼津仏教会の皆様には、心からの感謝を申し上げます。
 久保山愛吉墓前祭は、1964年の原水爆禁止運動への分裂攻撃にさいして、「原水爆の犠牲者を追悼する祈りまで分断することは誰にもできない」と、日本宗教者平和協議会によって主催され、51年目となりました。日本宗平協の核兵器廃絶と原水禁運動の統一へのご努力に心から敬意を表します。
 ビキニ事件を契機に原水爆禁止の運動は急速に広がりました。ビキニ被災から60年目の昨年9月のアジア政党国際会議では、「核兵器禁止条約の締結にむけた国際交渉の速やかな開始」という日本共産党の提案が、開催地名をつけた「コロンボ宣言」に明記されました。日本共産党はNPT再検討会議が開かれる今年を「核兵器のない世界」にむけた転機の年としていくために全力をあげます。
 恥ずべきことは、被爆国日本の政府が、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連決議に棄権し続けていることです。そればかりか、安倍政権は、核兵器技術を転用して福島の大災害を起こした原発の再稼働さえ企てています。
 しかし、核戦略を軸とするアメリカとともに、戦争する国へむかって暴走する安倍内閣の危険性は国民に明らかになりつつあります。
 ヒロシマ・ナガサキから70年、ファシズムと軍国主義による侵略戦争の断罪から70年にあたる今年は、戦争か平和かをめぐる歴史的な節目の年となります。
 静岡県出身の私は、反戦平和のために命がけでたたかってきた日本共産党から、原発ゼロの実現、核兵器のない世界を主張して、国会に送っていただきました。安倍政権の暴走と対決し、国民の声が生きる政治に転換する決意を表明して、「誓いの言葉」といたします。 


全国労働組合総連合
 副議長 長尾 ゆり

 いま、久保山愛吉さんの墓前に立ち、あらためて「原水爆の犠牲者は、私を最後にしてほしい」というお言葉を胸に刻んでいるところです。1954年3月1日、久保山愛吉さんが、アメリカによる水爆実験で「死の灰」をあびてから、61年になります。
 広島型原爆の1000倍という巨大な威力をもつ水爆実験により被爆した漁船は、第五福竜丸をはじめ1400隻以上ともいわれます。しかし、長年の市民や国会議員の要請により、政府はやっとその資料の一部を公表し始めたところです。久保山愛吉さんの墓前に立ち、あらためて、ビキニ被災の全容解明と被害者救済を政府に求める決意を表明いたします。
 世界はいま、大きく動いています。昨年155か国が連名で、核兵器の「非人道性」を告発し、その使用禁止と廃絶を求める共同声明を発表しました。核保有国も核兵器の「非人道性」から目を背けることはできません。被爆者の訴えが、国際政治を動かしつつあるのです。
 今年は、被爆70年という節目の年。4月末からは、NPT再検討会議が開かれます。前回、合意された「核兵器のない世界の実現」に向けて行動に移すことが問われています。久保山さんの思いを背負って、広島・長崎の被爆者の願いを背負って、全体で1000人以上、全労連からも300人の代表団がニューヨークに向かいます。「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニを繰り返してはならない」という被爆国日本の声を伝えてまいります。
 しかし、世界の流れに反して、一部の核保有国は、核抑止力論にしがみついています。そして、日本政府はアメリカの核戦略を肯定し、昨年の国連総会でも、核兵器禁止条約の交渉開始を求める決議に棄権しています。
 全労連は、「戦争する国」への安倍政権の暴走を許さず、被爆国として、また、憲法九条を持つ国として、その役割を果たすことを日本政府に求めます。そして、被爆者と心ひとつに、核兵器のない社会をめざします。また、今も12万人が避難生活を強いられている福島の皆さんとともに、被災者救済、原発の再稼働を許さず、原発ゼロを求める取り組みをすすめます。労働者・国民が安心して暮らせる社会をめざして、子どもたちに核のない平和な未来を手渡すため、奮闘することをお誓い申し上げます。
 久保山愛吉さん、どうぞ安らかにお眠りください。


新日本婦人の会
 事務局長 米山 淳子

 ビキニでの被災61年の3月1日を迎えました。久保山愛吉さんをはじめ犠牲になられた方々を偲び、核兵器のない世界へ、そして憲法を守り抜く決意を新たにしております。また、この墓前祭を50年余にわたり、執り行なってこられた日本宗教者平和協議会のみなさま方に感謝申し上げます。
 戦後70年の今年、第3次安倍内閣のもとで、戦争か平和か、戦後社会の分岐点にある重大な情勢のもとで、女性たちは「戦争は絶対ダメ」「子どもたちに安心して暮らせる、平和な未来を手渡したい」と切実な願いをつよめ、行動にふみだしています。
 私たち新日本婦人の会は、くらしや女性の権利、子どもの幸せを守ることと同時に、核兵器廃絶、憲法を守りぬくことをかかげ、半世紀以上に運動を積み重ねてきました。いま、若い世代とともに、女性の願いで安倍政権ノックアウトをと、外へ外へと対話をひろげています。私たちの税金は「軍事費ではなく、暮らし、福祉、教育へ」、「集団的自衛権行使容認撤回」「憲法まもれ」と、全国の草の根から署名を積み上げ、女性たち7000人で国会包囲行動も行ないました。4月のNPT再検討会議・ニューヨーク行動には200人の代表参加を決め、核兵器全面禁止のアピール署名は130万を超え、200万目標めざし全国で大奮闘するなど、全力をあげています。
 長年のねばりづよい運動により、いまや核兵器全面禁止・廃絶条約の交渉開始を求める国は国連加盟国の3分の2を超え、国連、各国政府はゆるがぬ決意と行動をつよめ、市民社会との共同がこれまでになくひろがっています。広島・長崎からの被爆70年の今年、核兵器のない世界への転換点にするため、いっそう力をつくす決意をのべ、「誓いのことば」といたします。


3・1ビキニデー静岡県実行委員会日本科学者会議静岡支部代表幹事
 石井 潔

 第五福竜丸の水爆被災から61年を迎える今日3月1日、改めて久保山愛吉さんの墓前に立ち、3・1ビキニデー静岡県実行委員会を代表して、全国からお集まりの皆様とともに、核兵器廃絶と平和な世界の実現に向けて一同力を尽くすことをお約束する誓いの言葉を捧げます。
 広島・長崎での被爆70周年にあたる本年は、非人道的な兵器である核兵器の保有や使用を完全に禁止する「核兵器禁止条約」制定に向けた一歩を踏み出すべき重要な年です。来月ニューヨークの国連本部で開催される予定のNPT再検討会議に向けて、唯一の被爆国であるわが国においても、核兵器廃絶に向けた国民世論が大いに高まっていますが、このような国民の声を背景として、核保有国に対して本格的な核軍縮と核廃絶に向けた具体的なロードマップを示すように迫っていかなければなりません。
 昨年12月にウイーンで開催された「第三回核兵器の人道的影響に関する会議」においては、ビキニ環礁での水爆実験による被爆について、高知県の漁民の被爆線量が広島原爆の爆心地から1・6キロの地点の数値に匹敵するものであったという新たな事実を掘り起こした広島大学名誉教授の星正治も発言され、市民に対する長期にわたる深刻な放射能の爪痕の象徴として、広島とビキニが一連の流れに下にあることに改めて光をあてられました。ビキニ被爆への市民の怒りが戦後の核兵器反対運動の出発点となり、原水爆禁止世界大会開催の背景となったことは周知の事実ですが、、今一度、広島・長崎の被爆者とビキニ環礁周辺で操業中に被爆した漁民たちの苦しみを思い起こし、核兵器の非人道性を世界に訴えて行くことが求められています。
 一昨年の国連総会第一委員会以降、日本政府の核軍縮に対する姿勢には若干の前進は見られるものの、残念ながら核保有国の手足をしばることにつながる明確な核兵器廃絶の姿勢を示すには至っていません。アメリカの「核の傘」に依存する日本の安全保障政策を根本的に転換し、「核抑止論」から脱却することなしには、このような消極的な態度を改め、世界的な核廃絶運動の先頭に立つのが不可能だということが、ますます明らかになってきています。しかしながら、これとは逆に、政府は昨年7月に集団的自衛権行使を容認する閣議決定を行い、関連法案の国会提出を準備するなど、アメリカの揚げる旗の下での戦争に、より容易に加わることができる体制を作ろうとしています。日本国憲法改正への動きや武器輸出三原則の見直しなども含め、安倍政権には、先の大戦への深刻な歴史的反省の上に立った平和主義の理念を継承・発展させ、核戦争へと至る崩壊への道を絶対に歩むことはしないというはっきりとした政治的意思が全く見られません。
 戦後70年を迎え、安倍首相が8月の終戦記念日に発表する予定の歴史認識に関する談話が国際的な注目を集めています。この機会に近隣諸国に対する植民地支配と侵略戦争の与えた甚大な被害について、わかりやすい言葉で心からの反省と謝罪の意を表明することが、今後の関係国との間の外交関係にとって重要な意味を持つことはもちろんです。しかし、それ以上に大切なのは、日本がこのような深い歴史的反省を踏まえて、未来に向かって二度と戦争をすることのない平和国家として生きて行くことを決意しているという政治的意思を、「積極的平和主義」などといった衣の下の鎧が丸見えの政治的レトリックを用いることなく、率直でごまかしのない表現で示すことです。
 今の日本が最も必要としているのは、「戦後政治の総決算」などという、歴史から何も学ぼうとしない傲慢な態度ではなく、過去の国内外の戦争や核実験の被害者の苦しみと怒りに誠実に耳を傾けることのできる真の意味での歴史認識です。ビキニ被災61年、被爆70年という、この記念すべき年に、我々は改めて、平和で民主的な国家の建設のために先人たちが積み重ねてきた歴史の重みを噛み締め、その上に立って、核兵器廃絶に向けた新たな運動を切り開くことに全力を尽くして行く決意をここに表明し、誓いの言葉といたします。